小さな変化

2009年08月12日

札幌に着いて先ずしたことは、ヨドバシカメラに行って時計のバンド交換。
大きな文字盤の腕時計がうっとうしくなったので、今使っているのは女性用。
だから、バンドの長さがぎりぎりで、はめられるのかどうかいつもハラハラです。
時計を買った時の値段よりも、バンドの値段の方が高かったりします。

次に十数年ぶりに二条市場内のだるま軒に行きました。
先日、札幌ラーメンの元祖と言われる龍鳳の閉店を知り、大丈夫なのかどうか確かめたかったのです。
ここで前の記憶との違いを感じました。
以前は女性数人で切り盛りしていたと思いますが、今回初めて男性(しかも調理役)を見かけました。
ここで食べるのは必ず正油ラーメンで、創業以来作り方を変えていないというのがこのお店のモットーだったはずですが、なるとがなく、代わりに玉子巻きが2つのっていました。
なるとを残す人が多いんでしょうか。
あと、麺が細くなったのは気のせいかな。

地下鉄やバスの車内広告が極端に減ったのも心配です。
それだけで不況時の厳しさを感じますから。

余計な話ですが、地下鉄のドアにあった「痛いよ~」の子熊の絵はいつごろ無くなったのでしょうか。
あれすごく好きだったんだけど…


越中富山

2009年07月20日

就職して2~3年経った頃だったかな、今ぐらいの時期に立山黒部アルペンルートに行きました。

長野県側の扇沢からスタート、トロリーバスとかケーブルカーとかロープウェイとか乗り継ぎ、黒部ダムの上を歩いたりして室堂近くのみくりが池温泉に1泊。

標高2500メートルぐらいだと思うんですが、明らかに酸素が薄いんですよね。
室堂から宿に行くまでの小道を歩くのがとてもきつかった。

でも、行ったかいがあって夕暮れ時の山のシルエットは今でも残っています。

翌日、下に降りて行って、立山駅から富山地鉄(地元の人はこう呼んでいます)で富山へ。

富山といったらやっぱり薬。
路面電車で広貫堂へ
札幌の実家で定期的に専用救急箱に薬を置いて行く業者が来ていて、ずいぶん世話になったけど、その中の薬のメーカーで一番見かけたのが広貫堂でした。
もうほとんど覚えてないけど、資料館なんかを見学したと思います。

コンサに効く薬はないかな。

この日の泊まりが金沢だったので、富山には数時間しかいられませんでした。


実は富山絡みでもう一つ。

私もサポーターズ持株会の会員の一人ですが、そのきっかけを作ってくれたのは中学時代の同級生。
歩き方なんかに独特のオーラが感じられて、仲間からは「天才」と呼ばれていたんですが、その彼が富山出身で、かまどで炊いたご飯を毎日食べていたそうです。

2000年に会った時にコンサの話題になって、「実は俺、持株会なんだよ」ということで、後から出た「道新TODAY 昇格記念号」の持株会のメンバーに彼の名前がちゃんと載ってました。

エメルソン資金の前の話ですよ。

彼の存在がなかったら、持株会に入っていたかどうかはわかりません。



第28節終了時点でのグループ別勝敗です。

Aグループ(東京V・仙台・C大阪・湘南・鳥栖) 目標勝ち点24(8勝7敗)
 現在2勝2分4敗 勝ち点8(残り7試合であと16)

Bグループ(甲府・福岡・草津・横浜C・水戸・熊本) 目標勝ち点30(10勝8敗)
 現在2勝4分5敗 勝ち点10(残り7試合であと20)

Cグループ(岐阜・愛媛・徳島・栃木・富山・岡山)  勝ち点36(12勝6敗)
 現在5勝4分0敗 勝ち点19(残り9試合であと17)

現在の勝ち点37(残り23試合で目標達成まであと53)

