求めているものの差

2014年07月03日

W杯の方は、ベスト8が出揃ったところまできての小休止である。

いやあ正直なところ、こんなに関わる予定はなかったのであるが、実際不真面目でも見ささってしまうと、のめり込みますな。

というのは理屈ではない。「感動を与える」などという安っぽい姿はそこにはないということなのであろう。
懸命な姿は自然と人の心に届く。
ただそれだけである。

故に試合そのものは早朝にあっても、結果を知っていても、夜の再放送で改めて確認してみたい気分にさせるのは、その力なのであろう。


日本代表が1次リーグで敗退したことを受けて、某番組の野球大好きおじさんが、W杯の話題そのものをさせないようにしたとのことがあったのだとか。

ああ悲しいね、単純に。

こういう人はスポーツそのものに対しての楽しみ方も知らないのだろう。

ただ野球だけ取り上げていればいいだけの姿勢というのはどうなのだろう。

今でこそW杯中だから、ニュースでも報道量は多い方だが、普段はむしろ具合が悪くなるくらいの量。
それがローカルともなると、試合内容以外の、正直どうでもいいことにまで時間を割く姿勢には辟易させられていることなど、理解されないのだろうな。


公が次のホームゲームに向けてのプロモーションというのが、何ともいやらしい。

先日は所用で郵便局に行ったら、試合日ですらないのに局員が公のレプリカユニ着用で、クラクラするというか、反吐が出そうな思いをした。

実際次のホームゲームではそのユニの無料配布何てことをやるので、すでに前売りが終了とか。
全くたまらないって。

財力勝負ともなれば、こちらは何もできない。


しかし与えるだけの施策ってどうなのかね。

こちらの意識は常に共同運命体。

共に作り上げることに喜びを感じている部分からすれば、実は少しも羨ましいことにはならないのよね。

と強がって今朝はおしまい。


post by akira37

04:41

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