2005年11月30日
赤黒勇者達とぁっちゃんに反応。
そもそも、バモだのフォルツァだのなんて言葉は、サッカー以外ではまずお目にかかれない(僕が知っているのはクィネル『燃える男』の「フォルツァ!クリーシィ!」か、札幌市がやっている「さっぽろベンチャー支援事業」ぐらいだ)。だから、わからなくても当然だ。
フォルツァサッポロをコンササッポロだと思ったことのある人は、かなり多いだろう。自分の身近にも「コンサ、サッポロ、アレアレアレ」と歌っていた人がいたし、ずいぶん前には、道新だったか日刊だったか、新聞の紙面に「サポーターは『コンサ、サッポロ』と声援を送り」みたいな記事が掲載されたこともあった。
フランスワールドカップのアジア最終予選でソウルに行ったときは、「ニーーッポン、ニーーッポン、バモニーッポーン♪」のとき、隣のオヤジが「ニーーッポン、ニーーッポン、(一瞬沈黙)ニーッポーン♪」とやっていたのが、とても気になった(早い時間帯にリードしちゃったから、途中からはけっこう余裕があったのだ)。
当時は「バモニッポン」を「加茂ニッポン」だと思っていた人も少なくなかった(ネタではなく、本当に)。ソウルのときは、もう加茂さんはいなかったのだが。
その最終予選の初戦(vsウズベキスタン、国立)は、僕は知る人ぞ知る12番ゲートにいたのだが(そんな時代もあったねと♪)、試合開始直前に加茂周コールがあった。文字にすると「か・も・しゅー!か・も・しゅー!」という感じになる、というわけで、翌日、会社に行ったら、バックスタンドで見ていた人から「なんでラムシ勇利ラモスコールが起きてたんですか?」と聞かれた(そうそう、あれ日曜日の夜だったんだよねえ-なのに試合が終わってから飲み屋行っちゃったりして翌朝は大変だったのだ)。
大宮アルディージャの「大宮 はじけよう 攻めろオレンジ軍団♪」は、つい最近まで「大宮 アルディージャおお」だと思っていた(ちなみにその続きは「奇跡を 見せてくれ 無敵大宮 ワッショイ」だ)。
ブラジル人もイタリア人もフランス人もいなくても使われる言葉は、もう、日本語みたいなもの、なんだろうな。
2005年11月30日
販促企画営業部のブログでのブログ講座の告知、昨夕の時点では妙に素っ気ない文章だったのに(告知するスピードを優先してくれたと理解)、いま見たら、いつの間にか中身が変わっているではないか!
なんですか、北海道ベンチャー界の影のボス、ってのは。
どうせなら、日本のベンチャー界の…ぐらいにしておいてくださいな(笑)。
ボスというと、最近では平山相太のボスであるピーター・ボスを思い浮かべる人が多いだろうし(そんなわけないか)、ちょっと前だと缶コーヒーなんだろうが(なんで天山ばかり5個も出るのよ!<わかるひとだけわかってくれ)、僕はやっぱり七曲署だなあ。ボスはボスであって、「泣かな~いでぇ~♪」のヒトではないのだ(タカはタカでいいじゃないか)。
影の、といえば、日本代表の試合で「影の支配者 名波浩」というダンマクが掲げられていた時期があった(代表の試合なんてもう何年も行ってないから最近のことは知らない)。横浜国際ができたばかりの頃、日本とどっか(香港だったかな)のダイナスティカップを見に行ったときに、神奈川県協会ルートでチケットをくれた同行者(「今は増田ってのがすごいって聞いたんだけど」と言っていた程度の人)が、これを見て「影の支配者、って、ほめ言葉になるの?なんか悪いヤツみたいじゃん」と言っていた。確かに、そうかもしれない。
かくも日本語は難しい。トラックバックを日本語で…って、適当な言葉がないからトラックバックのまま使われてるんでしょ?そんな話、どうやってすればいいのよ?
ああ、どうしよう、どうしよう。。。
2005年11月30日
最終節の当日にブログ講座をやろうとY社長が言い出したとき、すぐ頭に浮かんだのは昨年のホーム最終戦当日のこと。ウィズユーカードを買うために福住駅、「アクションサッカー」手ぬぐいをもらうために翌シーズン(=2005年)のシーズンチケット先行発売のために札幌ドームと、2箇所で行列に加わり、福住駅とドームの間では見知らぬサポーターどうしが情報交換。とにかく、試合前が忙しかった。
おかげで試合の中身がまったく記憶にない(笑)。
「神戸対広島をみて/奇跡と歓喜 そして俺たちはどこへ・・・」を拝見して、そうだよな、そう言われてみれば、昨年、僕らはJ2最下位のチームのシーズンチケット購入に大行列したんだよなと、いまさらながらに驚いた。
大行列の原因の一端が「おまけ」にあったとしても、はたまた手際の悪すぎる販売方法にあるにしても、あれは、画期的な出来事だった。マスコミ向けにわざと大行列を作るように手際の悪い販売をしたのだとしたら、かなりのスマッシュヒットだ(もっとも、逆効果となる-J2最下位と手際の悪さを結びつけて報じられる-可能性もあるのだが<その辺はふだんからの報道各社とのコミュニケーションが大事になってくるわけで)。
↑すまぬです。どうしても、物事を斜めから眺めてしまうもので。
昨夜、若者の戯れだけで10分間が終わってしまったジョカトーレを見た後、3年前の最終戦を録画したディスクを再生してみた。再生スピードを最速にしてがーっと試合を進めた後、相川進也が下田崇を壊して林卓人が出てくるあたりからは、早送りができなくなった。
ドームに静寂をもたらした終了間際の上村健一のゴール(この人は今年もまた降格したんだな)、FW曽田雄志のまさかまさかの技あり同点ゴール(ドーム沸騰)、相川をノックアウトした林のレッグラリアート(ドーム爆発)、そして曽田のJリーグ最後となるVゴール(「ハットトリック…」by鈴井貴之)。とてもとても、とっくに降格が決まっていたチームのホームゲームとは思えない熱気が、ピッチの上にも、スタンドにもあった。
あの熱よ、ふたたび。いや、最下位ザスパ草津を相手に、あんな試合は勘弁だけど。
2005年11月29日
なぜか急に思い出した話。
いつだったか、平塚競技場のメインスタンドで試合を見ていたとき(コンサドーレ札幌の試合だったかどうかは失念)、すぐ近くに、やたらと野次まがいの言葉を叫ぶ小学生男子数名がいた。相手チームの選手がミスをすると「へたくそ~」、相手チームがファウルをすると「てめぇなにするんだよ!」、そしてベルマーレの選手がファウルで相手選手を倒すと「やっちまえ!」てな調子。
そういう言葉を叫ぶとき以外は、きわめて普通の小学生。友達どうし、普通にふざけたりしゃべったりしている。それだけに、やたらと相手チームを罵る姿が、痛々しく見える。
たしか、前半の30分過ぎだったと思う。彼らのすぐ前に座っていた女性~彼らから見ればおばあさんといってもいいような、品のよさそうな方~が、後ろを振り向くなり、言ったのだ。
「もっときれいな応援しなさいよ!」
この方、どうやら一人で観戦していたようで、着ていたのはベルマーレが初期に使っていた、黄緑色のレプリカユニホーム。さすがJリーグ初期からのクラブ、降格して落ち目になっているようにみえても、こういう人がスタンドにいるんだと感心した…ということは、ベルマーレがJ2に落ちてからの話なのだが、果たしていつのことだったのか、やっぱり思い出せない。
2005年11月29日
オフィシャルブログのトップページの上のほうでこそっと告知しているように、今度の土曜日のザスパ草津戦の前に、札幌ドーム会議室で初心者のためのブログ講座を開催します。
HFC児玉社長にはブログ初体験となったこの1ヶ月の感想などを、そしてわたくし大熊からはブログの使い方や記事の書き方、トラックバックの使い方などについて、お話させていただくつもりです。
ホームゲーム当日の児玉社長は、試合前に関係者の会議など多くのお仕事があるそうで(開催時刻が試合開始よりもかなり早いのはその関係です)、多忙な中、スケジュールを調整していただけたことにはこの場を借りてお礼申し上げます。
あくまで初心者向けなので、ある程度ブログをやっている方には、物足りない内容になると思います。ブログを開設したはいいがどうしていいかわからない、やってみたいけれどなかなか踏み出せない、といったみなさんの参加をお待ちしております。
2005年11月28日
愛媛FCのJ2入りがほぼ決定。
僕の今年のゆるゆるな目標は、コンサドーレ札幌以外の試合をたくさん見よう、できれば栃木とか鳥取とか、さらには盛岡とか、Jを目指しているところを訪ねてみよう-だった(のだが、結局、アウェーの鹿児島とか行っちゃったりして実現せず)。
それで、5月の湘南ベルマーレ0-3コンサドーレ札幌の日は、ひねくれて徳島ヴォルティス-水戸ホーリーホックなんてのを観戦していたわけだ(札幌の試合だとどうしても冷静には見られないから、別の日に行ったほうがよいかと思いまして-といいますか、この頃はまだ今季の札幌が昇格に絡んでくるとは信じてなかったのだな)。
せっかく四国まで行くならもうちょっと足を伸ばしてみるかと、四国4県の距離感がまったくわからないまま、徳島の前日は松山に泊まった(松山から徳島があんなに遠いとは思わなかった)。
それで、なんか愛媛FCのグッズでもないかと、市内をかなり歩いてみたのだが、見かけるのは野球(四国アイランドリーグ)のポスターばかり。せっかくだからと愛媛マンダリンパイレーツのTシャツを買ったら、今季のアイランドリーグの全試合共通入場券を2枚もらった(が、結局、これは使わずじまい)。
愛媛FCのポスターは、たしか、伊予鉄道のどこかの駅に貼ってあったのを見ただけだ。
徳島方面に行っても、見かけるのはヴォルティスよりも徳島インディゴソックスのほうで、そうかあ、四国はサッカーじゃなくて野球なんだなあ、これは大変だろうなと、他人事ながら心配になってしまった。だから、愛媛FCがJリーグ(鈴木昌チェアマン)からいろんなこと言われて、今季のJFLでどんなに頑張っても昇格できない状況に陥りかけたときは、それもしょうがないかもしれないとすら考えてしまった(愛媛のみなさんには申し訳ないが)。
来季の観戦スタンスはまだ決めていないのだが(できればコンサドーレのアウェーの試合には行かないようにしようか、なんて思ったりもしている<それなりに理由はあるのだがそれはまたいずれ)、愛媛には一度は行きたいものだ(別に札幌戦じゃなくてもいいから)。
愛媛FCのテーマソング、スタレビなんだな。うらやましい。横浜FCのアルフィーと同じぐらいのインパクトがある(あの歌を聴くと、どうしても、楢崎が署名集めてる映像、が頭に浮かんでしまうのだが)。
関係ないが、パイレーツといえば千葉、だろう(ネタが古すぎだ)。
愛媛県松山市といえば、サイコロでおなじみの道後温泉に坊ちゃん列車。楽しいぞ。
2005年11月27日
すぐ下の記事のコメント見て、何か(昨日の試合のことではない話題で)鳥栖のことでも書こうかと考えて、CD持ってたのを思い出した。
探してみたら、すぐ出てきた。最近は(マキシシングルばかりになって)見かけることのほとんどない、8cmサイズのCD。サガン鳥栖F.C.オフィシャルサポートソング「GET AT WIN ~ DREAMS BECOME TRUE VICTORY! GET AT WIN」ってのがそうなんだが、考えてみれば、今はもうサガン鳥栖F.C.じゃなくてサガンドリームスじゃないですか。ということは、もうこれは使われてないのかな?
さらによくよく見てみると、まる再のマークの後には「99・4・19まで」と書いてある。さらにさらに「このCDの収益は、サガン鳥栖F.C.の運営経費の一部として活用されます。」「"GET AT WIN"はTAITO通信カラオケX2000proで唄うことができます。」という文字も。
これ、けっこう、レアものなのかも。
この種のCDがけっこう出てきたので、また新しいカテゴリーを作ってしまった。ネタがなくなったときに、淳二順次、紹介していきましょう。
2005年11月27日
以下、北海道日刊スポーツのサイトから引用。
(引用ここから)
柳下監督がサポーターの横断幕に怒り
コンサドーレ札幌の柳下監督が横断幕に怒った。26日の鳥栖戦の試合開始前、札幌のサポーターが張った「飲酒運転撲滅! 中尾もJへ!」と書かれた横断幕を発見し撤去を要請。(以下略)
(引用ここまで)
昨日も書いたように、飲酒運転云々はギリギリかなと思っていたのだが(でも、そんなことしてわざわざ相手チームの闘志に火をつけなくてもいいじゃない、とも思うけど)、固有名詞出したら完全にアウトだ。しかも、その場にまったく関係ない人間の名前じゃないですか。これはいくらなんでも調子に乗りすぎ。
限りなく東京ガスに近いFC東京的応援、あれも好き嫌いはかなりはっきり分かれると思うのだが(「♪田舎でも」とかね)、あれはそれなりにセンスがあります。高度な技だから、中途半端にパクるとかえってとんでもないことになってしまう(=無理して真似することなんかないんだって)。
柳下正明監督はじめ、関係者のみなさまにお詫びするベストの方法は、次の試合でみんなが熱い声援を送ること(クラブに電話とか入れたら迷惑かかるだけだから)。最高の最終戦にすべく、サポーター~ゴール裏って意味じゃなくて、コンサドーレが気になるすべての人~が力を合わせて盛り上げましょう。立って歌うのは趣味的に合わないとか、体力的にきつい(=わたし(笑))とか、そういう人でも、誰かを誘えばそれだけで立派なサポートになりますよ!
