2012年01月30日
1982年3月20日(土)、バルセロナのホテルガウディをチェックアウト。この日はマルセイユまで移動です。 列車の時刻まで時間があるので、港へ行きました。 コロンブスが乗ったサンタマリア号の実物大レプリカです。ちなみに、大阪に2倍のレプリカがあります。大阪のは遊覧船として営業しているので実物大では小さくてキャパシティーが足りませんから。 バルセロナ10:02発のカタランタルゴに乗りました。ジュネーブ行きですが、現在はモンペリエまでしか運行してません。モンペリエ以遠はTGVが連絡します。食堂車もなくなったそうです。寂しいものです。 食堂車で記念撮影。この車両は見た目はバルセロナ・マドリード間の列車と同じですが、こちらはは車輪幅を変換できる構造になっていて、国境のポルトボウ駅で早歩きくらいのスピードで変換ポイントを通り抜けると自動的に幅が変わる仕組みになっています。 機関車は対応してないので、一旦止まって機関車を後ろに付け替え、半分くらい変換したら再度止まって後ろの機関車を外し、前方にフランスの線路幅の機関車を付けるという算段です。 15:27、アヴィニョンで下車し、パリ発ミラノ行きの列車に乗り換えます。機関車はSNCF(フランス国鉄)ですが、客車はイタリア国鉄のです。アヴィニョン停車時間は3分しかないのに頑張って写真撮りました。 以前は1等しか連結されないTEEだった名残で、車両にはTEEと書かれていますが、2等車が連結され、IC(インターシティー)となっています。 なお、わずかこの1ヶ月後に、パリ・マルセイユ間はTGVになり、この列車はマルセイユ・ミラノ間の運行になりました。 TGVはあとで何回も乗るし、むしろイタリア国鉄の車両に乗れて良かったです。 アヴィニョン駅近くでローヌ川にかかる橋を渡りますが、アヴィニョンの橋は見えなかったです。 マルセイユには夕方に着き、夕食前に散策。この港(旧港)から森鴎外や夏目漱石、島崎藤村らが欧州上陸したし、アインシュタインが日本に行ったときもここから乗船しました。 ところで、バルセロナで印象的だったことがまだあります。 駐車している車が、どれも、ハンドルに大きな大きな盗難防止のカギ爪(ハンドルを回せなくするための)が付いているのです。 車泥棒が多いということなんでしょうけど、驚きました。 それと、スペインではあちらこちら、主要な建物には軽機関銃を肩から下げた警官(軍人?)が目に付いたことが印象的というか、ちょっと怖かったです。 警官が手持ちぶさたに機関銃をかちゃかちゃ音を立てながらちょしている側を通るのは嫌でした。 今でもそうなんだろうか。
プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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