第1クールは7勝6分4敗で勝ち点27
第2クールは2勝4分5敗で勝ち点10

ホーム戦  4勝5分6敗で勝ち点17
アウェイ戦 5勝5分3敗で勝ち点20

首位湘南との勝ち点差は23 3位仙台との勝ち点差は17
上位チームが足踏みしたのにもったいないね。

次節の試合はアウェイ富山戦、対Cグループです。


あの店が…

2009年07月13日

帰札する毎に何かしらの変化を見つけるんですが、先月下旬の時は「札幌西武」の閉店が先だったかな。
「9月30日で閉店」と貼り紙があったのを見て、五番館時代から知る者としては、ついにその日がくるのかという思いです。

そして、時計台に向かって散歩していたら、東京海上ビルの1階にあったはずの「龍鳳」がない!

閉店していたんですね。

札幌ラーメンの元祖と言われた店で、地元に居ながら旅行雑誌で知ったのが中学時代。
その雑誌の中で、店主の松田翁が「客が残したスープを飲んで味を研究した」という話が紹介されていたのを見て感動!
特に大学時代は帰省する度に必ず食べに行ってました。
もちろん正油ラーメンです。
スープも全部飲んでましたよ。

中には知ってる人もいると思いますが、東京海上ビルの前は南2条か3条の西2丁目か3丁目にあったんですよね。
入り口の所に「自家製麺」とか書いてあって…

私のラーメンの好みが変わって、最後に行ってから10年以上経っているのですが、淋しいものはあります。

正油味で昔ながらの雰囲気を感じれるのは、二条市場内の「だるま軒」ぐらいしかもうないのかな…



第27節終了時点でのグループ別勝敗です。

Aグループ(東京V・仙台・C大阪・湘南・鳥栖) 目標勝ち点24(8勝7敗)
 現在2勝2分4敗 勝ち点8(残り7試合であと16)

Bグループ(甲府・福岡・草津・横浜C・水戸・熊本) 目標勝ち点30(10勝8敗)
 現在2勝4分4敗 勝ち点10(残り8試合であと20)

Cグループ(岐阜・愛媛・徳島・栃木・富山・岡山)  勝ち点36(12勝6敗)
 現在5勝4分0敗 勝ち点19(残り9試合であと17)

現在の勝ち点37(残り24試合で目標達成まであと53)

第1クールは7勝6分4敗で勝ち点27
第2クールは2勝4分4敗で勝ち点10

ホーム戦  4勝5分5敗で勝ち点17
アウェイ戦 5勝5分3敗で勝ち点20

首位湘南との勝ち点差は23 3位仙台との勝ち点差は17

次節の試合はホーム草津戦、対Bグループです。


ツキがあった3日間

2009年02月12日

月曜日から仕事で旭川を中心に回ってました。
冬まつりも初めて見学。
雪で固めただけという高さ20メートル以上ある大雪像に驚いただけでなく、実際に上ま
で行ける体験ができた。

それだけではない、というか昨日までの3日間はいろいろと感動しまくりでした。

・すべて晴天だった(雪が降ったのは宿の中にいた1日目の夜だけ)
・異常な暖かさ(正月に札幌で買った帽子を持っていったが使わなかった)
・とある宿で宿泊料が1万円未満であるにも関わらず、夕食に派手なフルコースが出た
 (普通ならこんな食事は絶対あり得ない。どこの宿かは秘密!)
・人気商品の「じゃがポックル」を旭川空港で5箱、空港外の別のお店で2箱買うことが
 できた(札幌市内や新千歳空港なら一人でここまではなかなか買えない)

中には暖かいと困る人がいるのは百も承知ですが、私にとってはこれ以上のことはありま
せん。

そんなわけで冬の北海道シリーズは完結です。


豊浦歩き vol.5

2009年01月24日

その後、「しおさい」の先にある堤防に向かった。
道路には雪はなかったが、堤防に入る所から足場が少し悪かった。
堤防は2つあって、そのうち遠くまで伸びている奥のほうに行った。
堤防の間には人工の砂浜がある。
昔の感覚だったら海の上を歩いているわけで、なんか不思議な感覚を覚えながら進んでい
る。
手すりの所をよく見ると、釣り竿を固定するための溝が等間隔にある。
10人ぐらいの釣り客がいた。
声は掛けなかったが、あのマスターの息子さんもいるのだろう。

