2006年04月13日
タイトルは、カート・アングルから(笑) オイラは札幌に生まれ育ち、ゆえにコンサドーレ札幌を応援し、 力及ばざるもサポの末席に連なって応援しています。 コンサドーレ札幌が自分の地元のチームであるがゆえに、その 活躍と発展が相乗効果をもたらし、ともに活力をつけていく ことを理想としています。 その意味では、オイラに限らず札幌サポは皆が 「愛〈地元〉心」(たとえ道外サポであっても)そして 「愛〈コンサドーレ札幌〉心」の持ち主であろうと思う。 しかるに先日の新聞では教育基本法の改正に関して この「愛国心」を強調する文言を追加することを、その 「愛」の対象である国の政府自体が決めてしまった。 (引用・リンクはしません。マスコミの違いでそのまま思想的 バイアスがかかるのを避けるため。恐れ入りますが各位でニュース を検索してください) 国が「国を愛する心」を持てと国民に言うこと自体、 自惚れ者が「私を愛しなさい」と異性に向かって強要する ような押しつけがましさを感じる。しかもたいていそんなことを ぬかす人間はロクなもんじゃないと思うのだが。 気にくわないのはまだあって、愛国心を持てと声の高い人間が しばしば「愛国心を法律に書くのは〈当然〉だ」とよく言うのを 見かけるが、この「当然」という言葉は実に曲者で、なぜ当然で あるかをさかのぼって考察すること自体をあらかじめ拒絶した うえで、当然だと思わない人間を最初から「おかしい」存在と 決めつけて貶める効果を持っています。 オイラは「愛国心は当然」という言い回しをする人間をまず 信用しないし、その傲慢さを鼻持ちならないと思うのです。 そして、これはすでに戦時中の記憶がある人に聞けばよくわかる だろうが「愛国心」をやたらと強調し、他人に押しつける人間と いうのを、オイラは最も愛国心から遠い存在だと信じております。 前途ある有為な若者を戦場に送り無駄に死なしめ、その犠牲の影で 甘い汁を吸っていた「自称愛国者」が我が物顔でのさばっていた ことは以外と知られていないが、それは戦前戦中を生きた人なら 周知のことであります。 あえて言う。 押しつけられた「愛国心」なんかに忠誠を誓って 死ぬ気などサラサラない。 オイラの愛国心は、古代から面々と続く文学を読み、 能狂言や歌舞伎を愛し、北斎や広重の絵に感動したりする、 そういう豊かな文化と、それを育んできた大地と共同体の 豊かさを愛することだ。 生まれ育った札幌の地、北海道の地の恵みと厳しさの中で 生き、そこに根付こうとしているコンサドーレ札幌の成長を 共に期待し見守りたいと思う心だ。 「オカミの言うことに文句を言わず、唯々諾々と従う人間」 が「愛国者」ではあるまいよ。 ああ、また波乱を呼びそうな事を書いたかなあ…。 前にも書いたが、愛国心とサッカーとは切り離せない接点が あって避けられないゆえに、デリケートな問題ではあろうが 敢えて書いてみました。 いずれ「祝祭」エントリの続きでも、触れることになるかも しれないな…。
プロフィール
FT なんらかのイニシャルではあります。 サッカー知らずのド素人札幌サポ。いつの日か札幌がJ1を制覇し、札幌にカルチャーとしてのサッカーが根付くことを夢見る戯言おやじ。寛容の精神で笑って応援するぞ
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