『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ 

2017年10月28日

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 アーサー王は 5世紀後半から6世紀初めにかけて ブリトン人を率いて サクソン人の侵攻を撃退した伝説の王です。この小説は アーサー王伝説を下敷きに、アーサー王が亡くなってから数十年後のイングランドを舞台として、冒険ファンタジー小説風に描かれています。

 ただ、失われた記憶と愛をベースにしたファンタジーという事で 期待しながら読み始めたのですが、どうにも雲行きが怪しい。確かに 一貫して アクセルとベアトリスという老夫婦の愛情と絆を中心に 失われた記憶を辿る旅が画かれ、記憶を失う理由、アクセルの正体などを探る物語が展開していくのですが、ストーリーに起伏が乏しく、途中で何度も本を置きそうになりました。
 抑制されたカズオ・イシグロの文体は このようなタイプの作品には向かないのかもしれませんし、翻訳が下手なのか ひっかかる文章や表現が多かったという事もあるでしょう。 (原書を読みこなすだけの英語力も無いのに申し訳ありません。前2冊の時は特に感じなかったのに、今回はちょっと気になったもので・・・・・。)

 日本の妖怪や文化をある程度知らないと 半村良の陰陽師シリーズや 京極夏彦の百鬼夜行シリーズの面白さが判らないように、この作品もイギリスの古い文化や歴史に関するバックボーン、特にアーサー王伝説に関する知識が無いと 面白さが判らないようです。
 例えば、最後に登場する 「島」 ですが、多分、あの世、彼岸を象徴しているものと思います。アーサー王が戦で致命傷を負った時に アヴァロン島 (伝説の島) に渡って最期を迎えたという伝説があるというのが その理由。そうなのかなとは思いつつ、読んでいる間は アヴァロン島との関連には気付かずにモヤモヤしていて、読み終わってから アーサー王伝説を調べて気付いたのですが、そうであれば納得する部分がいくつもありました。

 また、「鬼」 や 「雄竜」 の他に 「小妖精」 が何度か登場します。日本では「妖精のような」という表現があるように、妖精と言えば可愛らしいイメージがあると思うのですが、(近年はハリーポッターのしもべ妖精、ドビーが現れたので必ずしもそうとは言えなくなりましたが、ピーターパンのティンカーベルはやきもち焼きであっても可愛らしいです)、イギリスでは違うイメージで捉えられているのかもしれません。日本で川辺の妖怪と言えば河童なわけで、もしかすると そんなイメージが近いのかな。そうならば 訳語は 小妖精ではない方が良いような・・・・・。

 アクセルがベアトリスに呼びかける 「お姫様」。原文には “princess” とあるので間違いではありませんが、単に 「姫」 や 「姫様」 の方がしっくりくるような気がします。

 原題は ”The Buried Giant” なのですが、「忘れられた巨人」というストレートな訳のタイトルも気になりました。何か隠された意味があるように思うのですが、それに気付けずにモヤモヤしています、まさか GIANT = アーサー王ではないですよね?
 



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23:59

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『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ

2017年10月25日

今日の天皇杯 準々決勝、アウェイで戦った鹿島は PK戦までもつれ込んでの敗戦でした。
この結果が 日曜日の試合に 吉と出るか 凶と出るか。
いずれにしても 僕たちは スタジアムで 熱く応援するしかありません。
 
その鹿島戦、目標3万人に対して、今日現在の前売りは 18,296名。
シーチケが使えない分だけ少ないのでしょうけれど、1,500枚しかない 持株会引換券に殺到して大混乱という事態だけは避けて欲しいもの。
前日までに 前売りがあまり伸びないようだったら 引換枚数を増やして欲しいけれど、無理かなぁ・・・・・。


さて、『わたしを離さないで』

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 日本で臓器移植法が施行されたのは 平成9年10月、ちょうど 20年前でした。当時は脳死に関して 多くの議論が沸き起こりましたが、少しずつ社会に受け入れられていったのか、近年はニュースになる事も滅多に無くなりました。

 臓器移植をテーマとした小説として頭に浮かぶのは、梁石日の 『闇の子供たち』 (子供の人身売買・幼児買春・臓器売買)、帚木蓬生の 『臓器農場』 (無脳症児の臓器移植)、 ジョディー・ピコーの 『私の中のあなた』 (自分の子供への臓器移植の為にDNAを操作した子供をもう一人出産する) などでしょうか。
 この 『わたしを離さないで』 も臓器移植に関連した小説なのですが、上の3冊とは 切り口や表現、文章も含めて ずいぶんと趣きが異なります。

