もっと!ハードワーク?(2008-ナビスコ-#05 vs川崎@等々力/現地観戦)

2008年05月31日

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お昼過ぎ、武蔵小杉の駅でHFCの児玉社長と一緒になった。「こんなに早く行くの?」と聞かれたので「雨に濡れない席を確保したいもので…」と答えてしまったら、等々力陸上競技場の関係者入口へ消えていく児玉社長から「すみません」と言われてしまった。そんなふうに気を遣われてかえって恐縮してしまったが、しかし、今日の敵は、雨よりも風だった。バックスタンド2階の最上段は、確かに、空からの雨は避けられたが、強い北風は避けようがなく、雨はつねに吹き込んできた。しかも、まるで冬のように寒い。コートどころか手袋もほしくなるようなコンディション。

試合序盤は、コンサのリズムだった。先週の函館ではみられなかったハードワークでボールを奪い(芳賀は先週とは別人のようだった!)、川崎を押し込んだ。右からのダヴィのシュート、それをゴールキーパーがはじいたこぼれを拾った西谷の強烈なシュート、右からの砂川のクロスにファーサイドで合わせた西のヘディングシュートのどれかが決まっていれば、3週間前の大宮戦のような展開に持ち込めたかもしれない。

しかし、決められなかったというべきか、相手のゴールキーパーが当たっていたというべきなのか、いずれにしても、最初のダヴィと西谷のシュートで得点できなかったことは、相手のゴールキーパーを乗せてしまったらしい。せめて西谷のシュートをはじいたときに誰かが詰めていればと思うのだが、あそこに誰も顔が出せないのは、本職のFWがダヴィしかいない状況では、やむを得ないのか。

それでも前半をせめて0-0でしのげれば十分にチャンスはあったと思うのだが、たった一発のカウンターで、我那覇にやられてしまった。それも、マークについていた柴田があっさりとかわされ、芳賀(?)と吉弘も我那覇の前に入っていたのに、簡単にシュートを打たれてしまったのだから、どうしようもない。

FWの西はほとんど何もできず、これはハーフタイムで交代でもよかろうと思っていたぐらいだったから、後半に入って最初の交代が西→エジソンだったのは納得だが、エジソンは、まだまだ、期待を背負わせるにはほど遠いようだ。入ってすぐ、相手ゴール前に流れていったルーズボールを追うのを途中でやめたら、ベンチの三浦監督が見たことがないような勢いで上半身を震わせながら飛び出してきた(ウリセスもびっくりして?出てくるタイミングがかなり遅れた)。そこからは、おいおいそこまで行かなくてもよかろうというぐらいに相手ボールを追い回していたが、おかげで攻撃に関しては何がいいのかさっぱりわからず。ただ、相手選手にはことごとく競り負けていたから、やっぱり、まだまだ、きついと思う。

西谷→岡本に続いて砂川→上里の交代で、申し訳ないが、自分的には、ジ・エンドだった。疲労を考慮してなのか、停滞した流れを変えたいからなのかわからないが、いまの岡本や上里では、正直、J1は厳しい。多少動けなくなったとしても、砂川や西谷のキープ力やアイデアがあったほうが、ずっと可能性を感じる。

チームとしてやるべきことはやれているようにみえるのに、そして相手はゴールキーパーとセンターバック2人が代表で欠けているというのに、この結果では…いったい、どうしたらよいのか、さっぱり出口が見えてこない。大量失点こそないものの、毎試合、失点を続けている以上、何かを根本的に変えなければならない時期であるようにも思える。

ナビスコなんだからなんでもいいや…と思っていたはずなのに、こんな負け方をすると、やっぱり、悔しいし、寂しい。

武蔵小杉の駅前で↓
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22:34

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キャプテンマークのゆくえ(2008-ナビスコ-#04 vs千葉@函館/現地観戦)

2008年05月25日

今季、雨の中での試合は負けていなかったのは、雨だと技術の差をハードワークで埋められる程度が大きくなるからなのかなと考えていたのだが、今日に関しては、相手を舐めてかかっていたのかと思うほど、ハードワークができていなかった。大宮戦、名古屋戦と続いたアグレッシブな姿勢は、いったいどこへ消えてしまったのだろう?

失点の場面だけみれば、ああいう守り方なんだから仕方がない、相手がうまかった、とはいえるのかもしれない(認めたくはないけど)。

1点目は、コンサからみて左から速いアーリークロスが入ってきたのに対し、センターバックの間のスペースに新居が走りこんできてフリーで合わせたのだが、前節の名古屋戦で玉田にやられたのと同じだから、この守り方の構造的な問題だ、といえば、それまでのこと。

2点目は、ペナルティエリアの(ジェフからみて)右寄りで裏に抜けてパスを受けた新居が、ゴール前を横断するように緩急をつけつつコースを変えながらドリブルしたのに対し、コンサの選手たちはまったくついていけなかった。冗談抜きで、あの11番は誰?ストイコビッチか全盛期の前園?と思って、それが新居であると思い出したのは、失点してからしばらく経ってからだった(にしても、誰かもっと厳しくチェックにいけなかったものか?)。

