京都鉄道博物館

2020年11月09日

何度もここに行く計画をたてながら実現していなかったのですが、よくやく行くことができました。その間に真ん前に新駅ができて楽に行くことができました。
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以前、梅小路機関区には何度か行きましたが、そのときとは展示物の量が全然違います。
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初期の0系新幹線は座席2列で窓1つだったので、特にグリーン車の窓は横長ですね。バラスト巻き上げてガラスが割れるので現在は1列1窓になりましたね。
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新幹線といえども40年以上も前のはさすがにアナログですね。
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官設鉄道と関西鉄道とで価格競争があったのが面白いですね。競争の原理は重要です。このころの1円は今の8000円くらいなので、名古屋・大阪間は現在の新幹線より2~3割高い程度ですね。
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明治の初めころの鉄道運賃はけた違いに高かったのでしたが、明治の終わりころには、現在と大差ないくらいまで下がったと言えるでしょうか。 1年後にさらに大幅値下げですが、往復1円20銭で片道1円10銭というのは、片道運賃は間違いではという気もしないでありませんが、往復で現在の1万円程度なので、今の新幹線よりは少し安く、近鉄よりは高いけど、弁当付くから実質、今の近鉄の運賃と同じくらいと思っていいですかね。
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神戸・門司間も、山陽鉄道に乗客を取られた汽船会社が半額にして食事も付けたんですね。もともと汽船の方が安いのに(鉄道が2円60銭、汽船が2円5銭)、スピードで劣るから、さらに安くする(1円にして食事付けた)必要があったのですね。
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元祖超特急です。
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超特急と言えば新幹線を連想するでしょうけど(カイ・リョウガ・タクヤ・ユーキ・タカシを連想する人もいるだろけど)1930年にC51蒸気機関車を使用して、東京神戸間をそれまでより一気に2時間20分も短縮した9時間で結ぶようになった特急燕が登場したときに「超特急」という言葉が生まれたのです。 レストランはすでに閉店時間でしたが、鉄道を眺めながら気持ちよく食事できそうです。
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右はトワイライトエクスプレスです。
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1996年にこの車端部に乗りました。寝台料金だけで1室5万円しました。
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扇型機関車庫は健在で、昔と同様、たくさんのSLが並んでいました。
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C53です。普通、左右の弁装置の位相差(クランクピン角度の差)は90度なんですが、これは3シリンダーなので位相差は120度のはずです。
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2シリンダーだと90度なので、ドラフト音は「シュシュポポ」ですが、これは「シュポシュポシュポ」になるようですが、実際に聞いてみたいけど、動かすことはないでしょうね。 さびているのはこれから整備するのでしょうか。C62をみると、かつてコンサの胸スポンサーだったハドソンを思いだしますね。
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