K-1GP in Las Vegas

2006年04月30日

昼前からスカパー!でK-1の生中継を見ていたオイラです。
夜にフジで放送があると思いますので、ネタバレはしませんが、
セミファイナルとトーナメント決勝はなかなか迫力がありました。
そして、けっこう意外なことになった、とだけ言いましょう。
 
オイラ的に一番驚いたのは、セミファイナル前にリングに
ブロック・レスナーが登場して挨拶したことかな(笑)
K-1参戦かと色めき立ったが、社交辞令だけだったようです。
リングサイドの有名人にはブルース・ウィリスも観戦してて
こっちは何度もカメラが向いてたから、夜でも見られるだろう。
 
さて、オイラは常々「気持ちを見せろ!」という言い回しが
大嫌いである、と言ってきた。細かく説明すれば微妙なところが
あるのだが、つきつめて言えば「こっ恥ずかしい」のである。
人間の「気持ち」にはドロドロしたもの、汚いもの、卑怯なもの
が混在し、混沌として渦巻いているはずだ。でも、そういうマイナス
要素な気持ちの一面を「見せろ!」ってやつはいないよね。
そういうのはひたすら隠すのがダンディズムというものだろう
(念のためだが、もちろん女性も)
 
例えばオイラたちサポが選手に向かって「気持ちを見せろ」と
叫んだとして、そういう混沌とした気持ちを見せられても仕方ない
わけだな。むしろ疲労困憊した選手が「疲れた」「もう無駄だ」
「この程度で良いだろう」「手を抜いたっていいさ」という
「気持ち」を見せられたら腹を立てるはずだ。
 
つまり、この「気持ちを見せろ」という言葉遣いは、実は
選手の気持ちなんか見たいと思っているわけではなく、
逆にそういうマイナスの心理を押し隠した選手のパフォーマンス
を見たい、という、サポとしては当たり前のことを言っているに
すぎないわけだ。
だが上記の通り、この言葉遣いは間違っている。「気持ち」とは
そんなキレイなもんじゃなく、選手もそんなものは見せたくないし
見せるべきものでもないからだ。
 
何度もオイラが言っているが、選手が見せるべきなのは「欲望」だ。
自分がトップに立つ、自分がチームを勝たせる、自分がピッチの
視線を独占する、自分がゲームの主人公になる、そういう欲望を
ギラギラさせる姿だ。「気持ち」なんて曖昧な、しかもどこか
きれいごとのような言葉で言われるものじゃない。
 
先ほどのK-1の試合でも、娯楽に飽いたラスベガスの人々を
沸かせ、スタンディングオベーションに導いた試合の選手は
勝敗もさることながら、最後まで自分の勝利を信じ、諦めずに
戦いぬいていたよ。(結果としての勝敗は、見事に別だった)
ポイントを気にして勝ちを計算し、この程度で良いだろうと
いうような戦いをした選手には実に素っ気ない。
勝利を渇望し、それを最後まで貫く「欲望」を持った者を、
ファンが支持する。これも当たり前だ。
 
さて、果たして札幌の選手は、この「欲望」を見せただろうか。
どこか醒めた、淡々とした顔で、自分の仕事をこなすことに
汲々とし、全力で走ったら肝心なときにスタミナがなくなるから
無理はしないでおこう、と打算を優先していなかったか?
 
いや、そんなことはない、と即答してくれるのであれば実に
心強いのだが、はたして東京V相手にそんな「欲望」をむき出しに
していたのだろうか。
オイラは今朝、新聞にも載っていた、社交辞令的に札幌を誉めたラモスの
慇懃無礼なコメントにハッキリ言ってキレた。
あれは最悪の侮辱だ。
あんな言葉を言わせたということは、札幌の選手は舐められたのだ。
何も恐くない、と。
あのラモスの言葉が証拠だ。札幌の選手は「欲望」を露わになんか
していない。していたら、あんな太平楽な寝言を言わせるはずがない。
背筋を凍らせるほどに追いつめられた言葉を吐かせるべきなのだ。
 
オイラの言葉が間違っているなら、3日の仙台戦で証明してみせること。
PROVE ME WRONG !


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