2009年01月31日
昨日は501もアクセスありました。やはりあのタイトルだと気になって覗く方が多いのですね。たいしたこと書いてないので申し訳ないですが、改めて、いかにタイトルの影響力が大きいかわかりました。 さて、スカイマークが旭川・羽田の搭乗率が55%しかないからということで、2往復のうち1往復を千歳経由にすることにしました。 旭川・千歳間の利用も可で、数千円の料金だそうですが、誰が乗るのだろう? マニアしか乗らないのでは(笑 <→私のことですが> 1969年頃は、羽田・旭川間の航空機(日本国内航空)は、1往復あり、丘珠経由でしたから、旭川・丘珠間は\3,400でした。 (旭川・羽田は\15,100) 当時、国鉄で札幌・旭川間は運賃550円、急行料金200円、指定席特急料金が600円なので、ざっと物価は5分の1ですから(駅弁も多くは100~150円で、長万部のかにめしが200円でした)今だと1万7千円くらいの感じですから、列車で2時間でいくのに、これじゃあ、乗る人いませんね。 数千円でも、どうでしょう? 私が自宅からドームまで行くのに最短で2時間半程度かかります。 飛行機でも、ほぼ2時間半なので、同じ時間で倍の費用がかかります。 でも、一度は試しに乗ってみますよ(笑 だって、どうせ直ぐになくなりますから。 旭川から羽田に行くのに、千歳経由だと1時間余計に時間がかかるので、さらに旭川から乗る人が減るでしょうから、千歳で乗り込んで来る人がいたって、収入はあまり増えないし、逆に余計なコストがかさむだけ損でしょう。 なんでこんな簡単なことがわからないのでしょう? 国内線で寄港便は効率が悪く、誕生しては直ぐに消えるのがくり返えされたことも知らないのですかね? (離島便のように、特殊な事情があれば別ですが) そのうち、千歳・旭川間の運行を取りやめ、やがて残った1往復も消えてしまうかも。 4月11日か12日にドームで試合があるみたいなので(カターレ戦という噂ですが、本当かどうか)、その時にでも乗れたら乗ってみます。 そうそう、旭川の人が仙台とか新潟などへ行く場合、今まではJRで千歳まで行って飛行機に乗っていたけど、今度は旭川から千歳までスカイマークで、ということもできるから、マニアでなくても少しは乗る人がいるかもね。でも、減る方が多いでしょうね。 ちなみに、離島便を除くと、最も短距離な航空路線は、たぶん伊丹・コウノトリ但馬だと思いますが、旭川・千歳はそれよりも短いかな? と思ったら、少し及ばないようですね。 JRだと大阪・豊岡は2時間半で、旭川・新千歳は2時間ですが、前者の方が距離は少し短いようです。今日は自宅の横に、カケスとアカグロゲラの両方が同時にやってきました。
2009年01月30日
今年は日程発表が遅く、まだあと1週間もありますね。 開幕がドームで仙台相手だとマスコミが言っているくらいで、あとは信憑性の低い情報しなく、待ち遠しかったですが、昨晩になってようやく信憑性の高そうな情報が流れてきましたね。 でも、100%信用できないし、どうしたらいいもんだか。 5月の連休のときの旅割(先得)は2月1日発売開始なんだし、早く正しい日程を知りたいものです。 5月5日はホーム戦との情報があるから、5日の午前に千歳に着く飛行機で北海道に戻ろうと思うのですが、函館開催だったら早く帰道する意味がないし、困ったものです。 昨日のイコフの日替わりランチ、八宝菜。630円。凄い量です。今日のはポークジンジャー。タレが絶妙な美味しさです。浜頓別の家はは明日から新しい住人が生活始めます。 売却先が見つかって、とっても嬉しいのですが、15年住み慣れた家が他人に渡るのも、なんだか寂しい気もします。写真は少し古いので、木々はもっと生長してますが、家は同じく綺麗なままです。
2009年01月28日
