2008年09月28日
鳥栖から長崎までの特急かもめ。「白いかもめ」の愛称の電車です。(以前は赤い電車だったので)雲仙普賢岳が良く見えます。手前は海苔の養殖場でしょうか。 このあと、問題になった諫早湾の干拓地や、ギロチンと呼ばれた締め切り堤防も見えました。長崎に行ったら、まずはここ(と、原爆資料館)を見ないといけませんよね。 長崎原爆投下時、曇っていて目標が外れ、町はずれに落ちたから被害が少なかったと聞いたことありますが、実際にどれくらいの被害なのか、どのくらい町の中心から外れたのかなどを知りたかったです。なにせ、原爆に関しては広島ばかり報道され、なかなか長崎のを知る機会がなかったですから。 で、原爆が投下されたのは、長崎市中心部から北に3kmちょっとで、浦上駅の少し北です。 それでも、当時24万人いた市民のうち、7万人強がその年のうちになくなっているとのことで、死者数は広島の半分くらいですから、とても被害が少ないなんて言えませんね。 もちろん、中心部に落ちたらもっと被害は大きかったでしょうけど。 ちなみに、平和記念像は原爆投下10年後に寄付で建立されたそうです。土地事情の悪い長崎で、爆心地のすぐ近くに広い公園を作って平和記念像を建立できたのは、当時ここは刑務所があったのです。上の方の壁は元刑務所の塀です。爆心地です。ここに行こうとしたら豪雨になって、これ以上近くに行くのを諦めて、原爆資料館に行きました。長崎で一番人気のある(?)観光スポット、グラバー園から対岸の三菱造船所を撮りました。 戦艦武蔵もここで建造(進水)されました。 グラバー園は爆心地から4.5kmくらい離れているので被害を免れましたが、目標に原爆が落ちたら、爆心地から1.2kmくらいしか離れてないので壊滅したことでしょう。あと、長崎で行きたかったのはシーボルト宅跡とシーボルト記念館。 交通の便が悪いとはいえ、日曜なのに空いてガラガラだったのは寂しいです。グラバー園へ行く路面電車の最後の2区間は単線でした。市電で単線は初めてみました。郊外電車が市内だけ道路併用軌道なら単線は珍しくないけど、純然たる市電で単線が他にあるかな? (札幌市電のように、終点の駅部分だけ単線は除きます)長崎名物、トルコライス。 名称の由来はなぞみたいです。 それにしても、塩分と脂分が多く、野菜が少なく栄養バランスが悪そうだし、私はもう若くないので、ちょっとボリュームが多すぎて食べる気にならなかったです。 結局、長崎では長崎らしいものを食べなかったけど、自然食バイキングなど、美味しいものを食べました。
プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
最新のエントリー
リンク集
コメント
検索