歩き終えて対岸を見たが、曇っているせいで駒ヶ岳は見えなかった。
陸側のほうは本当に静かなたたずまい。
新しい建物も増えているが、劇的な変化がないので昔の感覚とあまり変わらない。
と思いながら上を見ると、洞爺湖サミットの会場のホテルが目に入った。
あそこの「ミシェル・ブラス」にはいつか行ってみたいと思う。
あと、社員寮がこの町にあることも付け加えておく。

15分程いてから駅に向かう。
途中、役場の前を通ったら、玄関に貼り紙が。
「強いぞ! 真の王者! 内藤大助選手 防衛成功V4 おめでとう!」
他では見なかったな。
見落としているかもしれないけど…

回り道をして駅横の緑色の跨線橋にも行ってみる。
小さい頃、手すりの途中にカラスが止まって、こっちを見ている目が怖くて通り抜けでき
なかったことがあった。
鉄道を追いかけて、ここに1~2時間じっとしていることも平気だった。
走ればグラグラ揺れたし…
私にとって、見納めをするのにふさわしい場所だと改めて思った。

約3時間の散歩を終えて、列車で豊浦を後にしました。
名刺をくれた運転手さん、ごめんなさい。
列車だと洞爺まで200円なもので…


豊浦歩き vol.4

2009年01月17日

途中、どうなるかとやきもきした海老ピラフだったけど、お勘定が済んでホッとしたのか
あのお店でよかったと正直に思えた。
下着姿のマスターといろいろ話ができたことが大きかった。
人通りのない初売りの商店街、ここが閉まっていたら「豊浦温泉しおさい」に行くしかな
かったのである。

その初売りの日、この町では一大行事がある。
商工会と農協がそれぞれ行なう抽選会のことだ。



年末にお店が出した抽選券を持って、初売りの日に一斉に抽選会をやる。
どちらも三角くじで空くじなし。
正月に遊びに行った時、親戚の人に頼まれてくじを引いたことがある。
一度、憧れだったコシヒカリを当てたことも。

「ニューロビンス」に行く途中の商店街に人の姿をほとんど見なかったわけですが、ここ
の一角でやってるはずの商工会の抽選会を見かけなかった。
それで、「ニューロビンス」から坂を少し上った所にある農協では抽選会をやっていた。
「???」

さらに坂を上がり、お菓子を買いに「幸栄堂」へ。
シャッターは開いているのに自動ドアが反応しない。
呼び鈴を押して店主に開けてもらったが、原因は何かの拍子で電源を切ってしまったこと。
のどかでいいな。

お菓子を注文したと同時に商工会の抽選会のことを聞いてみた。
「何年か前から別々になったのさ」
「たぶん7日だと思ったよ」

それでやってなかったのか。
時代の移り変わりを感じた。

あと、このお菓子屋さんの前に町営バスのバス停があるが、停留所の名前が「栗山幸栄堂」
で、経営者の名前が使われている。
そのほかにも「◯◯さん前」とか、住民の名前が使われている停留所があった。

「苺ちゃん」というお菓子を宅配してもらうように頼んだ。
このお菓子は私の大好きなお菓子の一つで、豊浦に行った時でないと手に入らない。
数日後に届いたが、送料の一部を負担してくれていたようだ。

賞味期限がまだ先なので、一箱だけ未だに封をしたままである。


豊浦歩き vol.3

2009年01月12日

無人化した豊浦駅に寄って列車の時間を確認した後、商店街に向かって歩いた。
この町の商店街は駅前の道から坂を下っていった所にある。
風邪をひいているため、無理しちゃいけないと思い、ゆっくりと歩を進めた。
雪はほとんどなかった。

