2006年12月29日
会社でテレビ見てました。普通に、くつろぎながら(笑)。
一応、会社のオフィスなので、静かにしてましたし(相川のゴールの瞬間を除く)、終了後は何事もなかったかのようにテレビのスイッチを切りましたが、受け入れがたい敗戦です。「ありがとう」だの「よくやった」だの、そんなことを言う余裕は、今の僕にはないです。選手は悪くないんだから「よくやった」でもいいんだろうけれど、あんな判定で大会から去らねばならないことが、どうしても納得できません。
現場にいた人は、チームに拍手を送って当然だと思います。でも、試合の結果には、納得しちゃいけないんです。
反省点。
オフサイドトラップは危険(これはジーコがよく言ってたような気がする)。決めるところは決めよう(角度なくてもシュート打ってみよう)。確かに個人の技術では大きな差があったけれど、けっして勝てない試合ではなかった。
こういうのを「惜しかった」「よくやった」で総括してきた結果が、今までのこのクラブの歴史なんです。
現場で応援してた人と、テレビ見てた人とでは、かなり温度差が生じそうな結果ですね。あのオフサイドの見落としは、糾弾されるべきものです。「儲かりましたね」なんて言ってごまかしちゃいかんですよ、と、人間力に欠ける僕は思うのです。ああいうのを曖昧にしたら、ジャッジのレベルは上がっていかないでしょ?
でもね、結局、あれだけあったチャンスをモノにしていれば、勝てたんですよ。だから、副審のオフサイド見落としは忘れてはいけないことだし腹立たしいことだけれど(あの不条理な1998年のJ1参入決定戦ルールと同じくらい、忘れてはいけないことです!)、それはそれとして、みなさん、シュート練習しましょう。そうやっていかなきゃ、強くならないんだから!
あー、悔しい。これ、消化するまでには、まる一日以上かかるんじゃないかなあ。
現地で応援していたみなさんには、感謝でいっぱいです。「おれらのほこり~♪」も「おれたちと あつくな~れ~♪」も、テレビを通じて、響き渡ってました。すばらしかった。また来年、スタジアムでお会いしましょう! …と言いながら、シーズン終了から1週間でシーズンチケット販売会、1ヶ月も経たないうちにキックオフイベント、なんですねえ。天皇杯で勝ちあがるって、こういうことなんだなあ。
2006年12月28日
「明日の件なんですけどね」 「えっ?明日って、だって、行くんじゃないの!?」 「いやいやいや、明日は平日ですから」 「いやいやいやいや、だって、そりゃないんじゃないの」 「いや、東京ならともかく、静岡ですし」 「大丈夫なの?無理しないほうがいいよ(笑)」 というような仕事上の電話のやり取りが今日の午後ありまして、そういえばもうずいぶん長い間、風邪引いてないなあ、明日あたり体調不良になるかもしれないと思ったりもしたのですが(^^;)、なぜだかわかんないけど、そこまで無理して行くことはなかろうと心の声が聞こえるのです。 だけどやっぱり落ち着かない。準々決勝で勝ったときは、来週の金曜日か…1週間も先なんだな…と思ってたはずなのに、もう、明日じゃないですか。 自分のチームが天皇杯で勝ち残っていると、年の暮れってこういう感覚になるんですね。世の中的にはクリスマスも終わってあとはお正月を待つだけ、みたいになってるのに、自分の気分は、年末もお正月も何も関係なくなってる。不思議。 落ち着かないので、こんなのを見てみました。 ここで勝ったからといってもはやJ2降格は免れようがないのに劇的勝利を収めた、という意味では、勝つことに意味があった97年のフロンターレ戦や00年のレッズ戦よりも、このサンフレッチェとの死闘のほうが、本当はすごいのかもしれない。勝ったからといって、何も得るものはなかったのに、必死に戦って勝利を奪い取ったのですから。 今回の天皇杯も、それに似ています。もちろん、勝てば賞金が増えるのだから、得るものが何もないとはいいません。でも、たとえ優勝したとしても、目下の最大の目標であるJ1昇格には、何のプラスにもならないのです。 でもね…来季のことなんかどうでもいい。とにかく、目の前の敵を叩く!相川のシュートがクロスバーを越えようが、曽田のクリアが相手の足元に入ろうが、「あー」「うわー」「はぁ~っ」は禁止! 最後に、あえて書いておきます。今大会では、チーム創設11年目にして初のPK戦勝利を収め、初のベスト4進出を果たしていますが、次の「初」は静岡県での勝利です!そう考えると、準決勝の会場が国立ではなくエコパだったことが、むしろ楽しみを与えてくれたような気さえしてきます。 勝ちたい気持ちが強いほうが勝つ!
