東京出張記・その1

2017年11月06日

連休は学会参加・口演発表のため、東京へ行っていました。

今回は旭川空港からこれ。パイロット不足で運休便が出ると聞いたときは心配しましたが、旭川便は対象外でした。
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出発が15分遅れ、到着は20分遅れでしたが、想定内。 同じ時間帯のJALは50分遅れのため、搭乗者全員に1000円の金券(空港売店やレストランで使用可)を配っていました。JALにするんだった。 水戸市が見えたので(千波湖があるからわかります)、一生懸命ケーズデンキスタジアムを探したら、それらしいスタジアムが見えました。
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もうここでコンサの試合はないだろうけど。 天皇杯ならあり得るかな? 今回、Suicaを持って行くのを忘れたので、羽田のモノレール駅で買いました。ペンギン付いてないんだ。
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3回続けてモノレールの特等席をゲット。
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浜松町の手前でJRの列車が1本も見かけないなんて、いったいどうしたのか、ストライキやっているのかと心配になりました。
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でも、間もなく列車がやってき安心しました。
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西川口のホテルにチェックインし、さいたまで勤務している次女と食事するため京浜東北線で南浦和へ。
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平日の17時半ですけど、大宮行は川口と西川口でかなり下車する人がいるので、それほどは混雑しません。
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南浦和から武蔵野線で武蔵浦和まで乗りましたが、結構混雑し、私が降りた武蔵浦和では埼京線からの乗り換え客で超満員でした。
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武蔵野線は8両しかないですからね。 もともと武蔵野線は貨物列車を都心迂回させる目的で建設し、旅客はおまけのようなつもりだったから、キャパシティーが足りないんですよね。先見の明がありませんでしたが、50年前に、こんなに客が増える予想はできなかったでしょう。 武蔵浦和から埼京線に乗り換えて十条まで行きました。西川口からなら赤羽経由の方がはるかに早いけど、そこは鉄ちゃんだし、北与野から次女が埼京線に乗るから、早い段階で合流しようということもありました。 飛行機が遅れなければ北与野まで行ったんですが。 埼京線の車内で次女に、「埼京線は東北・上越新幹線を建設する際、地元住民サービスのため、新幹線に沿って在来線もということで作ったから、開通は新幹線とほぼ同時期。」「埼京線というのは運行形態を示す名称で、本当の線名は赤羽以北は東北本線で、赤羽・池袋間は赤羽線なんだよ。」などと講釈をしました。 十条駅で下車したあと、踏切に「赤羽線」と書いてあり、証拠を見せることができてよかった (笑
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さらに、「池袋・田端間よりも池袋・赤羽間の方が先にできたから、ここも以前は山手線だったんだよ」とも説明しました。
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ちなみに、1972年までは池袋・赤羽間が山手線の本線で、池袋・田端間は山手線の支線だったのですが(1925年の環状運転時からすでに実質的に田端の方が本線ではありましたが)、それまでの通称の赤羽線を正式な路線名にしたのです。 昔は「やまのてせん」ではなく「やまてせん」だったんだよとまでは言いませんでした。
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