馬鹿にしてんのか

2014年10月06日

平塚らいてうは「元始、女性は太陽だった」と言った。
それは、
さまざまなしがらみの中で自由を奪われた暗闇の中にいても
自らが輝けばその光が社会に届く可能性を表現している。



あべっちが盛んに「女性が輝く社会」とか言っているが、
どうもそれは
女性自身が輝いているというよりも、
女性に無理矢理光を当てているだけのような気がしてならない。
だから、
突然引っ張り出された明るい場所に戸惑い違和感を覚え、
まぶしくて現実を直視できない女性も多いのではないか。


まあ、せっかくのチャンスなんだから
この波に乗ってしまえというしたたかさはあってもいいと思う。
でも、波に飲まれてはいけない。
あべっちに踊らされてはいけない。


しかし、なんだな、
「女性が輝く社会」というフレーズの陳腐さよ。
「女性」を「男性」に置き換えてみたらわかるだろうに。
言われてうれしいか奮起できるか。


というわけで、
わたしは輝きたいのか、
そもそも輝けるのかどうかもわからないが、
とりあえず、お米でもとぐか。
腹が減っては戦はできないので。←戦はしないけど。