訪問先の猫は元気になりました。仕事中やってきて、猫を気にしながらの仕事でした(笑 でも、まだ体重は2kgちょっとしかなく、腰のあたりはこんなに細いです。今日のランチはイコフの日替わり。 ミートローフとキャベツと揚げの煮物。 デミグラスソースが美味しいです。ぜんぜん関係ないけど、元祖・我田引鉄の大船渡線。
2009年01月27日
今日は朝、旭川駅で「蝦夷鴨めし」という駅弁を買おうと思っていたけど、まだ店頭に並んでないようで(少量しか販売しないメニューなので)、予定を変更し、久しぶりに旭川でラーメンの老舗の青葉さんへ行きました。旭川でラーメンの老舗といえば、蜂屋が有名ですし、天金も老舗と言われますが、ここも立派な老舗で、1948年の創業です。 あっさりしているので、私が最も好きなラーメン店です。 それに、おそらく旭川で最も早く禁煙になった店なんです。 (もっとも、今でも他には山頭火くらいしか禁煙の店はないのですが) これで750円は高いと評価されそうな気もしますが、大きくて質の良い肉が入っているので、それほどでもないですかね? 個人的には、肉はなくて良いから、野菜を入れて、少し安い方が良いと思うけど。西川市長(元・JALのパイロット)もお勧めとか。細木数子も絶賛?買物公園は、これから冬まつりの氷像を設置するところです。駅前広場はすでに氷の彫刻が始まってます。 わかりにくいけど、列車は「旭山動物園号」です。 JRの職員による製作でしょうか?
2009年01月26日
昨日のランチは「ひろ」さんのパン。この4つで、1,302円。 麦々堂さんと同じく値段も一流、味も一流。(いや、味は超一流か) 焼きたては本当に美味しいです。 自宅から近いので(イオン旭川西店の裏・錦町20丁目)、ひろさんが出来てからはあまり麦々堂さんに行かなくなっていたのですが、ところが昨年10月に麦々堂さんの近くで開業してからは逆にあまり「ひろ」さんに行かなくなっていました。 麦々堂さんは完璧にドイツ伝統の技のパンですが、ひろさんは、ちょっと路線が違うので、両方のパン屋へ通うと、いろんなパンが食べれて良いです。 今日のイコフさんのランチ。630円 メニューには「豚肉の桑焼き」って書いてあったんですが、鍬焼きのようです。 (基本的には鍬焼きはチキンか鴨だと思うけど)昆布の佃煮の代わりに大根とチキンを炊いたのだったし、普段は福神漬けなどの漬け物が今日はニシン漬けだったし、いつもよりも豪華でした。 (食べきれないので一部、自宅に持って帰りました) 明日はイコフも麦々堂も休みだし、しかも電車通勤なので、ランチをどうするか悩んでいるんですが (車があれば神楽岡のパン屋に行くのだけど)、旭川駅で下車するので駅弁ですかね(笑
2009年01月25日
新潟の話題ついでにもう一つ。10年前に廃止になった、新潟市と燕市を結んでいた路線。新潟市の中心部近くは道路併用軌道でした。 私が住んでいたマンションの直ぐ裏で、越後線と交差する地点。 越後線が電化工事始まる少し前の1982年1月。 富山地方鉄道と同じような配色なので、それと同じく「かぼちゃ電車」と呼ばれることがあったそうですが、私は聞いたことがありませんでした (笑 もともと、新潟駅はおろか、繁華街の古町(ふるまち)すら到達しない路線で、白山駅前(旧県庁前)までしか行ってないハンディがありました。 新潟駅まで延伸計画は昔からあったものの、実現しなく、併用軌道地区では、騒音・振動の苦情もあり(1時間に上下1本ずつしなかったのに)、92年には併用軌道部分は廃止され、いよいよ不便な状態に陥ってました。 目立った保存運動はなく、厄介者扱いされてなくなったのは、なんとも残念です。県や周辺自治体は、もっと早い時期に中心部への延伸を支援したらよかったのに。 越後線は84年に電化したのだから、越後線に乗り入れ、新潟駅まで運行したらよかったんですけどね。 以下、東青山駅で撮影した写真を追加します