何年か前に道路を拡張して、建物も新しくなった商店街であったが、すれ違ったのはたっ
たの2人と車2台。
実はこの日は初売りの日なのである。
電気店、薬局、金融機関などあるにはあるが、看板が小さいせいで初めて来た人ならよく
わからないだろう。

社会館の先に「ニューロビンス」という喫茶&スナックのお店を見つけたので、ここで昼
食をとることにした。
中の様子はわからなかったが、入り口に営業中の札が下がっていた。



中に入ったら客は誰もいず、奥の席で長袖の下着を着た初老の男性がタバコを片手に何や
ら作業をしていた。
その光景が目に入っただけで「やばいなあ」と思ったけど、後戻りできなかった。

「今日はやってるんですよね」
「何しにきたの?」
「食事をしたいんですけど…」
「やってるけど」
「あの、メニューありますか?」
「そんなものないよ」
「何ができますか?」
「ピラフとか… まあ、海老ピラフかな」
「じゃあ、それとコーヒーをください」

今までマスターが座っていた席を空けてもらって、そこに座った。
座った正面にテレビがあり、向田邦子の恋物語のドラマをやってた。
しばらくそれを見ていたが、箱根駅伝の様子が気になっていたので聞いてみた。
「一度早稲田に抜かれたけど、また東洋がリードしているよ」

店の中はタバコのにおいから油のにおいに変わっていたが、焼いてる音が消えてしばらく
経っても運ばれてこない。
やっと運ばれた時には肝心のピラフは焼きすぎていて御飯がパラパラ、しかも冷たい。そ
してタクアンと何故かタラコ、みそ汁は熱かったけど…

食べ終わった頃にマスターがコーヒーを持ってきてくれて、私の隣りに座った。
マスターは相変わらず下着姿のまま。
「さっきまで娘がいて、札幌に帰った所なんだ」
「下着をもらってね、どんなのか見ていたんだ」
そんな話から始まって、昔は職人をやっていたこと、このお店は40年以上前からやって
いるけど、町が町だけにまったく商売にならないこと、近所の酒屋さんが国道37号線沿
いでセイコーマートを始めたことなど、30分ぐらいは話し込んだと思う。
「お客さんどこから?」
「札幌からだけど、今日帰ります」
「何しに来たの?」
「ちょっと歩いてみたくなって、ふらっと来ました」

「さっき磯に行こうとしたんだけど、小道が消えていてあきらめました」
「あそこはもう数える人しか行かないよ。無理して崖を降りてるようだけど…」
「本当はそうしたかったけど、騒ぎになったら申し訳ないと思って…」
「ハハハハ」

「帰りのことがあるから、もう少し奥まで行ってみます」
「息子が釣りをやってるはずだよ」
「それでおいくらですか?」(正直怖かった)
「700円」
なんか力が抜けた。

マスターお元気で!


豊浦歩き vol.2

2009年01月10日

洞爺駅から乗ったタクシー、運転手と話し込んでいたこともあったが、それでもずいぶん
メーターの上がり方が早いと感じた。
そしたら目の前に貼り紙
「冬期割増期間 3月31日まで 通常の2割増」
ええっ! こんなシステム初めて。

消防署の所まで1970円
そして運転手の携帯番号が書かれている名刺
「帰る時ここに連絡くれれば迎えに行きます」
確かに田舎のタクシーじゃヒマだよな。



まず向かったのは思い出の磯
高校受験直前の正月にも行った。
崖の中の小道を降りて行くと、ここはほとんどプライベートな場所だ。
あの時、波打ち際の砂の上に2つ落書きした。

「◯◯高校合格」
「富士山の見える家に住む」

一つ目はごくありふれたことだろうが、二つ目に何でこんなことを書いたのか。
ちょうどこの場所の対岸に駒ヶ岳(通称渡島富士)が見えていた。
それまで私が見た富士山は東京からの帰りの飛行機で雲の上に顔を出しているものだけで、
近い所で見たことがなかった。
たぶん、近くから見たいという気持ちがこんな言い方になったと思う。