2005年11月27日
横断幕&試合終了後トラブル問題の概要がかなりわかってきまして(たとえばこの報告とかこの報告とかこの報告とか<みなさんに感謝&鳥栖の運営の方には大変ご迷惑をおかけしました)。
※道新さんはかなりはっきり書いて主張もしてますね。
そうはいっても現場に居合わせたわけではないことに変わりはないから、そこに真正面から切り込むつもりはないのだが、いい機会なので、ずっと頭の片隅にあってもやもやしていることを、まとまらないままではあるが、まとまらないなりに、書いてみよう。
コンサドーレ札幌は、Jリーグブームからはちょっと遅れてスタートしたクラブだ。また、近くに別のJクラブがないという地理的な問題があって、多くのサポーターは、他のクラブのホームスタジアムがどんなふうになっているのか、メディアを通じてしか知らない。
今日は自分の応援するチームはアウェーで遠くに行ってるから、別のチームの試合を見に行こうか、と、簡単に他チームの試合に出かけられるのは、首都圏や東海、近畿だけに限らない。九州なら福岡と鳥栖はすぐ近くだし、仙台と山形も近いし、北海道にいるとものすごく辺鄙に感じられる徳島だって、実は神戸がすぐそばだ(徳島から見れば北海道のほうがよほど辺鄙だろうが)。
そういう意味では、札幌の観客は、隔離された状態にある(観客というのがいいのかサポーターというのがいいのか、人によって受け止め方が異なる言葉を使うのは難しいのだが)。この情報氾濫時代にそんなことなかろうと思われるかもしれないが、これは僕の実感。やっぱり、実際に足を運んでみるのと、メディアを通じて見聞きするのとでは、全然違う。
もう一つ、比較的近い場所に別のクラブがないと、生観戦する絶対数が確実に違ってくる。首都圏在住者なら、柏レイソルのサポーターであっても柏の試合がなければ(あるいは試合会場が遠隔地ならば)味スタにFC東京の試合を見に行く、といった行動は、かなり普通のことだろう(「普通って何よ?」とかいう議論はおいといて)。
だから、札幌の観客(いや、サポーターといったほうがいいのかな、やっぱり)が、(首都圏在住者をはじめとする)Jリーグ経験値の高い人たちと異なる空気を持っているのは、仕方がないことだ。いやいや、仕方がないというと否定的に聞こえちゃうけど、オリジナリティを持ちうる可能性があるってことだ。
だから、サッカー界の常識では、なんて言葉に、簡単に逃げないほうがいい。「サッカーは戦争だ」「サッカーでは相手チームにブーイングするのは当然だ」「レフェリーがホームチーム寄りの判定をするのはよくあることだ」等々の、誰が決めたわけでもない常識なるものにとらわれる必要はない。試合のルールとは違うんだから、「こういうときはこうでなければならない」と、自らの行動を縛る必要はない。
Jの中では比較的トラブルの少ないコンサドーレの試合で、元気のよすぎるサポーターが出るのはアウェーゲームばかり(たとえば去年の等々力とか、一昨年の大宮公園とか)であるのは、その辺の温度差ゆえなのではないか。アウェーゲームにも多くのサポーターが集まり、しかもそのうちのかなりの部分が札幌在住者ではないという点では、コンサドーレは、Jの他の多くのクラブとは異なる。運営にとっては、他のクラブを見習うだけでは不十分であり、さらに一歩先を行くコントロール(付き合い方)が求められるという難しさがある。
なんか書いているうちに論点が拡散してきてしまった。やっぱりまとまらん。また今後も頭の隅に置いたまま、ときどき出してくることにします。
2005年11月26日
本日5本目(次から次へとよくネタが出てくるものだ)。
柳下監督のコメント、ってのが届いて、まあ今日はテレビ中継すら見てない(そもそもやってない)し、2-0で勝ってるんだからどうでもいいやと思いながら眺めたら、なんですか、横断幕ってのは???
疑問、すぐに氷解(ネット時代はすごい<監督のコメントだけ見て、想像で感想を述べるのはやめましょう-間違った空気作っちゃうから)。僕は現物を見たわけではないから、どんな横断幕だったかは書かないけど、まあ、かなりギリギリの線ではあるかもしれない(<なんか歯切れ悪いなあ^^;)。
たとえばJFL時代の東京ガス的にはオッケーかもしれない(が、今のFC東京だったらアウトかなあ、やっぱり)。
もう何年も前のことだが、五輪代表の某選手が(たしか日刊スポーツに)「女で失格」と1面トップでやられたとき(当時まだ無名だった?-少なくとも僕は全然知らなかった-女性モデルというかタレントとのデートのために、某選手が合宿から勝手に抜け出し、トルシエの怒りを買って代表からはずされた件)、直後のJリーグの試合で、対戦相手のサポーターから「××××××~♪」と、このタレントの名前ときわめて音のよく似た歌を歌われたことがあった。
※一応、過去のことでもあり、固有名詞の使用は避けてます(読みにくくて申し訳ない)。
このとき、その対戦相手側の監督が、今回の柳下監督と同じような発言をしたと記憶している。要は、お互いをリスペクトするというフェアプレーの精神(もっといえば生き方の問題?)と照らし合わせてけしからん、という話で、野次られた側は「けしからん」とは言いづらいから(元はといえば自分のチームの選手が問題を起こしたわけだから)、対戦相手のチームの監督が会見で触れなくちゃいけなくなるわけだ。
だから、ヤツが来季の戦力としてどうか、とか、そういう話ではないでしょ。
これ以上続けると火に油になりそうなので、ここで打ち止め。
(と言いつつ、追記)サガン鳥栖の松本育夫監督と柳下監督とは師弟関係だからなあ。拾ってもらったという恩義もあるだろうし、やっぱり、そこに触れないわけにはいかなかったんだろうなあ(という事情を考えると、現場に行っていない人がああでもないこうでもないと騒ぐことではないと思いますよ<って、自分がこうやって書いちゃってるんだけど)。
2005年11月26日
あわわ。残り1試合なのに5チームが勝ち点差2の中に入ってしまった。1シーズン制になって最初だから、ミスター高橋が盛り上げてくれているのか(だからミスター高橋はシナリオ書いてないって)。
こんなにおもしろいなら来週は札幌ドームには行かずにテレビでJ1を楽しもう。<こらこら
なんだかんだいっても、もっとも有利なのは勝ち点で単独首位のセレッソ大阪ではあるわけだが(小林しんちゃんはすごいなあ<ぜひ優勝してJリーグナイト!に呼んでほしい)、最終節がホーム長居での試合(vsFC東京)というのはよいのか悪いのか。ステージ優勝目前で、我那覇和樹と浦田尚希にやられてヨシカツくんのチームにひっくり返されたのはもう5年前ですか。あのとき長居スタジアムは異常な熱狂状態だったわけで、ああなるとやっぱりプレッシャーかかって当然だよなあ。
おもしろいのは2位のガンバ大阪の対戦相手がその我那覇のいる川崎フロンターレであることで、なんか川崎っていうのはこういうところによく絡んでくる(モンテディオ山形が昇格しかけたときに最終節で山形の夢を打ち砕いたのも川崎で、しかもこの試合で延長Vゴールを決めたのは我那覇なんだよねえ)。
どうなるのかなあ。仙台か甲府か、よりも、こっちのほうが楽しみになってきた。
2005年11月26日
先週末のヴィッセル神戸に続いて、今度は東京ヴェルディ1969が降格決定(1-5柏レイソル)。しかしまあ、あまりに悲惨な散り方だな。序盤、まったくいいところのない中で、実質的には最初の攻撃といってもいいコーナーキックから柏のルーズすぎる守備の隙をついて、先制されてからほどない時間に追いついたというのに、結局、それだけだもの。もうちと、せめて気合ぐらいは見せてほしかった。
冷静になって振り返れば、どっちも中盤とか組み立てとかいう言葉とは無縁の、ただひたすらボールを前へ運ぶだけの削り合いしかないような試合ではあったが(岡田正義主審は大変だったと思う-よく退場者を出さなかったものだ)、下位対決ってのはそんなもんなんだろう。
柏が3点目を奪ってからは東京Vが守備の枚数を減らしちゃったんだから、点差が開いたのは仕方がないが、それにしても最後の最後でワシントンのPKが南雄太に止められるあたり、Jリーグの神様は(3日前のコンサドーレ札幌のロスタイム同様に)どこまでも容赦がない。
今年の元日、僕は国立競技場でベレーザとヴェルディのアベック優勝を見てたんだけどなあ。こうなってくると、ますます天皇杯の時期を変えたほうがいいように思えてくる(参考:「天皇杯からは、うまく逃げ出せ」半田雄一)。
一方の柏レイソルもこれで2年連続の入れ替え戦出場決定。ベガルタ仙台にしてもヴァンフォーレ甲府にしても厳しそうだが、仙台スタジアムにはファン・ソンホンにPKをはずさせた不思議な魔力(ノリヲ力?)があるからなあ。あれはまだ柏の関係者も生々しい記憶だろうから、イヤでしょ。
12月10日、僕は東京近辺にいる予定なんだけど(しょうがないじゃない、赤黒のチームが入れ替え戦に出る前提で安い航空券買っちゃってるんだから(苦笑))、どうしようかなあ。日立台は収容力がないから、部外者がチケット買うと、本当に見たい人が見られなくなっちゃって申し訳ないような気もする(その前に、入れ替え戦チケットの確保が難しそうだが-去年はあっという間に完売してしまったらしいですから)。
2005年11月26日
※まずは鳥栖戦の勝利に乾杯!
自分たちが関係なくなってしかも2点リードしているとなると気分的にかなり余裕ができるようで、悔しくて見ていられないはずのベガルタ仙台の試合とヴァンフォーレ甲府の試合を、ときどきチャンネル替えながら(うちのスカパーチューナーは古いので衛星切り替えしながら)、最後のほうだけ見た。
おおっ!と思ったのは小瀬のバックスタンド。入れ替え戦に出なければ最後のホームゲームということもあるのだろうが、甲府、お客さん入ってるし、声も出てる(声に関してはスカパーのスタジオ実況の場合は判断が難しいのだが)。解説の渡辺一平「1-0で負けるよりも5-0のほうがすっきりしますよ!」って、そりゃねえだろ(笑)。
アビスパ福岡は最強メンバー問題(懐)を問われそうな陣容だったのに、それが逆に功を奏したってところかな。レギュラーでない選手は、こういうところでアピールしなきゃいけないから、頑張るんだな(中2日だから前節に出ていた選手とはコンディションの面でも大違いだろう)。なんか、ラグビーワールドカップの1995年南アフリカ大会で、日本が、控えばかりのニュージーランドに17-145で歴史に残る惨敗を喫したときのようだ。
仙台スタジアムでは、京都パープルサンガが1点リードの92分、仙台の攻撃で、菅井直樹がゴール前に入れたボールを根引謙介が絶妙のタイミングでヘディングシュートしたのに(菅井がボールを持ったとき、解説の遠藤雅大は「打ってもいいですよ!」とコメント-僕もそう思ったので、あそこで柔らかい浮き球のパスを出してきたのには守備側もかなり意表をつかれたはず)、京都GK西村弘司が半身になりながらかろうじて左手を伸ばして外に弾き出してしまった。
僕は別に仙台を応援しているわけでもないのに「嫌がらせかよ!」と叫んでしまったですよ(^^;)。
おっと、こんなことしているうちに、もう柏レイソル-東京ヴェルディ1969は始まっているじゃないか。なんだろう、この日立台の異様な空気(テレビでも伝わってくる)。解説が戸塚哲也なのは、両チームにいたことのあるからなのか?まだ始まって10分しか経ってないけど、柏、飛ばしすぎだなあ。今のところヴェルディが防戦一方だけど、このスタジアムのへんなムードにイケイケになりすぎるとやばいぞ(現にさっきから何度も相手ゴール前まで行ってるのに点入らないじゃん!)。
2005年11月26日
もうすぐJ2第43節の試合が各地で始まる。
ベガルタ仙台-京都パープルサンガも、ヴァンフォーレ甲府-アビスパ福岡も、どっちも生中継を見ようと思えば見られる環境にはあるのだが、やっぱりね、なんか、悔しいんだよな。そりゃ、昨年最下位だったコンサドーレ札幌がここまで昇格可能性を引っ張ったのは立派だとは思うけれど、それはそれ。仙台や甲府の人(選手も、観客も)が歌ったり悲鳴上げたり歓喜したりしているのを見れば、どうしたって、ああ、どうして…って思っちゃう(見てないからわかんないけど、たぶん、そうなる)。だから、見ないっす。
そんな中継見るぐらいなら、ウィニングイレブンで札幌を昇格させたほうがおもしろい(笑)(<ちなみに現在我が家では堀井岳也が得点王を突っ走っております)。
どうしてサガン鳥栖戦は録画放送なのかなあ(水戸ホーリーホック-モンテディオ山形は生なのに)。順位が山形よりも下だからなのかなあ?
