そろそろ今年モードへ

2009年01月30日

気が付いたら1月も明日で終わり。
チームはグアムキャンプの真っ最中。

選手の動向は毎日追っかけていましたが、合流の発表があったとはいえ今年のクライトン
は心配です。

もう一つは石さんの言葉
「若手から貪欲さを感じない」
これは熱血漢の石さんだからインパクトの強さを感じる。
私の印象ですが、ヤンツーさん、三浦さんは理論派監督。
本人は熱いつもりでも、それがストレートに伝わってこないキャラクターだと思う。
あとはシステム化しすぎた弊害だろうか。

私のほうも少しずつシーズンモードに移行していきます。



今月は今までで一番少ないエントリー数だったと思いますが、とにかく時間があれば読書
でした。

昨日まで読んでたのはこれ。
別にチームカラーだからというのではなく、昔読みかけて挫折した本の再挑戦でした。
やっぱり学生時代に読んでおくべきだった。
人生少しは変わったかも。
とても面白かったけど、2冊で1000ページはしんどい。

そして今日からはこの本。
ドラマの原作ではないけれど、今まで何冊か読んだこの人の作品でと思ったもので…
これも650ページある。

まあ、シーズンオフだからできるわけで、3月になればそれどころでないよね。


豊浦歩き vol.5

2009年01月24日

その後、「しおさい」の先にある堤防に向かった。
道路には雪はなかったが、堤防に入る所から足場が少し悪かった。
堤防は2つあって、そのうち遠くまで伸びている奥のほうに行った。
堤防の間には人工の砂浜がある。
昔の感覚だったら海の上を歩いているわけで、なんか不思議な感覚を覚えながら進んでい
る。
手すりの所をよく見ると、釣り竿を固定するための溝が等間隔にある。
10人ぐらいの釣り客がいた。
声は掛けなかったが、あのマスターの息子さんもいるのだろう。

歩き終えて対岸を見たが、曇っているせいで駒ヶ岳は見えなかった。
陸側のほうは本当に静かなたたずまい。
新しい建物も増えているが、劇的な変化がないので昔の感覚とあまり変わらない。
と思いながら上を見ると、洞爺湖サミットの会場のホテルが目に入った。
あそこの「ミシェル・ブラス」にはいつか行ってみたいと思う。
あと、社員寮がこの町にあることも付け加えておく。

15分程いてから駅に向かう。
途中、役場の前を通ったら、玄関に貼り紙が。
「強いぞ! 真の王者! 内藤大助選手 防衛成功V4 おめでとう!」
他では見なかったな。
見落としているかもしれないけど…

回り道をして駅横の緑色の跨線橋にも行ってみる。
小さい頃、手すりの途中にカラスが止まって、こっちを見ている目が怖くて通り抜けでき
なかったことがあった。
鉄道を追いかけて、ここに1~2時間じっとしていることも平気だった。
走ればグラグラ揺れたし…
私にとって、見納めをするのにふさわしい場所だと改めて思った。

約3時間の散歩を終えて、列車で豊浦を後にしました。
名刺をくれた運転手さん、ごめんなさい。
列車だと洞爺まで200円なもので…


豊浦歩き vol.4

2009年01月17日

途中、どうなるかとやきもきした海老ピラフだったけど、お勘定が済んでホッとしたのか
あのお店でよかったと正直に思えた。
下着姿のマスターといろいろ話ができたことが大きかった。
人通りのない初売りの商店街、ここが閉まっていたら「豊浦温泉しおさい」に行くしかな
かったのである。

その初売りの日、この町では一大行事がある。
商工会と農協がそれぞれ行なう抽選会のことだ。



年末にお店が出した抽選券を持って、初売りの日に一斉に抽選会をやる。
どちらも三角くじで空くじなし。
正月に遊びに行った時、親戚の人に頼まれてくじを引いたことがある。
一度、憧れだったコシヒカリを当てたことも。

「ニューロビンス」に行く途中の商店街に人の姿をほとんど見なかったわけですが、ここ
の一角でやってるはずの商工会の抽選会を見かけなかった。
それで、「ニューロビンス」から坂を少し上った所にある農協では抽選会をやっていた。
「???」

さらに坂を上がり、お菓子を買いに「幸栄堂」へ。
シャッターは開いているのに自動ドアが反応しない。
呼び鈴を押して店主に開けてもらったが、原因は何かの拍子で電源を切ってしまったこと。
のどかでいいな。

