祝祭としての試合(序)

2006年04月06日

昨夜の草津戦ですが、日頃の信心が良かったせいか(笑)
仕事がほぼ定刻に終わり、そのままドームに直行、
6時に到着し、前回は混んでいて食べられなかった金麺屋
のホワイトクリームのパスタ(味はまあまあで良かった)
を夕食に、スタンドに入ればドールズのパフォーマンスにも
間に合うことが出来ましたし。
そしてサポの功徳、久々の勝ち試合を堪能し(ちゃんと
勝利者インタビューで締めくくれるのって、いいねえ。
しかもお立ち台に3人も)、疲れたものの満足して帰宅でき
ましたよ。
 
お前なんか来るなと前回書き込んだ某氏の破れ嘴もムダに
終わり、大変気分良し(笑)この呪いはきっと放った側に
はね返って行くことでしょう(笑)
 
さりとて、昨夜の3ゴールも、相川・フッキ両選手のゴールは
敵失と言って良く、智樹選手のめでたい初ゴールも数度にわたる
波状攻撃の結果。これぞ「技」というゴールをもっと量産して
もらえることを、次回以降に期待しましょうかね。
 
さて、オイラはチームの勝ちを喜びつつ、「祭」の場としての
ゲームということを考えている。なぜこんな事を感じたかというと
帰宅後のスカパー!の録画を斜め見していたときのアナウンサーの
言葉が妙に頭に残ったのだった。
 
昨日、草津のキャプテンマークを付けていた斉藤選手は
室蘭大谷高の出身。
逆に昨日先制を決めた相川選手は、草津のある群馬の前橋育英高の
出身だったかと聞く。(生まれは埼玉だったか)
 
サッカーのチームに限らず、プロスポーツのチームにおいては
あったりまえすぎるほどのことだが、Jのチームが地元密着
をことさらにテーマに掲げていること、さらにオイラたちサポが
札幌という「地元意識」を、応援歌にもあるように強調して
応援の根っこに置いていることを連想すると、このプロスポーツ
における「あったりまえなこと」が妙に気になってきたのだった。
 
間違えてもらっちゃ困るが、もちろんこれは相川選手に限らず
地元出身でない選手にあれこれケチをつけるつもりなど毛頭無い。
ただ、その応援するチームの「地元意識」と選手のアイデンティティ
とがズレていること、その事実自体が気になったわけである。
 
で、そのことを考えているうちに、「祭」としてのゲームの構造を
あれこれ思ったりした、暇人の面目躍如なわけである。
このことはいずれ整理して「本編」としてまとめておこうと思う。
ムダなようだが、これは結局「応援する」ってことの根幹を
考えることにも通じると思うのだ。どういう結論になるかはまだ
わからないが…。
 
そういうわけで、とりあえず今は、15日のドームの応援のために
根回しをしておくことにしよう。


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