2006年05月25日
まだJリーグがなく、プロ野球を観ていたころの話。 ジャイアンツが4月の開幕から今ひとつ波に乗れず、5月を迎えると「5月攻勢」なる言葉が流行りました。 もちろんマスコミを通じてですが。 長嶋監督が90番を付けていたころが最初だったかな。 となると、昭和51(1976)年ごろの古い話になりますが… 私はまだ小学生だったでしょうか。当時はジャイアンツファンでした。 前年、ジャイアンツの歴史で唯一の最下位を経験し、大型トレードを敢行。 前年からいたデーブ・ジョンソン内野手、トレードで張本勲外野手や加藤初投手を獲得。 柴田・高田・張本・王・柳田・ジョンソンと続く打線はすごかった。 特に柳田は長嶋監督より「史上最強の5番打者」といわれたほど。 あの時は「5月攻勢」をきっかけに、本当に勝ちまくっていた。 結果、2位チームを圧倒的な差で引き離し、3年ぶりのリーグ優勝を果たすのでした。 ただし、日本シリーズは当時の阪急(今のオリックス)に敗れています。 私の誕生月でもある5月もあっという間に1週間を切りました。 コンサの5月の成績は2分け2敗で、取った勝ち点は2。 5月攻勢ならぬ「6月攻勢」に向けて、5月最後の柏戦、白星で締めてほしいものです。 「6月攻勢」よりは「6月反攻」なのかな? ちなみに6月は6試合組まれています。7月は7試合。5月から月の数分試合がありますね。
プロフィール
関東の田舎暮らしも長くなりました。 でも「住めば都」でアナログ人間の私にとってはちょうどいいのかもしれません。 正午と夕暮れの音楽が町中に流れる田舎から札幌を追いかけます。
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