それでも必死にやっていればいつか神様が微笑んでくれるのは、先々週の雨の大宮でわかったはずなのに、今日は、相手のハードワークに押されていた。雨の影響でお互いにパスがつながらない中とはいえ、コンサはミスが多すぎた。唯一の収穫は西谷にキレが戻ってきたようにみえたことだが、それだって、一緒に見ていた友人に「ほかの選手が動けていないから西谷がいいように見えたのではないか」と言われてしまえば、そうかもしれないなあと思えてしまうほどだ。

まあ、ナビスコは、いいとしても、この先のことを考えたとき、チーム全体が自信を失ってしまうことにならないか、今日の試合を見ていて、心配になってきた。とりわけ、守備の軸になりつつあった柴田は、何を恐れているのかこわごわと相手に対応し(後半はレイナウドにいいようにやられていた)、萎縮がさらにミスを生んでいた。もう一人のセンターバックを務めた池内の前へ送るボールがどこへ行ってしまうかわからない、中盤では芳賀がマイボールをことごとく相手に渡してしまう、といった状況だったので、柴田にとって難しかっただろうとは思うのだが、こういう具合にミスの連鎖で積極性が失われてしまうのは、とても怖い。

芳賀の交代が告げられたとき、キャプテンマークを託されたのは西谷だった。単にメインスタンド側のタッチライン際=芳賀がピッチの外に出るときに通る場所にいたのが西谷だったから、なのかどうかはわからないが、しばらくは肘の下にキャプテンマークを巻いたままプレーしていた西谷の姿は、なんとなく落ち着きが悪かった。

その西谷が藤田と交代すると、西谷にキャプテンマークを渡された藤田は「え?どうすればいいの?」といった様子で、ピッチの反対側の自分のポジションについてから、結局、自分の腕に巻いた。

やや強引なことを承知でいえば、これが、この試合のコンサだった。緊張感がなく、集中力に欠け、自分でなんとかするのではなく、誰かがなんとかしてくれるだろうと他人任せにしてしまう。

ナビスコの残り2試合、大事に、そして必死に戦ってほしい。


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23:28

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5.25

2008年05月24日

3度目の昇格が決まった12月1日という日付は、あと何年かしたら忘れてしまいそうなのだが、5月25日だけは忘れられない。もう11年も経つのに、5月25日が近づくとやっぱり思い出すのだから、忘れることはないだろう。

1997年JFL第7節、コンサドーレ札幌-川崎フロンターレ@厚別。88分ベッチーニョ(川崎)のゴールでコンサが2点ビハインドになりながら、ロスタイムにバルデスの2得点で追いつき、延長後半7分にバルデスのVゴールで勝った試合-といっても、当時はまだ僕は東京に住んでいて、まさか自分がわざわざ札幌に引っ越すことになろうとは思いもよらず、コンサドーレというチームがあるのは知っていてもJFLだったから情報もほとんどなく、現場どころかテレビ中継さえ見ていない。

それでもこの試合が忘れられないのは、東京にいながらもこの試合はなんとなく気になっていて、日帰りでもいいから行ってみようかと、ちらっと考えたからだ。しかし、当時の自分にとっては、わずか1試合のために東京から札幌を往復することなど「ありえない」ことで、同じ日に秩父宮ラグビー場で行われた日本代表とどこか(アメリカだったか?)の試合を見に行ったのだった。

その帰り道、神宮外苑の銀杏並木の下で、厚別の壮絶な試合の結果を知ったような記憶があるのだが、今と違って携帯端末で情報がとれたわけでもなし、どうやって情報を収集したのかは定かでなく、もしかするとこれは後から作られた記憶かもしれない。

11年前のインターネットはまだまだ特別な存在ではあったが、JFLの情報を得るほとんど唯一といっていい手段が、インターネットの中にはあった。誰が作っていたのか、JFL全試合の試合経過を詳細に記録したテキストページもあった。

コンサは当時からかなり情報が充実していて、石屋製菓さんのサイトの中のコンサドーレコーナーにゴールハイライトの動画があったり、NTT?の実験でPHSを使った試合風景静止画1分間隔ほぼリアルタイム配信なんてのもあった。電話代を気にしながら、静止画中継を楽しんでいた(という話は、以前にもこのブログで書いたような気がする)。

5.25川崎戦のバルデスのVゴールは、たしか、石屋製菓さんの動画で見たのだと思う。家庭用ホームビデオで撮影されたものだから、太鼓の(今となっては素朴な)音とざわめきだけが聞こえていた中で、突然、撮影者が「うぉーっ!」と叫び、バルデスが客席に向かって走り出し、サポーターと喜びを分かち合う光景。あの動画が、あの日の厚別の熱気を伝えてくれた(から、11年後の自分は、すべてをコンサドーレに賭けるような生活をすることになってしまったのだが(笑))。

いまにして振り返れば、あれは権利関係の緩かったJFLだからできたことでもあり、できたばかりのチームを応援したい人たちが、よくも悪くも好き勝手なことができた時代だった、のだと思う。

もっと前から見ている人だと「ペレイラのフリーキック」あたりから語りたくなるのだろうが、僕は、これからもずっと、5月25日が来るたびに、老人の繰り言のごとく、同じようなことを言い続ける、どころか、年を取るにつれて、繰り言傾向がさらに強まるおそれすらある(苦笑)。何十年後かに孫がいたとしたら、嫌われないように気をつけねば。


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09:59

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もう4年も前?まだ4年前?

