大分出張記・その9 筑豊本線DENCHA

2019年07月23日

さて、折尾駅で乗り換えです。
それにしても、北九州市内に特急が、小倉・戸畑・黒崎・折尾と、4か所も停車するとはびっくりですね。

折尾駅は鹿児島本線と筑豊本線が90度クロスする駅で、さらに短絡線があり、そのホームが離れたところにあるので、昔から時刻表に「〇〇線ホームは150m離れています」と書いているので、時刻表を良く見る人なら、特に鉄道マニアでなくても、少々馴染んでいる駅だと思います。

で、もともと複雑な駅なのに、駅内での鹿児島本線と筑豊本線との立体交差をやめて、両線とも高架にする工事をやっている最中なので、めちゃくちゃ複雑なことになっています。
鹿児島本線のホームから見た筑豊本線(若松線)。すでに高架になっています。
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見た目は普通の電車ですが、バッテリーを搭載し、非電化区間も走れるDENCHAです。
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車内も普通です。
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ここにバッテリーが搭載されています。
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運転台も普通です。バッテリー残量がどこかに表示されるのだろうと思って一生懸命探しましたが、見つかりません。ないのだろうか?
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折尾の次(北の方)は本城駅。
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ギラヴァンツが使っていた本城陸上競技場は歩くと40分くらいで、むしろ次の駅の方が近いのですが、それでも30分くらいかかるので、普通はシャトルバスを使ったのでしょう。ホームサポは自家用車が多かったのかも。 筑豊の石炭を若松港に運ぶ、重要な路線でしたから、非電化だけど複線です。 岩見沢・沼ノ端間の室蘭本線と同じですね。
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終点の若松に着きました。今日も雨です。
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電化区間では架線から集電するのでパンタグラフあります。 だから普通に直方の方まで(一部は博多まで)運用しています。
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若松では折り返しの停車時間中に充電するのかと思ったら、そういう設備はありませんでした。 設備にコストかけるよりは、バッテリーを多く積んだ方が安上がりなのか? 往復21.6㎞であれば、そうなのでしょう。運転本数が多ければ違ってくるでしょうけど。 折り返しの停車時間の約15分間の車内照明やエアコンで、結構電力使うと思うけど、バッテリー容量は383kWhと、大容量ですから大丈夫なんですね。 烏山線でも、同じようなバッテリー搭載の電車を走らせてますが、路線長はほぼ同じ20.4㎞で、バッテリー容量はほぼ半分の190kWhということもあり、終点の烏山駅で充電しています。 男鹿線では、DENCHAをベースにした車両を走らせていて、路線長は26.4㎞で、バッテリーは360kWhの容量あるので、終点での充電設備はなくてもなんとかなりそうですが、男鹿駅には充電設備はあります。寒冷地だし、あった方が安心ですね。 何かトラブルあって長時間停車することを考えると、バッテリーをかすかすまで使うのはリスクありますからね。へき地ならなおさらですね。 若松港です。たぶんこのあたりに石炭を船に積み込む施設があったのだろうと思います。
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かつては線路が幾重にもあり、積み出し設備があって賑わっていたことでしょう。 折尾駅に戻りました。迷路のようになっています。
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鷹見口Aのりばというのが、例の150メートル離れた短絡線ホームで、一旦東口から外に出ます。
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この地上ホームはまもなく高架に移るので、見納め(乗り納め)です。
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遮断機降りたのに無理やり横断する人がたくさんいました。 鹿児島本線(小倉方面)から筑豊本線(直方方面)へ乗り入れる列車ですが、折尾駅構内で線路が十文字クロスしているため、この短絡線があり、150メートル離れた場所にホームがあるというわけです。
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直方までは空いているだろうと思いましたが、意外にも飯塚まで空いていました。
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新幹線をくぐります。
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直方まで5㎞ほどの場所なんだし、ここに新幹線の駅があったらと、昔から直方の人は思ったことでしょう。 小倉・博多間は67.2㎞だから、1970年代の山陽新幹線建設なら、途中に駅は設置しないでしょうね。 ちなみに、静岡・浜松間は76.9㎞、名古屋・豊橋間は72.4㎞で、当初は途中に駅がなかったですから。 石炭産業が衰退してなければ、もしかしたら駅ができたのかも知れませんが。 筑豊の経済力が大きければ、請願駅として地元負担で後から新駅を作ったかも知れませんね。



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