2017年09月12日
京極夏彦の代表作と言えば、昭和20年代の混乱期を舞台に 古本屋 「京極堂」 の主、中禅寺秋彦が 憑き物落としの拝み屋として活躍する 京極堂シリーズ、江戸時代末期を舞台に 小股潜りの又市や山岡百介らが活躍する 巷説百物語シリーズですが、この作品は、明治20年代の東京の外れにある古本屋 「書楼弔堂」 を舞台に、弔堂の主が活躍する新シリーズの第一作です。 京極堂シリーズは 一見妖怪の仕業に見えるような不思議な事件を論理的に解決し、巷説百物語シリーズは 人の心の綾を妖怪の仕業に仕立てて解決するというものでしたが、この弔堂シリーズに 妖怪は出て来ませんし、事件も起きません。 弔堂は言います。 読まれぬ本は死んでいる。本は墓で、題簽に記された書名は戒名のようなもの、ここ(古本屋) は本の墓場である。読まれぬ本を弔い、読んでくれる者の手許に届けて成仏させるが我が宿縁。 だから、陸灯台のような古本屋の屋号は 「書楼弔堂 (しょろうとむらいどう)」。 「世に無駄な本などございませんよ、本を無駄にする者がいるだけです。」 「人に読まれぬ本は紙屑ですが、読めば本は宝となる。」 「ただ一冊、大切な大切な本を見つけられれば、その方は仕合せでございます。」 「ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです。」 弔堂の主は雄弁ですが、これらに限らず、本好きの心にストンと落ちる言葉が並んでいます。 弔堂の主は、人生に悩み、道に迷って訪れる者たちと話をし、その人の為の一冊を選び、その一冊を選んだ理由を語り、解決の道を示します。 この一連の作業を この本では 「探書」 と呼称しているのですが、これは一種の憑き物落としですね。 誰にどんな本を選んだのか、その理由は、、、、、これがこの本の醍醐味です。 6つの短編からなる連作短編集です。 探書壱 臨終 では 晩年の月岡芳年(浮世絵師)を、 探書弐 発心 では 書生時代の泉鏡花、 探書参 方便 では 井上圓了(仏教哲学者、東洋大学創始者)、 探書肆 贖罪 では ジョン万次郎と岡田以蔵、 探書伍 闕如 では 巌谷小波(児童文学者)、 探書陸 未完 では 中善寺輔、高遠彬の悩みや迷いを解決します。 壱から伍までは実在の人物がモデルですが、陸の高遠彬は この本の狂言回しで、中禅寺輔も 物語の中の人物です。 中禅寺輔は 武蔵清明社の宮司、陰陽師ですから、京極堂と無縁という事はないでしょう。巷説百物語から京極堂へと繋ぐシリーズなのかもしれません。 全体に静かに穏やかに物語が進むため、京極堂シリーズや巷説百物語シリーズのような勢いのあるワクワクするような展開はありませんが、面白いです。 2作目が楽しみです。
【9月13日追記】 昨晩、布団に入ってから気が付いたのだけれど、このエントリーを書いている時は京極夏彦の世界に入っていたから 「探書」 は 「憑き物落とし」 だと書いたけれど、冷静に考えたら 「コンサルティング」 や 「カウンセリング」 のようなものですよね。 「憑き物落とし」 と 「カウンセリング」 ではずいぶんと印象が変わるので、やっぱり 「憑き物落とし」 の方がこの作品には合っているのでしょう。