2006年10月29日
後半に入るともうすっかり日が傾いていて、気温は高いけどやっぱり秋なのねと思わされた群馬県は前橋市の敷島公園陸上競技場から、その日のうちに余裕で札幌に帰ってこられてしまうのだから、上越新幹線と飛行機は偉大だ。 本日のザスパ草津戦、結果は2-0で、シュート数をみても札幌18-草津5と、快勝といっていいと思うんだが(佐藤優也は一度だけヒヤッとしたところあったけど、林ほど動かないので安心して見られた~ピンチもほとんどなかったんだけど)、どうも、すっきりしないのね。 昨日の柏レイソル-横浜FC戦を見ちゃった後だったからなのか、コンサドーレに、チームとしての一体感がないのよ。そりゃ、まあ、昇格を争ってるチームと、目標がボケてしまったチームとでは、そうした差が出るのはやむを得ないとは思うんだけど、それにしても、フッキのドリブルで奪った2点目の直後、フッキに近寄っていったのが芳賀だけってのは、どうよ?フッキからパスをもらえなかった相川なんか、ふてくされてたみたいに見えちゃったんだけど、考えすぎかしらん? 前半は、プレーが止まると、砂川がいろんな選手に声かけてて、いい感じかなと思ったんだけどね。 藤田君も、もっと泥臭く、ボール追いかけようぜ。終盤、へろへろになってた草津の選手たちに比べると、余裕あるのに適当なところであきらめてるように見えちゃうのね。この試合のことだけでいえば、2-0でリードなんだからそれでも間違いではないんだろうけど、ちょっと寂しい。 というような感覚は、現場に行ってみないとわからないのでありまして、たとえ昇格がなくなろうとも、ゲームを見に行くことには意味があるのさと思ったことでありました。 前橋市内中心部にて↓
2006年10月28日
本日の柏レイソル-横浜FC戦、チケット買ったのがギリギリだったもので、SS席しか残ってなくて、Jリーグの試合では何年ぶりかで、5000円も払ってしまった。 でも、十分、元は取れた。 メインスタンドにいるのに、隣の友人と会話ができないほどの爆音。がっつんがっつん激しく当たる両チーム。倒れてもレフェリーに文句言ったり、ファウルをアピールしたりしているヒマはない。これがコンサドーレだったらなあ…コンサドーレにもこんな中で試合させてやりたいよなあ…と思ったけれど、上位に入らなければ、こういう舞台には立てないんだよね。 柏3-1横浜で残り10分。横浜FCは、運動量も判断力も落ちてきていたように見えていたのに、2点のビハインドをはね返した。最初のシュートは相手GKに阻まれ、こぼれたボールを蹴れば今度はポストにはじかれ、三度目の正直でついに奪った2点目。ゴール前、柏ディフェンスの人数は揃っていたのに、右からのチェソンヨンの低いクロスを受けた城彰二が相手4人を背負いながら踏ん張り、半身の体勢になったところでボールが柏の選手の足に当たってころころと転がり、ゴールラインを越えて行った3点目(ゴールラインを越える寸前でアレモンが蹴りこんだため、記録上はアレモンの得点)。 もう、最後は、技術とか戦術とかじゃない、気持ちだよ、気持ち!とか、言いたくなっちゃう。同点ゴールなんて、一瞬、何が起きたのかわからなかった、念力ゴール(?)だもの(そうはいっても2点目はアレモンのシュートの正確さだし、3点目は城のポストプレーの巧さ~あそこで城が倒れてしまったらファウルにもならずに柏ボールになっていたと思う~と、技術が伴っているものではあるのだが)。 コンサドーレが、こういう試合ができないのが、とても悔しい。 明日は天気もいまいちみたいだし、こんな試合見せられちゃった後だけに、テンション上がんねえんだろうなあ(苦笑)。頼みますよ、赤黒の選手のみなさん!
