2010年07月27日
ドームのことは思い出したくなく、なかなか書く気になれないので、今日は土曜にJR富良野線に乗ったことを書きます。 千葉にいる長女と家内の妹が旭川に来ました。 金曜に彼女らが旭山動物園を堪能したそうですが、土曜は富良野・美瑛観光。 で、私は午前中仕事だったので、あとから一人で富良野・美瑛ノロッコ号でラベンダー畑駅まで行って合流しました。 下車したときに列車の写真撮りました。富良野方向は先頭が客車ですが、運転台があって、後部にある機関車をこの運転台から遠隔操作で運転します。 欧米ではよくある「プッシュ・プル」方式です。 日本では極めて少なく、嵯峨野観光鉄道や大井川鐵道井川線(アブトライン)くらいしかありません。 こんな写真しかありませんが、後部・美瑛方向に機関車が付いてます。繁忙期は1両増結してますが、増結車両はバーベキューカーでした。とはいっても、焼台はセットしてません。 指定席の車両のドアから乗車したんですが、指定席からは中国語とハングルしか聞こえてこなかったのですが、自由席に行ったら日本語が聞こえてホッとしました (笑 車内放送は日本語・中国語・ハングルで、英語はありませんでした。 以前、スペインの列車に乗ったとき、車内放送がスペイン語・ポルトガル語・フランス語、ドイツ語と続き、最後に英語があったときはホッとしたのを思い出しました。 こんな車内風景です。貨物車を客車に改造したため、変な柱もあります。 車窓からは美瑛らしい風景。富良野線は美馬牛と上富良野の間に急勾配があります。写真ではわかりにくいですが、ここは谷になっていて、下りで勢いをつけておいて、その先の上り勾配を一気に攻めないといけない箇所です。 (現在は難所ではありませんが、SL時代は難所でした) ところが、かつて天皇を乗せたお召し列車がここを走ったのですが、SLの機関士は、天皇が乗った車両が揺れては一大事と思って、ゆっくり坂を下りたら、その先の上りであがれなくなって立ち往生してしまったそうです。 あとでその機関士は責任とって退職したらしいです。 (発狂したという噂もありますが)
プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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