まだ昇格を争っていたら、NHK札幌がNHK佐賀の映像だけもらって(仙台の町田右+平川弘方式で)放送したかもしれないのになあ。
2005年11月25日
やっと気分が落ち着いてきて、一昨日のヴァンフォーレ甲府戦のビデオを85分過ぎからだけ見た。なんか違うんだよなあ、現場で見てたのはこれだったのかなあ、と、テレビで見ると全然印象が違うのは毎度のこと(例:2002年の降格が決まった試合のVゴールは、現場では佐藤洋平の脇をころころとボールが転がったように見えたのだが、あとでビデオで見たら全然そんなことはなく、普通のシュートだった)。
林卓人のパントキックが池内友彦の背中に当たって無人のゴール前にこぼれた甲府の4点目(文字の記録にすると「89分 9須藤大輔(甲府)/中央 相手GK ↑ 相手DF こぼれ球 9 ~ 右足S」となる)は、確かに非常に珍しいプレーではあるが、これに似たものは、札幌ドームのオープンアリーナで行われた今年のサテライトリーグであったので、けっこう多くの人が目にしているのではないかと思う。
6月12日のジェフユナイテッド市原・千葉戦で、記録でいうと「64分 石井謙伍(札幌)/相手GK クリア 25 ヘディングS」と表記される、この日の札幌の2点目がそう。これ、ヘディングシュートというよりも、相手GKのキックがたまたま石井に当たった、という感じだったような気がする(なんかあの日はけっこう寒くて見るほうも集中力なくなっちゃったんだよなあ…相手の選手は早々と一人減っちゃうし)。
コンサドーレ札幌のゴールキーパーの凡ミスによる失点、ということになると、すぐに思い出されるのは1997年JFL第23節・本田技研戦のマルクスのゴール(このマルクスは、いま川崎フロンターレにいるマルクスであります)。記録の表記は「前半21分 本田技研 マルクス/中央 相手GK マルクス カット 右足S」となっているのだが、これ、何が起きたのか、かなり想像力をたくましくしないと思い浮かべられない。
正解は、札幌GK(森敦彦)が手で持っていたボールを、後ろからするすると寄ってきたマルクスが身を屈めて頭で地面に落とし、ゴールに蹴り込んだ-という次第。この試合、97年シーズンでは珍しい90分での負けであったことに加え、決勝ゴールの得点者が翌年には札幌に加わることになる村主博正だったこともあって、今でもときどき話題にする人がいる(のは僕の周囲だけか)。
川崎フロンターレ戦@豪雨の等々力(2つ目の4v-3)で「あつひこ!」と呼ばれていてなんか妙だった森敦彦(まもーれもーり<これはフリエバージョン)の話は、またいずれ(ディドが富樫と激突した場面は、僕は目の前で見てまして-何を隠そう、あれが初めての厚別なのでありました)。
とかなんとか一昨日の試合を引きずってるうちに、明日はもう次の試合ですか。選手はホントに大変だなあ(さすがに今回は僕は行きませんです)。
2005年11月24日
負けているチームがロスタイムに3点取って逆転勝ちした例は最近どこかにあったはずだ。。。と、記憶を掘り起こし記録をひもといて発見。
Jサテライトリーグ 柏レイソル4-3大宮アルディージャ
2005年4月3日@大宮公園
(得点)14分 森田(大宮) 柏0-1大宮
75分 李(柏) 1-1
81分 森田(大宮)1-2
83分 横山(大宮)1-3
89分 矢野(柏) 2-3
89分 矢野(柏) 3-3
89分 宇野沢(柏)4-3
どうよ?トップチームじゃないけど、これに比べれば、昨日の負けなんてちょろいもんでしょ(笑)。考えてみれば、あの川崎フロンターレ戦だって、コンサドーレ札幌はロスタイムに2点差を追いついたわけでしょ。だからいまだに伝説なのよ。昨日のヴァンフォーレ甲府は、結果的には3点取っているけれど、ビハインドは1点じゃん。
と、むりやりテンションを上げてみる(かえって空しいか(^^;))。
2005年11月24日
当時のことを知らない人が意外に多いようなので書いてみました。
1998年Jリーグの終盤、残り4試合となったところから、コンサドーレ札幌はヴェルディ川崎戦(等々力)、ヴィッセル神戸戦(厚別)、ジェフユナイテッド市原戦(市原臨海)と3連勝して、迎えた最終戦は厚別での横浜フリューゲルス戦。
最終戦といってもそれはあくまでリーグ戦のことで、次の年から始まるJリーグ2部制で1部(J1)に入るためには、リーグ戦終了後のJ1参入決定戦を勝ち抜かなければならない。札幌は早い段階で参入決定戦出場が決まっていたのだが、それは「前年のポイントがない」「ファーストステージで負けすぎた」の2点によるものであり、セカンドステージだけ見れば順位は中位である、しかも終盤に来て3連勝した、その3連勝の相手の中には参入決定戦に出てくる市原や神戸も含まれているから心配は要らない-といった見方が大勢を占めていた(ような気がするんだけど、どうでしょう?)。
だから、最終戦でフリューゲルスに1-4と大敗しても、最終戦だからということで普通にセレモニーが行われ、クラブ消滅の危機に直面していたフリューゲルスにエールが送られたことに、僕は何の疑問も持たなかった(あれは札幌の歴史に残る、誇りにしていい拍手だったと思うのだが、それはまた別の話ということで)。
道新スポーツは違った。見出しは(記憶なので表現不正確だが)「ディド激怒 サンクスウォークなんかやってる場合じゃない!」。記事は、J1参入決定戦の直前で大敗しているのに、何をのんびりしているのだ、といった論調だった。
おいおいおい、何をそんなにいきり立ってるんだい、いいじゃないかあの感動のセレモニーで、と、僕はかなり違和感を抱いたのだが、結局、その後の参入決定戦は、リーグ戦では2戦2勝だった神戸に連敗し(木曜日の室蘭はつらかった…)、アビスパ福岡にも連敗して、4戦全敗でJ2行きが決まったのは周知の通り。ホームアンドアウェーで同点の場合は年間順位で上位の札幌が勝ち抜ける、というレギュレーションもあったが、そんなのは関係なくなるほどの完敗だった。
ああ、オレ、甘かったんだと、反省しましたよ。
近いところでは2002年、イバンチェビッチ監督(そんな人いたよね)の就任直後もそう。あのシーズンは「優勝を目指す」「偽得点王」「責任を取るのは誰?」ばかりが印象に残ってしまっているのだが、監督交代(ワールドカップ中断)後には、浮上するチャンスもあった。僕は当時は先のまったく見えない花の無職生活で、ド平日の昼間の宮の沢の練習もときどき見ていたので、イバンチェビッチのいかにも東欧チックなやり方にはかなり期待した。
実際に、イバンチェビッチコンサ(なんだそりゃ?)は、いい試合をしたのだ。
最初の神戸戦(神戸ユニバ)も、次の浦和レッズ戦(国立!)も、その次の横浜F・マリノス戦(札幌ドーム)も。だけど、神戸では、ボール支配でもシュート数でも相手を上回りながら、コーナーキックから土屋のヘッド一発で負けた。レッズ戦は、前後半90分同点のまま延長まで行きながら、ブレイク前夜の田中達也にやられた。横浜戦は、このシーズンここまで無敵を誇っていたF・マリノス相手に2点を先行しながら(酒井直樹のゴールは美しかったねえ)、そのうえF・マリノスに退場者が出ながら、2点差を追いつかれて最後は延長で負けた。
以前に自分のウェブサイトでも書いたことがあるのだが、僕は、この年、もうダメだと覚悟したのは、その次(FC東京戦@国立)の次の清水エスパルス戦(札幌ドーム)だった。この試合は(も)内容はよかった。でも、これもまた終盤に逆転されて負けた。どんなに内容がよくても、結局、勝てない。
その後も、優勝争いをしていたガンバ大阪に勝ったかと思えば、残留争いをしていた東京ヴェルディ1969にはロスタイムに追いつかれて延長で逆転負け、柏レイソルにも89分になんでもないフリーキックから追いつかれ、京都パープルサンガにもロスタイムにPK取られて負け、といった具合に、そこそこの試合をしながらも勝てない状態が続いて、イバンチェビッチはさじを投げてしまったのだ。
内容は悪くない、前よりはよくなっている、だからがんばろう、では、ダメなのだ。悪ければ悪いなりに勝ち点を取る、内容がいいならちゃんと勝ち点3を取る。それができなければ、いつまで経ってもJ2、あるいは、せいぜい、J2とJ1を行ったり来たり、だ。
2005年11月23日
というのは、自分に向かって言ってたりするわけで。
なるほどねえ、砂川誠はケガだったんですか、とか、やっぱりあの西嶋弘之はひどすぎるよなあ、ほかに選手いなかったのか、とか、1997年の川崎フロンターレのサポーターはこんな気分だったのか、とか、みなさんのブログ読んだりいただいたコメント眺めたりしながら、考えているわけだ。
テレビなんかつけちゃって、間違って試合のダイジェストとか見たら、せっかく収まった怒りがまた大きくなりそうだから、テレビは電源切ったまま(仮に東京に大地震が起きたなどの大ニュースがあれば、誰かがブログに書いてくれるだろう)。燃やせ燃やせ怒りを燃やせ、は、携帯電話の着信音だけで十分だ(ちなみにメールの着信音はスパルタンXだ)。
試合のビデオは見たくても見られない(生中継を録画するからいかんのだ、と、意味不明のゲン担ぎで今日は録画しなかった)。堀井岳也が出てきたときの大歓声ぐらいはもう一度見たいが(ロスタイムの出来事も見たいがこれは明日以降にしたほうがよさそうだ<見たら眠れなくなりそうだからね(笑))、そんなもん見たって慰めにはならんよね。
いいんですよ、いろんな見方があって。サッカー、しかも終わってしまった試合に正解はないんだから、みんながいろんな解釈をすればいい。このオフィシャルブログを作ったおかげでそういう楽しみが増えたのはよかった、というのをこういう形で実感することになるとは、ね。
納得しちゃあいかんのです(byカズ、三浦カズ)。真正面から向き合って、徹底的に考えましょうよ。昇格できなくても今年はこれでよかったんだ、なんて、逃げないで。このひどい負け方は、おまえらそんなに楽して上がれると思うなよ、と、J2の神様(そんなのいるのか?)が与えてくれた苦い薬。よくがんばりましたね、でも仙台さん勝ったからダメでしたね、来年がんばりましょうね。そんなの許さねえぞって言われてるんだって。
今シーズンはまだ終わってないし、目標のトップ5を実現するためには残り2つ勝ってモンテディオ山形を逆転しなきゃいけない(今日の結果でコンサドーレ札幌は6位に落ちてるんですよ!)。今季を振り返るのはもうちょっと先に。
2005年11月23日
だったわけよ。試合の結果というか経過というか、まあ、ロスタイムに3点取られて逆転負けなんていう、おそらく一生のうちに一度体験できるかどうかというものだったので、アレなんですけど。
販促企画営業部のブログで「もらい損なったら絶対後悔する」と予告されていたハウスメイトサンクスマッチオリジナルグッズ、一応、記録として、残しておきましょう。
これ、普通に使えるじゃん。まあ、ただ、この日付とこの対戦相手は、へんな意味で刷り込まれちゃいそうなんだけど(でも、明日からは、今日のこの屈辱を忘れるな、って日にはなるよな)。
2005年11月23日
まずは、素敵なノベルティを用意してくださったハウスメイトさんに感謝(一応、オトナだからね)。
オトナだから、札幌ドームの座席を蹴り上げたくなってもぐっとこらえて、帰り道でへらへら笑ってる人を見ると殴りたくなっても我慢して(<オトナじゃなくてもやっちゃダメよ)、寄るなさわるな近づくなの怖いオーラ(知ってる人は知っている)を久々に発しまくりながら帰ってきて、ローソンで(気分を落ち着けるために)抹茶小豆パフェ(240円もしやがった)を買って、自宅に入ってお茶をいれて腰を下ろした瞬間、「ぐわぁー(バシッ<なんか叩いたような気がする)ありえねぇだろぉ~っ!」と、一人、大声で叫んでしまった。
そして、抹茶小豆パフェに貼ってあったシールをはがすや、遠くに投げつけてしまった(だから家の中が散らかるんだって!)。
試合後、ゴール裏から大ブーイングが起きていたこと、負けても出てくる初心者的拍手すらなかったことは記憶しているのだが、選手が挨拶に来たのかどうかはよくわからん。気がついたら、試合が終わってから10分ぐらい経っていた。あんなに長い時間、札幌ドームで席を立てなかったのは初めてだ。
前節(4日前)、同じ場所で3-3の引き分けに拍手した自分を後悔したよ。あそこで拍手なんかしちゃいけなかったんだ。取れるときに点を取っておけば、というのはその通りだが、先制しながらリードを守りきれなかった試合が4つも続いていることのほうが問題だ。いくら得点力のあるチームを作ったとしても、いつも2点以上のリードで終盤を迎えるなんてことはありえない。今日のような展開になったときにリードを守りきれないチームが、上に行けるわけがない。
そりゃ、同点ゴールはロスタイムだ。でも、ゴール裏が歌い続けているのに、座り込んじゃダメだろ。3点目に至るヴァンフォーレ甲府の攻撃が自陣で始まったとき、僕が「ああ、これ、下手するともう1点やられるぞ」と叫んだのは、あのコンサドーレ札幌の選手たちの座り込みや大の字があったからだ。
以前、たまたまどこかでご一緒した方が「最後まで戦えって歌はおかしいですよね、そんなの当たり前じゃないですか」と言っていたことがあったのだが、今日の様子を見ていたら、やっぱり、最後まで戦えと言わなきゃならない。なんだよ、まったく。
甲府の同点ゴールの直前、ペナルティエリアのすぐ外で取られたファウルは、札幌の選手どうしが交錯した状況で足を高く上げるという、まったくもって間抜けなものだった。今日は、自陣ではできるだけファウルをしないように心がけているのがよくわかり、実際、ファウルは少なかった(甲府はもともとファウルは極端に少ないチームだ)。それなのにあの場面でファウルを犯してしまう拙さ。
あの少し前にも、ゴール前の混戦でクリアすべきところを小さく前に出してピンチになった場面があった。ちょっと声をかければいいのに、それができず、パニックになってしまう。同点ゴールの直前だって、誰が当たりに行って誰がスペースをケアするのか、誰かがちゃんと指示していれば、あんなふうに全員の足が完全に止まってしまうことはなかったはずだ。
野々村芳和の引退以来ずっと言われてきた、リーダーの不在。こればかりは、どこかから適任者を持ってくるしかないんだろうか。もう、これだけ同じ目に遭えば、チームとしての経験がどうこうなんて言い訳は通用しない。
帰り道、加賀健一の交代を疑問視している声がけっこう聞かれたのだが、後半の加賀の守備をすぐ近くで見ていた者としては、今日の柳下正明監督の選手交代は珍しく的確だった。加賀は、走っている距離こそたいしたことなかったものの、長谷川太郎(甲府18番)のフェイントを多用するドリブルに手を焼き、細かいステップをかなり踏まされていて、もういっぱいいっぱいだった。だから、中盤の右サイドに西嶋弘之を入れて、西嶋と加賀の二人であのサイドをケアしようとしたのは正解。
ただ、その後、和波智広を後ろに下げて西嶋をサイドに残したのは、正直、よくわからない(なんだよ、今日も的確じゃなかったってことかい?)。確かに、西嶋は一人だけ違う世界にいる感じで、最終ラインを任せるには不安だったかもしれないが、甲府がバレーを交代させてから長谷川が右(札幌にとっては左)にまわっていたことを考えると、スピードのある和波をそのまま左サイドに置いておいたほうがよかったんじゃないか(と言ってみても、すべて結果論ではある)。
(※ここから加筆:和波は長谷川をマンマークだったようで(J's GOALの柳下監督会見録)。それならまあわかりますわ。池内友彦が動けなくなってたこともわかってたのね、監督。やっぱり、選手層なんだよなあ。モニワみたいなディフェンダー、どっかに余ってねえか?)。
後半40分過ぎからボールキープに入ったのが早かったのでは、も、結果論ではあるが、こういうことになったんだから早かったのだろう。昨年の大宮アルディージャのように相手陣内のコーナー付近でしっかりとキープできるならそれでいいのだが、キープできないのなら、シュートで終わったほうがまだよかった。いや、ホントに、結果論だけどね。
このままだとその辺のモノに当り散らして、家の中の何かを壊してしまいそうなので、ちょっと外を走ってきます。続きはその後(こんなに書いてまだ続きあるのかよ)。
2005年11月22日
昨夜放送の「Viva!ジョカトーレ」第3回は徐暁飛選手の巻。本人は「じょ・ぎょうひ」と言っていたし、みんなそうだと思っているのだが、ウィイレではジョン・カビラに「シュシャオフェイ」と言われていて、なんかへん。
で、最後のアップを見ていて思ったのだが、この人、音尾琢真にちょっと似てるかも(ちなみに清野は安田顕顔だ)。
しかしあのBGMのボーカルはなんとかならんか。徐の話がよく聞こえず、妙な女性の歌ばっかり聞こえてくるってのは、どんなもんよ?
