オオドサの想い出・その7

2016年12月03日

冬は吹雪いて交通機関がマヒすることもあるので私は1月と2月は、特別用事がない限り、なるべく札幌方面へは出かけないようにしています。

キックオフイベントも、あまり行きません。
無事に帰宅できたとしても、日曜の遅い時間に雪かきやると、翌日は体がだるいので、なるべく早い時間に帰宅したいですから。
(キックオフイベントが土曜か日曜の早い時間帯なら行くのですけど)

でも、兄が大病をし、あとどれだけ生きられるかわからないので、なるべく札幌に行って、一緒に会食をする機会を沢山設けようと思いました。

だから、2015年1月24日に札幌に行き、白旗山へ行って、スキーノルディック複合の距離を見て、その晩は兄と会食にしました。翌日はついでに大倉山でジャンプを見ましたが、残念ながら葛西選手など日本人は振るいませんでした。(キックオフイベントには行かなかったのかと言われそう)

2月14日も札幌に行きました。
何も予定なかったけど、わざわざ会食だけのために行くとは言いにくく、講演会があるとウソを言って札幌に行き、楽しい会食にしました。 JRにはずいぶん貢献しました。 

この年はJ2開幕の直前になって具合が悪くなり、しかも経過が悪く、危ないところでした。
ようやく5月下旬に退院し、6月21日からスタジアム観戦を開始し、その後はしばらく落ち着いていたので、この年は兄と11回、一緒に観戦できました。

この時も保険がたくさん出て(余命半年の診断が下るとポンと大金転がり込んで来るのです)、4Kテレビやパソコンを買うなどの余裕が出ました。
人生でもっともリッチな時代だったでしょう。

ちなみに4Kテレビですが、4Kは良いとして、サイズが馬鹿でかく49インチもあります。
今、私の家にありますが、大きすぎて見にくいです (笑
狭い兄のアパートで、なんでこんなでかいの買ったのか信じられません。あまりありがたくない置き土産です。

この年は次女が就職で旭川から札幌に引っ越しし、兄と一緒に観戦や食事する仲間が増え、とても楽しかったと思います。

私の旅行記録ノートを見たら、寿司の出前が6回、鍋料理が3回(うち1回はフグの刺身も)、中華テイクアウトが1回、タケノコや魚介のテンプラが1回、刺身などの料理が4回、兄と一緒に食事していました。       

3月にストーマを装着し、安定するまでは何かあってもすぐに病院へ行けるよう、遠出を禁じられていて、アウェイ観戦はできない年でした。  

2015年大晦日も豪華なおせち。この他にも刺身や蒸ウニがありました。
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(下の写真は闘病記その2の再掲になります)
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ちなみに、おせちは大丸という美園の仕出し屋のですが、以前、兄が仕事をしていたときの顧客でもあり、2014年に倒れたとき、大丸さんに救急車を手配してもらった関係もあって、ここのおせちにしました。 しかも、大丸の社長は、兄の同級生(栗沢の農家)の親戚でもありました。 前年に引き続き私の娘二人も参加して賑やかで、兄も喜んだと思いますが、やはり思った通り、これが最後のおせちになってしまいました。



この記事に対するコメント一覧

○た

Re: オオドサの想い出・その7

2016-12-04 22:50

このあたりからは「闘病記」と時期が重なっていて,刻々と最後の時が近づいているのがわかっているだけに,やるせないですね。14年最初の入院の時に「あと2年くらいしか」ということを聞かされていましたが,調子が良い時期が続くとこのままずっと今の調子が続けばいいなと思い,再入院と聞くとああやっぱり進行しているのかとがっかりしたり。でも,お互いにそれをわかった上で,残された時間を大事に使えるのなら素晴らしいことです。かもめさんは,オオドサさんと食事の機会を多くすることで,お母様とオオドサさんが一緒に過ごす時間も作ってあげていたのですね。

小柳

Re: オオドサの想い出・その7

2016-12-05 01:45

はじめまして。突然の書き込み失礼いたします。 今年3月までオオドサさんの主治医をしていた小柳といいます。転勤に伴い、後ろ髪を引かれる気持ちでオオドサさんとお別れしたのですが、久しぶりにブログを拝見して亡くなられたことを知り、一度で良いからお見舞いに行けばよかったと後悔しておりました・・・。 僕は、最後は何もお手伝いできませんでしたが、ブログではサポーターの皆さんと楽しくやられていた様子が伝わってきて、感謝の気持ちしかありません。ありがとうございました。 ご冥福をお祈りします。

かもめ

Re: オオドサの想い出・その7

2016-12-05 08:05

〇たさん、ありがとうございます。 実は母というより、娘と会う機会が多くなることを考えました。 子どものいなかった兄は、うちの娘をとてもかわいく思って大好きで、会うのをとても楽しみにしていました。 近くにいてよかったです。来年だったら長女はどこに赴任になるかわからないし、次女は転勤があるので、ちょうどタイミングよかったです。 小柳先生、大変お世話になりました。わざわざコメントいただき恐縮です。 2年前、最初の手術のとき、長時間のオペを終わって晩遅い時間にも関わらず、丁寧に説明していただけ感謝しております。 あのとき、肝臓の画像を見せていただいたので、この転移ならあと何年くらい持つのかだいたい予測でき、心の準備ができました。 再手術のときの経過が思わしくなく、かなり不安になりましたが、先生も大変だったと思います。 面倒な患者で先生にご苦労おかけして申し訳なく思います。 ありがとうございました。

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