2006年12月27日
本日、オーロラタウンの紀伊国屋書店に行ったら、月刊コンサドーレの棚の前に「みんなで国立へ行こう」だかの手書きのPOP(というよりほとんどメモ^^;)が貼ってありました。 丸井今井南館のコンサドーレショップは、ひさしぶりにHTBグッズを押しのける勢いでコンサドーレグッズが手前に出てきて、あちこちに「天皇杯ベスト4」の貼り紙が。 いろんな人から「静岡行くんでしょ?」と言われるのですが、わたしは29日まで仕事です。仮に休めたとしても、さすがに、金銭的に厳しいよなぁ(<あー、こんなことを言っている自分がイヤだ…リーグ戦全試合を見た2年間は後先などまったく考えなかったんだから(笑))。 この間の土日がつぶれたこともあって、年賀状なんかまったく準備できてないし、あれもこれも何にもできてなくて、まったく年末という感じがしないんですが(おまけに天気もへんだし)、みなさん同じなんでしょうね。
2006年12月26日
本日は日帰りで東京にエルゴラを買いに出張に行ってきました。ものすごい雨で靴の中までぐしょぐしょ。あんなんで平塚なんかで練習なんかできたのか? 冬の嵐はともかくとして、本日は(東京では)Numberの発売日(札幌は例によって2日遅れなので木曜日ですね)。今号はなかなか読み応えのある記事が多いのですが(ハンカチ王子の記事はとてもよかった)、J関連では、一志治夫さんの横浜FCレポートが載っています(「高木琢也と三浦知良が挑んだJ1昇格への道」)。 その記事の中に、山口素弘の言葉として、こんなことが書いてあります。3月に室蘭で行なわれた、コンサドーレと横浜FCの試合についてです。 (引用ここから) 「(前略)この日の札幌は素晴らしくて、いろんな崩し方で攻めてきた。それで、すごく押し込まれたんですけど、チームとして対応して、体を張って勝てた。こういう戦い方で勝利というものは得られるんだよ、ということを若い選手が感じることができたゲームでした」 (引用ここまで) こんなところでほめられてもねえ、という話ではなくて、これって、今のコンサドーレにも当てはまるんじゃないの?と思ったのです。 ジェフ千葉、アルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府と、(いずれも今季は中位以下とはいえ)J1のチームと戦い、勝つことで、若いチームが「勝ち方」を体得しつつあるんじゃないか?内容は不細工でも、こうすれば勝てるんだよと、身を持って感じているんじゃないか?…感じていればいいなあ…というわけで、こういう点からも、ガンバを破って決勝に進んでほしいのであります。
2006年12月25日
すでにどこかで話題になっていそうなネタではありますが。 天皇杯での2部リーグのチームの優勝は、第62回大会(決勝は1983年1月1日)のヤマハ発動機が最後なのですが(これ、当時埼玉県人だった=ものすごくサッカーな地域に住んでいた=わたしは、テレビで見てました)、この試合のヤマハのDFは、山本昌邦、石神良訓、鈴木政一、柳下正明の4人でした。 柳下正明、23歳の誕生日は、2部リーグのチームで天皇杯優勝を飾っているのですね。 監督として臨んだ唯一の天皇杯で優勝しているのは、みなさんご存知の通り。 佐藤優也も、天皇杯に関しては何か持ってるとしか思えないけど、柳下さんだって、なかなかのもんですぜ。
2006年12月24日
コン魂亭さんのリクエストにお応えして、バックスタンドから見たゴール裏の写真です。アウェーなのにビッグフラッグが(真ん中部分だけとはいえ)出てきたので、僕もちょっとびっくりしました。 ついでに、選手入場前に行なわれた堀井岳也引退セレモニー。甲府、札幌の両チームから花束贈呈があったので、「両手に花」になってます。
