筆に力をこめるには

2006年06月08日

こんな時に誤解を受けるかもしれないが。

柳下監督のチーム育成方針には、たとえ負けが込んでも
賛意を惜しまないオイラではあるが、唯一、反対というか、
違和感を覚える言い方がある。

あの「全員で一つの絵を描く」という言い回しだ。

去勢された統率よりも、混沌のバイタリティを愛するオイラは
どこかこの、良い子チャン的な協調を連想しそうな言い回しを
腹の底の何処かでうさんくさく感じていた。

他人のために試合に臨んでるんじゃない、
自分が目立つためだ、自分がこの試合のヒーローになって
勝利の栄光をつかめばいい。
俺が俺がとアグレッシブに戦い、ゴールを目指す。
自分が決めるんだ、他人に任せてたまるか、
この勝利は俺のものだ

こういう気概で試合を戦ってもらいたい、と、今でも
思っている。
チームワークはそういう気概のあとからついてくればいい、
と。

ふと思った。
選手は「きれいな絵」を描こうとしてる。
王様のお抱え絵描きが描くような、サロンの一室を
さりげなく飾るような絵を描こうとしているんじゃないのか?
でも、それが監督の言う「一つの絵」なのか?
そんな絵を、札幌のサポは見たいのか?

違うでしょ。オイラたちが見たいのは、精力汪溢、
見る者をねじ伏せるような力強い絵だよね?

ヘロヘロした絵筆で、力強い絵なんか描けるわけがないだろ。
絵を描くならお上品なのは願い下げだ。
色と色、筆と筆がケンカするぐらいのパワーが溢れたのがいい。
ゴッホの絵のように、絞り出した油絵の具が盛り上がり、
絵筆のあとがクッキリ残るような、力強いのがいい。

そして、一見ほしいままに見える筆遣いが、いつのまにか
「勝利」というパワーを具現化した絵になっている。

そういう絵なら、ぜひ見たい。
監督の言う「一つの絵」が、そういうものであってほしい。
選手という絵筆が、もっと縦横無尽に動いてほしい。

緑の芝の、あのピッチというカンバスに、

鮮やかに勝利の大輪の花よ咲け。



この記事に対するコメント一覧

繁次郎

Re:筆に力をこめるには

2006-06-08 21:01

初めまして、繁次郎と申します。 あの、北海道立、近代美術館の ゴッホ展に行かれたのですね? あの絵の具の盛り上がりの、糸杉・・・ 情念が盛り上がり、うねる さま  奇人と天才は 紙一重なのですか?

FT

Re:筆に力をこめるには

2006-06-10 00:01

はじめましてです。コメントありがとうございます。 うぎゃあ、実はそれには行けずじまいでした(汗) 何せ、ゴッホ好きの日本人、人波に揉まれること 確実と感じ、二の足を踏んでいるうちに…(汗) あの迫力のタッチを、札幌がゲームで 描いて欲しいのですが(汗)

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