2006年10月27日
明後日のザスパ草津戦に行きますよ、ってことで、ついでだから明日は日立台に行くのでありますが(チケットは購入済)、さきほど柏レイソルのオフィシャルサイトを見たら10/28横浜FC戦 チケット完売のお知らせという案内が。 悔しいけど、上位を争ってるってのは、こういうことなんだよな。 ちなみにスポーツナビには柏・石崎信弘監督のインタビュー。読んでみると、いろいろ考えさせられるところあります。みなさま、ぜひご一読を。
2006年10月24日
こちらは黄川田さんの感想。 http://www.renato-fc.com/kikawada/doc/index301.php 日刊スポーツから写真パクっていいのか?(笑)
2006年10月24日
ゴールラインを割りそうなボールを必死に追いかけて3点目をアシストした伊藤優津樹が、自身のブログで、札幌ドームでのサンクスゲームのことを書いてくれています。 http://yuaal007.exblog.jp/3616496/ スタジアムもサポーターも日本一だって。 泣けるねえ~。
2006年10月23日
このブログ、なんと昨日のアクセスランキングで第1位になってしまいました。 それなのに不愉快な話ばっかり書いてるのはいかがなものか、ということで、楽しかった前座試合(メインイベント?)のことも、書いておきましょう。 前半は、黄川田の足がもつれたり(笑)、川合さん(先週たまたま会ったときには「2分しか持たない」と言っていた)がオフサイドポジションからまったく動かなくなったり(こらこら)と、どちらかといえばお笑い的だったけど(でも平川さんはバリバリやってましたね)、後半、赤黒チームのほうは、石塚とユヅキがキレキレでしたね~。3-0のスコアは、あの中盤の差でしょ。 ユヅキは、テクニックだけじゃなかったもんね。山橋のゴールをお膳立てしたときの、ラインを割りそうなボールを必死に追いかける様子なんて、まるで森下みたいだったな。 森下といえば森くん(単なる森つながり)、10番って…しかも、コーナーキックまで蹴らされて…そのうえ、川合さんのマイクで「コーナー蹴れ」って、どういうこと?(笑) 僕は、何を着ていこうかと迷った末に、結局、すごく無難に今年のレプユニで行っちゃったんだけど(最後まで迷ったのは97年JFL優勝記念のTシャツだった)、観客席には、古いユニホームとか、古いTシャツとか着てる人がいて、楽しかったです。コンサドーレショップが大通公園に面したところにあったとき、全選手の背番号入りシャツってのがあって、それの山橋バージョン(25番)を着てる人を見たときには、ああ、そうそう、あったあった、こんなのあったよねえと、一人で感激してました。 でも、何に感激してたんだろ?たかが10年とはいえ、チームが存続していること、かな?あの98年には、横浜フリューゲルスの選手たちが、横断幕持って、厚別を一周するのも見ちゃってるから、チームが続いているだけでも、まずはありがたいですよ。 欲をいえば、花試合なんだから、お互い、もうちょっと、攻めてほしかったな。ああ、やっぱり、このチームの伝統は守備なんだと、半分冗談、半分本気で、感心しましたけど(あは)。 「さがいっぺぃ、オレ!」とか、「けんじぃ~、けんじぃ~」とか、聞きながら、ああそういえばそんなのもあったよなあと、すっかり忘れていたメロディーが甦ってきて、いや、別に泣きはしなかったけど、たかが10年とはいえ、重みを感じましたです。 逆に、軽くなっていたのは、田渕の頭…(以下自粛) 終了直後、みんなさっさと引き上げようとしている中、バックスタンドにメンバー全員を先導しようとした男が一人-野々村芳和!試合終盤はいつの間にかトップの位置から戻らなくなっていたけど(^^;)、この人は、やっぱり、サポーターのことを考えてくれている。こういう人が全国放送(スカパー)で活躍してくれているのだから、ありがたいこっちゃ。 ここがダメ、あれがなってないと、文句だけ言ってるんじゃなくて、自分ができることを探して、主体的に動かなきゃね…と、あらためて感じた、10周年記念試合の夜なのでした。 文章ぐだぐだだけど、話題が話題なので、これでご勘弁を。
2006年10月23日
