そこに居続ける劣化に

2015年07月02日

またしてのではあるのだが、例の新幹線での事故のその後を見ていると、嘆息してしまう。
確かに事件の動機の解明は必要であるけれども、被害者の素性の詳細は必要なことか?

これに限らず、殺人事件が起きた時もそうなのだが、故人の想いは近親者に限定されるべきで、一般の立場にある我々が興味本位で向き合うべきことではない。
しかし相変わらずマスゴミは事細かく報じている。
そこまでの労力は望んでいないし、それは期待されてるからだとのたまうのだとすれば、思い上がりも甚だしいとしか言いようがない。


一方で「マスコミを懲らしめる」と抜かしている政治屋(こんなのに政治家を名乗る資格などないな)のその後を見ていれば、勿論本人は論外だし、処分の対応もお話にならないレベルではあるけれども、肝心の標的とされているマスコミのザマがみっともないことでしかない。

いやわずか一市民のことについて、こと細かく、それもある部分信じ難い速さで調べ上げられる力があるのであれば、何故その力を政治の方に向けないのか?

最早「報道」ではなく「広報」化しているマスゴミに期待するのは難しいのかもしれないだろうが、どうにもあまりにも劣化を目の当たりにして、結局クラクラしてしまう。


身近なところで、新国立競技場の問題がある。

発端が、いいだけ解体されたところで出てくるあたりからして嫌らしかったのであるが、どうにも出てくる話がひたすら無理筋でやりきれない。

あの担当大臣の発言には唾棄すべき辟易さしか感じられないのだろうが、いつまでこんな愚を繰り返すのか、でしかない。


まあトップの視野が、結局は自分を取り巻くごく小規模のなかでの幸せしか見ていないから、関係のない99%を遥かに超えるであろう人々にとっては、ひたすら不幸にしかならない。

反論を知ろうともしない、そして無視し続ける先にあるのは悲しいことでしかない。


post by akira37

04:41

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