2006年12月24日
仙台発千歳行きの飛行機は、仙台空港出発が30分遅れ、下北半島のあたりで「新千歳空港の除雪待ち」で上空を30分以上も旋回したものの、無事、新千歳空港に着陸しました。
ユアスタ(仙台スタジアム)と地下鉄泉中央駅の間には、立体駐車場があります。昨日の試合後、僕がその駐車場の出口前の歩道を横切ったとき、駐車場から出ようとしていたのは、甲府のユニホームを着た人たちを乗せたワンボックスカーでした。 歩行者の流れが途切れるのを待つ彼らが、車内からこちらに向かって拍手をしていたように見えたので、僕は自然に小さく頭を下げました(明確に意識はしていないのですが、たぶん、そうしたような気がします)。 その瞬間、ワンボックスカーのスライドドアが開き、甲府のユニホームを着た男性が半身を出して、僕に向かって「優勝してください!」と言ったのです。 もうね、半分、泣き顔なんですよ。当事者以外だったら、彼は怒っていると思ったんじゃないか。助手席で拍手していた人にしても、すっげえ悔しそうなの。だけど、悔しさを押し殺しながら、勝者を讃えてくれてる。 宇都宮徹壱さんも応援してくれてるコンサドーレ。決勝まで行けば、対戦相手のサポーター以外は、ほとんどすべての観客がコンサドーレを応援してくれるんじゃないでしょうか。 いや、まだ、先のことはどうでもいいです。まずは目の前の試合を、勝ちましょう。その先のことは、次の試合に勝ってから考えましょう。
2006年12月23日
ただいま新千歳空港へ向かう電車の中。何もこんなに早く行かなくてもいいんだけどね。
土曜日の朝だというのに、そこそこ混んでます。赤黒な人もちらほら。みんな日付入りニットマフラー着用。言葉をかわすわけではないけれど、不思議な連帯を感じます。
外はまだ真っ暗です。
2006年12月22日
急行はまなすで旅立つ友人の見送りに来ています。自由席はすいてます。赤黒な人ちらほら。
わたしは明日の朝出発予定。
クリスマスってこんなに暖かかったか?なんかへん。
などと書いていたら知り合い発見(笑)。
2006年12月22日
HFC営業部の高杉さんが、土曜日(もう明日!)のユアスタにプライベートで参戦するとのこと。 何かあろうがなかろうが【現地組】でアップしちゃってください。いいじゃないっすか。サポーターもフロントも、みんな一体になって戦うってことで。 いや、わたしが許可を出すようなものではないのですが、「いいですか」と問いかけられている以上、読んだ誰かが「いいですよ」と言ってあげたほうがいいかと思いまして。ですから、このエントリーを、トラバしておきます。 もちろん私もあのハウスメイトマフラー持参で参戦です。
2006年12月21日
天皇杯準々決勝が近づいて、へんなテンションで困っている今日この頃でありますが、一般的な世の中は年の瀬として動いています。 そんなわけで、本日は、仕事でお付き合いのある方々との忘年会でありました。つごう十数名の出席者のうち、肩書的にもっとも上位の方が熱心なコンササポ。その隣にいたのは、某4様の高校時代の同級生(なのだがサッカーにはまったく関心がないのでつい最近までヤツがコンサでプレーしていることを知らなかった由)。 えらい人いわく「最後の鳥栖戦、○○出てなかったでしょ?そうすると高いボールを跳ね返せないんだよね。はらはらするけど、やっぱりいないとダメなんだよね」(<別に名前を隠す必要はないか)。 素人さんには「見ていてはらはらするプロサッカー選手」という概念が、理解できない模様。 よせばいいのに、別のコンササポの方が「ときどき味方がとれないようなバックパスをする」だの「足元でボールが落ち着かない」と追い討ちをかける。 