いまの若い人にはこういう作りがウケるんだろうか?(それならそれでかまわないんですがね<最後の「ね」は余計だ^^;)
2005年11月22日
なんなんだろう、ここへ来ての水戸ホーリーホックの頑張りは。
昨年は川崎フロンターレと大宮アルディージャの昇格確定を目の前で見せられ、今年の京都パープルサンガの昇格確定試合の対戦相手にもなってしまった水戸。しかも、今年の場合は、京都-水戸の試合中にモンテディオ山形が敗れて(勝ったのはオレたちだ!)水戸が京都に勝っても京都の2位以内は決まってしまうという、水戸にとってはまったくコントロールできない状況下に置かれてしまった。
そうした悔しさが、終盤に来て上位チーム相手に想定外のパワーを発揮させているのか。明日、ベガルタ仙台と対戦する水戸を応援しなければならないぼくらとしては、そうであってほしい。
2001年J2第43節、仙台スタジアム。残り2試合で2位につけていた仙台の相手は、10位のサガン鳥栖。仙台はこの試合に勝てば2位以内が決まり、初のJ1昇格が現実になる。最高のスタジアム、相手は下位チームとあらば、ここで決まって当然だろうと思われたのに、結果は鳥栖に延長Vゴール負け。たしかJ2にしては珍しくNHK-BSで生中継だったんだよな。
試合後のインタビューで、Vゴールの北内耕成は言った。鳥栖は前年から二度も目の前で昇格を決められている、だから今日はなんとしても勝ちたかった。俺はおまえのかませ犬じゃない!(<最後のは嘘)
その2か月前、札幌ドームでは、モンテディオ山形から移籍してきて数日しか経っていない堀井岳也が、31番という大きな番号を背負って交代出場し、清水エスパルスを相手に、見事に延長Vゴールを決めた。このゴールは、コンサドーレ札幌の連敗を4で止めると同時に、コンサドーレに札幌ドームでの初勝利をもたらした。そして、コンサドーレは、ここからジュビロ磐田に敗れるまでの5試合を4勝1分としたのだ(僕は今でもあの時期がコンサドーレの最強の時期だったと思ってます=余談)。
なんだかんだいって、札幌に来てからの堀井岳也にとっては、あれが最高の晴れ舞台で、その後は「運動量は豊富(だけどシュートはものすごく下手(笑))」な選手でしかない。
明日は、堀井岳也を、大きな拍手で迎えよう。ガクヤレッツゴーホリイガクヤ!
※なんか妙にこっ恥ずかしい調子の文章になってしまった。
※でもあの年仙台は結局昇格したんだよね、とか、Vゴールってことは今のルールなら引き分けだよね、とか、そういう話はナシってことで(^^;)
2005年11月21日
第1号はJリーグ全28クラブバージョンが出て(局所的に)話題の「サッカーJ+」。コンサドーレ札幌バージョンはあっという間に書店から消えて、私なんぞはバカ高い通販で買ってしまったわけですが(それほどまでして買うものでもなかったと思うんですがね<今にしてみれば)、第2号は各チーム特製カレンダーポスター付き(店舗限定、しかも先着)。
札幌の場合は配送が遅れるので(通常の雑誌は東京基準の2日遅れ)、18日発売のこの第2号、今日あたりからようやく店頭に並び始めた模様。
というわけで、前置きが長いのですが、つい先ほど、ふらっとタバコでも吸いに行くかのようなふりをして(といってもここに書いてるからスタッフはみなすぐ気がつくわけだが-というかそもそもぼくタバコ吸わないし)オーロラタウンの紀伊国屋書店にダッシュして(ダッシュするとWEBOSSのオフィスからは2分ぐらいで着く)、買ってきました。
普通の雑誌コーナーの脇に「サッカーJ+」だけがたくさん積まれたワゴンが置いてあって、そこに特製カレンダーポスターなるものも掲示されておりました(まあ、たいしたものではないです-選手ではなくサポーターがデザインされているところは泣かせますが)。ビニ本ですがちゃんと見本も置いてあるので、一応、中身も確認できます(そういうのはビニ本とは言わないだろう(笑)<今の20代以下の人には通じない話かもしれないなあ)。
気になる人はすぐに書店へ!
2005年11月21日
本日の北海道日刊スポーツに10周年の記念誌&DVD発行の話が載っていて、そこにこんなことが書いてある。
(引用ここから)
札幌の記念アイテム/過去に2度発売された。97年12月に発売されたJFL優勝記念写真集「コンサドーレの瞬間」(2800円)は5000部限定で(中略)01年2月にはDVD「PRIDE~コンサドーレ札幌激闘の軌跡!」(4700円)を発売。(後略)
(引用ここまで)
あれ?1997年にJFL優勝→Jリーグ昇格のときには、ビデオも出してるでしょ?(そんで僕はこれを誰かに貸したはずなのだがそのまま行方不明になっているのです<どなたか心当たりがあればお知らせいただければありがたい-怒らないですから(笑))。
写真集は、絆創膏を張ったバルデスが表紙になっている、えらい立派なものです。もちろん持ってます。5000部限定だったのか(しかし初版5000部ってのは、普通の出版物として考えれば、別に少ない数字ではないよな)。
あのJFL優勝のときは遅れてきたJリーグバブルみたいなもので、昨日の千葉よろしく、札幌市内で優勝記念パレードとかやってたんだよな。今から思うと信じられん。
2005年11月21日
播戸竜二が2001年シーズンのオフにヴィッセル神戸へ移籍したのは、よりレベルの高いところでやりたいからという理由ではなく(そもそもあの翌年もコンサドーレ札幌はJ1だったのだからそんな理由であるはずがない)、地元の(出身地に近い)クラブでやりたい、そしてカズさんと一緒にやりたいとの思いからだったはずだ。
後者はもはや意味のない理由になっているのだが(R選手を慕って京都パープルサンガに行ったら当の本人があっという間にいなくなってしまった武田苦労人とは違ってそれなりの期間をカズと一緒にやれたのだからまあいいでしょう<って、何がいいんだ?)、前者はまだ生きている理由なので、神戸がJ2に降格したからといって、即、播戸が神戸を離れるとは考えにくい。
ただ、神戸が播戸を手放す可能性は、ないとは言えないわな。大金積んで有名選手を連れてくればJ1昇格なんて簡単だ、なんて思ってる人がいたとすれば、今季はケガがちで思うような活躍ができなかった播戸に0円提示がなされることは、十分にありうる(が、ファン心理を考えれば、ユニホームで顔を覆って泣いた播戸をクビにするのはきついだろうな…オレらはいまだに室蘭の関浩二のことを話題にするわけだし)。
播戸本人にとって微妙なのは、来年はワールドカップがあって、しかも来年のJ2リーグは(日韓大会のときと違って)ワールドカップと関係なく行なわれることがほぼ決まっている(んだよね?)。ジーコがどう思うかとは関係なく、J2リーグにいると、ワールドカップには出場しにくい。ワールドカップを目指すなら(たとえジーコに選ばれたことが一度もなくても)、J2のチームにはいないほうがいい(だから三浦淳宏は移籍すると思う)。
そうやって考えていくと、播戸が札幌に復帰する、なんてのは、たぶん、ないんだろう。J2でやるなら神戸にそのままとどまるだろうし(吉原宏太だって1年間はJ2で頑張ったのだ)、仮に神戸から0円提示を受けたとしても、どこかのJ1チームが取りに行くだろう(名古屋でカタール帰りのエメさんと2トップとか<ホントにありそうでやだ)。
横浜F・マリノスに移籍したら、笑うなあ。いや、でも、岡田さんは来年も監督やるのか?
2005年11月20日
本日のJ1リーグ個人的最大の注目・ヴィッセル神戸-大宮アルディージャをBS-iでテレビ観戦。結果は途中出場したばかりの森田浩史のどフリーヘディングシュートが決まって大宮が1-0で勝利。森田のマークについていた(というかただそばにいただけの)選手が三浦淳宏だったのはなんだかとっても印象的。
それにしても厳しかったのは解説の水沼貴史さん。森田のゴールの場面では、神戸の守備について「再三申し上げていますように、クロスに対するディフェンスがルーズなんです」。ロスタイム、柏レイソルがリードを奪われたとの速報が入ると(柏が負けた場合は神戸は引き分けでも降格をとりあえず阻止できる)、「そういう情報はベンチにも入ってるはずなんですが…ベンチが戦ってないような気がするんですよね」。試合終了後、播戸竜二が室蘭の関浩二のように(あるいはカシマの古川毅のように)ユニホームで顔を覆って号泣している場面では「今日は泣いてますが、これまでにも負けはあったわけで…(一瞬の間)…この思いを忘れずに」(<記憶若干曖昧)と、自分の厳しすぎる言葉にはっと気がついていきなり方針転換した感じ。
水沼解説で「徹底されていない」と指摘されていた神戸は、確かに、ロングボールを放り込んでも前にいるのは2トップだけ(実況のアナウンサーも「しかしこぼれたボールを拾う選手がいません」と繰り返していた)、GKがキャッチしたボールをすばやくスローイングしても動いている選手が(画面の中ですら)いない。カウンターをねらうのか、ロングボールなのか、サイドに起点を作るのか、中央突破なのか、リードされてもう点を取るしかない状況になってもわからない。これは、応援している人たちはつらかっただろう。
あんまり気持ち気持ちというのは好きではないが、画面から見る限り、気持ちが伝わってきたのは大宮のほうだったのも残念(別に神戸を応援していたわけではないが)。球際の強さ、粘りは圧倒的に大宮で、倒された選手はレフェリーにアピールするのではなく、たとえつま先ででも味方につなごうとしていた(若林学元現場監督のファイトはオレけっこう好きだぞ)。もうちょっとサッカー的にいうと、藤本主税の存在が大きかったのかな。とりあえず、藤本のところでキープはできるからね。
神戸は1997年のJリーグ昇格以来初の降格、だそうだが、98年は本当はコンサドーレ札幌のほうが順位は上だったんだぞ(<しつこい)。あの梶野のスライディングタックルがなければ…(<もう知ってる人少なくなってるのかなあ?)。「おー、ながしまー、ながしまーごーるごーる♪」に「おー、ばるですー」を被せたのもいまや遠い過去の記憶。
泣けばいいってもんじゃないけど、涙を流しているのが播戸と三浦アツぐらいだったのはちょっと意外。ほかの選手は、なんか、妙に淡々としていて、これでいいの?って感じ(演出的にとかではなく、もっと感情をむき出しにしたほうがいいんじゃないの?ってことで)。大宮がゴールを奪った直後は大宮の応援の声しか聞こえてこないし(一応、神戸のホームだったのにね)、これでいいのかヴィッセル神戸!と、余計なお世話を言いたくなってしまう。
さて、播戸は来年、どうするんだろう?
2005年11月19日
試合終了直後、スタンドから拍手が起きてびっくりした。勝ってないのに、しかも追いついたのではなく追いつかれたのに、拍手でいいのか?