あらためて、21日の試合会場で販売された「10周年記念 歴代ユニフォームピンズセット」の話。 上のリンク先はオフィシャルサイト上のニュースリリースなのだが、ここには「数量限定」とあるだけで、それがいくつかなのかは書いていない。巷間言われているような100とか200なのだとしたら、そりゃ、すぐになくなるだろうと思うし、ネットオークションで高値転売されること間違いなし。儲かるのは、早く並んで購入して転売するヤツだけ(そんな人はいないと信じたいけど、世の中、いろんな人がいますからね)。 自分自身のことを言えば、試合当日の札幌ドームにはかなり早い時刻から並んでいたから、売店に直行すれば、買えたかもしれないとは思う。そこまでのこだわりはなかったのと、数量限定といってもまさかそんなに少ないとは思わなかったから、落ち着いてから買えばいいやと思ってたし。 もっとも、ドーム内売店でも、販売箇所は限られていたようだから、入場後ダッシュして売店に行ったけどその売店には置いてなかった、ってことになったら、それはそれで、またものすごく怒ってたと思うけど(場内のどの売店で販売しているって情報は、事前に告知されてましたか?)。 まあ、自分のことはいいです。買えなきゃ買えないでも。 キレイゴトと批判を受けそうだけど、僕がいちばん参ったなと思ったのは、昨日の朝、宮の沢でお会いした(まったく知らない)女性の感想。いわく「10年間応援してきたのに、その記念のグッズが買えないなんて…」-そうだよな、10周年記念のグッズなのだったら、できれば長くファンクラブに入っている人やシーズンチケットを継続購入している人に優先的な案内があってしかるべきだし、それが難しいなら、せめてファンクラブ会員だけは予約できる仕組みにしてほしかったなと、そのとき、自分のことはさておき(<ホントに)、企業と顧客の関係を考えるコンサルタント的視点で、そう思った(自分の存在を枠組みの外に置くことでようやく気づいた、という感じ)。 試合のチケットなら、数に限りがあるのはどうしようもない。でも、ピンバッジなんて、ほしい人がいるなら、その分だけ、製造すればいいだけじゃない。しかも、原価を考えれば釣り合わない価格でも、商品そのものに価値を感じてお金を出すと言っている人が、おそらくはたくさんいるんだし。 閑話休題。「水曜どうでしょう」のDVDが出たとき、制作側は「完売したら増刷してまた売るからネットオークションでは買わないように」とアナウンスを出した。DVDの場合は素人によるコピー対策もあったのだとは思うが(実際、その後、違法コピーで逮捕者も出たと記憶している)、そうしたきめ細かい対応が、ファンをつなぎとめておくことにつながっているのではないか。 どうでしょうとコンサドーレとでは、比較の対象にならんかな? 今回はもういいけど(でも<USの本みたいに>予約受注で追加販売してくれるなら買いますけどね)、次回以降、こういうことがあるなら、もうちょっと、サポーター側の視点に立っていただけないでしょうか?と思い、エントリーしてみた次第。
2006年10月22日
同じようにピンバッジを買えなかった人たち、怒り?の井戸端会議。みなさん口々に、これはひどい、昨日のドームでも買えなかったのに、私は10年間応援してきたのに、本は予約制だったのになんで今回は、HFCにみんなで抗議しよう、と、そんな勢い。
昨日があの試合で、今日はこれかよ。まったく。
2006年10月22日
10時前に来たらもうダメでした。宮の沢の入荷は昨日のドームより少なかった由。
追加販売しないのかな?またサッポロビールドーレくんのときのように、ヤフオクで高値転売されちゃうよ。受注生産でいいから…ある程度の数を集めれば検討してもらえる余地ぐらいあるんだろうか?
2006年10月22日
一夜明けても、まだ、何をどうすればよいのかわからないまま、気持ちが落ち着かない。コンサドーレが勝とうが負けようが、チームがつぶれようがどうしようが、直接的には自分の生活には関係ないはずなのに、一晩寝ても(あんまりよく眠れなかったけど)、まだ、頭の中のどこかに、コンサドーレはどうすべきなのか?どうあるべきなのか?が、もやもやと、引っかかってる。 さっさと宮の沢に行ってピンバッジ買ってこなきゃと思ってはいるんだけど、どうもすっきりしない。このまま出かけたら、どこかで事故起こすんじゃないかってぐらい。 自分のことだけを考えたら、このままJ2で相手に関係なく自分たちのやりたいサッカーを続けるってのもいいんじゃないかとは思うのです。腹をくくって、マスコミが何を言おうが、にわかプロ野球ファンがどうだろうが、関係なく、徹底的にやってみればいい。 そう思う一方で、俺たちはJ1のチームだったんだ、北日本最大の都市、200万の人口を背景にしたチームなんだという、へんなプライドも捨てられないでいるから、このまま低迷しているのは耐えられない、とも思う。 資金が潤沢とは言わないまでも、せめて補助金の打ち切り云々がなければ、そんな心配はしないのだけれど、このままで行けば、観客動員やスポンサー収入の多寡に関わらず、いわば基礎的な財源の部分が自動的に減ってしまう。そのうえ観客が減ってスポンサーも減れば、チーム強化はますます覚束なくなる。いくらなんでも、(失礼ながら)愛媛や草津のような陣容で一生懸命やるのが美しいっていうのは、ちょっと、ね(愛媛や草津はJに加わったばかりなのだから、あれでいいと思うけど)。 