今にして思えば「テレビで米チェンやってる」とか「コンサドーレの歴代最多試合出場選手である」とか、そういう話をしてやればよかったのに…と、思うのであります。 その席で、このブログをみなさん意外に読んでいることがわかったので(もともとアクセス数は多いのだがそうした仕事方面の人が読んでることは想像の範囲外なのだ)、誰か気がついたら、本当はヤツは札幌のスターである(だってテレビCMやってて歴代最多出場だよ)ことを教えてやってください(<米チェンCMはネットでも見られますよ)。 そういう地道なところから、コンサドーレへのリスペクト(とまではいかなくても興味・関心)を喚起していかなきゃいかんのだ。
2006年12月20日
わたくし、5年前までは東京に住んでいて、現在も両親は東京にいるもので、ほぼ毎年、年末年始は東京で過ごしています。 それゆえに、ほぼ毎年、天皇杯決勝は生観戦しています。最近だと、例外は、京都パープルサンガが優勝した年ぐらいです(曽ヶ端が退場した場面は新千歳空港の搭乗待合室で見たような気がする)。 そんなわけで、今年も、決勝のチケットは、発売日にいつもと同じあたりの席を購入済です(毎年お会いする方、来年もよろしく)。元日観戦はこの種の人々にとっては恒例行事なのか、決勝戦だけは、対戦カードが決まっていなくても早め購入する人が多いようです。 ついでにいうと、1月2日の大学ラグビー準決勝@国立競技場を恒例行事にしている人も多いようで、いつだったか、2日のラグビーの試合前、あちこちから「一昨日の格闘技の話」「昨日の天皇杯決勝の話」が聞こえてきて、なんだよこいつらみんな同じ嗜好かよ(自分も)と苦笑したことがありました(コンサドーレができるまでは、自分にとって「アカクロ」といえばラグビーだったんですけどねえ…かつてはチケット買うのに徹夜してたのに、今では満員にならないのだから、時代は変わったよなぁ…)。 あ、話が逸れました。 まだ目の前のことが終わっていないのに先の話をするのは好きではないのですが、ご心配のムキもあろうかと、こんな情報をば。 以下、ヴァンフォーレ甲府のプレスリリース(■12/14 天皇杯準々決勝・応援バスツアーのお知らせ)から引用:
<お知らせ> 上記準々決勝に勝った場合、クラブに準決勝のチケットの割り当てがあります。 クラブからのご購入をお願いします。 金額:[SS席] 5,000円 [S席] 4,000円[自由席] (一般)2,000円/(高校生)1,500円/(小中学生)1,000円 ※尚、会場は国立競技場または静岡スタジアムエコパですが、準々決勝の試合後に決定します。 ※決勝に進んだ場合もチケットの割り当てがありますので、ご協力をお願いします。
甲府に限らず、どこが勝ち進んでも、同じことになるのでしょう。 まあ、そういうわけですので、余計な心配はやめて、まずは目の前の試合に集中しませう。
2006年12月16日
練習なんか見に行ったのはいつ以来だろ?ってぐらいに久しぶりですわ。あんなにガツガツやってるんですねえ。緊張感あって、いい雰囲気でした。 一人だけ短パン(!)の大塚選手。メインスタンドのギャラリー前で、タッチを割ったボールの扱いに躊躇する岡田に対し「オカチャンやれ!」と怒声を浴びせてました(頼もしい!)。 歩道橋も赤黒(いつの間に…今日、初めて気がつきました)。
2006年12月14日