そういう自分自身も、満足して拍手しちゃってたんだけどね。
入場時に配られた道新スポーツ特別版には「みんな信じている」の見出しがあったけれど、本当のところは、ほとんどみんなもうダメだと思ってたんじゃなかろうか。首位の京都パープルサンガにガツンとやられて今シーズンの昇格レースはジ・エンド、みたいな展開を想像していたのに、3点も取って互角以上の試合を見せてくれた。そうかそうか、よくやった、これだけやれば十分だよ。
そんな感じの拍手だったんだろうな。
アンカー!で野々村芳和が「勝てる試合だった、もったいなかった」を繰り返しているのを見ながら、自分自身とえらい温度差を感じて、それで考えたのが以上の結論。野々村は、本気で「昇格しなきゃ!昇格するんだろ?」と考えているから、コンサドーレ札幌が京都相手に互角以上の勝負をしたことは評価せずに、二度もリードを奪った試合で勝ち点2を落としたことを本気で悔やんでいる。いや、本当のところは会って話をしたわけではないからわかるはずもないのだが、テレビの画面からはそういう空気が伝わってきた。
甘いんだよな。選手も(3失点目でかぶって松田正俊を離してしまったのは池内友彦?<39節水戸ホーリーホック戦のときの和波智広の失点と同じじゃん!)、サポーター(含むオレ)も。まあしょうがないよ、今年は昇格できなくてもいいんだよ、まだ力が足りないんだよなどと振り返るのは、もっと先でいい。だけど、傷つくのがイヤだから、現状を合理的に解釈して納得しちゃってる。それじゃ、次にもつながらないんだよな。
2点目(あれオウンゴールじゃないの?<1999年8月のFC東京戦の河村優の幻の得点と同じじゃないのかな?)、3点目と立て続けに奪って逆転したのにリードを守れなかったのはあえてどうこういうまでもないことだが、デルリスの負傷交代も痛かった。デルリスが出てきてから最前線に動きが出てきて、相手のディフェンスにも穴があくようにもなっていたのに、中山元気と交代してしまうと、またそれまでの状態に戻ってしまった。デルリスをあのまま残しておければ、また違う結果になったかも…なんてことは、妄想の世界ならどうにでも言えるか。
引き分けで、しかも仙台さんと甲府さんも引き分けだったのに、まだかろうじて入替戦出場の可能性が残る。この真綿で首を絞められる的感覚、本当に97年のワールドカップアジア最終予選によく似てきた。でも、いまいち切迫感がないんだよなあ。本当はこういうことではいかんのだよなあ。
2005年11月19日
本日、WEBOSSではコンサドーレ札幌オフィシャルブログのオープンを祝して、若干遅まきながら、ささやかな?宴を開催。特別ゲストにはHFC販促企画営業部の吉川さんをお招きし(予定通りにブログをオープンできたのは吉川さんのおかげなのです)、これまでのご苦労を慰労した次第(制作スタッフからは「ぼくたちは慰労されないんですか」との声が、あったとかなかったとか…)。
吉川さんから「札幌U-15と旭川U-15の対決は見ものですよぉ!三浦(=旭川監督)は勝ったら泣いちゃうかもしれませんよ!」と強くおすすめされた前座試合のU-15対決だが、開始は12時(で、開門は11時45分だから、早めに行ってないと12時までにドーム内に入れない)。
しかし、吉川氏がいずこかへ去った後もススキノ界隈を放浪したわれわれは、最後の店を出たのが午前2時半。僕が帰宅したのは午前3時。そんでいま午前3時20分。ただでさえ寝不足なのに、これから寝たら(その前に風呂ぐらい入りたいよな)、U-15対決に間に合うように起きるのはかなりの難儀になりそうだ。
ふわぁ。こんなの書いてるだけでもつらい。眠い。タクシーはつるつる路面で滑りまくるし、もう勘弁してくれ。相川がシュートはずしまくるのももう勘弁してくれ。
やっぱダメだ。風呂なんか入れん。もう寝ます。8時間後、札幌ドームの列でお会いしましょう。
2005年11月18日
WEBOSS株式会社事業企画担当取締役の大熊です(いまさらですが)。
先日、あることをすると更新したブログのインデックスがトップページ(最新のエントリー)に表示されない-というバグが発見されました。現在、適宜対応中です(修正されるまでにはまだちょっと日数がかかりそうです<ご迷惑をおかけしますがしばらくお待ちください)。
というわけで、それを補完する意味で、曽田選手のブログが更新されたことを、この場でお知らせいたします(少なくともこのブログのインデックスがトップページにある間は、曽田ブログが更新されたことをトップページないしサポーターズブログのトップページで伝えられるので)。
2005年11月17日
HFCの役員の方々がかなり思いきったことを書いていらっしゃるので私も思いきって本音を書くと、このブログを作ってしまったはいいが、ブログ開設も閲覧も無料という現状、維持していくためにはスポンサーを集めてきて広告を載せなきゃいけないという大命題がありまして、果たして本当に収益モデルにできるんだろうか?いや、その前に、維持費ぐらいは出るんだろうか?等々、ひそかに心配する毎日なのである(ここに書いたら全然「ひそかに」ではなくなるのだが)。
ともあれ、HFCの販促企画営業部のみなさまとともに、WEBOSS社営業担当が広告営業にまわっている現状、WEBOSS社内でもサポーターズブログはよく読まれているのだが、一見さんには敷居の高いところも少なくないらしく、けっこういろんなことを聞かれる。
「『びょうかん』ってよく出てくるけど、何のことですか?」
「病気の患者のことです」(小嘘)
「『ゆーえす』って何ですか?」
「天龍が巻いていたベルトです」(大嘘)
そもそもサッカー界におけるウルトラというのは…などと始めると、もうどうにも止まらないのよこれが。そんで最後は「いろんなこと知ってるねえ」と感心されて呆れられて終わるのであります。
ウルトラといえば父がいて母がいるものだと思っている人は、たぶん、同世代です。
※今日はネタ消費しすぎだなあ(^^;)
2005年11月17日
下の記事に書いた、ヨークが途中から出てきたトヨタカップというのは1999年11月30日に行なわれた第20回大会で(こういうのがすぐにわかるのはサッカー系のプログラムはけっこうちゃんと整理しているからなのだ)、マンチェスター・ユナイテッドの対戦相手はパルメイラスだった。当時のプログラムの間にチケットの半券が挟まっていて(オレけっこうマメだな)、国立競技場の39入口(バックスタンドの上段の端のほう)で6000円。まあ、そんなもんですよね。
僕はマニアックにジーニョ、サンパイオ、エバイールのいたフリューゲルスチックなパルメイラスを応援していたのだが(と書きながら調べてみたら、その後日本で活躍することになるオゼアスも出てたんだね)、このときのマンチェスター・ユナイテッドは豪華だった。まだ一般人は知らなかったベッカムなんかも出てたのに、それが霞んでしまうほどのメンバー(とはいえ、これもいま当時のプログラムを見てみると、マンチェスターUのページで最初に出てくるのはやっぱりベッカムなんだけど)。いいもの見たんだなあ(こういう機会が得られないのが札幌の弱点でもあり強みでもある…って、これも別のテーマだからそのうち別記事で書きましょう)。
ここからが本題(前置きが長い)。このときご一緒したのが、サッカー観戦仲間のT氏で、この人とは今年の5月にも札幌で飲んでいるのだが、いまだに本名を知らない関係である(あのときのお話はコンサドーレオフィシャルブログの企画提案に実はかなり役立っております<この場を借りてお礼申し上げたい、が、たぶんこんなのは読んでないだろうなあ)。
そのT氏が、国立競技場で会うなり、こう言ったのだ-「今日はどちらにお泊りですか?」「は?」「今日はもう札幌には帰れないでしょ?」
僕はその頃はまだ札幌には何の縁もなく、東京で自分名義のマンション買ってそこに住んで普通に会社に通っていたのだが、彼は、コンサドーレを応援している僕のことを、札幌の人間だと思っていたのですね。思えば、その2ヶ月前、大宮公園サッカー場で、吉原宏太が猫パンチでイエローカードもらって終了間際に磯山和司に決められて0-1で試合が終わった直後、(当時まだアウトサイダーだった大宮アルディージャ相手の)思わぬ敗戦に打ちひしがれた僕に「まだ昇格の可能性はあるんでしょ?これからですよ」と声をかけてくれたのは、彼だった。
よほど熱心なサポーターに見えたんだろう、というより、よほど落ち込んでいたように見えたんだろうなあ。僕自身、あの夜のことはいまだにかなり鮮明な記憶なんだよなあ。
2005年11月17日
どこに濁点が付くのかわからなくなる国名だが、パソコンの場合は入力を間違えると変換されない(正しく入力すればちゃんとカタカナに変換してくれる)ので、難しく考える必要がない。便利。
そのトリニダード・トバゴがワールドカップ初出場を決めた。なんとまだドワイト・ヨークがスーパースターとして君臨しているのですね。コールとセットになっていた、あのヨークですよ。パルメイラスとやったトヨタカップで途中から出てきて、僕の近くにいた若者が「ヨークはコールがいないと活躍できないんだなあ」と、不思議な感想を口にしていたのが印象的なヨークですよ。
ヨークは濃い発酵乳、とは、関係ないか。
だいたい、トリニダード・トバゴなんて、どこにあるのかもよく知らない。ヨークがいたから国の名前を知っているぐらいなもので…と思ったら、横浜FCのシルビオがこの国の代表なんですな。僕は今年の夏に道内某温泉施設でたまたま合宿中の横浜FCと一緒になって、脱衣場で全裸のシルビオ(と城彰二)を見てるんですが、シルビオの形のいいお尻はモデルのようでありました(あ、わたし、別にHG系じゃないですから・笑)。<「サッカーの素」のネタみたいだな(^^;)。
こういうことを書いていたらまた違うネタを思い出したので、別記事に。
2005年11月17日
オフィシャルブログのスタートと同じ日に痛快食堂のチームスポンサー決定が報じられたため、ブログでも「痛快食堂に行ったらコンサドーレサポーターが大勢いた」などの記事が多く見られたが、果たして今でもまだそうなんだろうか?
WEBOSSで、コンサドーレブログのオープンを記念した社内的懇親会を開くことにして(本当はもっと早くやりたかったんだがサービスイン直後はやっぱりやること多いもので)、せっかくだから痛快食堂に行ってみようと予約を入れたんだが、なんとすでに満席で取れなかったのですよ。
まだ忘年会シーズンにはちょっと早いというのに。
コンササポは忠誠心高いからなあ(かくいう僕はANA利用者だったりするのだが、メガネは東京にいるときから富士メガネさんで買ってます)。
2005年11月16日
昨日の日経の広瀬一郎氏のコラムは、もともとは別媒体用の原稿だったらしい(スポーツ総合研究所Blog:コラムの真相)。週刊エコノミストは、かつてずいぶんとお世話になった媒体なのだが(1ページもの経済解説なんかをときどき書いてました)、どうも最近は編集者に関する評判がすこぶるよろしくない。僕の周囲の局所的現象だろうとさして気にも留めずにいたのだが、この感じだと、あちこちで反感買ってるんじゃなかろうか。
週刊エコノミストは、東洋経済やダイヤモンドと違って、比較的若い人でも記事を書かせてくれる経済誌だったのだが(今はどうなのか知らんが)、それでもそれなりのネームバリューが成立していたのは、(おそらくは安い原稿料でも書いてくれる)理解者的大物書き手がいたからだ(ろう)。でも、こういう評判が立ってしまうと、協力者はあっという間に消えていく。きっかけは、ほんのちょっとしたことであっても。
一生懸命やっていればかならずどこかから助けてくれる人が出てくるものだが、逆もまた真なり、だ。
2005年11月15日
児玉芳明社長が、昨日のブログ(コンサドーレが何倍も楽しめる社長日記)で、広瀬一郎氏の『スポーツマンシップを考える』(小学館、ISBN4-09-387572-3)の一節を引用していたと思ったら、今朝の日本経済新聞スポーツ面のコラム「スポートピア」の担当がまさにその広瀬氏。阪神タイガースの株式公開をあくまでスポーツの観点でとらえているあたりはさすがで、このコラムだけでも駅売り140円の価値はある。
広瀬氏の著作は、どちらかといえば会社経営的視点からスポーツ(主としてJリーグ)を俯瞰したものが多いのだが、この『スポーツマンシップを考える』は、かなり毛色が異なっている。きわめて平易な文章ながら、たくさんの考えるヒントが詰め込まれていて、スポーツをする人、見る人のいずれにも読んでほしい一冊。みなさんも、ぜひ。
ついでなので、サッカーを見るうえで、ぜひぜひ多くの人に読んでほしい本をいくつか(いずれも日本語のもの)。
まずは『オフサイドはなぜ反則か』(中村敏雄、平凡社ライブラリー=いまアマゾンで調べたら残念ながら在庫切れになっている<なんでしたらお知り合いの方にはお貸しします)。待ち伏せはずるいから反則ってわけじゃないんですよ、なんてことではなくて(まあその種のことも書いてはあるのだが)、フットボールがいかにして現在に至ったかが非常に丁寧に説かれていて、なぜルールを守らなければいけないのかがよくわかる(どうでもいいことだが、僕が最初に読んだときはたしか三省堂が版元だったような気がする)。
『フットボールの社会史』(F.P.マグーンJr.<忍足欣四郎訳>、岩波新書黄312)は、もうちょっと手ごわいけれど、そうはいっても新書なので、比較的手軽に読める。フットボールと暴力、サポーター論とか語るならぜひ読みましょう。
さらに掘り下げていくと『トム・ブラウンの学校生活』(トマス・ヒューズ<前川俊一訳>、岩波文庫)。古典だけど、ちゃんと日本語で読めるので心配ご無用(と書きつつ調べたら、これもアマゾンは在庫切れじゃないか<まったく)。どちらかといえばフットボールでもラグビーのほうの本なのだが、フットボールを語るならこれも欠かせない。
究極は『闘争の倫理-スポーツの本源を問う』(大西鉄之祐、中央公論新社<僕が持っているのは1987年刊の二玄社版)。これももはや古典の感があるし、これこそラグビー本なのだが(ついでに言っておくと僕は大西先生が教えているときにまだW大学の学生でありまして、卒業後、秩父宮ラグビー場で直接お話させていただく機会もありました)、すべてのスポーツに通じる名著だと思う。
以上を書くために、本棚の前で、小一時間、埃にまみれてしまった(笑)。せっかくだから、探し出した本をもう一度読み直して、このブログでちょっとずつ紹介してみましょうか(ホントにそんなことできるのか!?)。
というわけで、新カテゴリー追加決定!
※事実誤認などありましたら遠慮なくコメント、トラバくださいませ。
2005年11月15日
「しまふく寮通信」なるタイトルを命名したのは、HFC販促企画営業部の吉川さんだ。某月某日、場所はHFCさんの会議室。まだブレストに近い段階のミーティングで、誰にブログを書いてもらうか?を議論していたときに、こんなことを言ったのだ。
「若手選手は…寮にパソコン置けないかな…寮にパソコン1台置いて、たとえば『しまふく寮通信』みたいな感じで、交代で書いてもらうようにしましょうか?」(<若干脚色)
おお!それはおもしろい!!と、そのときは盛り上がったものの、いろいろとオトナの事情がありまして(というか基本的には準備の時間の問題で)、オフィシャルブログオープン時には2選手のみのブログとなったことはご覧の通り。そして、「しまふく寮通信」の名は、村野夫人のブログのタイトルとして使われることになったわけだ。
だからね、土曜日の夜、福岡のホテルに入って、村野さんのブログの中にブラックコンサドーレ2号の登場を発見したときには、ああなるほど、そういうことにしたのかと驚きつつも、柔軟な対応に感心したのですよ。
ところが、翌日の「しまふく寮通信」を見たら、村野さんがご自身のノートパソコンを持ち込んで云々と書いてある。
あれ?これって、もしかして、村野さんが勝手にやってることなのか?
昨日の午後、福岡での妙な疲労感を引きずったままWEBOSSのオフィスに行って(福岡まで行ったのに手ぶら=おみやげなし=で申し訳ない^^;)、スタッフに尋ねてみた。「若手選手の書き込みって、吉川さんがお願いしたの?」
「いや、違うみたいです」「ぢゃ、村野さんが自分で始めたの?」「そうみたいですね。選手が集まってる姿が目に浮かぶようで、いいですよね」
おおおおーーーっ!!!
そりゃ、アクセスランキングダントツのトップになりますって。
村野さん、無理しないでくださいね。別に毎日更新しなきゃいけないってわけじゃあないですから(無理してネタ出しすると続かなくなりますから!)。
2005年11月14日
昨夜は翌朝の早起きが気になっていて、今朝、福岡空港から羽田行きに乗ったときには羽田空港でのけっこうタイトな乗り継ぎが気になって、ゆえにそれなりの緊張感を保ってはいたのだが、羽田で新千歳行きの席に座った瞬間、どっと疲れが出た。
なんだかんだと言ってはいるけれど、本当のところはかなり凹んでます。
それでも過去のあれやこれやに比べればまだまだ軽いのは、残念ながら、この結果がまったくの想定外ではなかった、ということなんだろう。昨夜、2点目を取られるまでは、勝利を願ってはいたけれど、終わってみれば「ああやっぱりダメだったか」との思いが頭をもたげてくる。悔しいけど。
ショックの度合が比較的軽いのは、それだけが理由ではない。今のコンサドーレには、希望がある。絶対に忘れてはいけない1998年12月の室蘭(あのときも0-3だったんだよなあ)の直後は、何をどう考えればいいのか、まったくわからなかった。2002年の開幕戦、広島で1-5の屈辱的大敗を喫したときには、絶望しかなかった。その翌年、新潟で船越優蔵の退場にもかかわらず完膚なきまでに叩きのめされたときも同じ。それまでの蓄積を全否定せざるを得ない悲しさに茫然自失するしかなかった。
今年は違う。少なくとも、これまで積み上げてきたものを否定する状況ではない。昨年のあの苦しかった時期があって、その延長線上に今があるのがわかる。だから、何が足りないのかが見えて、さらにその先を想像することもできる。
でもなあ…やっぱり、まだ早いってことなのかなあ…
というわけで、現在、新千歳空港から札幌へ戻る途中です。
2005年11月13日
やるだけやって負けたんだからしょうがない、って感じ、かな?