なるほどね(と、自分で書きながら納得)。頭の中を混乱させているのは、昨日の、4点目が入ってからぞろぞろと帰りだした観客の姿だ。サッカーの会場で、あんなの、見たことないもん。野球なら、大差がついたり、試合時間が長くなりすぎたりして、8回途中で帰るなんてのは、さほど珍しいことではないけれど、サッカーの試合で、残りが10分以上もあるのに、観客があちこちで席を立つなんて、あり得ないですよ。 もう、あの人たちは、コンサドーレの試合には来てくれないだろうな。仮にあの中に知り合いがいたとしても、もう一度来てくれとは言えないよな。 ああいうのを目の当たりにしてしまうと、本当に、ショック。文字情報、あるいは映像で見ただけなら、ふーん、そうなの、ぐらいなんだろうけれど、目の前で、怒りを発散させるでもなしに席を立つ人々の姿は、まさに脳裏に焼き付けられてしまったらしい。 そして、そういう結果を招いてしまったのは、クラブにとっての最大の商品に、商品力がなかったこと。いくら広告宣伝に力を入れようが、肝心の商品-トップチームの試合内容が振るわないのでは、話にならない。これがまたショック。そんなのわかってただろと、自分を納得させようとするのだが、納得ができない。 勝つに越したことはないけれど、負けるにしても、もう少し、なんとかならんものか。 昨日の試合は、ブラジルに正面からまともにぶつかっていって惨敗した日本、みたいなもので、降格チームとはいえJ2リーグのチームをブラジルになぞらえねばならないのは辛いものがあるけれど、それが現実なのだから、仕方がない。これまた、そう理解することはできても、なかなか、受け入れることができない。 いやでもまだこれからだ、とにかく頑張ろう、といった気合型思考から脱しているのは、自分的進歩ではあるんですがね。 経営者でもなんでもないのに、どうしてこんなことで悩まされなきゃいけないのだ(苦笑)。
2006年10月21日
前節の横浜FC戦、今日のヴィッセル神戸戦と、続けて見たことで、上位チームとの差ははっきりとわかった。やっぱりあちらさん方はJ2リーグの首位を争うチームであり、こっちはなるほど7位のチームなんだと、残念だけど、納得せざるを得ない。 それは、たとえば切り替えの速さだったり、ミスするにしても肝心なところではやらない、あるいはミスが起きても誰かがきっちりカバーすることだったり、ディフェンスのマークがずれたら互いに話し合うことだったり、ちょっとした部分なんだけど、それが積み重なると、大きな差になってしまう。 いや、でも、ボランチがバタバタしてボールを失っていたのでは、どうにもならんよね。 サイド(とくに芳賀-大塚-加賀のところ)で、数的優位を作りながら相手の3人目をつかまえられず、同じことを繰り返しているなら、なぜ、話し合わない?なんでいつも加賀はボールを持っている選手とボールを持たずに走ってくる選手の間で立ち止まって両者を見ているの?どっちかに行ったほうが、仮にかわされたとしても、どっちにも行かないよりはマシでしょ?そんなのは、誰か味方が教えてやればいいじゃん。 前節は、ピッチ上の声がよく聞こえる三ツ沢だったから、余計にその違いを感じちゃったんだよね。横浜FCは、よくしゃべってたもん。 現実を見ましょうよ。これだけの試合数を重ねて、J2の7位なんだよ。下手なら下手なりにやるしかないでしょ。もう、アクションなんとかとか、そんなのはいいから、もうちょっと、現実的なものを目指しましょうよ。このまま続けてたら、いつまでもJ2の中位チームのままなんじゃないかな?それで第二の山瀬や今野を生んでいけばいいっていうのは、あまりにも寂しくないかい? ブーイングされるってことは、それでもまだ、期待されてる、応援を受けているってことなんだよ。挨拶する前にダンマクはずされたことの意味を、よーく考えてくださいな。
2006年10月21日
と、タイトルをつけたものの、なかなか思い出せないな。
♪ふっかがわふっかがわともゴール、ふっかがわふっかがわともゴール
き・か・わだ!き・か・わだ!
♪せっき、おおせっき、おおゴールをきめろ~
このぐらい(黄川田のはチャントじゃないし^^;)。関浩二のはオリジナルが東京ガスだから、まあともかくとして、深川は久しぶりに聞いてみたいかも。 先月、横浜FC-ザスパ草津@国立を、前座のOB&スタッフ戦から見てたんですが、前座がえらく盛り上がっちゃって(そりゃ奥寺さんが出てて有馬が点取れば盛り上がるよなあ)、肝心の試合は、ザスパに完敗でした。終わった後、横浜FCサポーターは「前座で盛り上がってる場合じゃなかった…」と反省してました。 確かに今日はお祭りだし、今年の昇格はもはやかなり厳しいのではありますが、厚別の屈辱の借りを返さねばならんわけだし、本番の試合のテンションが下がらないよう、がんばっていきましょう!