2009年01月24日
1982年1月の新潟駅。上越線特急「とき」上野行が1番線に入線中。 この年の11月に上越新幹線が開業なので、在来線特急「とき」がなくなる10ヶ月前の写真です。 さて問題です。 この頃、新幹線には全列車にあるのに、在来線国鉄特急には、「とき」にしかなかったのはなんでしょう? ヒント : まさにこの写真の、とき12号車がそうです。
2009年01月23日
仕事で行く先の、ある居宅に猫がいるのですが、いつもは仕事中に足にじゃれてくるのに、今日は来ないと思ったら、胃腸機能が悪くて激痩せして元気がないとか。 黒太郎くんこの写真では痩せ細って見えないかも知れませんが、5kgあった体重が2.2kgしかないそうです。砂を掻いてトイレを始めました。 生まれつき胃腸が悪くて、しばしばトラブル起こすそうです。 「診察に来てくれた人達で、猫を心配してくれたのは初めて」と、感動されちゃいました。 ところで、例年なら日程発表になる時期だけど、今年はもう2週間先ですね。 情報もあまり漏れないようだし、漏れた情報も間違っているとかどうとか・・ 最初は1節にドームでカターレという情報だったのに、どうも仙台らしいし、 3節以降の漏れた情報も、全然違うという意見もあって、アテにならないようです。 早く知りたいものですね。
2009年01月21日
SLが続いたので、たまには電車の話題です。1975年3月。高校入試を終えたので、学校さぼって札幌に到着した新型電車を見にいきました。 この年の7月から、北海道で初の電車特急「いしかり」が運行始めました。山一証券やたくぎんの看板は懐かしいですね。 ちなみに、485系ですが、北海道の冬には対応できず運休続出し、翌年からは間引き運転を余儀なくされ、あえなく数年で引退(青森へ転属)。 道新には、「特休」などと揶揄されました。 その際、「本州で使っていた、お古」などと書かれたこともありましたが、これは完全にマスコミの間違った思いこみで、耐寒性を高めた北海道専用機で、耐寒試験を特急白鳥で9ヶ月やっただけのこと。 まあ、確かに耐寒性能は不十分でしたが・・ あと、急行と比べてわずか数分の時間短縮なのに高い特急料金をとると、道新は非難した記事も書きました。 でも、シートピッチが急行かむいの1.28倍もあるなど居住性が格段に違います。 当時は急行だと、トイレットペーパーも付いてなかったというのもあります。 無料の飲料水もあったかな? そんな点を評価しないで、やたら国鉄を非難した某マスコミは嫌でした。 この車両は、廃車になったのもありますが(30年以上経つから当然ですが)、ジョイフルトレイン彩に改造されたり、今も現役のもありますから、乗ってみたいものです。
2009年01月20日
中学2年の1973年5月15日に苗穂機関区に行きました。 この時期、大都会札幌にまだ意外とSLが残っていて、千歳線でC-57やC-58が貨物列車を牽いていました。 このC-57ですが、ドームの後ろに四角い箱がありますね。きっと重油タンクなんでしょう。 貨物だと投炭は重労働ですから、よくD-51なんかに重油タンクが付いてましたが、山越えもない千歳線のC-57で重油混燃とは意外ですが、千歳線に配属する前にすでに付けていたのかも知れませんね。1973年12月の月寒駅。 すでに千歳線は新線に切り替わっていましたが、貨物線として苗穂・東札幌・月寒間は残っていました。 重連の前の機関車はC-57ですが、後ろの機関車もC-57のようです。 サラブレッド(C-57)が2頭で荷物を牽くより、農耕馬(D-51)が1頭で牽くべきと思うのだけど、まもなくSLがなくなる時期だから、運用の都合でこうなったのかな? 車検にあたる全般検査には莫大なコストがかかるので、有効期限の残っているSLでやりくりして、こうなったとか?
