能鑑賞入門~「マクベス」

2007年06月23日

昨夜は久しぶりにススキノで美味い酒に耽溺。
半年前にヘミングウェイを再読して以来呑みたくて仕方なかった
フローズンダイキリを堪能し、ガキの頃に見た映画「カサブランカ」
でボギーが呑んでいたカルヴァドスを初めて口にするという、
個人的にはエポックな酒体験をしてきて充実したが、さすがに
ヘヴィだったせいで、今日は静かに時間を過ごしております。
テレビも騒がしいのがいやなので、先日録画して気に入った
能を再生して、何となく見ながら。

能は今までナマで見たのは大学の頃に一度、いま壊している
市民会館で見ただけだが、あの頃は知識が欠けていて、さっぱり。
しかし、いろいろ見慣れてくると、実に味がある芸能だという
ことがわかってきた。

そんな中、最近気に入っているのが、新作能の「マクベス」
シェークスピアのマクベスをベースにしているが、能のパターンの
お話しに改変してあって、それが実にピッタリなのが楽しい。

能にもいろいろパターンがあるが、よく演じられて人気があるのが
「修羅能」というやつ。

まず最初に「旅の僧侶」が登場してくる。(ワキ)
それが旅の途中で道に迷ったり夜を迎えようとすると、
そこに「世捨て人の老人」が現れて宿を貸す。(前シテ)
その老人が、その地に伝わる悲劇を物語る。
戦で無念の死を遂げた武士やら、悲恋の果てに焦がれ死んだ女性やら。
ところが話をするうちに、実はその老人が、その悲劇の当事者の
幽霊であることがわかり、老人はスッと消えてしまう(ここまでが前半)

インターバルになると、狂言方の間狂言が挟まる。(アイ)
第三者が漫才のようにその物語の裏面や真相を、ややコミカルな
演技で物語っていく。

アイが引っ込み後半になると、真相を知ったワキの旅僧が
幽霊を哀れんでお経を唱えて供養する。(だからワキは僧じゃないとダメ)
そのお経の力で、前半では老人姿だった幽霊が、今度は
真実の姿で再登場し(後ジテ)、未練や執念を訴えながら舞うのが
クライマックス。
ラストは仏法の力で迷いが解けて成仏したり、もしくは執心が強くて
成仏できず、そのまま消えていったりする。


新作能「マクベス」も、この修羅能のパターンにうまく融合している。
冒頭、ワキの旅の僧が「我は英国ロンドンに住まいする僧にて候、
我いまだスコットランドを見ずにして、このたび思い立ちて…」
と語るのが、いきなりミスマッチで楽しく悶絶(笑)
(オイラはこういうのが好きだ(笑))

やがて前シテで出てくる老人実はマクベスの亡霊は、なかなか
渋い演技でかっこいい。「このあたりは霧に迷いて命を落とす者多し、
さりとて人間(じんかん、この現世ということ)にても五欲の霧に
迷うことは多きよな」などと言うのが実に沁みる。

アイで登場するのが異形すなわち「三人の魔女」。もっとも
舞台に登場するのは一人だけ。猩々の髪に蔦の絡んだ杖をついて
不気味に歩きながら、マクベスを破滅させた顛末をケラケラ笑い
ながら得々と語るのが、コミカルでありながら却って不気味。
そしてもう一人のアイであるマクベス夫人の亡霊が登場し、例の
「血が落ちぬ、血の臭いが取れぬ」というセリフを吐きながら
夫をそそのかした顛末を時間軸を狂わせながら語るのがさらに
不気味。この間狂言、すごくいい(笑)

後半、マクベスがうって変わって武人姿になって再登場。
地獄に堕ち、永遠に戦い続けなくてはならない劫罰に苦しむ
訴えを叫びながらも、刀や槍を振るって戦い続ける舞いを舞う
マクベスは美しくも凄惨で、うっとりしてしまうのは鑑賞としては
間違っているのだろうか、よくわからんが(汗)

新作は演技が確定していないため、部分的には甘さを感じる
ところもあるが、なによりも「マクベス」という題材自体が
能のスピリットにぴったり一致しているところが見事で、
オイラの琴線に触れまくりだった。
う~ん、シェークスピアはやはりすごいのだな~。


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