2006年05月28日
今のチームに必要なのは、どんな形でも良いから勝利だ、 勝ち点3だ、との声が多い。 とりわけ今回はテレビ中継が無く、結果だけを突きつけられた サポが、スポーツマスコミのネガティブな記事や、現地観戦サポ の敗戦直後の捨て鉢なコメント(悪意ではありません、そうなって しまう気持ちはよっくわかりますから)ばかりを目にせざるを得ず、 困惑と失意にかられていることも、そういった声に直結するのだ ろう。 だが、敢えて言う。 今の札幌というチームにとって、勝ち点3は絶対的に必要なもの ではない。もっと別にある。 次からの試合で、今までのスタイルを放棄して、いわゆる J2仕様な防御偏重&カウンター攻撃にシフトすれば、 もしかしたら勝てる試合も増えるのかもしれない。 だが、それは退化だ。そんな勝ち方で上位に食い込み、 よしんば昇格できたところで、あっという間に行き詰まるのは すでに過去に思い知らされたはず。 チーム全体の力量を底上げし、J1に定着しうる地力をつける ために、一昨年から恥辱に耐えて連敗も呑んできたではないか。 今さら目先の勝ち点に釣られ、目先の勝利に酔いたいがために、 また同じ愚を繰り返すわけにはいかないだろう。 サッカーのスポーツとしての深奥など知らないシロウトだが、 敢えて言う。 カウンターサッカーは「弱者のサッカー」だ。 その戦い方ではるか上位のチームを食うこともあるが、 長丁場のリーグ戦では馬脚を現すことは必至だろう。 札幌にはそんな戦い方をするチームになってほしくないのだ。 辛酸を舐めた歴史を経てきたウチのチームには。 強化部が補強をほのめかしているとの話も漏れ伝わる。 だが、現状を打開するだけの「助っ人」を取るつもりなら そんなのはいらない。その助っ人がいなくなれば元の木阿弥、 いや、その助っ人に依存してしまって今までの蓄積を選手が 忘れてしまう畏れがあるぶん、かえって弱体化するかもしれない。 助っ人をとるなら、今までの札幌の戦い方を深く理解し、その 戦い方をさらに深化できる力量がある選手でなくてはならない。 さらには半年とか1年とかではなく、札幌の精神的支柱の一本 として、複数年は骨を埋める覚悟のある選手でなくてはならない。 そして、そんな選手がいれば万々歳に理想的だが、今の札幌の 資金力と地政的ハンデを思えば、まずほとんど不可能な話だ。 ならば、敢えて言う。 いま必要なのは、現在の戦い方を固執して鍛え、各自の能力を より研ぎ澄ますことだ。それが結果に繋がっていないのは サポとして歯がゆいこと当然で、オイラとて恨み骨髄に徹しているが、 それでもチームの底力は着実に蓄積され続けているはず。 いままで、ウチの戦い方をあざ笑い、してやったりと浮かれている 他チームの鼻を明かすには、奴らと同じ戦い方で勝ってもダメだ。 J1仕様の、しかもより高度な戦法でぐうの音も出せないほどに ねじ伏せなくては、オイラは気が済まないぞ。 「リベンジ」などという流行り言葉程度の勝ちで、見返したつもり になってはいけないと思うのだ。 呉下の旧阿蒙に非ず。三日会わざれば刮目して見よ。 お前らが嘲笑した札幌サッカーは、実はこれだけのポテンシャルを 秘めた、次元の違うサッカーだったのだ、と証明する。 それだけが、今の屈辱的な状況をあがなう「雪辱」になると思うが どうか。
2006年05月28日
数日いろいろあって更新も出来ないまま試合の日を迎えて しまいました。 リンクを快諾してくださったたじさんに遅ればせながら お礼申し上げます。 さて、タイトルのこと。 最近かな、スポーツ紙あたりで言い始めた言葉だろうか。 この「結果が出なかった」という言い回し。 おかしいよね。 結果は出ている。 昨日の試合については。 「負けた」という結果が。 だが、現実に今のオイラたちの周りにはこの言い方が蔓延している。 「がんばったが、結果が出なかった」 「期待されたような結果が出なかった」 スポーツだけじゃなく、仕事にも使われてる。 以前、ニュースで日中交渉の担当の外交官がこういう言い方をした のを見て、吃驚仰天したことがある。 ふと考えた。 「結果を出す」という言い方は、明らかに「良い」結果という意味だ。 スポーツで言えば「勝つ」=「結果を出す」という文脈。 ということは、「負ける」ことは「結果ではない」のか? でも「結果の存在しない行為」なんてあるはずはない。どんな 行動をとっても、その結果どうなったか、は必ず存在する。 なのに、今のオイラたちは平気で「結果を出す」という言葉を 使っている。 つまり、現代の人間にとって「失敗」や「敗北」は結果のないこと、 すなわち「無意味」であり「無価値」である、ということになる。 存在の意味があるのは「勝利」や「利益」だけであり、それを生み出す ことだけに存在の価値がある、と思っている心理の裏返し、と 言えそうだ。 そう気づいたオイラは、すぐに「勝ち組」「負け組」の忌まわしい 単純な二分法と、そして「負け組」には生存価値もない、とすら蔑視 しがちな現代社会の風潮を連想した。 敗北や失敗はより良い将来への糧であり、増長や奢りを戒めつつ、 向上を図っていこうとする人間の「教え」だった。それが連綿と 続いてきた人間の知恵だったはずだ。 話を戻す。 昨日の試合で札幌は1-2で負けた。 それが結果だ。残念ながら。 だが、無価値ではないし、無意味でもない。 ご覧になった方々はわかるが、彼我の差ははっきり存在するが、 決して手の届かない差ではないはず。今回の敗北や屈辱は、 必ず糧になるはずだし、そうなってもらわなくては困る。 何より選手がこの敗戦を無価値だと思ってもらっては困る。 何としても向上の資としてもらわなくてはならない。 そう考えるオイラは、確かに勝利に飢えたサポの一人であるが、 今さら今までやって来た蓄積を「結果が出ない」からと言って ご破算にすることの方を恐れる。 どんなにみっともなくても勝利を、勝ち点3を。 そう思うサポの心はわかる。 だが、敢えて言う。 今は「やせ我慢」するべきだ。 このスタイルを墨守し、このスタイルで勝てるようになる実力が 熟成されるのを、今しばらく辛抱して待つべきだ。 3年目にもなるのに、と思うだろう。オイラも正直歩みが遅いと 思っている。 実際、対戦チームからは与しやすい、勝ちやすい相手と思われ 侮蔑的な言説を何度も吐かれたし、身の程知らずと言わんばかりの 冷たい視線を浴びせられてきた。 特に先日の水戸や、昨日の柏からはあからさまに札幌を嗤うコメントを 吐かれ、オイラは正直はらわたが煮えくりかえっている。 だが、今は耐えるべきだと思う。 未来に「良い結果」を出すために。 その未来は遼遠なように見えるが。
プロフィール
FT なんらかのイニシャルではあります。 サッカー知らずのド素人札幌サポ。いつの日か札幌がJ1を制覇し、札幌にカルチャーとしてのサッカーが根付くことを夢見る戯言おやじ。寛容の精神で笑って応援するぞ
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