 主人公は臓器提供を目的にクローン技術で誕生した子供たちで、成長した後にいくつかの臓器を提供すると 最後の時 =死を迎える事が運命づけられています。この作品はそんな彼らの、いたって普通な日常生活や 心情、心象風景を、抑えた筆致で、坦々と、最後まで静かに描いています。
 彼らに生殖能力は無いのですが、それ以外は至って普通の、心も 感情もある人間で、人を好きになる事もあれば セックスもし、一般人と変わらない生活を送っています。ただ、臓器の提供を受ける患者にとって、それは自分の心にやましさを生じさせる不都合な事実でしかないのでしょう。自分たちと同じ人間である事を認めようとせず、生活環境の改善や教育も不要だとします。彼らの支援者もやがて限界となり、挫折していきます。

 彼らは何故、臓器の提供者となる事を 最初から定められた運命として受け入れられるのでしょう? 何故、自分たちの人生を諦めて戦おうとしないのでしょう? それは絶望なのか、無力感なのか、ここがこの小説のポイントなのかもしれません。

 この作品は ある種のSF小説、ホラー小説だと思います。
 作品の根底にあるのは 人の心の中にある闇でしょうか。
 救いようのない怖さを感じました。



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23:23

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『日の名残り』  カズオ・イシグロ

2017年10月24日

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 舞台は 第二次世界大戦から数年を経た1956年のイングランド、主人公は ダーリントン・ホールというカントリー・ハウス (貴族の邸宅) で働く初老の執事 スティーブンス。
 ダーリントン・ホールの主人は ダーリントン卿 (伯爵) であったが、第一次世界大戦後のドイツの窮状を見かねて奔走するも、結果として ナチス・ドイツに利用される事となり、第二次世界大戦が始まると信頼を失って没落。やがて失意の内に この世を去る。
 ダーリントン卿の死後に ダーリントンホールを買い取ったのは アメリカの資産家・ファラディ氏で、スティーブンスは引き続き ファラディ氏の下で執事として働くが、スティーブンスも高齢となり、ミスが目立つようなっている。
 そういう状況の中で、スティーブンスは主人の好意で主人の車を借り、かつて 女中頭として共に働いた女性を訪ねる旅に出る。
 この小説は、一週間ほどの短い旅をしながら 美しい田園風景の中で様々な思い出に浸り、自分の人生を振り返るという物語です。

 「カントリー・ハウス」、「執事」 は、いずれも古き良き時代のイギリスを象徴する屋敷、職業なのですが、ダーリントンホールは 伝統とステータスを金で買おうとするアメリカ人の大富豪に買い取られ、執事は歳をとって老いぼれていくという設定で、かつての大英帝国の没落を表しています。
 スティーブンスは執事という仕事に誇りを持ち、偉大な執事に必要なのは主人に対する忠誠心と品格だと信じて、一切の私欲を捨て、身を粉にして仕事に打ち込んできたのですが、高齢になって人生を振り返った時に初めて気付くものがあります。
 良かれと思ってやった事が 良い結果を招くとは限らない。仕事でも プライベートでも 何度も転機はあったのに、いつも気付かないままに やり過ごしてしまった。有能な執事だと自負していた自分は、実はただの鈍感な朴念仁ではなかったのか。自分の人生は 果たしてこれで良かったのだろうか・・・・・。
 あの時別な道を選んでいたら、自分の人生はどう変わっていたのだろうと考える事は誰にでもあると思いますが、晩年になって自分の人生を振り返った時に、見過ごしてきた事の多さに気付き、後悔ばかりが先に立つとしたなら・・・・・。
 とても切ないです。

 明日には旅が終わるという日、夕方の桟橋で海を見ながら涙を流すスティーブンスに 見ず知らずの男が語ります。
 「わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日で一番いい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。」 
 その言葉を噛みしめながら スティーブンスは自分の考えが間違っていたと気付き、自分の人生を前向きにとらえ、肯定しようと考えます。そして、今からでも自分に出来る事をやろうと思い、新しい主人を喜ばせるためにジョークの練習をしようと思い立ちます。
 どこまでも真面目で不器用なスティーブンスの姿に、何故か亡父の姿が重なり、泣き笑いのように 心を動かされました。