私は(もともと東京にいたこともあって)関東地方の試合だと一人で出かけることは少ないのですが、天皇杯の準々決勝は仙台ですから、一人で見ることになるのかなあ、それならゴール裏だよなあ、などと、ぼんやりと、考えていたわけです。 ところが、日々、友人たちから「仙台に行くことにした」との連絡が来て、気がつけばすでに4人になってる(^^;)。しかもみんなJRを使うらしい(本日のJAL争奪戦に敗れた者も1名)。 JRの「仙台フリーきっぷ」だと、北斗星も使えて、札幌から26,500円で往復できます。年末+忘年会時期とあって、札幌を19時台に出る北斗星だと厳しければ、22時発の急行《はまなす》があります。これの座席車(指定席は一応リクライニングシートのはず)で往復すれば、リアル「どうでしょう」が体験できます。 そういう私も前日の天気予報次第では《はまなす》も選択肢に入れております。過去、冬の出張時に新千歳空港から先へ行けなかった、行けたけど何時間も遅れたといった経験は何度もしているので、低気圧リスクが発生しそうなときは、鉄道強行軍もアリです。
2006年12月14日
本日、コンサドーレ札幌スポンサー感謝パーティーに行ってきました(私の会社は(まだ(?))スポンサーではないのですが、HFCさんからご招待いただきました)。 パーティーの前に、第一部として児玉社長のお話(IRの説明会のようなもの)がありました。ここで(ニッカンが書いているので書いちゃいますが)三浦俊也氏の件について言及がありました。ただ、私は取材者として出席したわけではないので、これ以上の詳しい内容は書きません。 パーティーでは、何人かの選手と話をしました。みな、本気で天皇杯をねらってます。ひしひしと、伝わってきます(とくに砂川はいいぞー)。クラブ(HFC)の方を含め、ベスト8で満足している人は誰もいない、本気で決勝まで行くぞ、そして優勝するぞ!といった雰囲気です。 大人気は佐藤優也選手。みんながさわってヤツが持ってるツキが逃げたらどうすんだ!(笑)と思うぐらいに引っ張りだこでしたが、聞きたかったこと-「PK戦の途中で使うゴールが変わったときはどう思ったか?」を聞けて、よかったです(<なんだそりゃ)。この問いに対する僕なりの仮説は持っていたのですが、まったく大ハズレで、優也選手本人は、何も感じなかったらしい(^^;)。むしろ「ワナさんのほうがきつかったんじゃないすか?」だって。 そうそう、ブログのサービス提供している側として、和波選手には「もっとブログ書け!」と叱咤激励してきましたが、真顔で「ネタがないんですよぉ~」と返されて、参りました(笑)。いやあ、あんなによくしゃべる男だとは思わなかった>和波さん(<いきなり「さん」づけ)。
私がこういう場に出られるのも、オフィシャルブログを盛り上げてくれているみなさまのおかげです、ということで、選手に「ブログの読者にプレゼントしたいので」と、サインもらってきました。HFCさんのご了解もいただきましたので、いずれ、何らかの形で、ブロガーおよび読者のみなさまにプレゼントさせていただきたいと考えております。お楽しみに(^^)。
2006年12月13日
トップページの下のほうに、宿予約コーナーができました(というか、作りました)。仙台の宿の手配がまだの方、仙台遠征に限らずご旅行の方、ぜひぜひ、ご利用くださいませませ。 かくいうワタクシは飛行機込みのビジネスパックみたいなのを予約済なので、今回はここから宿を予約することはないのですが(次回の出張などのときには、ここから予約することにします)。
2006年12月12日