2006年10月20日
明日はOB戦だ!と盛り上がっているので、あえてリーグ戦の話題で。 上里、どうなっちゃったんでしょ? 去年の怪我する前までは、1対1で果敢に勝負を挑む、ちょっとやそっと当たられても倒れない、自らフリーの状態を作り出して(サイドにできたスペースに流れる、ドリブルで局面を打開する)速いクロスを入れたりミドルシュートを打ったりする…といった魅力があったのに、それが一向に見られない。 復帰してきてしばらく、サテライトでボランチやってたときも、相手とのコンタクトを怖がっていて、時折見せるミドルシュートぐらいしか持ち味を発揮できていないようには思えたのだが、先週のモンテディオ山形戦、一昨日の横浜FC戦に至っては、いるのかいないのかすらわからない。 本当はもっとできるのに、決め事にとらわれすぎて、頭が体を縛りつけちゃってる、自由に動くことを自分で制限しちゃってる、ようにすら感じられる。 トップ下にシャドーストライカー的な役割を求めるのであれば、いっそ、一昨年の一時期やっていたように、相川をトップ下に置いて、上里はサイドでゲームメーカーの役割をさせたほうがいいんじゃないか。もともと、関といい、西谷といい、今年の左サイドは、タッチライン際をぎゅんぎゅんドリブルで抜いてクロスびしっ、ってものが求められてるわけじゃないんだし(だから和波は出られないのだろうし)。 昨日も書いたけど、三ツ沢の試合では、キングカズにタックルを受けて倒れたまま動かない、なんて場面があった。上里、そんなやわじゃないだろっ!って言いたい。両チームのモチベーションに差があって、札幌のやわなメンタルに染まってたからあんなふうになっちゃったのだろうか?(生で見てなければ、こんな印象は受けなかったのかも) 上里、このまま小さくまとまって終わっちゃうんじゃなかろうか?と、やや心配になってきている。
2006年10月19日
現地で見ていたわけですが。 シュート数だけみればほとんど差はないけれど、チャンスになった数といえば、横浜FCは内田が果敢に放ったシュート(このときゴール前では横浜FCの攻撃3人に対し札幌はDF1人だった-が、パスを出さすにシュートした内田はえらい)=林が膝で止める、西澤のクリアミスをアレモンが拾ってシュート=ポストに当たってはじかれる、後半に入ってからも横浜FCの誰か(アウグストだっけ?もう忘れたわ)のすばらしいミドルシュートを林がどうにか手を伸ばしてはじき出した、と、あと3点入っていてもおかしくなかったのに対し、札幌は、芳賀のシュートがゴールキーパーの真正面ってのはあったけど(相川が詰めてたんだけど菅野はがっちりキャッチした)、枠内シュートすらほとんどなかったんじゃない? 横浜FCの3点目は、札幌的にいえば、もう、勘弁してくださいですよ。和波が走り負けて相手を押し倒してファウルを取られて、そこからのフリーキックがファーサイドに行ったら、飛んでるのは青いユニホームの選手だけなんだもん。あんなもん、はずすほうが難しいぜ。 昨日の3失点は、林はいずれも気の毒で(1点目なんて小村のヘディングシュートが誰か札幌の選手に当たって入っているし)、むしろ惨敗を食い止めた立役者といっていいぐらいですわ(立役者ってこういうときには使いませんかね^^;)。 横浜FCは、守備を固めてカウンターといえば確かにそうなんだけど、前半、1点先制してからは、札幌が前からの守備をしなくなっちゃったから(菅野が味方DFとパス交換を始めたときにフッキが猛然と挑んでいったんだがその後を誰も追ってこなくて、フッキは後ろを向くや味方の選手達に身振り手振りで「どうして出てこないんだ!」とものすごく怒ってましたですよ)、横浜FCのほうがポゼッションサッカーになってやんの。 それでいて、中途半端に中盤で動くから、両サイドが中に絞ったり、前へフリーランニングしようとしたところで、横浜FCの中盤の選手にサイドに動かれて(ボールのないときのアウグスト、内田、チョンヨンデの動きはすばらしかったですよ-山口はかなり怪しかったが)、3バックの外をがっつりやられる、もう、典型的な、3-5-2が4-4-2にやられるパターン。 そんで、横浜FC、ボール奪ってからの攻撃が早いのね。束になってみんなでかかってくる。ジェフにオシムが来た1年目みたい。対する札幌は、相川にボールが入っても、誰も追い越していかないし、押し上げがものすごく遅いのですね。 そうやって考えると、砂川の不在は大きいのですね。上里は、なんかものすごく窮屈に見えちゃう。もっとスケールの大きな選手だったはずなのに、なんか、おかしい。 砂川の代役がいないってのが、前節含め、苦戦の最大原因だというのが、よくわかりました。 ただね。横浜FCの2点目、カズがボールを奪われかけたのを奪い返したところから始まってるんだけど、横浜FCのほうが、すべてにおいて迫力があるのですよ。土曜日に試合をしたか否かというコンディションの問題もあるにせよ、上位を争っているかどうかのメンタルの問題が大きいのかなあと思いました。そんなこと言いたかないけどね。 上里にしても、カズにタックル食らって倒れちゃダメでしょ。 最後のほうは、一人で懸命にやっている(ように見えた)フッキがまたイエローもらわないか、10周年感謝デイだと言ってるのにフッキが出られなかったら目も当てられないぞと、そんなことばっかり心配してました。 柳下監督の「みんな最後まで一生懸命やってた」的コメントは、納得いかんな。それって本心なのか?
