2017年11月29日
今週末のサガン鳥栖戦、このところの好調を反映してか、前売りが2万枚に達する勢いですね。 J1残留が既に決定し、地上波での放送もありますが、順位を上げるチャンスがありますし、今回は持株会招待券も普通に使えそうですし、何と言っても最終戦ですから、なんとか目標の3万人を達成したいものです。 さて、GODZILLA。
今週の月曜日、ユナイテッドシネマ札幌のメンズデイで観て来ました。 18時40分からの回だったのですが、客は12~13名とガラガラでした。 ゴジラのアニメ作品というだけで 他の予備知識は全く無いままに観て来たのですが、上映前にNETFLIX のCMがやたら多いなと思ったら、この作品は 一定期間が経過したら NETFLIX で配信するのだそうですね。 今回のアニメ版ゴジラは3部作だそうで、この 「怪獣惑星」 が第1作です。 ゴジラとの戦いに敗れ、ゴジラによる破壊から逃れて宇宙へ旅立った人類が、移住できる惑星を見つけ出すことができずに やむなく地球へ戻ったら、宇宙船時間で20年を過ごす間に 地球では2万年が経過していた。 しかし、ゴジラは滅びずに 一層の進化を遂げており、再び 人類vsゴジラの戦いが始まる、というストーリーです。 昨年公開された 「シン・ゴジラ」 とは随分と趣きの異なる作品で、ゴジラの姿も設定も異なりますが、このアニメ版ゴジラの圧倒的な迫力もなかなか良いと思います。 過去には シェ―をしたり 空を飛んだり、いかにも爬虫類というゴジラもいましたが、どんなゴジラも ゴジラであり、ゴジラは本当に懐の深い素晴らしい怪獣です。 この映画の前提となる、地球にゴジラが誕生し、人類が宇宙へ逃げ出すまでの経緯は、この映画の中ではフラッシュ的に描かれるだけで、詳しくは説明されません。 永年ゴジラシリーズを観て来たSF好きな人には その設定がある程度まで想像できるかもしれませんが、初出のエクシフ人やビルサルド人という異星人も登場して 人間と共存しているし、全面的な理解はなかなか難しいです。 という事で、この作品世界に入り込むのに 前半はちょっと難儀しましたが、入ってしまえば面白かったです。89分という短い作品なので、もう少し時間を延ばし、初めに設定や世界観を説明してくれても良かったのではないかと思います。 詳しい経緯は 角川文庫から10月に出ている 「GODZILLA 怪獣黙示録」 という本にまとめられているという事なので、今読んでいる本を読み終えたら、次に読もうと思います。 エンドロールの最後に来年5月に公開予定の第2作、「GODZILLA 決戦機動増殖都市」 の映像が一瞬流れ、この後 どのように展開していくのか、イメージが膨らみます。 次回作が楽しみです。
劇場の入口で配られていた アニゴジケシです。 全11色で、“ケシ” と書かれていますが、消しゴムとしては使えないそうです。
2017年09月28日
昨日のメンズデー、仕事帰りに 札幌駅の上で観てきました。 1番スクリーンには 中年男性中心に10数名だけでした。
1940 (昭和15年)年の初夏、まだ第二次世界大戦は初期で、ドイツ軍が圧倒的に優勢だった頃の話です。 前年にポーランドに侵攻して勝利したドイツ軍は、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグをも破り、5月には北フランスに侵攻。英仏連合軍の兵士 約40万人を フランス北西部の港町ダンケルクへ追い詰めます。 この映画は ドイツ軍に包囲され、絶体絶命の窮地に追いやられた兵士たちの救出作戦 (ダイナモ作戦) を描いたものです。 イギリスは ダンケルクへ艦艇を派遣しますが、ドイツ軍の潜水艦や航空機の攻撃により沈められ、なかなか兵士を救出できません。 そこで 民間のあらゆる小型船も徴用して救出しようという事になり、900隻ともいわれる大船団で、5月末から6月初めにかけての 10日ほどに 35万人を救出します。 最初は フランス兵は見捨てて イギリス兵を優先して救出する予定でしたが、ドイツ軍の判断ミスもあり、結果的には多くのフランス兵も救出します。 ダンケルクの戦いは大きな犠牲を伴う英仏軍の敗北でしたが、多くの国民の協力により多数の兵士を救出できたことで国中が歓喜に沸いたそうで、ダンケルクスピリットとして今も語り継がれているそうです。 