JFAサイトには公式記録がありますが、あちらは画像なので(=検索できないので)、記録を残すという意味で(天皇杯カテゴリーもできたことだし)ここに載せておきます。 1.(札幌)砂川○(新潟)エジミウソン○ 2.(札幌)曽田○(新潟)ファビーニョ○ 3.(札幌)大塚○(新潟)松下○ 4.(札幌)中山○(新潟)河原○ 5.(札幌)芳賀○(新潟)内田○ 6.(札幌)相川○(新潟)千葉○ ここまではホーム《札幌サポーター》側のゴールを使って実施 ここからはアウェー《新潟サポーター》側のゴールに変更 7.(札幌)和波○(新潟)寺川○ 8.(札幌)西嶋○(新潟)矢野× 蹴らなかった選手:佐藤、加賀、金子 勝因は、鳥居塚が蹴らなかったことでしょうか(<ネタ古すぎ)。 コンサドーレのPK戦、過去には7度あるようですが(検証不十分)、わたし、そのうち4つを見てます。1997年JFLの東京ガス戦(最後に山橋の力のないシュートが止められた)、98年Jファーストの柏レイソル戦(ディドが止めたのにやり直しさせられた)、同じ98ファーストの横浜フリューゲルス戦(豪雨<いまだかつてあれを超える雨中の観戦はない)、それにセカンドのベルマーレ平塚戦(これも雨だった)。言うまでもなく、すべて結果は負けでした。
この種の記録って、ある程度の年月が経過してから調べようと思うと、意外に出てこないものなんですよね(ネットに限らず、紙の資料でも)。グーテンベルクプロジェクトのミニミニ版みたいな感じで、ネット上にコンサドーレ札幌データベースを作りたい!というのは、実はひそかな夢だったりします(^^;)。
2006年12月12日
Yahoo!でもGoogleでも、「黄川田」を検索すると、先に出てくるのは黄川田将也さん(俳優)ですが、こちらで紹介する黄川田さんは、もちろん、黄川田賢司です。将也さんの兄、というより、すごそうなんだけど野次も多くて、でも愛された黄川田賢司(そのテイストを受け継いでさらに濃縮したのが曽田雄志?)。 先日の(といってももう2ヶ月近くも前だけど)OB戦でも活躍してくれた黄川田賢司氏のブログが、スポーツナビ+で始まりました(念のため申し添えておくと、スポーツナビ+のシステムは、コンサブログと同じくうちの会社で提供してます)。 黄川田賢司の「ON THE FOOTBALL」 最初のエントリーに載っているのは(本文中にはどこにも説明がないのですが)、2000年のコンサドーレJ2優勝時の記念写真です。厚別での大宮アルディージャ戦、ホーム側のゴール裏で岡田武史監督の胴上げが懐かしく思い出されます。 肝心の黄川田選手は、写真中央、岡田監督の後ろ(大森健作の隣)で、チャンピオンフラッグ(?)を引っ張りながら下を向いてます。なぜそんなことがわかるかといえば、同じ写真、我が家にあります。 これ、パネル時計です。J2優勝記念でこんなグッズも出たのですね。あれからはや6年。あのとき、浦和レッズはJ2で2位だったのになあ…(^^;)
2006年12月11日
2002年ワールドカップで日本が敗退したとき、岡田武史氏があちこちで言っていたことを思い出します。 いわく「ベスト16の相手がトルコで、勝ち上がれば次の相手はセネガル。自国開催で、しかもベスト4まで伝統国、強豪国と当たらない。こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれないのに、こんな負け方をしてしまったことが残念でならない」。 今回の天皇杯、準々決勝のカードは、浦和レッズ(orアビスパ福岡)-ジュビロ磐田、鹿島アントラーズ-清水エスパルス、ガンバ大阪-横浜F・マリノス、そしてわれらがコンサドーレ札幌-ヴァンフォーレ甲府の4つです。 いかにも強そうな名前が並ぶ中、札幌-甲府だけは、明らかに異質です。どちらが準決勝に進出しても「おおっ!」「えっ?!」と思われること間違いなし。 一昨年、天皇杯準々決勝でジュビロと当たったときは、J2最下位のチームがどこまでやれるか?でしたが、今回は違います。一昨年のチームにはなかった、J1でも通用するストライカー(フッキ)がいます(怪我は大丈夫かな?)。 準決勝まで行けば、少なくとも賞金獲得(1千万円?)。 