でも、書いてみるもんだね。
今住んでいる家は、窓から富士山が見えるのだ。

豊浦駅から洞爺に向かって入る最初のトンネルの上の道を進むと磯への入り口がある。
近所に個人で建てたらしい子育観音が見える。
内藤選手もここでトレーニングをしていたことだろう。
目印は何十年も放置されている廃車。

ところがここから出ているはずの小道が消えている。
雪はほとんどないし、間違えるにも間違えようがない。
おかしいなと思い近所をウロウロしていたらランニング中の若者が近づいてきた。
「すいません」
でも、反応してくれずに去っていった。
耳にイヤホンが入っていた。

再び廃車の所へ。
足場のギリギリの所まで進み、上から磯を拝むことにした。
もう二度と行くことができないのかな、と思いながら…

「あの磯は一年を通しても数えるぐらいしか行かないよ」
と教えられた。
その人の話を次回に…


豊浦歩き vol.1

2009年01月07日

札幌で生まれ育った私にとって、豊浦は第二の故郷といえる場所だ。
親戚の家があって、学校の長い休みの度に遊びに行ってたのである。
それで、今回冬の豊浦を歩いてみようということで出かけた。
冬に行った記憶の最後は、高校受験前の正月だったはず。

かつてはホタテの日本一、今はいちごと豚肉に力を入れてると思う。
隣りが虻田町(現在は洞爺湖町)のせいか、湖や温泉であまりにも有名な町の陰で「どうすれ
ば他所から人を呼べるのか」と地元の人たちが寿司屋かどっかに何度も集まって「コンビニ
一軒もない町だからな」と町おこしの話を昔していたことは聞いたことがある。
あと、豊浦がテレビで紹介されるとすれば、有珠山が噴火した時の避難場所として町の施
設が出て来た時ぐらいだろうか。
一部では「北の湘南」と言っているが、それは伊達市のイメージのほうが強いだろう。

そんな町だから世界チャンピオン「内藤大助」の存在は大きい。
それまで豊浦出身の有名人はHBCラジオに出てきたジャンボ秀克、
そして、本当はこっちを先に紹介するべきだろうが、G1レースに勝ったことがある競馬
の騎手がいます。当人はとっくに引退していますが、その息子さんが現在活躍中です。

まだ歩き始めてませんが、続きは次回へ…

豊浦町のホームページです。


洞爺湖町~豊浦町

2008年08月14日

洞爺湖町の温泉街
久しぶりに歩いたけど、とてもサミットをやった町とは思えなかった。
昼間だったせいもあって閑散としたもの。
廃墟になっている富士屋ホテルとNTT洞泉閣、ずっとこのまんまなんだろうか。
富士屋ホテルは子供のころ泊まりに行った。
確か「恐竜風呂」でしたね。
イマイチだったけど。

閑散とした中、わかさいも本店とここは賑やかだった。
食事は場所のせいか安くはないけれど、それでもお客さんが切れない。
従業員は全員女性なんですね。

豊浦は母にとって縁の町。
時々トンチンカンなことを言うんですが、彼が出るまでのこの町出身の有名人は
「競馬の騎手(現在は息子さんが活躍中)と北見マキ」
らしい。
どこまで本当か? 
特に北見マキ。

で、「彼の母親がいる民宿ってどこ」という私の問いに母は
「民宿みさき」
通りを走っていても見かけなかったので、
「どこにあるの?」
「………」
それで豊浦に行ったら必ず寄るお菓子屋さんで女将に聞いたら
「民宿◯◯◯」
やっぱり。
国道37号線から見えてたとこだ。

そんなことがあって、豊浦ふるさとドームの奥に新しくできたパークゴルフ場を確認し、
昨年もお世話になったここに向かったのでした。