こうした事は 欧米ではある程度知られているのでしょうけれど、日本人には殆ど馴染みの無い戦いです。 しかし、監督は余計な説明は一切せず、しかも、陸海空軍や民間人など多数の視点で、時系列を無視して展開する為、予備知識のないままに観ると 非常に判り難い映画となっています。 例えば、同じ駆逐艦の撃沈シーンやその駆逐艦を守るための空中戦のシーンが角度を変えて何度も繰り返し出てくるのですが、そうした技法を理解できていないと何隻もの駆逐艦が撃沈、戦闘機が撃墜されたように勘違いし、混乱してしまいそうです。 ストーリーはシンプルで、若きイギリス兵トミーが祖国に帰る為に必死に逃げ惑う姿を描いています。 サブストーリーには ちょっと良いところがありますが、メインのストーリーに深みはなく、特に感動するようなものもありません。残念ながら、さほど面白いとは思えませんでした。 IMAX や 4DX など迫力のある大画面で、緊迫感のある映像や音響により、主人公の行動を追体験する映画なのでしょう。僕は2D (字幕) で観たのですが、観ながらそう感じていました。 駆逐艦を守るために敵戦闘機と戦って撃墜されたパイロットが、民間船に救助されてイギリス本土に戻った時、他の兵士たちから 「空軍は何をやっているんだ!」 と毒づかれ、民間船の船長は 「僕は君がよく戦ったことを知っている」 とパイロットに声をかけ労わるシーンが出てきます。 実際の戦いでも、空軍は大きな犠牲を出して戦ったのに、霧に隠れて地上や海上からは見えなかったそうで、やはり批判を浴びたそうです。精一杯やっても報われない事はあるものですね。 ダンケルクの戦いの後、フランス軍は崩壊状態となり、6月13日にパリが占領され、21日には降伏を申し出ています。 その後は、フランスではレジスタンスの戦いが始まり、ヨーロッパ各地で悲惨な戦いが続きました。 「カサブランカ」、「史上最大の作戦」、「大脱走」、「パリは燃えているか」、「プライベート・ライアン」など、第二次世界大戦当時のヨーロッパを題材とした映画は数多くありますが、こういう戦争映画を観るたびに 改めて戦争の悲惨さ、怖さを感じます。
2017年08月17日
お盆休みに シアターキノで観て来ました。 小さなスクリーンなので、ほぼ満員。 年配の方が殆どでした。
カナダで暮らすトマスが、永年会っていない友人 フリアンが末期ガンで余命僅かな事を知り、久しぶりに会うために マドリードを訪ねた4日間の物語です。 トマスはどんな顔をして会えば良いのか分からないままフリアンを訪ね、フリアンはフリアンでそんなトマスにどう接して良いのか戸惑うのですが、そこはそれ 昔からの親友ですから、やがてお互いに遠慮なく言いたい事を言うようになります。 その4日間でフリアンはいろいろな身辺整理をします。これ以上の治療を拒否し、終末期になったら尊厳死を選択する事を宣言し、葬儀の準備をし、気まずいままの知人に謝罪し、アムステルダムにいる息子に会いに行き、愛犬トルーマンの新しい飼い主を探します。 4日間に出来ることなど限られているのですが、フリアンはトマスに甘えてわがままを言い、トマスはそれを全て受け入れようとします。4日間に様々なドラマや人間関係が詰め込まれ、その中からフリアンの人生が浮かび上がってきますし、フリアンとトマスに限らず、別れた妻や息子、愛犬とも、さりげない仕草や眼差しから お互いに相手を想う気持ちがよく伝わってきます。変わらない友情と愛情の物語でもあります。 そんなフリアンを受け止めようとしながらも 喪失感に打ちのめされるトマスが取った行動はどうなのよ? という意見はあるでしょうけれど、そうでもしないとやり切れない場面というのはありますよね。 最後のシーンには ちょっと驚きました。あのシーンがあっての邦題 「しあわせな人生の選択」 なのかもしれませんが、この邦題は判りにくいし、ちょっといただけないです。 いわゆる終活もので、いろいろ考えさせられますが、お涙頂戴のストーリーではありません。覚悟を決めて理性的に振る舞おうとするフリアンが時々見せる弱気にはグッときますが、時にクスっと笑わせるような演出もあり、太陽の国スペインの作品らしいと感じました。 4日間という限定された時間なのも良かった一因でしょう。。 年配者には面白いと思いますが、若者にはなかなか理解できない作品だと思います。 この映画を観て すぐに思い浮かべた友人がいます。 高校時代からの腐れ縁です。 僕がフリアンの立場となったなら、彼はトマスのようにしてくれると思いますが、僕の方はしてあげられるでしょうか。 そんな日が来ない事を願いますが、こればかりは判りません。 原題 「Truman」 スペイン=アルゼンチン合作、108分
