アナロージンまだまだ元気!

2009年05月14日

アナロ熊・・・。

アナログな人って意味なら、わざわざ熊にしなくても「アナロー人」でいいじゃん。

アナロー人アナロー人まだまーだ元気。


テレビの事はさておき。

ウチの実家は薬屋だが、これを営む我が親はアナロー人だ。
(但し、テレビは2年くらい前から地デジだ)

店先には、昔ながらのレジスター。

レシートなんてインクが薄くて金額が見えないこともしょっちゅう。でもまだまーだ元気。

しかも、釣りの計算をするのに母ちゃんはレジを使わず電卓を使う。電卓で計算した金額をレジに打ち込み、右下の「現計」ボタンを押すとガチャンとお金の入った引き出しが飛び出てくる。1円1円お釣を数えてお客さんに渡す。

もっと上手いレジの使い方があると思うのだが、未だに言いだせない。。。

さらに、

私自身は全くの素人なので分からないのだが、医師から出される「処方箋」というやつも最近は電子処理化の波が来ているようで、末端の薬局でも、何というか必要なお金を受け取るまでの事務手続きを簡素化・効率化すべく、専用システムを導入しての処理が求められてきているらしい。

専用サーバーどころか未だにパソコンすら無い我が実家にも、最近は著名なIT企業からパンフレットが送られてくるとのこと。

しかし、お客さんの絶対数が少ないこともあり、親父は自分で必要事項を手書きするスタイルを変えるつもりはないようだ。今や老眼鏡は必要不可欠なアイテムだ。手書き書類とボールペンがまだまだ元気。

さて、

最近、スーパーなんかに行くと、お客から受け取ったお札と小銭を穴に入れると、自動的にお釣が1円の誤差無くビシッと出てくるレジが当たり前となった。

その技術進歩には驚かされる。

ただ、同時に一つだけ思うことがある。

「レジに立っている人って、何のためにいるんだろう?」と。

釣りを数える必要も無い。ただお金を受け取って、機械から出てきた釣りを渡すだけ。

その姿を見ていると、近い将来、人間自体がこの世から必要無くなるんじゃないかとさえ思う。スーパーに限らず、世の中のありとあらゆる場所で、人間を介在させないことが一番効率的だということになって、その結果世の中が人間を必要としなくなる。そんな本末転倒な世界にならないか心配です。

釣りを数えるためには算数を勉強する必要があると思う。ということは極論を言えば釣りを数えなくても機械が正確にやってくれる世の中であるなら、算数を勉強する必要もない。

何か分かりませんが怖さを感じます。

かくいう私。

仕事では当然のようにパソコンを使うし、面倒だけど重要な計算は当然システムが構築されていて、数字を打ち込めば答えがビシッと出てくる。後はもともと打ち込んだ数字が間違っていないかチェックするだけ。

でも、「じゃあその答えはどうやって出したの?」となると、正直お手上げな部分が多い。現にそれで恥をかいたこともある。

その点職場の40~50代の先輩はそういう面倒な計算を電卓片手に深夜まで残業してこなしてきた過去を持っている。こういう点では敵わない。

小学校の算数のドリルをもう一度買ってこようかと、結構真面目に考えています。


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