 程好く抑制された端正な文章が 穏やかで自制的なスティーブンスの人物像とよく合っていて、印象的でした。



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23:23

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『みかづき』  森 絵都

2017年10月20日

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本屋大賞 2017の 第2位です。
森絵都は直木賞受賞作の 「風に舞うあがるビニールシート」 を読んで以来、8年ぶりです。

「大島さん。私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月。今はまだ儚げな三日月にすぎないけれど、かならず、満ちていきますわ」 (25頁)

かつて 千葉県内の小学校の用務員室で、授業についていけない子供たちに勉強を教えていた用務員・大島吾郎の一代記であり、彼の妻や義母、娘、孫たち、家族4世代の物語でもあります。
昭和30年代から現代までの千葉県内の学習塾業界を舞台に、大島吾郎とその家族の物語が展開されるのですが、当然ながら多くの苦労や挫折、栄枯盛衰があります。家族は 皆それぞれに個性的で、熱い情熱を持っており、それぞれが教育に関係した仕事をしているのですが、それぞれの立場や性格により 教育に対する考え方や情熱、関わり方が異なるのは当然。それぞれの物語に 戦後間もなくからの教育行政のあり方、文部省と学習塾の対立、業界内の足の引っ張り合い、社会情勢などが 上手く絡められ、これが滅法面白い。50年ほどの歴史を1冊に詰め込んでいるので、時には結構な期間を端折った部分もありますが、そのきっぱりとした思いきりも気持ち良かったです。

「常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と」 (464頁)

結構厚い本なのですが、本当に一気に読み終えました。
面白さでは 本屋大賞第1位の 「蜜蜂と遠雷」 にも負けず劣らずだと思います。



post by aozora

23:23

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『オジいサン』  京極夏彦

2017年10月12日

天気予報が変わりました。(札幌市厚別区の予報は こちら。) 
土曜日の午前中は晴れですが、午後からは小雨、気温も11~12度の予報です。
風はさほどではないようですが、寒さ対策は万全にしないと風邪をひきそうです。
地上波での中継もありますから、サポーターはともかく、一般のお客様の来場はあまり期待できないかもしれませんね。


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本の帯には 「益子徳一、七十二歳、独身。定年後の人生を 慎ましく過ごす 独居老人の 大真面目で 可笑しくて 少しだけ せつない日常。」 とあります。
まさしく その通りで、公団住宅で約40年、結婚もせずに ずっと一人で暮らしてきた72歳6ヶ月の老人の どうということのない日常、というか 頭の中を淡々と描いた作品です。

初めはキツイです。
とにかく回りくどくて面倒くさい。何度も読むのを止めたくなりました。
ただ、これは文体が、文章がどうこうとよりも、何をしても要領が悪くて時間がかかり、どうでも良い事までマジメに考えて一人で勝手に混乱し、堂々巡りでオロオロする老人の姿を読みながら、我が身にも思い当たる節があることに気付き、あと10年もすれば自分も仲間入りかと思うと笑い飛ばすこともできず、、やるせない嫌悪感を抱いてしまったからかもしれません。

ずっと一人暮らしの徳一は、自分の生活のスタイルを守り、寄る年波をきちんと受け止め、周囲に迷惑をかけないように静かに暮らします。一人の生活にもすっかり慣れてしまい、家族や友達のいない寂しさを感じる事もありません。
しかし、誰も最後は一人ですが、誰も一人では暮らせません。側に誰かがいる方が温かく楽しいです。
徳一にも徳一の事を気にかけてくれる人はおり、最後に ある人から “家族のようなもの” になってくれるように頼まれます。
ラストで ちょっと救われました。

この作品では、普通の老人小説であれば必ず取り上げられるであろう、病気や死への不安、経済的な問題、高齢者の恋愛や性、欲望に関しては触れられず、余計なものは思い切って削ぎ落しています。
その分、きれい事に終始している側面があることは否めませんが、テーマがシンプルに明確になっており、読んだ後にはちょっと老人にやさしくなれるような気がする、そんな作品でした。




