2017年11月27日
当然のことながら、原鉄道模型博物館にはジオラマがあります。鉄道模型は通常、レールから集電するのですが、(従って左右2本でプラスマイナス分けてある)ここでは架線も張ってあり、架線から集電も可能となっています。さらに、実際の鉄道と同様に惰性での走行を可能にするため、通常の鉄道模型とは違うギアを使っています。また、発電ブレーキがかからないよう、モーターや電気回路に工夫をしているそうです。また、普通は柔らかくて加工しやすい真鍮や洋銀のレールを用いるところ、本物にこだわって鉄のレールをつかっているので、走行音が本物に近いのです。 日本で最も傑出したSLは何かと言われたら、C-51でしょう。大正9年に登場しましたが、1750㎜の動輪直径はC-62などと同じで日本最大です。 それまで東京・神戸間は11時間40分かかっていたのが9時間に大幅短縮ができ、「超特急」の言葉が誕生したのはこのときだったくらい、C-51は画期的な機関車でした。 狭軌でもこれだけ優れたSLを作れたのなら、標準軌に改軌する必要はないと考えられ、それまでの改軌論が完全になくなったそうです。 C-51の後継がC-55、C-57で、ほとんど同じ性能です。 ちなみに線路(路盤)が弱い地方路線でも走れるように軸重を軽くしたC-54は空転しやすく失敗作でした。 難燃化対策で客車を鋼鉄製にした重量増加に対応するため、よりパワーのあるC-53やC-59、C-62が登場して東海道線の特急はこれらが牽引するようになって、C-51やC-55、C-57は亜幹線で活躍することになりました。 原信太郎は子どものときから鉄道開通の何日か前から並んで1番キップを買う趣味がありました。新幹線のときもそうでした。銀座線が銀座まで延伸するときも並んで入手したそうです。鉄道模型では脱線しにくくするため、車輪のフランジを大きくするのが普通ですが、SLの動輪は、隣の車輪との隙間が少なく、フランジを大きくするのが困難なため、動輪だけを車体よりもより縮小させるか、あるいは動輪間の距離を長くします。だから実物とは微妙に変わってくるのですが、ここの模型はフランジを大きくすることなく、忠実に再現しています。
プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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