2009年01月19日
今日のお昼は4週間ぶりに麦々堂のパン。焼きたては美味い!! 麦々堂さんは正月休みが長く、16日から再開でしたが、美味しいパンに飢えていた人がまだ沢山いるのか、あと少しで完売になるところでした。 左はイチジクパン。右はタマネギ田舎パン。(ライ麦が入っています) お昼に実際に食べたのはこれくらい。先週は違うパン屋に行ったけど、(ここの半値くらいの安さでしたが)満足できず、やっぱりここのパンは美味しい。 幸せを感じながら食べ、昨日の伊勢エビよりも充実感ありましたよ。 伊勢エビの話が出たついでで、伊勢奥津駅の写真です。 1982年だと思います。三重県から内陸にかなり入ったところで、奈良県に近いところです。 松坂から名松線というJR線の終点です。シーズンオフでコンサの話題がないと、食い物の話ばっかりですね。 まあ、オンシーズンでも食い物の話ばっかりだけど(笑
2009年01月18日
今日はご馳走です。上手く韻を踏んだけど、他にホンビノス貝もあります。 ホンビノス貝は北米原産ですが、東京湾で繁殖し、千葉でかなり水上げがあるそうです。この時期は安いので、ちょっと奮発し、オオドサにも同じのをプレゼントしたので、兄のブログでも同じような写真を載せています。伊勢エビの頭は味噌仕立ての鍋。タケノコは自分で採ってきて、塩蔵していたものです。伊勢エビの身は刺身とバター焼き。(少し残したので、晩に鍋に入れて食べます) 伊勢の残酷焼きみたいに豪快にやりたいと思い、アワビもホンビノス貝もそのまま焼きました。 (本当は炭火でやりたいけど) アワビは殻付きのままなので時間かかりますが、この方が殻からぺろっと簡単に剥がれるので楽です。 焼きたてのアワビは最高 !!
2009年01月17日
中学2年のとき、C-62の復活運転があり、小樽まで行ったのですが、ブレなどで上手く写真が撮れず、こんなのしかありません。1973年5月3日。小樽・塩谷間。 71年に急行ニセコの牽引から引退しましたが、73年に一時復活運転したのです。 悔しいので3日後に小樽築港機関区に行きました。止まっているSLなら上手く撮れると思ってのことです。 しかし、車庫に入ってお尻しか見えません。 この日はもう業務終了で、車庫から出ることはありませんでした。こなんことがあって、私はC-62が嫌いになりました (笑 嫌いになったというのは冗談ですが、それよりも他の機関車が好きになったのは事実です。 ちなみに、C-62のような、軸配置が2-C-2のタイプをハドソンと呼び、最初のコンサの胸スポンサーのハドソン社は、創業者兄弟がC-62のようなハドソン型SLが好きで、社名をハドソンにし、郵便番号が062になるよう、月寒に本社を置いたそうです。 そんなこともあって、コンササポになってからはC-62が好きになりました(笑 JR北海道が88年から95年まで、再度、復活運転していたけど、自動車でいうと車検にあたる検査に1億円もかかるため、運行をやめてしまったのは残念です。 北海道の大地にC-11じゃ、ちょっと物足りませんね。
2009年01月16日
あのころ国鉄はしょっちゅうストやってたけけど、SLの撮影名所を走るSLが団結号はないでしょう。73年5月3日。栗丘-栗山間。ちなみに、重連の後ろはC-57。C-57が貨物を牽引するなんて、サラブレッドがばんば競争に出るようなものでしょう。凄い違和感。 栗沢駅です。73年1月。今日の晩ご飯はイオン旭川西店の香港厨房。左は餅米肉団子。横浜にいたとき、中華街でよくこれを食べました。 横浜スタジアムで大洋ホエールズを観たあとに中華街によく行ったんです。