2008年05月15日

marutaさんからトラバいただいたので、といっても、デリケートな問題を丁寧に解きほぐすだけの時間的精神的余裕が今はないので(業務輻輳中)、季刊サッカー批評21号(2004年1月発行)掲載「コンサドーレ札幌、つぎはぎの8シーズン」(文・永井謙一郎)から、考えるヒント的な部分を、以下、抜き書き(まあ、ご存知の方も多い記事だろうとは思うのですが)。

その1(同誌85~86ページ)

HFCの資本金は、設立時の96年4月で8億3千7百万円。その後、増資を幾度か繰り返し、現在は25億5625万円。この増資の目的は、もっぱら選手・監督などトップチーム人件費のためだった。
通常、企業において資本金を募るのは、工場など企業の資産を築くためであり、選手の給料は資産とは言えない。なのに、入場料や広告料などの収入で選手人件費をまかなうという理想的な構図に近づける努力を怠り、赤字になり、やむなく資本金を現金という流動資産に取り崩して、それを食いつぶすという構図になり、設立2年目にして早くも破綻の音が鳴り響いた。しかしその後も、00年のように、増資でカネを得ようとした。
資本金5億円以上の企業は商法上大会社扱いとなり、株主総会で決算を通すにも監査法人の監査が必要で、監査法人への費用は年間約4百万円。さらに04年度からは資本金1億円を超える企業については法人事業税について外形標準課税導入のため、HFCの資本金規模だと例え赤字でも年間約6百万円が納税になるだろうとHFCでは計算している。今となっては、資本金が膨らんだせいで04年度からは黙っていても毎年1千万円は飛んでいく。若手選手を2人雇えておつりが来る。

その2(同誌89ページ)

佐々木は歯を食いしばって語る。「選手強化サイドは、『本州の選手には大金積まなきゃ北海道には来てくれません』と言う。でももうそれじゃ会社はもたないし、選手の気持ちは『来てやったんだ』というおごりのまま。ウチには大枚はたいてビフテキ食わしてという選手はもういらない。ホッケやジャガイモ食ってでもチームのためにがんばるという選手と一緒に汗を流したいんだ」

後者の「佐々木」は、当時の佐々木社長のことです。元記事は、オリバー・カーンが表紙の号に載ってます(全8ページ)ので、お持ちの方は探してみてください。


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19:35

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藤田征也のサイドバック

2008年05月15日

先日のヴェルディ戦のときに話したら意外に知らない人が多かったので、お知らせ的に書いておきますが、藤田征也は、U-16ぐらいまでは(もしかするとU-17でも)、代表チームではサイドバックとして使われていたはずです。

「はずです」などと曖昧なのはちゃんとした資料が見つけられないからなのですが、手元にある資料(デジタルデータではない)では、たとえば2003年の北海道国際ユースのとき、城福浩監督(現FC東京監督)率いるU-16日本代表チームでは、藤田はDF登録です。当時のU-16では、前目のポジションをやることもありましたが、基本はサイドバックだったような印象があります。

どなたか詳しい方、補足をいただけるとありがたいです。


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14:11

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みんなの勝利(2008-J1-#12 vs大宮アルディージャ@NACK/現地観戦)

2008年05月14日

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なんかいろいろバタバタなもので、ネット情報も収集できていない現状、遅きに過ぎる話題かなと思いつつも(<はい、前置きが長いですね、言い訳聞き飽きたから結果見せろってか)、現地にいた者としてこれだけは記録に残しておかねばならない!ということが一点。

85分のダヴィの決勝ゴールは、サポーターの力で奪ったもの。

こういう言い方が好きではない人もいるのはわかっているのだが、あれは、大宮ゴールのすぐ後ろにいたコンササポーターの見えない力が、ボールを手前(=ゴールネット)に引き込んだ得点だと、僕は信じている。あえて科学的に説明しようとするならば、サポーターの気持ちがピッチ上の選手に伝わり、選手たちの集中力があの場面を生んだ、ということになるのかな(でも、再現性があるわけではないから、この説明も「科学的」とはいえないか)。

サッカー専用でスタンドとピッチの距離が近い、というと、ゴール裏とゴールラインの関係を思い浮かべることが多いだろうが、この日は、メインスタンドやバックスタンドのアウェー寄りも含め、3方向から、最後にダヴィが叩き込んだゴールに向けて、パワーが送られていた。いや、なんだか、へんな表現になってしまうんだけど、アウェーだというのにメインやバックでも堂々とコンサを応援できてしまうどころか、メインスタンドなんて、赤いポンチョを着た人ばかりだった。

それでも、厚別や札幌ドームのような、スタンドとピッチの間の仕切りが曲線になっている構造なら、あそこまでの迫力は出なかったと思うのだが、サッカー専用スタジアムゆえにメインやバックとゴール裏の間が90度になっている、ということは、ゴール裏とメインやバックの間の距離が近い、ということで、そのうえこの日は試合前にゴール裏からメインやバックへの呼びかけもあった(同じようなことは昨年の鳥栖でもあったが、この日の大宮は、ゴール裏・メインとも、昨年の鳥栖よりはるかに人数が多かった)。