お菓子を注文したと同時に商工会の抽選会のことを聞いてみた。
「何年か前から別々になったのさ」
「たぶん7日だと思ったよ」

それでやってなかったのか。
時代の移り変わりを感じた。

あと、このお菓子屋さんの前に町営バスのバス停があるが、停留所の名前が「栗山幸栄堂」
で、経営者の名前が使われている。
そのほかにも「◯◯さん前」とか、住民の名前が使われている停留所があった。

「苺ちゃん」というお菓子を宅配してもらうように頼んだ。
このお菓子は私の大好きなお菓子の一つで、豊浦に行った時でないと手に入らない。
数日後に届いたが、送料の一部を負担してくれていたようだ。

賞味期限がまだ先なので、一箱だけ未だに封をしたままである。


豊浦歩き vol.3

2009年01月12日

無人化した豊浦駅に寄って列車の時間を確認した後、商店街に向かって歩いた。
この町の商店街は駅前の道から坂を下っていった所にある。
風邪をひいているため、無理しちゃいけないと思い、ゆっくりと歩を進めた。
雪はほとんどなかった。

何年か前に道路を拡張して、建物も新しくなった商店街であったが、すれ違ったのはたっ
たの2人と車2台。
実はこの日は初売りの日なのである。
電気店、薬局、金融機関などあるにはあるが、看板が小さいせいで初めて来た人ならよく
わからないだろう。

社会館の先に「ニューロビンス」という喫茶&スナックのお店を見つけたので、ここで昼
食をとることにした。
中の様子はわからなかったが、入り口に営業中の札が下がっていた。



中に入ったら客は誰もいず、奥の席で長袖の下着を着た初老の男性がタバコを片手に何や
ら作業をしていた。
その光景が目に入っただけで「やばいなあ」と思ったけど、後戻りできなかった。

「今日はやってるんですよね」
「何しにきたの?」
「食事をしたいんですけど…」
「やってるけど」
「あの、メニューありますか?」
「そんなものないよ」
「何ができますか?」
「ピラフとか… まあ、海老ピラフかな」
「じゃあ、それとコーヒーをください」

今までマスターが座っていた席を空けてもらって、そこに座った。
座った正面にテレビがあり、向田邦子の恋物語のドラマをやってた。
しばらくそれを見ていたが、箱根駅伝の様子が気になっていたので聞いてみた。
「一度早稲田に抜かれたけど、また東洋がリードしているよ」

店の中はタバコのにおいから油のにおいに変わっていたが、焼いてる音が消えてしばらく
経っても運ばれてこない。
やっと運ばれた時には肝心のピラフは焼きすぎていて御飯がパラパラ、しかも冷たい。そ
してタクアンと何故かタラコ、みそ汁は熱かったけど…

食べ終わった頃にマスターがコーヒーを持ってきてくれて、私の隣りに座った。
マスターは相変わらず下着姿のまま。
「さっきまで娘がいて、札幌に帰った所なんだ」
「下着をもらってね、どんなのか見ていたんだ」
そんな話から始まって、昔は職人をやっていたこと、このお店は40年以上前からやって
いるけど、町が町だけにまったく商売にならないこと、近所の酒屋さんが国道37号線沿
いでセイコーマートを始めたことなど、30分ぐらいは話し込んだと思う。
「お客さんどこから?」
「札幌からだけど、今日帰ります」
「何しに来たの?」
「ちょっと歩いてみたくなって、ふらっと来ました」

「さっき磯に行こうとしたんだけど、小道が消えていてあきらめました」
「あそこはもう数える人しか行かないよ。無理して崖を降りてるようだけど…」
「本当はそうしたかったけど、騒ぎになったら申し訳ないと思って…」
「ハハハハ」

「帰りのことがあるから、もう少し奥まで行ってみます」
「息子が釣りをやってるはずだよ」
「それでおいくらですか?」(正直怖かった)
「700円」
なんか力が抜けた。

マスターお元気で!