2009年01月15日
今日は開業して初めて本格的な吹雪。待合室からの写真ですが、あまり吹雪いているように見えないか。237号に出たところの写真。踏切の向こうの左側が神楽岡駅ですが、見えませんね。今日のイコフの日替わりランチ。写真では何だかわかりにくいですが、「魚のおろし煮+チーズ入り竹輪のテンプラ」。630円。 鯖や秋刀魚の煮付けだったらがっかりかな、なんて思っていたのですが、これはタラの唐揚げにおろしダレ+生姜を載せたもので、とっても美味しかったです。 また今度同じメニューのときは出前とります。イワシ煮でないことを祈ります(笑
2009年01月14日
自宅ではよく見かけるアカゲラですが(というか、うちの軒天に住んでいる)、神楽にあるうちの診療所の隣の庭で見かけました。 以前オオドサが、朽ちた木のキノコを食べると言ってましたが、そのようですね。 院長室からこんな光景が見えるなんて、素晴らしい。今日のイコフの日替わりランチ。630円。 酢豚だと思うでしょう。「鶏の唐揚げ甘酢あん」です。よーするにチキンを使った酢豚料理ですが、私は酢豚よりもこの方が好きです。古い写真を整理していたら、ネガの袋がこんなのでした。 全然流行らなくて、短命でしたね、
2009年01月12日
今朝、庭にエゾリスが来ていて、カメラを用意したときにはお隣のベランダに上がっていてそして、なんと、壁をよじ登って行きました。写真は、木製サッシを伝って降りるところですが、その前にコンクリートの打ちっ放しの壁をよじ登ったのです。 リスは木登りが得意なのは知ってますが、スパイダーマンみたいに壁を上るとは驚きました。 嬉しいことにそのあと、私の部屋の直ぐ横の木を登りました。森を散策すれば、5~6メートルの距離で見かけることはよくありますが、3メートル程度の近い距離で見たのは初めてです。 私と目があっても逃げなかったのに、猫(うちの)がやってきたら逃げてしまいました。 今年はアルディージャとの対戦は(天皇杯は別として)ないですけどね。
2009年01月11日
兄のブログで、早くも富山を喰らうやってますので、こちらでもやっておきます(笑昨日のイコフのランチ。シーフードピラフ。630円。 見た目は地味だけど、よく見るとアサリ・ホッキ・エビなどが沢山入ってます。 土曜は野菜サラダが付くので(親子丼のときは別)、良いですね。 普段もサラダが付くなら、うちのスタッフももっとイコフさんから出前とるのだけど。SUZUKIのシボレー。 当初、これを買うつもりだったのが、これなんだっけ? マツダの赤黒に決めたのに、結局買わずに車は1台だけになりました。
2009年01月10日
私が中学2年の夏休み、札幌から旭川に行って撮った写真です。1973年8月13日、めちゃ暑い日でした。人生で最も暑い経験をしたし、その半年後には、同じく旭川で人生で最も寒い経験をしたので、旭川だけは住みたくないと思ってしまいました(笑 旭川発稚内行普通列車で、旭川駅を出てまもなくの地点。 (宗谷線なのに架線があるので、旭川機関区の手前だとわかりますね) 昨日の塩狩峠の写真と同じく、C-55 50号機です。旭川機関区には、C-55 30号機が扇形車庫に入ってました。さて、何が偽装なのかというと、C-55 30号機を手宮の北海道交通記念館(現・小樽市総合博物館)で保存展示することになっていたのに、一時保管していた国鉄苗穂工場で、間違って解体してしまったのです。 