そしてゴール裏の気合といったら、ホント、すごかった。はじめからこんなに飛ばして大丈夫か?と思ったのは、ピッチ上だけでなく、ゴール裏に対しても同じこと。選手が入場してきたとき、「これでやらなきゃウソでしょ」と思ったぐらい。ゴール裏のアウェーサポーターが狭いところに押し込められたがゆえに、かえって迫力が増したようで(そういう意味では、余計なお世話だが、大宮はあのメインスタンド側のゴール裏自由席スペースをもっと狭くして、コンササポの位置取りを分散させたほうがよかったと思う)、ときどきちらちら見ていた限りでは、最前列から2階に至るまで、休んでいる人が誰もいなかった。全員が立ち上がって、手を叩き、声を出していた。

メインスタンドにいた僕ですら、最後の数分間は立ち上がってしまっていた(上のほうだったから後ろには誰もいなかったと思うのだが、同じ高さで見ていた横のほうの方には迷惑かけたかもしれませんね…勝利に免じて、許してやってください)。

少しサッカー的な話をすれば、前半は、ハードワークができていたから、ルーズボールがことごとくコンサの選手の前にこぼれてきた。ただ突っ立ってるだけならばこぼれてこないのだろうが、コンサの選手のほうが大宮の選手よりも先に動いているから、コンサの選手の前にこぼれてくるように見えていた、というほうが正確か。宮澤は、少なくとも前半30分過ぎまでは、予想以上に前から相手を追い込み、大宮のパスコースを消していた。砂川とクライトンは激しく言い合いながらも、クライトンからは笑顔がのぞくことが多かった。芳賀は、髪の毛が短くなっていて、遠めには誰だかわからなかった(笑)。西は(どうも僕は西には甘いみたいなんだけど)、ボールを後ろに戻さず、とにかく前に運ぼうとしていた。

後半に入って攻め込まれたのは、いうまでもなく、コンサの足が止まったからで、スタンドから見ていると、誰がどうこうではなく、みんな、動けなくなっていた。とりわけ宮澤はほとんど動かなくなっていた(チェイスしようという気持ちはうかがえるのだが、体がついていかない感じ)、ということを、前半と考え合わせると、やっぱりこのチームには中山元気が不可欠だったのだなとの結論になるのかなあ(でも、そうだとすると、ノナトの代役探しではないってことになるんだが…それはまた別の話)。

あれほど攻め込まれながら1失点で済んだのは、前半は中盤から前の選手が頑張っていたので後ろの選手は消耗せずに済み、試合終盤になっても後ろの選手の集中力(肉体的疲労を含む)が切れることがなかったから、だと思うが(その点ではもちろん選手のがんばりがいちばん大きい)、最後の得点は、神様がくれたハードワークへのご褒美と、アウェーなのにメインやバックまで巻き込んだゴール裏の気持ちが引き寄せたもの、だと思う。

それと、この前の試合後会見で「私を含めたパフォーマンスが」と、珍しく(?)自らのミスを認めた三浦監督。僕は、監督という仕事については、少なくとも外向けにはやたらと謝罪したり言い訳したりするものではないと思っていることもあり、大宮時代(とくに第1期)には強気なことしか言わなかった三浦監督にしては妙なコメントだなと気になっていた。でもこの人のことだからクライトンはまたFWなのだろうとも思っていたのだが、大宮時代とは比べものにならないぐらいの(あえてきつい表現を使いますが)「雑音」に囲まれたことで、監督としてひと皮むけはじめたのかもしれない(いや、それは、さすがに言いすぎか^^;)。

85分の得点直後、コーナーで抱き合うダヴィとクライトンと池内(そしてそこに駆け寄る西)を無視してゴール裏にアピールする柴田(いいヤツだ)↓
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16:43

2008遠征 コメント(2)

明日は防寒対策を!

2008年05月09日

すでに東京に来ておりますが、今夜はわりと涼しい、というか、冬物のスーツを着て歩いていても、あれっ?寒いかも!?と思ってしまうほど。なるほど明日は気温が下がるというのも納得です。

天気予報によれば、明日の最高気温は朝に記録するのではないかとのことで、日中はかなり下がりそう。おまけに北風が入ってくるようです。「雨の降り方は弱い」そうですが、雨を完全に回避できることもなさそうで「3月下旬の陽気」よりも、さらに寒い体感になることも予想されます。

思えば、あのひどい風雨だった日立台のときだって、天気予報では、あれほどまでに降るとは思っていなかったわけで、油断は禁物です。

いずれにしても、このところの札幌よりも寒くなりそうな感じでありますので(今夜に限っていえば感覚的には連休中の札幌と変わらないです)、明朝に札幌を発つみなさまにおかれましては、一枚余計に持ってきたほうがよさそうです。

老婆心ながら。


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20:56

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純の父

2008年05月08日

大宮サッカー場に行ったのは、大宮アルディージャがJ1昇格を決めた日が最後だ。その後も大宮のホームゲームは何試合か見たが、駒場や埼スタだった。

その日の試合内容は、ほとんど記憶にない。試合終了直後、バレーとツゥットが抱き合っていた光景にしても、頭の中に残っているというよりは、自分が撮った写真を後日になって何度も見ているから見たような気になっているに過ぎない。

そんな中、はっきりと記憶しているのは、試合後、大宮の選手たちが場内を一周していたとき、突然、一人の大男が、僕のいたバックスタンドに上がってきた場面。バックスタンド中央には、スタンディングオベーションを送る人々が密集していたのだが、彼=ディビッドソン純マーカス=が、ピッチからバックスタンドへ逆乱入してくると、彼の前には道ができた。プロレスで、入場シーンでは観客が選手の体を叩いたりしても、試合中の乱闘が起きると人の波が引いていくのと同じで、人間には、想定外の出来事に対しては、その場から離れる、という本能が備わっているらしい。

