2017年10月25日
今日の天皇杯 準々決勝、アウェイで戦った鹿島は PK戦までもつれ込んでの敗戦でした。 この結果が 日曜日の試合に 吉と出るか 凶と出るか。 いずれにしても 僕たちは スタジアムで 熱く応援するしかありません。 その鹿島戦、目標3万人に対して、今日現在の前売りは 18,296名。 シーチケが使えない分だけ少ないのでしょうけれど、1,500枚しかない 持株会引換券に殺到して大混乱という事態だけは避けて欲しいもの。 前日までに 前売りがあまり伸びないようだったら 引換枚数を増やして欲しいけれど、無理かなぁ・・・・・。 さて、『わたしを離さないで』
日本で臓器移植法が施行されたのは 平成9年10月、ちょうど 20年前でした。当時は脳死に関して 多くの議論が沸き起こりましたが、少しずつ社会に受け入れられていったのか、近年はニュースになる事も滅多に無くなりました。 臓器移植をテーマとした小説として頭に浮かぶのは、梁石日の 『闇の子供たち』 (子供の人身売買・幼児買春・臓器売買)、帚木蓬生の 『臓器農場』 (無脳症児の臓器移植)、 ジョディー・ピコーの 『私の中のあなた』 (自分の子供への臓器移植の為にDNAを操作した子供をもう一人出産する) などでしょうか。 この 『わたしを離さないで』 も臓器移植に関連した小説なのですが、上の3冊とは 切り口や表現、文章も含めて ずいぶんと趣きが異なります。 主人公は臓器提供を目的にクローン技術で誕生した子供たちで、成長した後にいくつかの臓器を提供すると 最後の時 =死を迎える事が運命づけられています。この作品はそんな彼らの、いたって普通な日常生活や 心情、心象風景を、抑えた筆致で、坦々と、最後まで静かに描いています。 彼らに生殖能力は無いのですが、それ以外は至って普通の、心も 感情もある人間で、人を好きになる事もあれば セックスもし、一般人と変わらない生活を送っています。ただ、臓器の提供を受ける患者にとって、それは自分の心にやましさを生じさせる不都合な事実でしかないのでしょう。自分たちと同じ人間である事を認めようとせず、生活環境の改善や教育も不要だとします。彼らの支援者もやがて限界となり、挫折していきます。 彼らは何故、臓器の提供者となる事を 最初から定められた運命として受け入れられるのでしょう? 何故、自分たちの人生を諦めて戦おうとしないのでしょう? それは絶望なのか、無力感なのか、ここがこの小説のポイントなのかもしれません。 この作品は ある種のSF小説、ホラー小説だと思います。 作品の根底にあるのは 人の心の中にある闇でしょうか。 救いようのない怖さを感じました。
青空
Re:『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ
2017-11-18 09:26
昨日の道新夕刊、熊谷ユリヤさんのコラムで、この本は「運命を穏やかに受け入れ使命を果たす、イギリス的な物語」「残酷だけれど美しい、キリスト教的な自己犠牲のファンタジー」という見方が紹介されていました。 なるほど そういう見方もあるのかと思いつつ、やはり 僕には理解できない世界だと 改めて感じました。 民族、歴史、宗教、価値観、相手と違う事はたくさんあって、そういう相手を理解するというのは 本当に難しいです。