そして、急遽、旭川に残っていた C-55 50号機を、手宮で展示することにしたのですが、なんと、50号機に30号機のナンバープレートを取り付けて30号機に偽装したのです。 直ぐにばれてしまってナンバープレートは元通りにしたけど、足周りにある刻印は、5の上から3を押した痕が残っているそうです。 だけど、50号機でも30号機でも、同じC-55なんだし、たいした問題でもなく、わざわざ偽装するなんて変だと思いませんか? 実は、50号機と30号機は全然違うのです。 30号機は流線型C-55、21両のうちの1両なんです。 50号機とは違って、とてもとても貴重な財産だったのです。 もちろん、戦後まもなく完全に流線カバーは取り外していましたが、そのなごりがよく見える機関車だったのです。その特徴がよく見える写真はこのサイトにありますので、ご興味あればご覧下さい。 運転台の上の屋根が、ロンドンの地下鉄みたいに深くカーブしています。 (頭がつかえそうです) 偽装に関しては、WikiでC-55のページにも書いてあります。1948年、尾久機関区。足周りのカバーははずしてますが、頭部やボイラーあたりのカバーは戦時中も付けていたのですね。 レーダー波を反射するステルス機、のわけないか。
2009年01月09日
今日、旭川の気象台観測では、マイナス16.6度。 江丹別はマイナス22.7度。 我が家は約19度で、忠和の新道にある温度計も19度を表示してました。診療所も暖房能力が少し不足して、朝のうちはちょっと寒かったです。 来年はエアコンが付いているはずなので大丈夫のはずですが、今年はなんとか乗り切らないといけないのですが、連休中になんとかする予定です。 1974年1月に塩狩峠にC-55を撮影に行きました。 中学2年のときで、友人とユースホステルに泊まりました。宗谷線のSLはこの10ヶ月後くらいに廃止になり、このSLは現在、手宮の小樽博物館に展示されています。 本当は別のC-55が展示されるはずだったのですが、SL偽装事件は明日にでも書きます。今日のイコフのランチは、豚のすきやき風&かぼちゃのテンプラ。 以前、披露してますが、今日は凄いボリュームだったので、また写真撮りました。 もう少し少なくて大丈夫なんですが・・
2009年01月08日
ここはどこでしょう?9600が入れ替え作業やってます。答えは月寒駅です。南郷通にあるアサヒビールの工場の裏にありました。 写真は、1973年9月。 となりの駅です。「つきさっぷ」の下が塗りつぶされているのは、定山渓鉄道の「とよひら」駅です。 この写真の4年前に定鉄は廃止されています。 現在この場所はコンベンションセンターになってます。ホームから駅舎の間は、すでに線路が撤去されていますね。 ところで、1月2日のSLの写真は、1974年1月5日でした。 旭川機関区や塩狩峠でのC-55の写真も見つかったので、明日以降披露したいと思います。 中学2年のときはSL撮影に燃えてました(笑昨日のイコフさんのランチ。チロルハンバーグとサツマイモのてんぷら。630円。 予想通り、チーズが乗ったハンバーグで、期待通り、美味しいデミグラスソースでした。 なぜかマットは阪神バスのタオル(笑 それにしても、なかなかコンサの日程の情報が入ってきませんね。 1節がドームというのはわかりますが(その可能性は十分あるとは思いますが)本当にカターレなのか?