2006年10月18日
はいはい終わりましたよ完敗でしたよ。
悔しいけど横浜FCの完勝ですわ。みんなよく走ってスペース作ってパスつないで。どっちがアクションアンドムービングよ。悔しいけどおもしろいっすよ、横浜FC。これならお客も楽しいでしょ。
フッキは一生懸命走ってたのになあ。ったく。
2006年10月18日
もしかしたら1997年のナビスコカップ以来なんじゃなかろうか?と、バスに乗りながら思い出してるところ。
あの日と同じく、ネクタイ着用の仕事スタイルだから、突然、あの夜の記憶が蘇ってきたのかも。
いや、それにしても暑い。出張の荷物かついでるにしても、汗がとまらんです。街には半袖の人もいます。
2006年10月16日
なんでだろう?2000年といえば、あまりに衝撃的だった鳥栖との開幕戦、厚別での山瀬のデビュー戦Vゴール、駒場での永井vs岡田監督(笑)、暑くてたまらなかった室蘭の浦和戦、言わずと知れた12番の人文字と大森健作の決勝ゴール、野々村のヘッドバッド一発レッド…と、いろんな思い出があるのに、なぜか最初に頭に浮かんだのが、第28節・水戸ホーリーホック戦だった。 水戸ホーリーホックはこの年からJ2に加入して、ものすごく弱いチームだった(失礼)のに、なぜか夏場からえらい実績を持ったブラジル人選手が3人加わり(あれはいったい何だったの?)、この試合に関していえば、完全に水戸のペースだった(記録を見ると、前半のシュート数は水戸7本に対して札幌はわずか2本)。 このシーズンのコンサドーレの強さを考えれば、負けるはずのない試合だったのに、僕なんか、途中から、水戸を応援したくなっちゃったぐらいに、水戸が攻撃的ないい試合を見せていた。「えふしー、みと!」の掛け声に、メインスタンドから自然に手拍子が沸くのもむべなるかな。こういう試合をしていればサポーターも増えるだろうなと思ったことだった。 ここまで来たら引き分けられれば十分だ、いや、頑張ってる水戸に勝たせてやってもいいんじゃないか…ところが、この年のコンサドーレは、本当に強かったのだ。そんなことを考え始めた86分に、大森が後ろからロングボールを放り込み、高木がヘッドで落としたところを、なぜかゴール前に上がっていた名塚が右足で蹴りこんで、ついに均衡を破ってしまったのだ。 忘れませんよ。そのとき、名塚は、膝を曲げて、上空に向かって、渾身のガッツポーズを見せたのだ。もう、これ以上ないってぐらいの、力強い、魂の叫び(声は聞こえなかったけど)。僕はそのとき「あ~、水戸、ここまで頑張ったのにぃ~」と、なぜか水戸応援モードの感想を口にしてしまったことと、そう言いながらもキャプテン名塚をとても頼もしく思ったことは、まるで昨日のことのように(というのはちとオーバーにしても、鮮明に)記憶している。 おまけ写真。 その年の10月、平塚で昇格を決めたときの名塚選手。インタビューを受けていたのかなんかで、一人だけ、遅れて挨拶にやってきて、サポーターの前で深くお辞儀をしたのでしたね。
2006年10月15日
今朝のAIR-Gの番組に、深川友貴U-18コーチと、佐賀一平U-12コーチが生出演。司会の高山秀毅さんは「意外に知られていないのでしつこく言いますが」と、約20分の間に、何度も「10月21日コンサドーレ札幌10周年感謝デイでコンサドーレのOB戦をやります」と宣伝してくれた。 佐賀一平の注目は「田渕龍二の髪がどうなっているか?」らしいのだが、そんなのはどうでもいいとして、二人がしゃべってるのを聞いてたら、こっちも頑張らなきゃって気持ちになってきた。 ファイターズの日本シリーズ出場が決まった時点で、10周年感謝デイの集客はもうどうでもいいや、試合中に野球の試合経過をチェックしているような観客ばっかり集まったってしょうがねえだろ、今だからこそコンサドーレを支えたいと思っている人だけが来ればいいんだと思ってたんだけど、そんなこと言ってないで、自分でもまわりに声をかけよう。 傍観者になりきって批評だけしてるのは楽だけど、それじゃ何にも前に進まない。自分にできることを見つけて、小さなことでもいいから動いてみよう。
2006年10月14日
見ましたか?HBCテレビの夕方の生番組-「来週土曜日夜の日本シリーズ第1戦はHBCで生中継です」と局アナが語る傍らで「日本シリーズもいいけど札幌ドームに来てください、コンサドーレのOB戦やります」と勝手に叫び続けた男・野々村芳和。 あんなことで番組を降ろされることはないと思いたいが、ちょっと心配(半分マジで)。 野々村さんには今日も大拍手。本当に愛してくれてるのね。ありがとう。
2006年10月13日