優勝すれば、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)からFIFAクラブワールドカップに出られる可能性もある! J1で優勝してACL出場は、今のところ、まだまだ遠い夢でしかありませんが、天皇杯を制しての出場なら、あと3つ勝てばいいんです!! こんなチャンスは、次は、いつ来るかわかりません!!! フロント、スタッフ、選手、サポーター、スポンサー、みんなで一丸となって、目指せ、国立! とりあえず仙台への足は確保しました(^^)
2006年12月09日
本日は東京都内実家に宿泊です。 今日のMVPは芳賀!と書こうかと、試合中に見た風景を思い出しながら、そういえばよくしゃべってたなあと、あらためて気づいたのでした。 芳賀のどこがよかったかといえば、ピッチの中央で味方に指示を出し、危険な場所へと走らせていたことです。あんなことする選手、野々村以来なんじゃないかと思うほど。もちろん、前回のフクアリ(ジェフ戦)のときと同様、ピンチになれば必死にスライディングして、自ら体を張ってました。 後半終了直後、みんなが引き上げていく中、離れたところで一人しょんぼりしていた優也に近づき、声をかけたのも芳賀でした。 延長が始まるとき、曽田が優也の肩に手を回して声をかけていたのも、いつもはあまり見ることのない光景だったように思います。 前半は健太郎のパスやフリーランニングが他の選手たちの頭の中の絵とずれていたようで、健太郎のところでボールが失われるたびに、みんなが大きな声で健太郎に指示(叱咤?)。あんなにお互いが要求しあうコンサドーレ、本当に久しぶりに見ました。
2006年12月09日
PK戦の2人目に曽田が出てきたのが最大の衝撃でした(笑)。 そりゃ、優也があんなことしてなきゃ、相川があのバーに当てたのを決めてりゃ、90分で勝ってたんですけど、それもサッカー。これで負けてたら優也はもう立ち上がれないでしょ。試合運びがどうしたこうしたは、現場で歓喜の中にいれば、気にならないもんです。 PK戦の途中、場所が変わることになって一時的な中断のような雰囲気になり、場内が静かになったときにいち早く起きた札幌コール。リーグ戦の観客動員では新潟のほうがずっと上だけど、熱いサポーターの数なら札幌のほうがはるかに多いことがよくわかりました。 仙台行く飛行機、あいてないし高いから、急行はまなすの自由席でいいや。また民族大移動だぜ! ただいま京葉線電車内。これから祝勝会じゃ。
2006年12月09日
札幌駅よりJRに乗車中。ステラの温度計はマイナス2.5だったのに、線路脇の白い恋人はマイナス6。どうなってるんだ? 同じような格好した人がたくさんいます。こういう大規模一斉移動は久しぶりの体験です。かくいう自分もあちこちにいるKappaのトラックジャケットな人のわけで、ちょっと恥ずかしいかも(笑)。
2006年12月09日
無事起きられました、が、第一関門突破でございます(^^)。 寝たのは午前1時頃だったから、かなり心配だったんですが、ノープロブレム!でした。目が覚めても「もうちょっと」「まだ起きなくても大丈夫だ」「寒いし」などなど考えるふだんの自分からは考えられない、無駄なほどの早起き。 朝イチの飛行機で出張するときでもこんな早くは起きないし、たいていは朝メシも省略なんですが、今朝は鍋をかけてパスタ茹でました。ちょっとへんなテンションかもしれない(笑)。 マスコミはネガティブな話題ばかり出したがる昨今ですが、われわれはポジティブに行きましょう。 いざ、出発!(って、まだ早すぎるって^^;)。
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