2017年07月19日
家内は 観ないというので、今日のメンズデイに 札幌駅の上で 一人で観て来ました。 18時30分からの回だったのですが、大きな12番スクリーンに 客は 10数名と ガラガラでした。
米林監督、西村プロデューサーをはじめ、元スタジオジブリのメンバーが集結した スタジオポノックの長編アニメ第一作という事で ちょっと期待して観に行ったのですが、残念ながら 僕には合わなかったかな。 ストーリーは悪くないと思うのですが、シナリオや演出は今ひとつで、深みは無し。僕の感性が鈍いだけ、理解が浅いだけかもしれませんが・・・。 登場人物に あまり魅力を感じませんでしたし、エンドア魔法大学のデザインには違和感を覚えました。全編を通して どこかで観たような画が続くのも気になりました。 メアリの表情や 魔女の花 (夜間飛行) が輝くシーンなど、良い所もあったのですが・・・・・。 帰宅した時に 家内から 「面白かった?」 と尋ねられたのですが、「良かったよ! 一緒に観ればよかったのに!」 とは答えられませんでした。
2017年07月11日
家内は 人が大勢亡くなる映画は観たくない というので、先日のメンズデーに 札幌駅の上で 一人で観て来ました。17:30という微妙な上映開始時間もあり、4番スクリーンは 20人弱という寂しさでした。 第二次世界大戦末期の沖縄、アメリカ軍が首里へ侵攻する際に最大の難関となった前田高地での激戦が舞台です。 沖縄本島南部の高台が激戦地となった事は知っていましたが、ハクソー・リッジという地名は知らず、映画を観るまで沖縄戦が舞台だとは気が付きませんでした。 当時、浦添城址一帯の丘陵地は、日本軍は 「前田高地」 と呼び、米軍の攻撃正面となる北側の険しい断崖は 米軍から 「Hacksaw Ridge (弓鋸のような尾根)」 と呼ばれていたそうです。日本軍は その頂上まで登ってきた米軍兵を待ち構えて猛烈な攻撃を浴びせる戦術をとった為、米軍はなかなか攻め落とせず、退却する際には 多くの負傷兵が取り残されました。 その負傷兵を、自らの命を顧みずに救出したのが デズモント・T・ドスで、この映画は彼の活躍を描いています。 以下、長文、ネタバレあります。
彼は セブンスデー・アドベンチスト教会の熱心な信者で、信仰上の理由から 一切の武器を持たず、戦うことを拒否するのですが、周囲や友人が国の為に戦っているのに 自分は何もしないという事に我慢できず、家族や周囲の反対を押し切って、人を助けるために 衛生兵として志願します。 衛生兵であっても 武器の取り扱いを含めて一通りの訓練を受けないといけないのですが、彼はその訓練さえも拒否する為、周囲からは いじめの様な扱いを受け、上官からは 強く退役を勧められます。 戦場ではお互いに命を預け合う為、一人のミスが全員の死に繋がりかねない訳で、彼が配属された小隊の同僚が、足手まといになりそうな彼と一緒に戦場へ行きたくないという気持ちはよく理解できます。 その後、紆余曲折があって彼は衛生兵として従軍する事が出来るようになるのですが、当時の日本軍ではありえない判断でしょう。 ここに米軍と日本軍の大きな差があるように感じました。 ここまでが前段。後段ではハクソー・リッジでの厳しい戦いが描かれます。 ハクソー・リッジ (前田高地) における日米両軍の戦闘は実に激しく悲惨なものだったようです。 当然ながら戦死者は多く、この映画でも、爆弾に吹き飛ばされてバラバラになった身体、蛆が湧いたり鼠に齧られる死体、飛び出した臓物など、リアルを追求するためなのでしょうけれど かなりハードでグロテスクな映像が続き、ちょっとキツイです。家内は観なくて正解だったと思います。 この作品では直接描かれていませんが、浦添村では 住民の 44.6%、4112名が戦死、その中でも前田地区は戦死率 58.8%という高さで、多くの民間人が犠牲となりました。沖縄でも有数の激戦地だったという事が容易に想像できます。このような戦闘が沖縄の各地で行われていたという事実は 決して忘れてはいけません。 そうした中で彼は、まだ意識の有る兵士を捜しては 一人、また一人と 後方へ運び、断崖の下へと降ろします。 