葛西選手、昔の記憶

2014年02月16日

いやあ、本当に良かったです。

中継の時は寝ていて、7時ごろに目が開いたので、結果のことを知らない状態で録画を見てました。

15歳で飛んだ大倉山は、まだ中学生で参加資格がなかったので、テストジャンパーとして飛んだにもかかわらず、その大会の優勝選手より距離が出ていた。

それからのことは記憶違いもあるかもしれませんが、ざっと挙げてみます。

先日、最年長優勝したフライングヒルの会場だったバートミッテルンドルフは、秋元正博選手が大転倒して大怪我をした台です。
高校卒業後に所属した企業は、その秋元選手がいた地元のゼネコン会社。
長い年月を経て、その台で勝った所に縁を感じます。

今日の放送の解説が原田雅彦さんでしたが、長野五輪の団体戦、原田さんは葛西選手と西方仁也選手のグローブとシャツを借りて飛んでいます。
葛西選手の道具は部屋から黙って持って行ったのではなかったかな。
2人ともリレハンメル五輪の団体戦の銀メダルメンバーでしたが、長野五輪ではメンバー落ちしてしまいました。
原田さんのその行動を、葛西選手は否定していたと思います。
ふざけるな、という意味で。

そのシーズンのワールドカップジャンプの最終戦、長野五輪で2つの金メダルを取った船木選手の総合優勝がかかっていた試合で葛西選手が優勝したのですが、プラニツァのラージヒルの台で147mぐらい飛んだと思います。
試合方法が今のやり方ではないし、ジャンプ台の形状が安全対策を施してない時代のものなので、この距離まで飛ぶことも飛ばせる方もクレージーです。
船木選手は上位に入れず、総合優勝はスロベニアのペテルカ選手でした。

ゼネコン会社から映画配給会社に所属が変わり、さらに現在の住宅会社に移りました。
今回9位の伊東大貴選手は以前、この住宅会社の所属でしたが、リストラされて現在の食品会社の所属です。

ここまで辿り着くのに、途中、インタビューなどでの発言ではトゲを感じることがありましたが、年齢とともに丸くなっていくものなんですね。

まだ試合は続きます。
4人とも今日ぐらいのジャンプができれば、ひょっとするとがあるかもしれません。


post by equip

11:00

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