2009年01月05日
オオドサのブログで、大夕張鉄道が話題になったついでに、夕張鉄道の写真を披露します。野幌駅1973年5月12日です。(後ろに石炭列車が見えます) 夕鉄の廃止後、これと同型車(まさにこの車両かも?)が鹿島鉄道に譲渡され、07年3月31日の廃線まで走ってました。 北海道初の液体式気動車で、非常に歴史的価値のある車両です。 車両は小美玉市に保存されていますが、残念ながら現在のところ公開されていません。 石炭列車を引くDD1000(国鉄のDD13と同型)。73年7月。 運転台の写真は、上の写真と同じ、ディーゼルカーです。
2009年01月04日
正月休みは今日まで6日間でした。 でも、いろいろやることが多く、結構ハードでした。 この写真を見て下さい。受付が狭くて、物の置き場所に困っていたので、後ろの壁をぶち抜いて棚を作りました。 壁の後ろはストックヤードなので、後ろ側の見た目は関係ないし、スペースがあった分、楽でした。 左上が斜めなのは、階段があるからです。(2Fはかつて、スタッフルームでしたが、院長室をスタッフルームにして、技工室を院長室に改造したので、2Fは使ってません) 札幌の母の所で2泊したし、うちは医療機関なので、月初めはレセプト作成もあるし、そしてこの大工仕事もやったので、あまりゆっくりできない正月でした。 雪かきをほとんどしないで済んだのは楽でしたが。1973年頃、沼ノ端付近を行くD-51です。
2009年01月03日
今年のコンサの日程が気になります。 早く知りたいけど、正式発表はまだ1ヶ月も先か。 またSLです。 たぶん、私が中学2年の1973年の写真だと思いますが、苫小牧(正確には沼ノ端・遠浅間)で撮ったものです。以下は岩見沢第一機関区。ちなみに、1963年2月の機関車分布図を見ると、岩見沢や苫小牧、鷲別、室蘭など、室蘭線にはC-57は配属されてなかったです。(室蘭にC-55ならあったけど) このころ、室蘭線の客車は主にD-51が牽引していたのだろうか? まあ、本来、C-57は急行型機関車だから、主に幹線に配属されていたのだし(苗穂にあった)、幹線の無煙化が進んで来てから室蘭線などの亜幹線に廻ってきたのでしょうね。
2009年01月02日
母の家でオオドサとSLの話題になり、万字線で石炭列車を牽引していた機関車は何かという議論になりました。 オオドサはD-51ではないかとのこと。 私は記憶にないのですが、客車をC-11が牽引していたくらいだから、軸重制限があり、9600が牽引していたかも、と思ったのですが、ここ をみたら、D-51が走っていたのですね。 ちなみに、展示している「みなみ公園」は岩見沢東高が昔あった場所ですね。 ここにはC-57も展示してます。 ちなみに、軸重(最大軸重)ですが、9600は13.41トンなので、多くの線区に入線可能ですが、D-51は 一次型(ナメクジ型)が14.3トン、2次型が14.63トン、3次型(戦時型)で15.11トンです。 幹線の函館本線だって、標準型のC-62の16.08トンは無理で、軸重軽減改造して14.96トンにして急行ニセコを牽引していたくらいだから、万字線で戦時型D-51を運用していたかどうかはわかりませんが、1次型と2次型が走っていたのは確認しました。(個人のブログ程度ですが) 岩見沢第一機関区に戦時型D-51はあり、室蘭本線では運用していました。(写真は栗丘です)戦時型は砂箱と蒸気だめのドームが角張っているので、横からみたら即座にわかります。
2009年01月01日
おせちは2万1千円のを買いました。 冷凍ものなので、一部、今一つのものもありましたが、満足の内容です。 一番美味しいと思ったのは、からすみです。写真右で、ロブスターの隣にあり、一見、ゆで卵のスライスに見えるやつです。(すり身で巻いています) あと、ミカンの壺に入って、この写真では見えませんが、なまこの酢の物が絶品でした。 全然酸っぱくなく、柔らかで最高でした。 クルミも凄く美味しかったし、まあ、どれも上品に良く調理されています。 私が嫌いななますだって、薄味で上品で食べることができました。 注文したのは小樽の水産会社ですが、大阪の会社に下請けに出していて、岡山の食品工場で製造したものでした。 (あわびは別に調達したものです)初詣するオオドサ。といっても、大晦日なのでフライイングですが(笑 隣のモニターでは、唯一、ホームゲームで勝った試合を放映していて、着いたら直ぐにダヴィと柴田のゴールが見られてよかったです。
プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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