豊浦歩き vol.2

2009年01月10日

洞爺駅から乗ったタクシー、運転手と話し込んでいたこともあったが、それでもずいぶん
メーターの上がり方が早いと感じた。
そしたら目の前に貼り紙
「冬期割増期間 3月31日まで 通常の2割増」
ええっ! こんなシステム初めて。

消防署の所まで1970円
そして運転手の携帯番号が書かれている名刺
「帰る時ここに連絡くれれば迎えに行きます」
確かに田舎のタクシーじゃヒマだよな。



まず向かったのは思い出の磯
高校受験直前の正月にも行った。
崖の中の小道を降りて行くと、ここはほとんどプライベートな場所だ。
あの時、波打ち際の砂の上に2つ落書きした。

「◯◯高校合格」
「富士山の見える家に住む」

一つ目はごくありふれたことだろうが、二つ目に何でこんなことを書いたのか。
ちょうどこの場所の対岸に駒ヶ岳(通称渡島富士)が見えていた。
それまで私が見た富士山は東京からの帰りの飛行機で雲の上に顔を出しているものだけで、
近い所で見たことがなかった。
たぶん、近くから見たいという気持ちがこんな言い方になったと思う。

でも、書いてみるもんだね。
今住んでいる家は、窓から富士山が見えるのだ。

豊浦駅から洞爺に向かって入る最初のトンネルの上の道を進むと磯への入り口がある。
近所に個人で建てたらしい子育観音が見える。
内藤選手もここでトレーニングをしていたことだろう。
目印は何十年も放置されている廃車。

ところがここから出ているはずの小道が消えている。
雪はほとんどないし、間違えるにも間違えようがない。
おかしいなと思い近所をウロウロしていたらランニング中の若者が近づいてきた。
「すいません」
でも、反応してくれずに去っていった。
耳にイヤホンが入っていた。

再び廃車の所へ。
足場のギリギリの所まで進み、上から磯を拝むことにした。
もう二度と行くことができないのかな、と思いながら…

「あの磯は一年を通しても数えるぐらいしか行かないよ」
と教えられた。
その人の話を次回に…


豊浦歩き vol.1

2009年01月07日

札幌で生まれ育った私にとって、豊浦は第二の故郷といえる場所だ。
親戚の家があって、学校の長い休みの度に遊びに行ってたのである。
それで、今回冬の豊浦を歩いてみようということで出かけた。
冬に行った記憶の最後は、高校受験前の正月だったはず。

かつてはホタテの日本一、今はいちごと豚肉に力を入れてると思う。
隣りが虻田町(現在は洞爺湖町)のせいか、湖や温泉であまりにも有名な町の陰で「どうすれ
ば他所から人を呼べるのか」と地元の人たちが寿司屋かどっかに何度も集まって「コンビニ
一軒もない町だからな」と町おこしの話を昔していたことは聞いたことがある。
あと、豊浦がテレビで紹介されるとすれば、有珠山が噴火した時の避難場所として町の施
設が出て来た時ぐらいだろうか。
一部では「北の湘南」と言っているが、それは伊達市のイメージのほうが強いだろう。

そんな町だから世界チャンピオン「内藤大助」の存在は大きい。
それまで豊浦出身の有名人はHBCラジオに出てきたジャンボ秀克、
そして、本当はこっちを先に紹介するべきだろうが、G1レースに勝ったことがある競馬
の騎手がいます。当人はとっくに引退していますが、その息子さんが現在活躍中です。

まだ歩き始めてませんが、続きは次回へ…

豊浦町のホームページです。


今日になりましたが

2009年01月06日

皆様あけましておめでとうございます。
札幌から昨晩戻ってきました。
ずっと風邪をひいていたため、クラシックを始めアルコールは控えました。
丸井南館のジュンク堂書店を覗いたり、
また、内藤大助選手で有名になった豊浦町も散歩してきました。
様子については次のエントリーからと思っています。



智樹選手と相川選手がスパイクを脱ぐことになったようですね。

ユース生え抜きの智樹選手はルーキーでヤンツー開幕スタメンに名を連ねましたが、その
イメージが強いせいか、あとどんなことがあったっけという所で終わってしまった感があ
ります。
育成路線の象徴的選手だったように思うけど、チームの主力になれなかったことはすごく
残念です。

相川選手。
数字はそれほどではなかったけど、記憶に残る場面はいくつか出てくる。
Vゴール方式最後の試合だった広島戦でのゴールと引き換えに誰かさんから「ラリアート」
を喰らった場面。
ノブリン率いる柏とのアウェイ戦でのゴールやフッキとのコンビネーション。
あれで一度は柏を地獄に落としたんだから。
また、天皇杯千葉戦での決勝ゴール。
最後は怒りのアウェイ愛媛戦、9人の中での反撃ののろしを上げたゴールかな。
「上州のゴン」が地方限定で終わったのは残念。
コンサでは滅多に見られない「嗅覚」を持った選手だったように思う。

2人とも今後の活躍をお祈りします。