あるいは、ほぼ完成に近づいたチームと発展途上のチームの、紙一重の差。
納得したくはないのだけれど、一方で、頭のどこかでは冷静に振り返ることができる。前節の水戸ホーリーホック戦は「なにやってんだよ!!(怒)」モードだったけど、今日は、まあ、しゃあないか、って思える(というより、むりやりそう考えようとしているような気がしないでもないが)。
最後の2失点がなければ、ものすごくいいゲームだったとは思うのだ。第三者的に見れば、両者気持ちのこもった、そして戦術的、技術的にもしっかりした闘いだったんじゃないかと思う。
ただ、ほんのわずかな差なんだけれども、福岡のほうが判断が早く、球際に強い。たとえばボールを失ったときに、ほんのひと呼吸とはいえ、札幌の選手は「あー」と考える時間があるのだが、福岡の選手にはそれがなく、すぐに失ったボールを追いかけ始める。ビデオで計測したらコンマ何秒の差しかないであろうという程度の、現場で同じ空気を吸っていなければわからない程度の差なんだけど。
攻撃時の思いきり度合にも差がある。これはまさに成熟したチームと若いチームの違いだろう。前半、福岡は、ペナルティエリアの外の、まず入らないだろうという位置からでも、がんがんシュートを放った。後半30分過ぎには、疲れすら見えはじめていた左サイドバックのアレックスが、ここぞとばかりに前線へ上がってFW的な働きをした(ヤツは川崎のときはFWだったわけだが)。
対する札幌は、勝負をしない。絶えず、丁寧にパスをつないで攻撃を組み立てようとする。ときにはかつての中田英寿のような強いパスがあってもいいのに、ミスしないように、ぶれないようにと、つねにスピードのないグラウンダーのパスばかりが繰り出されるので、今日のように相手が気合入りまくりだとフィニッシュまで届かない。
ここは思いきり行ってもいいんじゃないかと見える場面でも、同じようにパスをつなごうとする、あるいはワンドリブル入れて相手をかわしてからクロスを上げようとする。もう、もどかしいったらありゃしない。
それが顕著なのが、砂川誠であり、鈴木智樹であるわけだ。砂川の場合は、プレースタイルからしてそう見えてしまうのはやむを得ないのかもしれないが(ダメなときの中村俊輔みたいなもので)。
ヴァンフォーレさんが負けてくれたとはいえ(水戸は強いのか?)、仙台さんは勝ったので、3位との差は広がり、いよいよもってかなり厳しくなってきたが、まだ終わったわけじゃない。今季を振り返ったり、来季のことを考えたりするのは、もう少し先にしよう。
1点目取られた後、相川進也を先頭に札幌の各選手がダッシュでキックオフに備えたのには、じーんと来たんですけどねぇ。ああ、相川といえば、あの幻のゴールは完全にオフサイドだ。あれもね、ごちゃごちゃやってないで西谷正也がもうひと呼吸早く上げてればよかったのよ。まあ、このパスつなぎたくなる病(?)は、ヤンツーチルドレンというよりジュビロチックな問題だからなあ(と、朝までぶつぶつ言い続けるような気がしてきた…)。
明日は福岡空港7時10分発で帰ります。羽田乗り継ぎ。
2005年11月13日
じっとしてるとけっこう寒いかも。ウィンドブレーカーの襟立てました(へたれで申し訳ない>ゴール裏の頑張ってるみなさん)。
風はないけど、昼間、高校選手権の決勝で使っているので、芝はちょっと心配。ところどころ、荒れているようにも見える。引っかかってケガしないように、要注意。
とりあえず試合前映像速報(?)は、これにて打ち止め。
2005年11月13日
今日勝てば条件付きではありますがJ1昇格に王手となります、だって(場内アナウンス)。
やっぱりおとなしくバックスタンドで見ます。端のほうにいれば邪魔になりそうもないし(そのぐらいの客の入りなのだ)。バックの端のほうには、ちらほらと、赤黒方面の人もいるし(しかし旗持ってるおばちゃんはやりすぎだ^^;)。
2005年11月13日
さすが九州、日が長いです。
無風、思っていたほど寒くない(つうか、札幌から来たらたぶん暑いぐらい)。
ここで実況中継するつもりはまったくないので、みなさん、スカパー306chかスピカでご覧くださいませ。
※ゴール裏が少ないので移動検討中。その前にメシだ(博多の森といえばステーキ串)。
2005年11月13日
せっかく教えていただいたのに高校選手権福岡県大会の決勝には行かず、福岡の地下鉄の一日乗車券を買ってうろうろ。天神の岩田屋(デパート)の「第24回北海道の観光と物産展」をのぞいて、すぐ裏の一風堂の大行列に呆れていたら、ドーレくんバッジをつけたおばさま二人組発見。思わず声をかけてしまう(ナンパではない<当たり前か)。
そのすぐ近くで撮ったのがこれ↓。
福岡の人はみんなホークスを応援しているのかと思っていたのだが、札幌でいえば狸小路の4丁目みたいな、ものすごく人通りの多い商店街がこんなことになっているのだ。アビスパおそるべし。
こんなのもあったりして。
ぶらぶらしつつ、九州一周駅伝(なんと第54回なんだそうだが僕は知りませんでした)のゴールも見物。福岡県チームが25年ぶりの優勝!という場面に立ち会って、胴上げなんかも見ちゃったりして、おお、やっぱりこういう勢いのある空気を吸うことはいまの自分にとっては大事なことだよねと考えてから(それでわざわざトップがゴールするのを待っていたのだが)、あやかろうとするものが福岡の勝利ではまずいのではないか?
気を取り直して、ハウスメイトさん発見。リアルな店舗は初めて見た。
おっと、目の前のテレビの中で筑陽学園先制(録画中継やってるみたい)。
キックオフまであと3時間ちょっと。秋のやさしい日差しではあるけれど、気温はけっこう高いかも(日が落ちたらまた違うのかもしれないけど)。まあ、そんなことは気にせず、最初から全力で行ってくれ。
2005年11月12日
福岡に着きましたでございます。
福岡空港から地下鉄に乗って、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。どこかの駅のホームを見て、あれ?ここはついこの間来たばかりじゃなかったっけ?と思ったのだが、2秒ぐらいして、そのとき脳内映像にあったものは名古屋の地下街であることに気づいた次第。
今年はアウェーはあんまり行ってないと思い込んでいたのだが、9月24日の西京極、10月に入ってからは全日本ユース高円宮杯決勝(埼玉)、平塚にフクアリ(これはコンサドーレではないが)、函館(これはアウェーではなくホームだが)、そして今月になってからナビスコ決勝(これもコンサドーレではないが)、さらに今日は等々力で試合を見てから福岡と、バカマイル((c)えのきどいちろう氏)貯めまくりみたいな日々なのである。これ以外にも、たとえば11月に入ってから仕事で函館行ったりもしているわけで、そりゃ、頭の中も混乱するよな。
今回は往復飛行機+ホテル2泊のパック利用で、これがなんとまあ、羽田で乗り継いでも料金は変わらず、しかも思いきり空港の外にも出られる(それでいて千歳~羽田を回数券で往復するぐらいの料金なんだから、バカバカしくて普通運賃なんか払えませんよ)。昼間、等々力でのJ1観戦ができたのはそういうからくりでありまして、いくつかあるJ1の試合の中で川崎-神戸を選んだのは単に時間的にちょうどよかったから(昼食前後は東京都内で仕事関係の打ち合わせ-昔ふうに言えば「商談」か?-をしていて、味スタ14時はちょっと厳しかったもので)。
ホテルにチェックインするとき、明日のご朝食は何時ごろがよろしいですか?と聞かれたので「遅いほうがいいんですけど」と言ったら、9時を指定された。いくらなんでも遅すぎだろうと思わないでもないのだが、寝不足解消にはちょうどいい機会かも。どうせ明日は19時の試合開始まで、これといった予定もないのだし。
しまふく寮通信、和波と曽田に続く選手ブログみたいな感じになってて、いいっすね。村野さん、ナイスです。
2005年11月12日
川崎フロンターレ、強いっす。見てて楽しいし、やってる選手も楽しそうだもん。ジュニーニョのひょいひょいドリブルは去年と同様だけど、我那覇和樹は体の強さがさらに増した感じ。鈴木隆行的な体を張れるFWにして、鋭い突破も持っている。あれだけ完璧にポストになってくれれば、中盤から後ろは楽だ。
対するヴィッセル神戸は、必死にやっているのは伝わってくるのだが、戦略も戦術もなく、川崎との差はあまりに大きい。1点ビハインドの88分、ハーフウェーのあたりでフリーキックを得たのに、後方逆サイドの味方にボールを戻そうとして川崎にカットされ、我那覇のドリブル→ゴール前フリーのジュニーニョで川崎3点目、なんてのは、もう、弱いチームの典型。せつないっすねえ。
そんでもって、とにかく寒かった。明日の本番を前に風邪引いたらどうしようと、かなり本気で心配。さっきやってたテレビのニュースによると、今日の東京は木枯らし1号だそうで。そりゃ、寒いはずです。
というわけで、ただいま羽田空港で20時05分発福岡行きの出発を待っているところであります。万かつサンドが売り切れていたので、やむなくハンバーグサンドで代替。残念。
2005年11月11日
残り5試合といえば、思い出すのは2001年のエジムンド@東京ヴェルディ1969だ。
2001年のJ1リーグ戦は、残り5試合の時点で年間勝ち点最下位がセレッソ大阪(勝ち点15)、その一つ上が東京V(同20)だった。下から2番目の東京VはこのままならJ2降格であり、そこから脱出するためには、すぐ上のチームとの勝ち点差5を逆転する必要があった。
そんな状況で、サッカーの試合よりもカーニバルが好きなエジムンドが東京Vに加わった。そして、そこからの東京Vは、3-0(エジムンド1点)、2-2(エジムンド1点)、3-2、0-4、1-0と、なんと5試合を3勝1分1敗で乗りきったのだ。
それまでの25試合で勝ち点20しかなかったチームが、最後の5試合で勝ち点10ですよ!
結局、この年、下から2番目で降格したのはアビスパ福岡だった。残り5試合の時点では福岡と東京Vの勝ち点差は7もあって、順位でいうと東京Vと福岡の間には3チームもあった。それなのに、福岡は、最後の5試合で5連敗して、降格してしまったのだ。
ヴァンフォーレ甲府との勝ち点差が詰まってきた福岡のサポーターは、気が気でないだろう。「ヴェルディ」と「ヴァンフォーレ」には「ウに濁点」という共通点もあるし(関係ないか)。
さて、コンサドーレ札幌の現在、である。
残り5試合で甲府との勝ち点差6、なんてのは、全然難しい数字じゃない。ただ、決定的に流れを作る、劇的な変化は必要なのかもしれない。フォーメーションや選手起用をいじるという意味ではなく、チームに勢いをつける、という意味で。あのときのエジムンドのような、救世主がほしい。あるいは、去年のアビスパ福岡でいえば、有光亮太のような存在。
デルリス、オレはまだ期待してるぞ!!
2005年11月11日
門脇常務のブログを読もう。
これは大変だと思ったら、身近にいる誰かを誘おう。街頭ビラ配りよりも簡単に、2万人の観客を集めることができるはず。1万人の観客が誰か1人を誘えば、それだけで観客は2万人になるんだから!
2005年11月11日
わたくし、このブログの企画開発には絡んでおりますが、具体的な制作の部分はほとんど関与しておりませぬ。私がテンプレートの素材選びをやっていたなら、やたらと中山元気ばかり登場するようなことはなかったに違いない(そういう配慮はデザインとは別の次元の話だから、これはこれでいいのだ<アートディレクター氏が気にするといかんので、念のため)。
そんな中、唯一、僕が意見を求められたのが、「韋駄天7」こと和波智広選手のブログのデザイン。HFCさんからお借りした素材を眺めていたデザイナー陣から「和波ってキャプテンなんですよね」「キャプテンの割には写真が少ないんですよ」と、愚痴に近いような声が上がり、どんなのがいいですかね?と聞かれたのだ。
その時点では「韋駄天7」なるタイトルも決まっておらず(このタイトルに関してもドタバタがあったんですが、それはまたいずれ…)、デザイナー陣の和波に関する知識は「チームのキャプテンであるらしい」ことぐらい。そうすると、キャプテンマークを腕に巻いて指示を出している写真、とか選びたくなるらしい。
でも、和波のイメージは、タッチライン際をドリブルで駆け上がり鋭いクロス、だ(実際には精度のないクロスが多いだろう、とか、もっとがんがん行けよ和波、とか、そういうことを言いたくなるがあくまで作業が優先なのでとりあえず封印)。それでデザイナー陣が作ったデザインのいくつかのうちの一つが、現在の「韋駄天7」の背景になっているもの。デザイナー陣はかならずしもこれがイチオシではなかったようなのだが、これだけは僕が最終決定させていただきました、はい(いや、もちろん、形式的には、最終決裁したのはHFCさんなんですが)。
曽田雄志選手のブログのデザインは、僕はまったくあずかり知らぬところで作られたもの。僕がデザイナーだったら、跳び箱新記録写真とか、「頭で決めたかったんですが」という文字とか、サポーターが悲鳴を上げている写真とか、そんなもののコラージュをやってしまいそうなので、やっぱり、僕はデザインに関与すべきではない。
2005年11月10日
次節のアビスパ福岡戦@博多の森を見に行くと、翌月曜日の午前中は自動休暇になる(ちなみに2位以内に入ると自動昇格になる)ということをすぐ下の記事で書いてから、そういえば(暗黒の)2002年の序盤はサポーターに対する嫌がらせのような試合日程ばかりだったことを思い出した。
開幕戦(吉川京輔大ブレイク)が広島で日曜日の15時開始。2つ目(まだへんなレッテルを貼られる前の山下芳輝にやられた)は土曜日だったけど、会場が高知だったので、今度は試合開始に間に合うように行くのが大変。3つ目(忘れられないロブソンのモンキーマジック)は磐田で日曜日15時。4つ目(あとから思えば奇跡のような大勝利)は名古屋で日曜日16時。
僕は当時は東京に住んでいたので(4つ目の名古屋戦の2日前まではサラリーマンやってました)、さほど苦もなく、すべて見ることができたのだが、札幌の人は土日だけでは観戦するのが困難な日程が続いた序盤だった(ワールドカップがあったから札幌ドームが使えなかったんだよね)。
この年の10月、ガンバ大阪戦@万博の日(ガンバサポーターから「じぇい・つー・さっぽろ!じぇいつーさっぽろ!」と、やられた日だ)の朝、新千歳空港の搭乗待合室で、何がきっかけだったか、全然知らないコンサドーレサポーターの人と話をした。
「僕、マクサンドロって見たことないんですよね」
ああ、そうかぁ…マクサンドロは第3節までしか出ておらず、その3節までは札幌でまっとうな生活をしている人にとっては見に行くのが非常に困難な日程だったから、かなり熱心なサポーターでも、試合で動いているマクサンドロは見たことない人が多い(らしい)のだ。
マクサンドロの全出場試合を見たこととリカルジーニョのゴールを生で見たことは、かなりマニアックな人にしか理解してもらえないであろう、特殊な自慢話である(笑)。
※だんだん「オフィシャル」を意識しないで書ける(はじけられる)ようになってきたかも(^^;)。
2005年11月10日
先日の水戸ホーリーホック戦@札幌ドームの翌日、WEBOSSの某氏が「実は…」と試合を観戦していたことを告白したことは一昨日書いたが、今度は別のスタッフがやはり試合を見ていたことが判明。それも、リアルな世界で知ったのではなく、会社のスタッフブログを読んで、ですよ。
どんな風通しの悪い会社なんだよ(苦笑)。
水澤ブログみたいなこと書いちゃうぞ(嘘)。
知らないうちにテンプレートは増えてるし(せっかくだから変えてみました-コンササポ的にはあんまり使わないであろう川崎フロンターレ色というか横浜FC色に<やっぱり気に入らないからすぐ元に戻しちゃった)、どうやらオレはいなくてもいいみたいだから、月曜日の午前中はお休みしますよ(と、この場で宣言)。
だって、福岡行ったら、その日のうちには帰ってこられないんだもん。しょうがないでしょ。
負けた場合は午後もお休みさせてください(<をいをい)。
2005年11月10日
今夜のスカパー「Jリーグナイト!」のメイン企画は、京都パープルサンガ・柱谷幸一監督のロングインタビュー(聞き手:野々村芳和)。京都のストロングポイントは資金力と「京都」というブランド(いずれもそういう言葉は使ってなかったけど)、とか、加藤大志と星大輔、あるいはアレモンと田原豊と松田正俊はあえてレギュラーに固定させずに競争させた、とか、J2リーグ戦を勝ち抜くためには1つのポジションに2選手が必要、とか、とてもおもしろかった。
柳下正明監督がダメだというつもりはまったくないのだが、この人がコンサドーレに来ていたらなあ…と思ってしまうようなインタビューであった(そりゃ、まあ、ぶっちぎり優勝を決めた直後なんだから、自信満々で語るのは当然なんだがね)。
モンテディオ山形は(一応、契約満了という形だったとはいえ)惜しい人材を失ったよなあ。なんだったんだろ、あの「スイカップ」騒動は。
2005年11月09日
今週末は諸般の都合により土曜日の夜遅くに福岡に入る予定なので(と、さりげなく書いてしまったが、要するに福岡に行くのだ)、日曜日はキックオフの19時まで、まる一日、どこかで時間をつぶさねばならない。
せっかく福岡まで行くんだから云々、という声には、セイセイセイ!だ。僕はコンサドーレの試合を見たいだけであって、別に福岡の名所めぐりをしたいわけではないのだ。そんな時間があるなら仕事したいぐらいだ(というか、どこで何しようとか考えるのは面倒なんだよ<試合さえ見られればいいんだから)。
そんなわたしに絶好の暇つぶしイベント(笑)が!