今夜の「コンサでアシスト!」に、関浩二、深川友貴、名塚善寛の3コーチが出演し、10周年記念試合への抱負を語っていた。関コーチ(選手?)は、自らジャージの上を脱ぎ、半袖姿を披露(笑)。そこで、半袖アピールに敬意を表し、今日の10周年感謝デイ特設ブログへのトラバは、関浩二に決定。 1999年J2リーグ第21節。この試合が始まる前の時点で、コンサドーレ札幌は6位で、J1昇格圏内である2位との勝ち点差は11。残り試合が15であることを考えれば、ここで負けたら昇格は絶望的になる(と、このときは思ってたんだが、この年は最後の最後に思いがけず接近するんですよね)。対する大分トリニータは、2位と勝ち点差5の3位。 コンサドーレは、2節前の19節から、梶野とビジュのドイスボランチの前に棚田を置き、前線にはアシス、深川、吉原を並べるという攻撃的布陣を敷いていた。この21節の大分戦でも同様だったが、名塚のゴールで先制するも神野に2得点を決められて逆転されると(結果的に神野はこの年の得点王になるんですよね)、梶野→関、棚田→黄川田と、次々とFWを投入(この辺が岡田監督の采配の限界だったような気がして、だから僕は岡田さんはあんまり信用してなかったりするのね)。 しかし1点ビハインドのまま、試合はロスタイムへ。僕はこのとき、ああ、もう、これで今シーズンは終わりだ…と思いながら、(珍しく)ホーム側のゴール裏で見てたのです。 ロスタイム、右からのコーナーキック。ホームのサポーターを背にしたGK佐藤洋平が、守るべきゴールを捨てて相手ゴールへ向かって走って行った姿は、今もまだ思い出せる。その洋平の姿にどよめく中、アシスが蹴ったボールが関にどんぴしゃで入り、同点に追いついた。背中の背番号11を両手で引っ張って、自らの存在をアピールする関。これも、今もまだ、はっきりおぼえてる。 コンサドーレの背番号11はなぜか翌年に契約してもらえないことが続いていて、関もこの年のオフに戦力外になってしまうのだが(背番号11の呪い?を破ったのは播戸が最初)、記録には残らなくても記憶に残る選手だった…なんてことは、僕が言うまでもなく、みんなわかってるか。 関浩二が東京ガスから(当時のJFL得点王の称号を引っさげて)ベルマーレ平塚に移籍した直後、1996年の京都パープルサンガ戦@西京極でのJ初ゴールを生で見たのは、僕のプチ自慢(?)。それにしても、なんであんな試合をわざわざ見たんだろ?(僕は当時、東京に住んでたんですけどね)
2006年10月12日
サポーターズ持ち株会の招待券をまだ使っていない方、ぜひ、ご協力を。 10月20日まで受け付けているそうです。 何のこと?と思った方もいらっしゃるでしょう。わたしが説明して舌足らずになってもいけないので、詳細はこちらで。 ご存じない方は、ぜひ、上記リンク先をご覧になってください。
2006年10月12日
コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログ(長いな^^;)の大野貴史にトラバ。 貴史と書いてよしふみ。セカンドステージから突然出てきて、いきなり五輪代表候補に呼ばれちゃった大野。同じ五輪代表候補には吉原宏太も呼ばれてて、厚別には「宏太の夢は俺達の夢 大野の道は俺達の道」という横断幕があった。あれ、好きだったなあ。 その大野がJリーグ初ゴールをあげたのが、1998年Jリーグセカンドステージ第12節のベルマーレ平塚戦。なぜだったか忘れたけどマラドーナがお休みで(出場停止だったのか?)、レンタル移籍してきて間もない棚田伸が先発したのだが、コーナーキックが続けてゴールラインを割ってしまうなど、まったくダメだった。この日の思い出は、大雨と、ダメな棚田と、大野のヘディングでのゴール、ぐらいだな。 水曜日の夜で、たしかBSで中継があった。僕は何かの理由で会社を休んで見に行った。観客が少なかったので、ずっと、傘をさして見ていた。 あらためて当日の記録を見ると、前後半90分間でのシュート数はベルマーレが26に対しコンサドーレ8、延長戦まで含めた120分間ではベルマーレのシュート数はなんと37本(コンサドーレは10)。コンサドーレ-新日鉄大分どころではないシュート数なのに、よく2-2で引き分けられたものだと思う(結果はPK戦でベルマーレの勝利)。 大野は、2000年からチームが森-名塚-大森の3バックを採用するようになったことで出番を失ってしまった。勝ちに行かねばならない状況下ではやむを得なかったのだろうが、もう少し我慢して使い続けていれば…と、思わないでもない。
2006年10月12日
コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログの山橋貴史にTBしている勝手に叱咤コンサさんのエントリー読んで、僕もあの日のことが甦ってきた。 1997年JFL第9節、江戸川区陸上競技場で行われた東京ガス戦。今から考えるとすごいことなんだけど、ここまでコンサドーレは開幕8連勝だったのだが、この日はマラドーナがお休みで(出場停止だったんだっけ?<とにかくお休みだったことだけは記憶しているのだが)、鳥居塚が代役を務めていた。予想通り(?)コンサドーレは苦戦し、延長戦30分を終えてもスコアレスのままPK戦となり、最後は山橋が止められて、このシーズン初めての敗戦を喫したのである。 そう、でも、山橋は、この日MVP級の働きだった。6月7日なのだが真夏のような暑さの中、最後まで運動量が落ちることなく、とにかく一生懸命走っていた。一生懸命やる(でも地味で記録には残らない)ってことでは、あの頃のコンサドーレを象徴しているような選手だったんじゃないかな。 柳下正明監督が来てから「走る」ことが突然クローズアップされたような空気があるけれど(被害妄想?)、このチームはもともと、一生懸命やることが特徴のチームだったはず。だから、田渕龍二や古川毅のような地味な選手が、いまだに人気があるんだと思う(彼らは出場試合数が多いので記録に残っている選手ではあるが)。 最初の昇格のときはともかく、2度目の昇格と札幌ドームの開業で、華やかさを求められるようになってきて、地味だけど一生懸命というよさが、徐々に薄れて行ったような気がしてきた(書きながら、なんとなく)。 こんなことばっかり書いてると、山橋や江戸川の思い出からどんどん離れていくので、今日のところはここまで。
2006年10月11日
完全に予定狂ったですわ。 天皇杯の次の相手、ジェフ千葉ですか。 29日のザスパ草津戦から11月3日のナビスコ決勝を経て、4日ないし5日の天皇杯を見てから札幌に帰る、その間はずっと東京でお仕事…という心積もりをしていて、唯一の危惧は天皇杯の相手がナビスコ決勝進出の2チームにならないこと、だったのですが、そのうちの1つに当たってしまうとは… リーグ戦の試合間隔的にも、よろしくないですわね。 それにしても天皇杯でジェフって、これで3度目ですかね?JFLのときだったか、1点ビハインドの終了間際にディドが相手ゴール前まで上がっていってシュートして、それがクロスバーに当たった、ってのがありましたよね。 試合の展望の前に、自分の予定をなんとかせねば(笑)。 先月はなぜかフクアリに二度も行ってしまった↓
2006年10月11日
他のクラブのお話ですが。 パラグアイに「日系ベルマーレ」というチームができました(湘南ベルマーレのプレスリリース)。声に出して読むと「日経ビジネス」みたいですが(?)、湘南ベルマーレの関連クラブという位置づけのようです。 で、パラグアイといえば、思い出すのはデルリス。調べてみたら、バルセロナというチームで活躍中でした。バルセロナといっても、ロナウジーニョがいるチームではなく、エクアドルのチームなんですが。 そのエクアドルのバルセロナの公式サイトの真ん中にある写真の、柏レイソルみたいなユニフォームの9番つけてるのがデルリスっぽい。 もうちょっと余裕があれば、残しておいてもよかったんだろうけどなあ>デルリス
2006年10月04日
出張で東京に来ましたよ(今日は夜遅くまで打ち合わせ予定ありなのでガーナ戦はテレビでも見られないと思われる<当日券あるって聞くとちょっと心ひかれるものはあるが)。 羽田空港で、東京では昨日発売(札幌では明日発売)のサッカーマガジン最新号を買いましたら、これがなんとまあ週刊誌というよりはJクラブ10年の歴史をまとめた資料本という趣でありまして、420円でこれだけ情報量があるのは、かなりのおトク感です。初期からJを見ている方、最近になって見始めた方、いずれにもおすすめ。 J1J2全クラブの歴史と各年の基本フォーメーションが掲載されておりまして、基本的にはJ1クラブには2ページ、J2クラブには1ページずつが割かれているのでありますが、われらがコンサドーレ札幌は2ページ扱いです(J2では他に柏レイソル、東京ヴェルディ1969などが2ページでの扱い-仙台さんが1ページ扱いなのはちょっと気の毒)。 各クラブとも、「クラブの顔」的に現所属選手のうちの一人の写真がどーんと扉的部分に掲載されておりまして(神戸は三浦淳宏、仙台はボルジェス、鳥栖は新居、柏は岡山(<いい仕事してますね編集部))といった具合。 コンサドーレ札幌のページに登場している選手は…まあ、明日、本屋さんで手にとってみてくださいな。わたくしは「なるほどね~」って思いましたです。 Jリーグの歴史の特集号だから、JFLでの2年間は触れられておりませぬ。そこがJ初年度からJだったクラブとは違うところ(といっても、J以前の歴史を持っているクラブのほうが、もはや多いんですがね)。
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