暗闇の中、敵である日本軍兵士の姿や攻撃に怯えながら、「神様、あと一人助けさせてください」 と祈りながら孤軍奮闘する彼の姿は感動的であり、圧倒され、手に汗を握りながら応援したくなります。 第二次世界大戦では 日本とアメリカは敵同士であり、この映画では 当然ながら日本軍が敵として描かれているのですが、このような姿の前には敵も味方も関係ない。 実際、彼は 75名の兵士を救出したそうなのですが、その中には 2名の日本人兵士もいたそうです。人を助けるために衛生兵を志願したという 彼の信念の証ですね。 「世界一の臆病者が、英雄になった理由とは――」 というのがキャッチコピーです。 「戦闘に勝利するためには スキルだけでは足りない。そこには ラッキーが必要だ」 と言われます。 彼の強い信念と無私の行動が ラッキーを呼び寄せ、同僚からの信頼を得ました。 「信念を曲げたら生きていけない、信念を曲げたら僕が僕でなくなる。」 まさしく己の信仰を、信念を貫いた人でした。 彼は、沖縄戦の前にはグアム島やレイテ島でも活躍したそうで、戦後、良心的兵役拒否者として初めて米軍最高位の名誉勲章(メダル・オブ・オナー)を受賞しています。 しかし、戦争中の怪我や病気が原因で身体に重い障害が残り、残された人生は決して恵まれたものではなかったようです。 戦う国の間に勝ち負けはあっても、戦闘に参加させられた国民に勝者はいない。 やはり戦争は、決して繰り返してはいけない狂気だと思います。
2017年06月22日
公開から2ヵ月が過ぎて、そろそろ上映が終わりそうなので、慌てて観て来ました。 お目当てはもちろん、ベルを演じるエマ・ワトソンです。 果たして彼女は歌えているのだろうか? と一抹の不安を抱えての鑑賞だったのですが、結構ちゃんと歌えていましたね。 一部に音声修正ソフトで修正しているのではないかとの批判もあるそうですが、昔は歌の部分だけ吹き替え (マイ・フェア・レディのオードリー・ヘプバーンは有名) をしたり、今だってミュージシャンが発表する楽曲にも様々な修正が施されているそうですから、全然許容範囲でしょう。そもそもそこを全否定すると CGの使用もダメという事になります。 とにかくエマの透明感のある歌声は素敵だし、ミュージカルっぽくない歌い方や演技も好印象でした。 映画も良かったですね。 現在上映されているのは ディズニーアニメの実写映画化版なのですが、基本的なストーリーや楽曲はそのままに、多少今風にアレンジを施し、数曲の新曲を追加しています。さすがディズニー、CGの完成度も素晴らしく、素敵なファンタジー、ミュージカルに仕上がっています。 ハッピーエンドが変わるはずはなく、次はこうなると判っているのですが 良いものは良い。ラストはやはりジーンと来ます。とても面白く、あっという間の 129分間でした。 御多分に漏れずエンドロールは長かったですが、アリアナ・グランデとジョン・レジェンドが歌う主題歌など、飽きさせない工夫をしていました。
「美女と野獣」は 18世紀にフランスで発表された童話で、元々は子供たちに道徳的な事を教える為の寓話でした。イソップも寓話ですし、グリム童話にもそのような傾向があると思います。 僕の本棚にあるのは 角川文庫のボーモン夫人版で、前後の子供たちに教え諭すような部分を省いて、お話の部分だけを訳して集めたものです。「美女と野獣」 自体は27ページ程度の短いお話ですが、詩人のジャン‣コクトーが絶賛し、1946年に自ら監督として映画化しています。 その後も2009年にオーストリアで、2014年にフランスで映画化されています。2014年のフランス版は先月の金曜ロードショーで放送されましたが、設定は原作に近く、ディズニー版とは 相当 趣きの異なる作品でした。野獣の姿も、ディズニーのはアメリカらしくバファロー基本、フランス版のはネコ科という雰囲気で、違っていましたね。 一番馴染みがあるのは 1991年に公開されたディズニーアニメで、これは多くの方がご覧になった事があると思います。1993年には それを基に舞台化され、1994年からはブロードウェイでロングラン公演、日本でも劇団四季が公演しています。 現在上映されているのは、そのディズニーアニメの実写映画化版です。
2017年06月15日
昨日のメンズデーに、札幌駅の上で一人で観てきました。