スパイク履いたまま座席の上を歩くのはどうなのよと考える余裕すら与えずに、マーカスはドタドタとものすごい迫力でバックスタンドの上へと進み、野球帽をかぶった白人男性に抱きついた。そのとき初めて、ぼくらは、自分たちのすぐ後ろに一人でじっと座っていた外国人男性が、純パパであったことを知った。

手を伸ばせば届きそうなところに、いま昇格を決めたばかりの選手がいるというのに、誰も声をかけることもなく、みんな、遠巻きに、彼らの姿を見守っていた(ような気がするのだが、もしかすると自分の脳内で作られた記憶かも)。僕は、そのとき、なるほど、この行動は日本人の感覚ではないかもしれないなあと考えていた。

いまやコンササポから戦犯扱いされつつある(?)彼ではあるが、大宮が初めてJ1で戦った年には「日本代表入りか?」と注目を集めたこともあった(たとえばこれとかこれ)。

試合に出るのかどうかわからんが、出たら吉原宏太に負けずにがんばれ。


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18:35

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すでにかなり危機的状態なんです、という数字遊び

2008年05月07日

はじめにおことわりしておくが、監督を替えろと主張するつもりはない(念のため)。

11節終了時点でわれらがコンサドーレ札幌は、勝ち点7(得点9、失点21)。J1が18チームになった2005年以降、昨年までの3シーズンについて調べてみると、11節終了時点で勝ち点7以下だったチームは5チームある。そのうち3チームが降格し、2チームは最終順位を上げてJ1に残留している。

(降格した例)
 05年神戸(11節終了時:勝ち点6、18位)→最終:勝ち点21、18位
 06年C大阪(勝ち点6、18位)→最終:勝ち点27、17位
 07年横浜C(勝ち点7、17位)→最終:勝ち点16、18位

(残留した例)
 06年広島(勝ち点7、17位)→最終:勝ち点45、10位
 07年大宮(勝ち点6、18位)→最終:勝ち点35、15位

降格したほうをみても仕方がないので、残留した2例についてみると、まず、06年の広島については

(06年広島の1試合平均得点/失点)
 11節まで:得点1.27、失点2.18
 12節以降:得点1.57、失点1.39

得点が0.30増である一方、失点は0.79減と、劇的に改善している。この変化をもたらした(かもしれない)要素は、13節から監督がペトロヴィッチに替わったこと。もちろん、それ以外にも、さまざまな要素が絡んでいるのではあろうが。

07年の大宮も、途中で監督が替わり、19節から佐久間監督が指揮を執ったのだが、数字上は実は大きな変化は起きていない。

(07年大宮の1試合平均得点/失点)
 11節まで:得点0.55、失点1.27
 12節以降:得点0.78、失点1.13
 19節以降:得点0.88、失点1.31

監督が替わった後に限ってみても、得点力は上がったものの、失点はむしろ増えている。これで入れ替え戦にもまわらなかったのはミラクルで、なぜそんなことが起きたかといえば、11節終了時点では勝ち点15で11位だった広島が、残りの23試合で勝ち点を17しか積めず(=11試合に換算すると勝ち点8しか取れていないのと同じ)に落ちてきてくれたから、そして、結果的に最下位に終わった横浜FCが「一人負け」だったので残留勝ち点ラインが下がったから。

ここで見方を変えて、入れ替え戦にも出なくて済む15位チームの最終勝ち点をみてみると、07年大宮(35)、06年甲府(42)、05年清水(39)で、平均すると勝ち点は38.7。そこで、勝ち点39を最低目標と考えると、今年の札幌は、残り23試合で勝ち点32を取らなくてはならない。そのためには1試合平均で勝ち点1.39を取らねばならない、という説明ではわかりにくいが、要は、2試合で2.78、3試合では4.17取らねばならない。2試合で勝ち点2.78ということは、きわめて単純に考えれば、1勝1敗ペースで進まねばならないわけで、現状からすれば、かなり厳しい条件になる。

だからもうダメだ、ってことじゃなくって、内容は悪くない、まだ行ける、とか言ってる場合じゃないですよ、ってことです。昨日の試合にしたって、確かに後半は見ごたえがあったかもしれないけれど、残った結果は「勝ち点ゼロ、得失点差マイナス2」でしかない。

考えれば考えるほどはまっていくので、今日のところはここまで。


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10:36

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昔話とか(2008-J1-#11 vs東京ヴェルディ@札幌ドーム/現地観戦)

2008年05月06日

自分の頭を冷やすために、多少の時間が必要だった、ので、帰宅してからしばらく寝た。それからメシ食ったら、ちょっと、気持ち悪いかも。

今日の試合について、なんではじめからクライトンを中盤に置かないのか、とか、デビ純と芳賀を並べても始まらんだろう、とか、また負けてるのに交代枠をディフェンダーで使うのかよ、というよりなんでセンター平岡なのよ、とか、そんな話はネット時間的にはもう消費され尽しているだろうから、別のお話をしてみましょうか。

2002年Jリーグディビジョン1ファーストステージ第11節、FC東京-コンサドーレ札幌@国立(観客20,326人)。キックオフは7月28日(日)19時04分、得点は11分ケリー(東京)、21分石川直宏(東京)、33分戸田光洋(東京)、54分バーヤック(札幌)、で、結果は3-1で東京の勝利。