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21:21

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『烏に単は似合わない』 阿部智里 

2017年10月10日

先日の サポーターズデー in 白恋、僕は用があって参加できなかったのですが、天気にも恵まれ、大勢のサポーターで盛況だったようで、良かったですね。選手たちにサポーターの熱い気持ち、パワーが伝わったでしょう。
今週末は厚別で柏戦。今のところは “晴れ時々曇り” で、最高気温は 16℃の 予報 です。選手たちにはちょうど良いくらいの気温でしょうけれど、観戦にはちょっと肌寒いくらい。防寒対策は必須ですが、そんなもの 必要無いくらいの 熱い試合を見せて欲しいですね。


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「烏(からす)に 単(ひとえ)は似合わない」
表紙の絵やタイトルからはとても食指が動くような本ではないのですが、“史上最年少の松本清張賞受賞作品” とあり、古本屋で安かった事もあって読んでみました。

人間の代わりに八咫烏 (やたがらす) の一族が支配する世界 「山内」 で始まった世継ぎの后選び。有力貴族の姫君4人の壮大なバトルの果てには・・・・・・ 

中世王朝を舞台にした時代ファンタジーで、舞台設定や登場する姫たちの会話にラノトノベルの匂いを感じながら読み進めたのですが、結論から言えば、まったく予想外の展開で面白かったです。20歳そこそこの小娘 (発表当時) に すっかりしてやられました (笑)。 
慌てて続編の 「烏は主を選ばない」 も買ってきて読んだのですが、こちらも意表を突く構成で、更にやられました。
もちろん編集者のアドバイスなどもあって この形になったのでしょうけれど、原作が良くなければどうしようもない訳で、細かい事を言えばいろいろあるのですが、いや素晴らしいです。

この2冊は合わせて一つの作品です。決して読む順番を間違えてはいけません。


この八咫烏シリーズは 
  巻1 烏に単は似合わない 
  巻2 烏は主を選ばない 
  巻3 黄金の烏 
  巻4 空棺の烏 
  巻5 玉依姫 
  巻6 弥栄の烏 
の6冊で第一部が完結らしいのですが、巻3以降を読むかどうかは思案中。
この2冊が面白かっただけに、このレベルを維持できているのかどうか気になるところ。
この後の展開も期待して良いのでしょうか?



ところで、
松本清張賞は 松本清張の名前を冠しているのだから ミステリーが対象なのだろうと思っていたのですが、第1回 (1994年) から 第5回 (1998年) までは 「広義の推理小説 又は 歴史・時代小説」 の短編が対象で、第6回 (1999年) からは長篇作品を募集。第11回 (2004年) 以降は 「ジャンルを問わずに良質の長篇エンターテインメント小説」 を対象としているのだそうです。
なるほど。



post by aozora

21:21

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持株会特別優待価格での当日券販売?

2017年10月07日

しばらく前から 制限されるらしいという噂は聞いていましたが、ついに昨日、オフィシャルHPに 鹿島戦での持株会引換券の取り扱いに関する案内が出ました。こちら

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交換できるのは 1500枚で、それを超えた場合は 持株会特別優待価格での当日券販売となり、売れ行き状況によっては それも無い場合があるのだそうです。
シーチケを使えないこの試合に引換券を使おうと思っていたサポーターは多いでしょうから、この対応には批判が出るでしょうね。
そもそも 「持株会特別優待価格での当日券販売」 って何でしょう? そんなものを売るのなら、そのまま交換させろ(怒!) という話でしょう。

持株会の会員は チームの事を親身になって応援しているサポーターだと思いますし、自分が持っている引換券を知人に差し上げて 試合を観に来てもらおうと活動している方も多いと思いますが、この状況では 鹿島戦に来てくれとは とても誘えないですね。
僕も先日 隣の会社の方に 「鹿島戦でも使えると思うよ」 と言ってあげたばかりなのですが、謝らないといけなくなりました。
自由席の前売り数の販売を多少制限してでも 持株会引換券の交換枚数を増やすべきだと思いますが、難しいのでしょうか? 

最終戦の鳥栖戦でも 持株会引換券の交換は制限されるという情報は既に聞いていますから、制限なしに使えるのは 来週の厚別、柏戦が最後という事になります。
こんな状況になるのなら、なおのこと 会場を札幌ドームへ変更して欲しかったですね。




post by aozora

09:30

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