封切から1ヵ月以上が過ぎ、さすがに観客は少なめ、4番スクリーンに20名弱でした。
実は6月1日のファーストデーに、同じスクリーンで 一度観ています。
しかし、よく理解できずにモヤモヤが残ってしまい、その後で 原作を読んで、成程 そういう事だったのかと半分理解し、その確認もあって 二度目の鑑賞でした。
以下、ネタバレがあります。
ある日突然 地球の各地に出現した宇宙船、
それに乗っている異星人 (エイリアン) は、果たして敵なのか 味方なのか。
主人公は まだ若い女性言語学者で、それを探る為に 異星人の言葉を、文字を必死に解読しようとします。
相手の言葉を知るという事は、相手の文化や考え方、思考回路を知るということ。
異星人とのコミュニケーションを図る内に、次第に主人公は 異星人の能力まで身に付けていきます。
地球上に突然現れた 異星人とのコミュニケーションが 表向きのテーマで、事前の宣伝などでもそれを前面に出してPRしていたと思うのですが、テーマは別な所にもあります。
一つは、
時間は ひと時も止まらずに流れ続けるものなのか・・・・ という疑問。
時間というものの捉え方、時間という概念に対するアンチテーゼでしょうか。
二つめは、
異星人の時間に対する概念を理解する中で、未来を知る能力を身に付ける主人公。
しかし、未来は決して良い事ばかりではなかった。
その結末を知りながら、なお その未来に向かって進むのか。
その葛藤と切ない決断こそが この作品のメインテーマでしょう。
邦題は 「メッセージ」、
原題は 「ARRIVAL」、
原作のタイトルは 「あなたの人生の物語 (Story of Your Life)」です。
さて、「あなた」とは誰なのか。 映画の中でも 主人公はずっと「あなた」に語り掛けますが、原作では 文章の未来形、現在形、過去形で書き分けられている部分が 映像では曖昧で、作品を判りにくいものにしています。 特に最初の子供と一緒に遊ぶシーンを 過去の思い出と捉えてしまうと (実際 そうなるように仕向けている訳ですが)、僕と同じように混乱します。 途中でいるいろなフォロウがあり、判ってしまえば過剰なくらいに丁寧なフォロウなので、ちょっと勘の良い人であれば すぐに仕掛けに気付くような作りになっているのですが、僕は一度目は半分しか気付けませんでした。 原作も映画も なかなか面白いものでした。 「2001年 宇宙の旅」 のような 未来に残る作品とはならないでしょうけれど、しばらくは心に残る作品だと思います。 残念、その1 異星人は 「ヘプタポッド」 と命名されます。 7本脚という意味なのですが、異星人の姿が大昔に戻っています。 まるで 「イカール星人」 です。 それは良しとして、吐き出した墨で文字を描くという設定は 如何なものでしょう? 因みに、原作では 異星人も自分たちの機械を操作してスクリーンに文字を映し出します。 残念、その2 全世界に 12隻の宇宙船が現れ、そのうちの1隻は北海道に現れた! という設定なのですが、北海道のどの辺りなのか、残念ながら 全く分かりませんでした。 山間の緑の谷間が北海道だったのでしょうか?
2017年06月03日
今日、札幌駅の上で 18時55分からの回を観て来ました。 残念ながら 4番スクリーンはガラガラ、観客は 10人くらいだったでしょうか。
昨年3月に公開された 「家族はつらいよ」 の続編です。 前作は熟年離婚がテーマでしたが、今作は 高齢者ドライバー、下流老人、身寄りのない独居老人の孤独死、介護問題など、様々な高齢者問題を扱っています。 いかにも山田洋次監督らしい人情派喜劇、ホームコメディで、前作同様 ちょっとベタ過ぎて 苦笑いというシーンもありますが、ホロッとくるシーンや ほのぼのするシーンも多く、全体としては安定した面白さです。 高齢者の悲哀、死までも笑いに繋げていくというのは、85歳の山田洋次監督だからこそ許される 力技なのでしょうね。 ただ、テーマがあまりにも身近過ぎて、特に 高齢の親に運転を止めさせるというのは まさに現在進行形で我が身にも降りかかっている問題で、橋爪功のセリフは 義父の言い分と全くと言っていいほどに重なるわけで、笑うに笑えないという・・・・・ 平田家の問題は まだ解決していませんし、家族会議で うな重も食べられていませんし、このままシリーズ化して欲しいところですが、今日の観客数を見てしまうと 難しいでしょうか?