この年は、ご承知の通り、本日の相手チームの監督が新人監督として札幌を率いたものの、まったくうまくいかず、リーグ戦7節を消化したワールドカップ中断期間中に新人監督は解任。イバンチェビッチ監督+バーヤック+ジャディウソンの新体制で迎えた中断明け後の初戦(第8節ヴィッセル神戸戦@神戸ユニバ)は、押し気味で試合を進めたが、チャンスを決めきれず、75分に失点して0-1で惜敗。その次の第9節浦和レッズ戦@国立は、延長Vゴール負け。さらに第10節横浜F・マリノス戦(札幌ドーム)は、前節まで無敗だったマリノス相手に2点を先制、相手チームが退場者を出すという状況だったにもかかわらず、残り時間わずかで同点に追いつかれ、最後は延長Vゴール負け。

そして第11節の東京戦。ようやくこのシーズンのチームの形が見えてきたというのに、イバンチェビッチは、自ら形を崩してしまった。登録上はそれまでと同じ3-5-2だったが、この試合に限っては、東京対策として、守備時には4バックとする戦い方を選択した。その結果が、前半のあっという間の3失点(当日は神宮外苑で花火大会が開催されていて、東京のゴールとともに花火が上がっていた)。ハーフタイムを挟んで、いつもの3-5-2に戻したら、後半は別のチームかと思うぐらいに札幌が一方的に攻める展開になったが、さすがに3点のビハインドは重すぎて、1点を返したにとどまった。

確かに、イバンチェビッチ就任後、この試合の前までの3試合は、いずれも「負け」ではあった。でも、それ以前のことを考えれば、チームは、明らかにいい方向に進みつつあった。何をしていいのかわからないようにすら見えた前監督の頃とは違い、選手も何をすればよいのかがはっきりして、生き生きとしてきていた。だから、もう少し我慢していれば、長いシーズンの中での流れが変わってくるのではないか、と、一介のサポーターである僕は思っていた。

しかし、前監督のチームを知らないイバンチェビッチには、自分が就任してからの3試合の負けだけがすべてだったのだろう。せっかくたぐり寄せつつあったいい流れを、自分から動くことで手放してしまった…イバンチェビッチが悪いのでもなければ、もちろん選手が悪いのでもなく、ただただ、残念だと思った。土曜-水曜-日曜と8日間で3試合が行われた過密日程の中で、イバンチェビッチの勝負師としての勘(そんなものを持っていたならば、ではあるが)が、どこかずれてしまったのだろうな、と。

で、結局、監督どうなのよ?という現状になるのではあるが、このところの三浦監督の選手起用がわからなくなっているのは、過密日程+故障者続出+勝てなくなっていることで、監督のみならず、選手も、サポーターも、どこかにちょっとしたズレが生まれてしまっているからではないかと、サッカーの戦術や戦略から離れた部分に答えを求めたくなっている-というのが、ちょっと寝て少し頭を冷やした今の時点での感想。

そうした中で結果を出せないのは監督の能力の問題だ、といえば、それまでのことなんだけど、そんなことを言ったところで代わりの人なんか見つからないんだし(<というわけで、現監督にはものすごく後ろ向きな理由しか見つけられないのだが)、現監督の意固地なところはそう簡単には変わらないどころか、周囲が騒ぐほどに意固地になっていくだろうから、まあ、結局、サポーターとしては、応援するしかないっすよね、と思うわけです。

ここからは、チームではなく、ファン・サポーターの話。

試合が終わった直後に、ああでもないこうでもないと言うのは、かまわんのだ。ただ、試合が始まったら、終わるまでの間は、試合を投げちゃいかんですよ。そりゃ、途中で「もうダメだ」と投げ出して評論家になったほうが、試合終了後の落ち込みや怒りは、少なくて済む。前半だけで3点取られて、しかもこちらは攻め手がまったく見えない状況で「まだ行ける、頑張れ」と言ってるのは、傍から見れば、バカでしょう。それでやっぱりそのまま負けたら、まだ勝てると思っていた自分に対し、自己嫌悪になるかもしれない。それでもいいじゃない、いまさらカッコつけてどうすんの!と思っちゃって、今日みたいな試合展開になっちゃうと、周囲の観客と(心の中で)戦っちゃってるのですよ、わたしは。

ボールがタッチラインを割ってもいない(割ったと判定されていない)うちから「あー」とため息ついたり、ちょっとしたパスミスに「えー」とか言ったりしてるから、ピッチ上の選手が、タッチラインの手前で止まるかもしれないボールを追いかけるのを途中でやめちゃったりする、というのは、かなりの暴論ではあるが、勝っているときはサポーター目線なのに、今日のような展開になると、観戦している自分が傷つかないように評論家目線になってしまうのは、やめましょうよ。

グッチーさんが言ってるじゃないっすか。「選手と一緒に戦う」って。「一緒に戦う」っていうのは、「選手を観察する、批評する」ではないのですよ。そんなの思い上がりだといわれようがなんだろうが、少なくとも試合が行なわれている間は、ぼくらが試合の展開を読む必要はないでしょう、と、なんだか一人称も文体もぐだぐだになってきましたけど、そう思うのです。

