2010年10月13日
チリの鉱山の落盤事故、生存者の救出が進んでいます。 今、11人目が救出されました。 本当に良かったですね。 北海道にも 過去にはたくさんの炭鉱があり、何度も事故があり、多くの方が亡くなりました。 今回の奇跡の救出劇を見るたびに、あれらの事故でも助けられた人がいたのではないか と思ってしまいます。 今回の事故では、地上のスタッフが わずかな生存の可能性に賭けてボーリング調査を進めた事が 今回の救出劇に繋がったわけですが、あの頃の炭鉱事故では そのような調査が進められたという記憶がありません。 まだ僕も子供だったので 知らないだけなのでしょうか。 確かに事故の種類は全く違いますし、取り巻く環境も違いますが、仮にこの事故が起きたのが今の日本だとして、同じような救出劇に繋げられたかどうか 疑問に感じてしまう自分が寂しいです。 国の威信が懸かっていたわけで、それが国の総力を挙げての救出劇に繋がったわけですが、それにしても素晴らしい出来事です。 早く全員が救出されることを願っています。
救出された後のトンネルと救出カプセル。 体験施設に整備して、金儲けを企む輩が出てくるかもしれませんね。
大阪帰りの道産子
Re:奇跡の救出劇が続いています。
2010-10-13 23:59
aozoraさんこんばんわ(^o^)/ >あれらの事故でも助けられた人がいたのではないか と思ってしまいます。 昭和56年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故では坑内の避難所に56名もの坑内員 がいるにもかかわらず、火災鎮圧の為に「もう生存してないだろう」との勝手な 会社の判断で坑内に夕張川の水を大量に注水しました。 非難ごうごうでしたが・・結局これで夕張の終焉となりました。合掌
CVS3年生
Re:奇跡の救出劇が続いています。
2010-10-14 17:10
初めてコメント発信します。毎日、必ず見ています。さて、本題に。 私も初めは青空様と全く同じに考えていました。ただ、よく考えると状況の違いに気が付きました。チリの事故は鉱山であり、炭鉱ではないのです、多分。空気孔というのか通気孔の大きさが全然違うことですよ。通気の仕方も全く違う、坑内にメタンガスやその他もろもろの可燃性のガスの充満しがちな炭鉱の場合は。この空気の状況の違いや国の威信をかけての救助(どんなにお金がかかったのかなあ、と全員の救助が完了して考えていました)か炭鉱会社という企業の範疇の救助か。こうした違いはかなり大きいと思います。中学1年の夏まで産炭地で過ごし、小学校3年の時にガス爆発のあった(夕張ではないですが)炭鉱で子供時代を過ごしたので、青空様や大阪帰りの道産子様のコメントを見て書かずにはいられないなり書いた次第です。土曜日もまた担務します。
青空
Re:奇跡の救出劇が続いています。
2010-10-15 17:25
チリの落盤事故では 33名全員が無事救出されました。 本当に良かったです。おめでとう。 さて、北炭夕張新炭鉱のガス突出事故に関しては、僕が学生の頃の話なのでよく覚えています。(ご存じない方は Wikipediaにも書かれていますので、ご覧下さい。) あれは本当に悲惨な事故で、大勢の犠牲者が出て、救援隊にも二次災害での犠牲者が出ました。オオドサさんは生存者と書かれていますが、正確には安否不明者であり、様々な状況を鑑みた結果、生存の可能性は限りなく低いという判断の許で坑道への注水が成されたものと記憶しています。それでもなお、坑道への注水を決断した社長は後に自殺未遂事件を起こしています。 CVS3年生さんがおっしゃるように、メタンガスが噴出し、充満したガスに引火して爆発、爆発の衝撃で落盤事故も起き、火災により発生した煙と熱が坑内に充満するという状況は 今回のチリの落盤事故とは大きく違っていました。当時の関係者は決して坑内員の生命を軽んじた訳ではなく、当時の技術の範囲内で精一杯の努力をしたのだと思います。 その他の事故でも、事故が起きる度に 現場の人間は 仲間を助けようと必死の努力をしたでしょう。 ただ、同じ夕張新炭鉱では 昭和50年7月にもガス突出事故があり、5名の犠牲者が出ています。あの突出事故の際にも 数日前から 小規模なガス突出が相次いでいたそうです。 現場はもっと安全対策をしたかったのに、国の政策もあって 出炭量や採算性が優先され 出来なかった という事はなかったでしょうか。 太平洋戦争での玉砕や特攻隊、公害や薬害の犠牲者、現代の貧困問題や原発問題を考えても、日本という国はどうも国民の命を軽んじているのではないかという思いが拭いきれません。 そういう“自分の国を信じきれない自分”が寂しくて悲しいのです。 夕張新炭鉱で あのガス突出事故が起きたのは 1981(昭和56)年10月16日午前0時。ちょうど29年前でした。 合掌