13日13時から、アビスパ福岡とロッソ熊本のトレーニングマッチがあるそうな(J's GOAL)。場所は本城陸上競技場。調べてみると、折尾駅前から12時20分発の二島駅行き(北九州市営バス)に乗ればちょうどよさそうだ。終了後はJR本城駅まで歩いて、15時47分発の列車に乗り、折尾で乗り換えて博多で地下鉄に乗り換えれば16時56分に福岡空港駅に着くから、スタジアムに遅くとも17時半には入れる。
ちなみに、などといわなくてもコンササポならみんな知ってるように、ロッソ熊本にはコンサドーレのOBがたくさんいて、しかもみんなけっこう活躍している模様。たとえば直近の試合で先制点をあげているのは市村篤司だ。
そういえば、前回、僕が福岡に行ったときは、長い長い(コンサドーレ史上最悪であってほしい)連敗がストップしたときで(当時の記録<表示させるとエラーが出ますが気にしないでください)、相川進也のスーパーファインゴールをアシストしたのは右サイドの市村からのびゅーんと鋭く曲がっていった美しいクロスだった(あの軌道は今でもまだ思い出せるぞ)。そんで、あの試合の後、歓喜の余り居酒屋でおしぼりを投げつけていたヒトや、それを必死に制止していたヒトが、このオフィシャルブログを開設してくれている。ありがたや。
結局、最後は思い出話かいな。
2005年11月08日
トップページの「最新のエントリー」は、5本しか表示されないから、あっという間に流れてしまう。「最新更新順ブログリスト」を見れば、全部のブログが一覧できるものの、どんな記事が書かれているかはわからない。なんとかしてもらえませんかね?-と、僕が一般ユーザーだったら、そのぐらいのことは絶対に書いてる(もしかするともっときつい口調で^^;)。このブログのシステム開発と運用を担当している会社の人間として、そのうちなんとかするつもりではいますので、しばらくはこれでご勘弁願います。
その他いろいろ要望事項があるかと思いますが、FAQのページにトラックバックとかコメントとかつけてもらうと、より制作スタッフに伝わりやすくなりますので、ぜひご活用ください(できるだけ多くのサポーターズブログに目を通すようにはしているので、さまざまな改善希望が出ていることも、かなりの程度、把握しているつもりなのですが…)。なんとか、少しずつ、対応していきますので、末長くお付き合いいただけると幸いです。
「つもり」とか「なんとか」とか、なんか歯切れ悪くて申し訳ないですが、鋭意努力いたします。
で、内輪話というか言い訳といいますか、なぜこういうことになってしまったか?といえば、まさかこんなものすごい頻度でサポーターズブログが更新され続けるとは思っていなかったのですね。サービス開始当初は、もともと別のところでブログやってる人はおそらく様子見するだろう、大手のサービスプロバイダーが多数ある現状ではブログを書きたい人はすでにどこかでやってるだろう、だから新規にブログを開設してしかも更新し続ける人なんてそんなにはいないだろう-と、読んでいたのですが、甘かった。
もっとも意外だったのは、このサービスの開始をきっかけにブログを始める人がこんなにもいたことで、これは(みなさんすでにあちこちでご指摘のように)企画した側が想定していなかった世界が広がりつつあるなあと、驚きつつ、もっともっと何かおもしろいことができないかと、もはや僕の頭の中は24時間コンサドーレブログです(ホントに夢の中にまで出てきた)。おもしろそうなこと考えたら、どんどんここにトラックバックしちゃってください。がんがんいろんなことやりましょう。
2005年11月08日
昨夜、WEBOSSの会議の直前、某スタッフから衝撃の告白。
「実は昨日、僕も見に行ってたんですよ…」
「は?」
「コンサドーレ。」
「おお!」
「何年ぶりかですよぉ。。。なんかさあ、みんながブログで盛り上がってるの見てたら、急に行きたくなっちゃってさあ。。。サッカーはテレビよりも見に行ったほうがおもしろいね。スタジアムで見るなら野球よりもサッカーのほうがおもしろいですよ。僕は昨日の試合がいい試合だったかどうかはわかんないけど、おもしろかったですよ」
サポーターズブログの熱気が、サポーターの範囲外にいる人まで引きつけてしまったわけだ。ブログサービスを開発した会社の一人であるという特殊事情はあるし、この人の場合は息子さんがかつて門間君と同じチームでサッカーをやっていたという点でまったくサッカーに縁がないわけではないのだが、ブログの盛り上がりによってB自由席2人分(ご夫婦で観戦された由)の収入が増えたことには変わりがない。
「今のコンサドーレでは誰が人気あるの?曽田?」
「いやいやいや(笑)、曽田はマニアックな男性以外には人気ないです(笑笑)。そうだなあ…岡田か、相川か、その辺じゃないですかねえ」
B自由席2人分なんていくらにもならない、などと言ってはいけない。一度見に行けば、こうやってチームへの関心が惹起されていくのですよ!また来てくれるかもしれないし、さらに別の人を連れてくるかもしれない。とにかく、関心を引き寄せる、そしてつなぎとめることが大事!そのためには、露出の機会を高めていかないと!
たとえファン以外は誰も見ないような時間帯のテレビ番組であっても、やっている限りは「こんな番組を放送中です」とPRができるけれど、何もネタがなければコンサドーレの名前で宣伝する機会すら作れない。和波のお好み焼きの話を聞いても、まあ、なんだが(笑)、今はとにかくやることに意義がある。
2005年11月07日
おまえこのブログのシステムやってる会社にいるんだから自分でトップページに入れろよって思うんだが、ほかに優先順位の高い作業がまだまだいろいろあってなかなか手がまわらんもので(ちび会社だから社内の調整とかは必要ないんですけどね)、このブログにておすすめ紹介(たまたま今日はデスクに座っていることが多くてけっこうこまめにチェックできているのですよ)。
「元多摩日記」さんの「コンサドーレ札幌ボランティアスタッフ(CVS)」カテゴリー
体験者の目線で実際の活動が書かれています。CVSって何?と思う方、思わないけどコンサドーレのことをもっと知りたい!という方、とにかくみなさんにおすすめ。
2005年11月07日
得失点差でヴァンフォーレ甲府に追いつくのは無理、というか、まあ、無理と考えるのが普通なんだろうが、こういうこともありますよと、こんな情報が。
デルリスが何かの間違いで(笑)爆発してくれれば不可能ではない
…いいじゃないすか、妄想したって(^^;)。
2005年11月07日
第一回アクセスランキング発表。このブログはめでたく中山元気の背番号にランクインされたのでありますが、元の記事にはリンクがないので、トラックバック用にこの記事を作成する次第であります。
で、以下は、運営サイドとしての発言。
サポーターズブログの一覧ページがあればこんなことしなくても済むんですが、まさかこんなにたくさんのサポーターズブログがこんなに短期間にできてしまうとは思っていなかったので(=更新ブログ一覧で用が足りると思っていたので)、対応できてません。そのうちなんとかしたいと思っていますので、少々ご不便おかけしますが、ご容赦ください。
2005年11月07日
そりゃね、普通に星勘定したら、きついっすよ。残り5試合で、得失点差も考慮すれば、3位までの勝ち点差は7。3位のヴァンフォーレ甲府との直接対決には勝つという前提で考えても、残り4試合で勝ち点差4。かなり厳しい。
でもね、昨日も書いたことだけど、あの8年前のワールドカップ(フランス大会)のアジア最終予選、日本が引き分けるたびに、新聞の見出しには「絶望」の文字が躍ったのに、結局は、最後は逆転で2位になったわけだ。あのブガロのスーパーセーブ連発で日本とUAEの順位がひっくり返った翌週の朝、会社に行って「ブガロすげえよ」「ブガロやってくれましたね」などと盛り上がったことを思い出す(それまで「ブガロ」なんて誰も知らなかったのに)。
あの苦しい、息の詰まるような最終予選を思い出せ(サポーター的に)。そんなとき、僕はいつも、後藤健生さんの『アジア・サッカー戦記~フランスW杯への長き道』を読み返す。もう何度も読んでいて(なにしろしょっちゅう手元に置いておきたいからと、単行本~装丁が素敵~を持っているのにわざわざ文庫版も買ったぐらいだ)、文章を暗記してるんじゃないかと思うほどなのに、それでも読む。
しかも、いちいち、最初から読むのだ。僕的なクライマックスはタシケントから東京、ソウルのあたりなんだが(東京のUAE戦もソウルの韓国戦も僕はスタンドにいました<いい経験したよなあ)、最初から読まないとあの苦しさが軽くなってしまうような気がして、とにかく最初から読むのだ(だから、今も僕のバッグの中には『アジア・サッカー戦記』の文庫版が入っている)。
後藤さんはその後も同じようなタッチの著作をいくつか出しているが、僕はこの『アジア・サッカー戦記』が、いちばん好きだ。無人島に一冊だけ本を持って行くとしたら、この本を選択するかもしれない。
ついでにいうと、僕は2002年から2003年にかけての、コンサドーレ史上最悪となるであろう(ことを祈っている)2年間に、仕事もせずに12年間のサラリーマン生活の貯蓄食いつぶし生活でコンサドーレのリーグ戦全74試合を見た(えのきどいちろう氏言うところの「バカマイル」を大量にゲット)。これを、後藤さんの『アジア・サッカー戦記』ふうにまとめられればいいなあと思っていたのだが、いつのまにかまっとうな人間になってしまって(笑)、いまこうしてこのブログのエントリーを書くまでそんなことはすっかり忘れていた(イメージとしては、後藤勝氏の『トーキョー・ワッショイ』の札幌版が読みたいんですけどね-で、誰も書かないならオレ書こうか、なんて思ったわけで)。
10周年記念企画の一環としてみんなでそんなのやるって、どうすか?
※なんか最初の話題と全然違うところに飛んでしまった(読まれるブログ的にはアウトな書き方)。
2005年11月06日
ボランチが前での勝負を怖がってバックパスばかりしていてどうする!おまえら中尾かよ!
なんのために砂川誠を右サイドに置いたんだって!サイドを使え!ボランチは3人もいるんだから誰かサイドに顔を出せ!
相川進也はもっと落ち着け!PKなんかアピールしてる暇があったら立ち上がってボールを追え!
いくら相手が引いてるからって、こっちも合わせることはないだろ!あの清野智秋のゴールは、セットプレー崩れとはいえ、曽田雄志がゴール前に持ち込んで、右にいるはずの加賀健一が左にいて生まれたんだぞ!ああいうチャレンジをなんでもっとやらないの!
失点直後、まだ時間があるのに、センターサークルに走っていった相川以外はみんなのそのそと歩いてる、って、どうゆうこと?勝ちたくないのか?