「カズさん、なんで負けても遊びにいけるんですか」
「次の試合がある。だから切り替えるんだよ。次が始まるんだから。後ろを振り返ってもしょうがねえだろ」
(望月重良『もう一回蹴りたかった』ぴあ刊、70ページより引用)


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21:35

2008ホーム コメント(0)

前を向いて進もう(2008-J1-#10 vs京都サンガ@西京極/現地観戦)

2008年05月03日

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キックオフ直前に買ってきた氷入りジュースを座席の下(日陰)に置いておき、10分後に飲もうとしたらもう氷がすっかりなくなってぬるくなっていた、というぐらいに、暑かった。気温だけみればこのところの道内より少し高い程度だが、日差しのきつさは、この時期の札幌ではあり得ない。ただし、本州以南の夏につきものの湿気はなく、風が吹けば気持ちがいいぐらい。体感的には、真夏の厚別のデーゲームといったところか。

連戦、しかもこの条件だから、メンバーが固定されているのはきつい。前節とまったく同じメンバーの札幌に対し、京都は、アタリバをトップ下のようなポジションに置き、シジクレイを最終ラインに入れた3-5-2で試合に臨んできた。両チームのメンバーが発表されたとき、僕は「あれっ?4バックじゃないの?」と思い、試合が始まってからしばらくの間も、本当は中谷が左サイドバックなんじゃないか、あ、でもそれじゃ増嶋が右サイドバックになっちゃうな、とか、そんなことばかり考えていた。果たして、三浦監督は、どう考えていたのか。京都が3-5-2で来るのがわかっていたら、先発は池内でなくヨンデだったのか?

開始1分30秒で京都は柳沢が裏に抜け出し、高木が飛び出してくるのを見てループ気味にシュート。そして両者が激突し、担架で運び出された柳沢は頭をテーピングで止血してから、4分過ぎにピッチに戻った。その後も、柳沢は、林とともに、札幌の4バックの裏をねらい続けた。オフサイドになることも多かったし、京都はこの2トップの近くに味方が集まりすぎていたから、攻められている割には怖さは感じなかったのだが、高木の落ち着きのなさ(ポジショニングというより「佇まい」)は気になった。

対する札幌は、試合開始当初からクライトンの体が重そうで、相手が厳しくマークしてくることを割り引いて考えても、厳しい戦いになりそうだった。だから、13分にすばやいリスタートから右サイドの砂川にボールが渡り、中央への折り返しに西がつぶれてその先の芳賀の足元に入ったチャンスは、決めておきたかった(いや、でも、この場面は、シュート打つのは、難しかったかもしれないけど…遠くだったので、正直、よくわかんなかったのではあるが)。

そうした中で、20分にアタリバのドリブルから先制されてしまったのは、試合全体を通じてみれば、ものすごく痛かった。FC東京戦もそうだったが、守備にベースのあるチームが、前半の早いうちに失点しまうのは、厳しい。アタリバのフェイントがそれほど鋭いものだったとは思わないのだが、ここまで京都にドリブルで攻め込まれる場面がなかったから、札幌守備陣はうまく対応しきれなかったのか(そういう意味では、ダヴィがいないのが…でも西谷なんかはもっとドリブルで仕掛けてもいいと思うんだがなあ)。

22分に左に開いた西がワンタッチで前にボールを出し、追い越した西谷がゴール前に入っていったあたりから5分ぐらいが、前半、ほんの少しだけあった札幌の時間帯で、26分過ぎにはクライトン、西、西谷、芳賀がワンタッチ、ツータッチのパス交換で京都ゴールに迫った。

しかし、この場面を除けば、札幌の各選手は、ボールをもらってから次のプレーを考えていた。それ以前に、ボールが足元で止まらず、流れてしまう。そこで京都の選手にプレッシャーをかけられると、あっさり相手ボールになってしまう。暑さとか連戦の疲れとか単なる技術の問題とか、いろいろあるにせよ、そんなことはやる前からわかっているのだから、もう少し柔軟なメンバーで試合に臨むことはできなかったのか…

などとぶつぶつ言っていると、30分、柳沢が裏に抜け出し、高木が飛び出して、今度は(開始直後の場面とは違い)明白なPK。これが決まっていればもう試合はおしまいだったと思うが(そのぐらい札幌には攻め手がなかった)、シジクレイのキックは枠をはずれてくれた。

それでも裏をねらい続ける柳沢。32分にも、斜めに走りこんで裏のスペースでパスを受けると左足でシュート、枠をはずれる。柳沢って、以前のイメージだと、もっと相手のディフェンダーと駆け引きしてくる選手だったような印象があるんだけど、今日はまるでインザーギかと思うような、オフサイドになってもいい、いつかオフサイドにならないときが来るはずだと、前に張り続けるフォワードになっていた。

33分の池内→ヨンデの交代は謎。池内のサイドがやられていたのは確かだが、1点ビハインドの場面でまず守備を固めるって、どういうこと?まさかシーズン終了時点の得失点差を考えてこのまま終わらせることを最優先に考えたとか…そんなことを言いたくなるぐらいに、この交代は不可解だった。交代させられた池内は、怒りオーラを発したままメインスタンド下に消えていった(まあ、そりゃ、この交代で納得するような選手では、困りますわな)。