2017年04月05日
昨日、仕事が終わった後で 家内と観て来ました。 ディノスシネマの2番スクリーン (108席) は 20人程の観客で、寂しいくらいでした。 今年度のアカデミー賞作品賞 受賞作です。 発表の時のドタバタで すっかり有名になりましたね。
マイアミの貧困地区を舞台に、少年期、ティーンエイジャー期、成人期の3部構成で、自らのアイデンティティや セクシュアリティに悩みながら成長する主人公の姿を描いています。 それぞれに Little、Chiron、Black とタイトルが付いていますが、それは主人公の名前やあだ名で、それぞれの時代を象徴しています。 また、この作品のポスターの顔は3色に塗り分けられていますが、それぞれが 各時代の主人公を演じた3人の俳優の顔です。耳の形は違いますが、眼の印象が似ているので、こうして並べても あまり違和感は無いですね。 基本的なテーマは、“変わって行くものの中にあって、いつまでも変わらない気持ち” といったところでしょうか。 初めの方で 「自分の道は自分で決めろ、決して周りに決めさせるな」 というフアン (主人公を保護するドラッグの売人) のセリフがあるのですが、これも大切なテーマのひとつなのでしょう。 思い切って簡単に言ってしまえば 初心な青年の純愛ラブストーリーなのですが、そこに いじめや差別、偏見、貧困、暴力、ドラッグ、ネグレスト、LGBT など、現代社会が抱える様々な問題が詰め込まれており、ストーリーに幅と深みを与えています。 全編を通して 明と暗の対比があり、静かで詩的な印象が残ります。 エンタメ的な要素はありません。 ラスト近くの海辺の回想シーン、月の光の下で青く輝く肌は美しく、幻想的です。 麻薬中毒の母親を演じた ナオミ・ハリスが 凄かったです。
ただ、どうにも理解し難い部分や共感できない部分、回収されない伏線も多くあり、映画を観た直後は 消化不良のモヤモヤ感が身体中に満ちていました。 こうして思い出しながら、あれこれ考えながら文章を書いていて、初めて気付いたことも多々あります。 いろいろな意味で 難しい映画でした。
2017年04月01日
昨日のプレミアム金曜日、 さすがに15時は無理ですが、17時になったら すぐに事務所を出て、シアターキノで観て来ました。 17時25分からという難しい上映開始時間もあってか、3分の1くらいの入りでした。 原題は ”I , Daniel Blake” 昨年のカンヌ国際映画祭の パルム・ドールです。
舞台は イギリス北東部のニューカッスル、 主人公は 59歳の大工、ダニエル・ブレイク、 テーマは 社会福祉で、格差社会で切り捨てられる社会的弱者の心の叫びを代弁したヒューマン・ドラマです。 永年 実直に生きてきた主人公は、心臓病を患って医者から仕事を止められ、仕方なく国の援助を受けようと手続きをするのですが、規則規則で融通の利かないお役所仕事に阻まれます。経済的にも精神的にも追い詰められ、尊厳さえも奪われようとしていた時、同じように苦境に陥っていたシングルマザーとその子どもたちと出会い、互いに助け合う中で次第に絆が芽生え、かすかな希望を取り戻していく姿を描いています。 舞台はイギリスなのですが、日本の姿と重なります。 違和感がないというよりも、社会的弱者を取り巻く環境は 日本と何も変わらないのだという事に驚き、”明日は我が身、決して他人事ではない” と思うと ちょっと背筋が寒くなります。 こうした状況は 日本や英国に限らず 米仏独を含め 多くの国で同じようなものなのでしょう。 イスラム国が勢力を拡大し、テロが続く背景にも こうした貧困問題があるのでしょうし、イギリスや多くの国で 移民や難民の受け入れを拒否するのも判らないではない と 思ってしまいました。 ただ、この映画は 怒りを持って現状を告発しますが、同時に こうした現状を変えて行くのは お互いの助け合う心、思いやりだ とも主張します。 「今度はわたしたちに助けさせて・・・」 というセリフに救われますし、 「人生は変えられる。隣の誰かを助けるだけで。」 というコピーにも表れています。 静かで、深い作品でした。