以上、毒吐き終了。
あの函館のモンテディオ山形戦や、前節のベガルタ仙台戦のようなすごい試合をしたかと思えば、今日のような試合もしてしまう。それが今年のコンサドーレ札幌だ。だから、この後の上位チームとの対戦で、驚くような試合をやっちゃう可能性もないとはいえない。
残り試合がいくつとか、勝ち点がどうしたとか、そんなことを今の段階で計算したってしょうがない。今日の試合が負けだったらもうダメだと思ったかもしれないけれど、引き分けでかろうじて首の皮0.5枚つながった。考えようによっては、サポーター的には、こんなに楽しいことはないのだ。11月のこんな時期になっても、ハラハラ、ドキドキの試合を見られるなんて、何年ぶりのことさ。もしかすると初めてかもしれないぞ。
残り試合と勝ち点差を計算して、自力ではどうこう、などと考えるのがあまりにもナイーブであることは、1997年のワールドカップアジア最終予選で学んだじゃないか。もしかすると、どこかにブガロがあらわれるかもしれないんだから、もうダメだ、とか、こんな試合をしていては、なんてのは封印して、勝ってくれることを祈るしかないのだ(とはいえ、今日はブーイングでもよかったと思ってるんですけどね)。
夢を乗せて、走れ札幌、J1への旅。希望の轍はまだ消えていない。
2005年11月06日
WEBOSSというのはへんな会社で、メンバーのお互いの動向はそれぞれが個人でやっているブログを見るとわかるようになっている。ああ、彼は今日は会社サボって釣りしてるのか、とか。
そんなWEBOSSでアートディレクターをやっているF氏の本日のブログの一部を、以下、紹介。本当は彼のブログへのリンクをはるほうがスマートなんだろうけど、彼のブログ内には彼の名前は載っていない(=ダイレクトに彼のブログを見たなら誰のブログがわからない)状態になっているので、リンクではなくこのような形にする次第(不満だったらリンクはるから連絡ください>F氏)。
-----(引用ここから)-----
2005年11月06日
久々泣きそうだったですわ
コンサドーレ札幌オフィシャルブログを立ち上げたのですが、オープンさせてからしばらくの間は、ちょっと気を抜くと、こぼれてくるんじゃないかと、涙が。そんな感じでした。割りと長いこと、ウェブサイトばっか立ち上げてきていますが、こんなのははじめて。自分でも驚いているところです。まだまだこれからが本番なので、ここで感動して消化しててもしょうがないんですが、でも、貴重な体験となることと思います。
結婚してからというもの、かなりたっぷりと睡眠を取る習慣となっていたのですが、あんなに寝ずいたのもはじめて。最終日(というか起きっぱなしなので、日の感覚などないのだけど)は40時間ほど、起きっぱなしでした。1秒も寝ず、横にもならず。意外としんどくなかったのは、ひとりじゃなかったからでしょう。帰宅してからも妙なテンションで、続々と作られてゆく新しいブログを見ながらビールがすすみました。
オープン日の朝には、以前から予想し、そして告知していた通り、かなりキリキリとした重い空気にしてしまいました。その時間帯はかなり思考能力が低下し、うまく人と会話ができません。普通に言葉を発することが非常に難しくなる。なんとかトラブルも処理し、オープンした14時26分に社長と握手。そして、そこからの時間は、(人にこの時間の感覚を伝えることは難しいのですが)「贅沢な時間」と形容しておきましょう。
(以下略)
-----(引用ここまで)-----
別にほめてくれって言ってるわけじゃない(本当に)。それよりも、なんか僕が苦労してコンサドーレ札幌オフィシャルブログ(長いね<なんか略称が必要だな)を作ったみたいな世間的評価になってしまうのはイヤなのさ。曽田がうまいんじゃなくて中山のチェイスがあるから曽田が余裕を持って対応できる、みたいなものだ。
にしても、中山もっと決めてくれ(笑)。
2005年11月05日
攻撃自慢チームどうしの対戦にしては得点が入らず(それどころか前半は得点の匂いすらせず)、ジェフらしい人が次から次へと湧いて出てくる攻撃が見られたのは後半の半ばを過ぎてから。そういう点では、やや期待はずれではあった。
シジクレイが大きな壁となってジェフのサイドからのクロスをことごとく跳ね返したのはおもしろかったし、裏を返せば予想以上のガンバの守備意識の高さが緊迫したゲームを生んだともいえるのだが、ゴールシーンがなかったのはやっぱりいまいちつまんなかったと、率直に言っておこう。
だからといって金返せと叫ぶほど(すぐに思いつくところではたとえば一昨年の鹿島アントラーズとバレンシアの試合のように)つまらなかったわけではなく、後半の終わり近くから延長戦にかけて、多くの選手が足が動かなくなりながらも必死にゴールをねらう姿はすばらしかったし(もうPK戦なんかやらなくていいから両者優勝にしてやってくれと思ったほど)、両チームのにらみあいがいったん壊れると途端に激しい攻防の応酬になるという、静と動のコントラストもおもしろかった。やっぱり、(わざわざ飛行機に乗って)行っただけの甲斐はあった。
試合後のオシム監督のインタビュー、場内がしーんと静まり返ったのは不思議な体験。通常、試合後の選手や監督のインタビューというのは、ざわざわとした中で、場合によるとどっちかのゴール裏が歌っていたりする中で行われるものだが、みんなが聞き耳を立てるのはさすがイビチャ・オシム。オシム語録は相変わらずだが、今日は終始笑顔で、人を食ったようなコメントもなかった(でもおもしろかった)。ああ、あのオシム監督も今日は本当に嬉しいんだなとよくわかる、楽しいインタビューであった。
これでよかったんだと思う。オシム監督のジェフは、何らかのタイトルを取るべきだった。ガンバは、リーグ戦をねらえばいい(アントラーズなんかに負けるなよ!)。
そうそう、たまたま国立競技場でお会いした(結局、観戦もご一緒した)Yさん、5月の札幌で一緒に飲んだことをすっかり忘れていて、失礼しました。しかもわたしがうるさくてすいませんでした。あんまり寝てないもので、しゃべってないと寝てしまいそうだったんですよ(^^;)<試合の途中からは眠気も完全に飛びましたが。
優勝おめでとうございます。でも、♪いちはら~、いちはら~、すきすき~…がないジェフってのは、ちょっと寂しいなぁ。
2005年11月05日
WEBOSSのチーフプロデューサー氏は、どうしても僕を泣かせたいらしい。
ええ、泣きましたとも。深夜、わずかひと晩で200近くもできたサポーターズブログをひとつひとつ見ていたら、自然に涙が滲んできた。もういい歳だから、大泣きはしないけどね。
斜に構えた言い方をすれば、だからコンサドーレは…ってことになるんだろう。サポーターが甘いからいつまで経っても強くなれないんだよ、云々。
そういう意味では、この熱狂は、ある程度までは想定内。でも、コンササポの生態(?)を知らないWEBOSSスタッフはみんなびっくりしてる。昨夜というか今日未明は、珍しくご家族のいらっしゃる方々も(ド深夜帯にもかかわらず)感動と興奮のメッセージを送ってきた。WEBOSSメンバーは僕以外は全員が家族持ちなので、ワールドテレショップとかやってるような時間帯にメーリングリストに何か送ってくるのは、いつもは僕しかいないのだが。
「2」方面でも盛り上がってる、という情報も届いたので、ふだんはまず見ることのない巨大掲示板ものぞいてみた。なんだろうね、この電車男的温かさは(笑)。ちょっと小バカにしたような書き込みが出ると、すぐに「でもこれでHFCが儲かるならいいじゃないか」みたいな反論が書き込まれてる。ついでに不肖わたくしも実名で登場(^^;)。別に悪口書かれても大丈夫なぐらいの耐ネット性はあるつもりなんだが(でも書かないでね^^;)、そういうことではなくて、大熊氏はこういう気持ちでやっているに違いない、とか書いてあって、なんかへんな感じ。
柳下正明監督はああ言ってるけど本当はこういう意図があったのだろう、などとネットに書いたり居酒屋談義したりするってのは、言われている当事者になってみると、こういう気分になるんだな。
ふたたびWEBOSSに話を戻すと、当社のメンバーの中には、紙媒体で大成功を収めてきている人や、日本におけるインターネット草創期にビジネスとしてネット媒体をやっていた人などがいて、媒体経験度は普通の会社に比べればかなり高い。僕にしても、多少、それらしいことはやったことあるし(だからメディアブログプロバイディングなんて妙な言葉を作ったりしたわけだ)。
そのWEBOSSにして、こんな経験はないと、みんな言ってる。
いまや日本一のサポーターって代名詞はアルビレックス新潟に持っていかれちゃってるけど、コンサドーレサポーターだってまだまだ捨てたもんじゃない。ぬるくてやだ、って感じ方があるであろうことも否定はしないけれど、それはそれとして、これだけのパワーがあれば、なんでもできる。
少なくとも、こういうブログを始めたのは、Jで最初なんだもん。
いろいろあったけど、またここから始めましょう。クラブがやることは5段階強化計画の実現、チームが目指すべきはJ1昇格、そしてサポーターはもっともっと大きな夢、遠くを見ていいんです。
このブログサイトが、少しでもみなさまの一助になることを祈りつつ。
2005年11月05日
新千歳空港からの東京羽田空港行き初便に乗るべく、まだ夜が明けきらないうちに家を出たのだが、息が白くなるほど空気が冷えているのに、いまいち気持ちがピリッとしない。
楽しくない、というのとはまったく違うのだが、早朝、まだ人の歩いていない時間帯に出かけるときはたいてい「よーし!」的な気持ちの引き締めが入るものなのだが、それがない。
要するに、今日は朝早くからサッカー見に行くのだが(しかもわざわざ飛行機に乗って)、今日の結果がどうなろうがコンサドーレ札幌にはまったく関係ない、しょせんは物見遊山ってことなんだよな。
ぼかぁ別にゴール裏行って叫んだり歌ったりしているわけではないのだが、それでもこんななんですよ。こういうとき、ああ、なるほどねえ、オレはなんだかんだ言っても(言ってなくても)サポーターなんだなあと思うわけだ。
それともう一つ、今日の場合は、昨日来、コンサドーレ札幌オフィシャルブログが盛り上がりすぎちゃって、頭の中が全部そっちに行っちゃってる、ってのもあるかもしれない。なにしろ今朝は「3千万円」とか言ってる門脇常務が夢の中にあらわれて目が覚めたぐらい(笑)。この件はまたのちほど。
ただいま新千歳空港へ向かう快速エアポートの車内、であります。
2005年11月04日
楽屋話みたいなことばかり書いていても、まあ、アレなんで。
このブログがシステム的に不安定だったりしたら行くのはやめようかと思ってたんですが、安定稼動しているようなので、2005Jリーグヤマザキナビスコカップの決勝を見てきます。いまJリーグでもっともおもしろいサッカーをする2チームの対戦とあらば、楽しくないはずがない。
コンササポ的にはガンバ大阪を応援すべきなのかと思い、もう何年も着ていないはずの、背中に「YOSHIHARA」と書かれた青いシャツを探したのですが、見つかりません。代替品として黄色いゴールキーパーシャツでも着て藤ヶ谷陽介を応援してやっかと思わないでもないのですが、胸に「白い恋人」と書いてあるシャツを国立競技場で着るのは、ちょっと…(笑)。
明日の朝はアウェー観戦出張でおなじみの新千歳空港7時50分発。帰りは明後日の午前中を予定。時間によってはそのまま札幌ドーム直行かも。
2005年11月04日
おかげさまで大変多くのサポーターの方にブログを開設していただき、WEBOSSスタッフ一同、感涙にむせぶばかりであります。社内的には、今朝の時点で話題になっていたのはひたすらスタッフブログの充実(と今後の更新頻度に対する心配^^;)。門脇さんのはおもしろいねえ、とか、水澤さんこんなこと書いて大丈夫なのかなあ、とか、そんな話をしていたのですが、いざ、ふたを開けてみれば、次から次へと新規で開設されるサポーターズブログ!
「今朝自分がここで作ってたテンプレートでみんながブログ作ってるのは不思議な気分ですね」とは、アートディレクターの弁。
そうなんです。本当に、今朝までやっていたのです。
僕が今朝会社に行って最初に目にした紙↓
細かいトラブルがいくつかあったらしく(とても声かけられる空気じゃなかったのだ)、ほとんど無口で作業を続ける制作班の声のトーンが変わったのは14時過ぎ。HFCから電話でゴーサインが出て、「これからサーバをリブートします」。そして14時26分、感動のオープン。ぱちぱちぱち。
その直後、僕はプレス発表のため、WEBOSS社長の吉和さんとともに記者クラブへ。HFCの吉川さんの第一声は「いやぁ~、ギリギリでおもしろかったっすねぇ~」。おもしろがってる場合じゃねーよ!(笑)
すでに道新さんと日経さんには記事を書いていただいているので、プレス発表といっても、まあなんですが、思った以上に質問なども出て、ちょっと時間オーバー気味になるほど。
会社に戻ったら、WEBOSS役員であるとともに他社の社長でもある上田さんが来ていて「あ、すいません、社長の許可なしで就業時間中にビール開けちゃいましたぁ」。僕はアルコールはまったくダメなんだが「大熊さんにはリポDあるから」。
その時点で48時間ぐらい寝ていなかったデザイナーの机上(もうむちゃくちゃだ)↓
ついでに彼のお休みセット(笑)↓
そうこうするうちにもどんどん作られていくサポーターズブログ。しかも、みなさんものすごく好意的なことを書いていらっしゃる。正直言えば、初日のサポーターズブログは10人ぐらいしか来ないんじゃないかとの見方もあったぐらいで、こんなに新しいブログが作られるとは思ってもみなかった。
宅急便で~す、と、届いたのはHFCさんからの花束。メッセージカードに「祝 オフィシャルブログオープン」の文字が入っていて、おいおい自分で自分のこと祝うのかよ!と突っ込みが(笑)<突っ込んだのは僕ですけどね(^^;)。
花束を抱えて、これどこ置こうかな、なんてやってたら、HFCの児玉社長がビール(もちろんサッポロ)とシャンパンを持って、WEBOSSのオフィスを訪れてくれた。ついこの間入ったばかりのスタッフが「毎日遅くまでやってて大変だったんじゃないですか?」と声をかけられてとまどってる。そりゃ、まさか実質3名であれだけのものを作ったとは思わないよな(手前味噌で恐縮です)。そのうえ「ここはこじんまりとしたオフィスでいいですねえ」っておっしゃられたのですが、これでも先月までいたところから比べると格段に広くなってるんです(^^;)。
あらためて、こんな吹けば飛ぶような会社が、これほどのことをやらせていただいたことのありがたさを感じました。そしてそんな話をする間にも、まるで朝ラッシュ時の山手線電車かのような間隔で新規開設されるサポーターズブログ。ホント、やってよかった。
今度は、これを収益モデルに変えていくのが僕の使命です。コンサにお金が入ってサポーターも楽しくなるような仕組みをどんどん作っていきますから、チームはぜひJ1昇格を!
2005年11月04日
大熊です。コンサドーレ札幌オフィシャルブログの管理を担当させていただいているWEBOSS株式会社に所属して、一応、事業企画担当取締役ということになっています。
といっても、小さな会社ですから、担当などというのはかなり形式的なものです。僕はフォワードだからディフェンスはできません、なんて言っていたら、たちまちのうちに会社は倒れてしまいます。このブログサービスの開発も、じゃがいもとホッケだけでも(?)徹夜して頑張ってくれるスタッフの涙ぐましい努力あってこそ。まだまだ発展途上である(そしてより高いところを目指す!)ところは、現在のコンサドーレ札幌と同じです。
おっと、これでは結婚式の祝辞で自社の宣伝を長々としゃべる来賓と同じになってしまう(笑)。ここでは、あくまで一人のサポーターとして、基本的にはゆるゆると(でもときには厳しく?)コンサドーレを応援していきます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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