34分には林が裏でフリーになったがシュートは高木の正面で、高木の弾いたボールを再び林がシュートしたがこれは高木がキャッチした。37分は柴田が足元で止めそこねたボールを林が奪い取ったところで柴田が林の足を引っ掛け、あ、イエローだ、と思ったのだが、レフェリーはずっと後ろ、副審は反対側のタッチラインにいたからか、ファウルにすらならなかった。

こんなことをしているうちに最終ラインはずるずると下がり、中盤はボールを拾えない。百歩譲って相手にボールを持たれるのはやむを得ないにしても、マイボールになってからはロングボールしかないのだから、話にならない。

前半だけでも0-3ぐらいにはなっていておかしくなかったのだから、これでもまだツキは残っている、とは思っていたが、後半に入っても、札幌の戦い方は変わらなかった。マーカス→石井の交代でクライトンが中盤に下がったが、今日のクライトンは、京都のマーカーを大きくて強い体で跳ね飛ばすことができず、ボールを持っても前を向けない。石井はマイボールになるや迷いなく前に向かって走り続け(石井だけなら今季最高の出来)、ゴール前で京都のディフェンダーともつれたり、オフサイドになったりはしたが、それって、つまりは、取ったら縦ポンだ、だからケンゴとにかく走れ、ってことで、あえてへんな表現を使いますけど、とても頭が悪いサッカーになっちゃってる。

京都は徹底してカウンターをねらってくるが、フィニッシュの精度が悪くて、札幌的には助けられ続けた。柳沢にあの仕事をさせるのは、正直、ミスマッチだと思うのだが、愚直なほどにカウンターの尖兵役を演じ続けた柳沢は偉かった(などと相手をほめてどうする)。

70分に西谷がアウト、宮沢登場。西谷は、前半から、オフザボールの動きがほとんどなく、何度「西谷、そこ走ってやれよ」と思ったことか。それをここまで引っ張らざるを得なかったのは、前半途中にしてサイドバックで交代枠を使ってしまったからで、スタンドから見ている分には故障などは見られなかった池内をあそこで下げたのは、どうしても解せない(とか、終わったことを言ってもどうしようもないんだけど、今日は、後半になっても、ときどき「なんでかなあ」と思い出しちゃってた)。

宮沢が入ってからは、ターゲットができたから、というよりは、おそらく京都も足が重くなってきて、どうにか形は作れるようになってきたが、相変わらず、誰もシュートしない。遠めからでもいいから、シュートしなきゃ点は取れないのに、きれいに崩してからでないとシュートしちゃいけないかのように、シュートがない。

終盤には柴田を前線に上げて、ロスタイム4分のうち3分が過ぎたところで柴田がヘッドで落としたボールを西がシュートしたがヒットせず。柴田を前に上げるのがよくないとは言わないが、今日は先発メンバーがまったく変わっていないことから始まって池内の交代で完全に監督の選手起用不信に陥ってしまったので(僕が)、なんで柴田上げるとかそんなみっともないことやってんの、と思ってしまった。暑い中、一生懸命やってた選手たちには、申し訳ないんだけど。

でも、今日は、ブーイングものだったな。試合後のゴール裏も、コンサドーレコールも、チャントも、何もなかった。

厳しい中、西は、前線で相手の前に体をねじ込み、自分の足元にボールが入ったときには、安易に後ろへ戻すのではなく、なんとか前へ送ろうと、粘っていた。この気持ちですよ。前にボールを運ばなければチャンスは来ないのだ。きれいに崩すことが目的ではなく、なんでもいいから点を取らなくちゃいけない。

前へ向かって。僕らは、声援を送り続けるしかないんだから。



post by issey11

21:27

2008遠征 コメント(2)

東京から京都まで 5680円

2008年05月02日

浦和戦の後、2日間東京で仕事してから、5,680円のバスで京都に移動して、今夜は京都に前泊中。

駒ケ岳SAにて乗務員交代中↓
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なにしろ東京から京都まで5,680円、今夜は連休前夜なので京都の宿もさほど混んでおらず、宿泊費まで含めても新幹線で来るよりもずっと安い。

いや、安いとかってことよりも、明日のキックオフが13時なので明日の朝に東京を出てくるとなるとかなり早く出てこなきゃいけない、そのうえ連休初日で新幹線の指定席なんてまったく取れそうにないし、そんな状況でもし何かあったら代替の交通機関の手配もままならなくなって試合に間に合わなくなる-という観点から、つまりはリスクマネジメント的に、前泊にした次第であります。

2002年から03年にかけて全試合観戦したときには、記録(何の記録だよ)が途切れそうになったときが何度かありまして、たとえば広島に行く飛行機が着陸できないかもしれないと言われたり、仙台で地震があったかなんかで山形へ移動できなくなりかけたり(このときが最大のピンチで、試合会場に着いたのはキックオフ直前だった)、まあ、いろいろなことを経験しているので、念には念を、で、動けるときには早め移動を心がけているわけであります。

2階建の長距離バスはドアを開けても空気が循環せず、車内がとてもベタベタしておりまして、けっこう汗をかいたのでありますが、まだ夏じゃないからと着替えは想定外でありまして、あと持っているまっさらなシャツは、少し大き目の白いTシャツ(胸に「ニトリ」と書いてあるヤツ)しかない。明日は朝からこれ着て京都散策か。いや、まあ、13時キックオフだから、どっか観光地に行くってことはないと思いますけどね。



post by issey11

22:48

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