曽田雄志の200試合を振り返る(6)

2007年05月31日

前回の冒頭で余計なことを書いてしまったら現実になってしまったので(言霊とはよく言ったものだ)、今回は淡々と行きましょう。

前年の最終節でハットトリックを達成したFW曽田でしたが、ジョアン・カルロス監督で始まった2003年は、DF曽田の先発が増えます。

(33)2003.3.22 #02 山形2-3札幌@べスパ
 交代出場(72分、砂川→曽田)
 1ゴール(通算4得点2アシスト)

砂川との交代ですが、曽田は攻撃要員として入ったのではありません。曽田が入った後、大森と和波(右サイドバックやってたんですよね、なんと)がポジションを上げて、4バックから3バックに変更したのです。

そして、この試合、わずか18分しか出場していない曽田が、観客を無駄に楽しませてくれたのでした。札幌2-1山形だった残り7分から何が起きたのか、当時、自分が書いたもの↓で振り返ってみましょう。

83分、大島が前方へ浮き球のパスを送った。星が、右サイドから中央へと、ボールの落下点へ向かって斜めに走ってきた。大島からのパスをクリアしようとした曽田が、一瞬、星に気を取られ、星とボールの両方を後ろへ逃してしまう。星は、佐藤洋平が飛び出してくる前にループシュートを放った。なんと、同点である。ああ、曽田、ソダ、そだ。。。(ある意味、曽田らしいプレーともいえるのだが)。。。札幌は、今年もまた、試合終盤に悪夢を見なければならないのか。これでは昨年と同じではないか。

しかし、曽田は、自らのミスを自分で帳消しにした。85分、札幌の右CKがクリアされるも、中央でこれを拾った森下が右へ流し、平間がふわっとしたクロスを放りこむ。今野がこれを胸で落とし、堀井のシュートが外に流れたところを曽田が右足で押し込んだ。

曽田の活躍(?)が印象に残る試合を5つ上げろといったら、僕はこの試合を入れるでしょう。そのぐらい、記憶に残る大活躍(笑)でした。

(34)2003.3.29 #03 札幌2-4水戸@札幌ドーム
 交代出場(89分、今野→曽田)

この試合の後の(たしか4月1日の)練習で、レギュラー組のGKが、突然、佐藤洋平から藤ヶ谷陽介に替わりました。同時に、右サイドバックが和波から中尾に(和波の右ってのがそもそも無理だったと思うんだけど)、中央の森が曽田に、左の大森が和波にと、いかにもブラジル人チックな最終ライン(ほぼ)総取っ替えが行われたのです。

個人的な話ですが、僕はこの頃は無職だったので(苦笑)、けっこうな頻度で宮の沢に通ってました。だから、目の前で起きたこのメンバーチェンジには、びっくりしたのですよ。開幕から3試合で9失点だったから、とにかくメンバー替えようってことだったのでしょう。前年の柱谷監督は、序盤の守備崩壊をみて、4バックをあきらめて3バックにしたのですが、ジョアンは4バックは変更しませんでした。

(35)2003.4.5 #04 新潟0-1札幌@新潟市陸
 先発(通算9試合目)フル出場

藤ヶ谷+和波-曽田-西澤-中尾で臨んだ雨の新潟戦は、ホベルッチの退場にもめげず、堀井の高難度ゴールを守りきって勝ちました。試合後、多くのサポーターが乗った新幹線がチームと一緒だったのも楽しい思い出。ゴール前に立ちはだかった曽田に、神が降臨した日、でした(いや、この「神」は冗談でなしに、本当にこの日の曽田はすごかったのです-ただし、今年は、この日と同じぐらいのプレーがずっとできているように思います)。

(36)2003.4.9 #05 大宮1-1札幌@大宮
 先発(通算10試合目)フル出場

(37)2003.4.12 #06 札幌5-0福岡@室蘭
 先発(通算11試合目)フル出場

(38)2003.4.19 #07 甲府2-1札幌@小瀬
 先発(通算12試合目)フル出場

(39)2003.4.26 #08 札幌0-2広島@札幌ドーム
 先発(通算13試合目)フル出場

(40)2003.4.29 #09 鳥栖1-0札幌@鳥栖
 先発(通算14試合目)フル出場

曽田がユーティリティープレーヤー(最近のはやり言葉だとポリバレントな選手)としての特徴(?)を存分に発揮した試合でした(結果は鳥栖にシーズン初勝利をプレゼントしたのだが)。

この試合のフォーメーション↓(当時の自分メモによる)

1.試合開始(~前半終了):鳥栖が先制
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2.後半開始:堀井→佐藤尽に交代 1点ビハインドで、後半開始から曽田は前線へ
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3.後半15分:西田→相川に交代 中尾と森下がポジション下げる。曽田は影響なし。
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4.後半21分:新居→森山に交代 曽田を中央に置いた3トップ。
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5.後半32分頃:選手交代なし 鳥栖選手が負傷治療の間に、カルロス監督が曽田を呼び、曽田が下がる。後半途中から出場した相手W(服部浩紀)への対応か?
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6.後半40分頃:選手交代なし 曽田がふたたび前線へ。後ろは2バック。しかし前にスペースがなくなり、点が取れないまま試合終了。
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かなり長くなってしまったので、本日はここまで。



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22:29

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移動体験

2007年05月29日

4年前にJ2全44試合を現地観戦したときは、その前年のJ1全30試合の経験と比べて「J1は楽だなあ」と思ったものでありましたが、そういう自分は、当時はほとんどまともに仕事をしていなかったので、アウェーゲームといっても、前日に入って当日ないし翌日に札幌に戻るようなことはせず、初めての土地をぶらぶらしながら帰ってきたり、アウェーが続くときはその間は札幌には帰らなかったり(^^;)といったリズムで観戦生活を続けておりました。

それでもJ2全44試合はきつかった。いや、まあ、夏が終わる頃には昇格がほとんど幻となり、自分のモチベーションを保つのが難しかったってのもありましたが(^^;)。

先週から、たまたま、自分自身がチームと同じような行動をしていて、というか、水曜日の平塚はサッカー絡みの仕事で平塚競技場に行くことが目的だったから「たまたま」との表現は正確ではないのかもしれないけれど、とにかく、火曜日に千歳から羽田へ飛び、水曜日に平塚で試合、木曜日に羽田から千歳へ戻り、金曜日だけは札幌で仕事をして、土曜日に千歳から福岡(新千歳空港で西澤の姿を見て安心した)、日曜日に試合を終えてチームとまったく同じ便で札幌に戻り-と、6日間で5回飛行機に乗りました。

観光旅行ならともかく、仕事をしながらこういう動きをするのは、大変です。三浦監督は湘南戦の直後のインタビュー(スカパー)で「選手は去年も経験しているからもう慣れているようだ」といったことをおっしゃっておられましたが、でも、やっぱり、大変ですよ。選手はもちろんですが、チームスタッフも、経費節減で最低限の人数しか帯同していませんから、やることはたくさんあるでしょう。自宅でのんびりすることもできなければ、精神的にもきついはず(だから、いったん負けはじめると、なかなか立て直せなくなるんでしょうね)。

一昨日の福岡から羽田までは、僕のすぐ脇の中央部分(5人掛け)の席に、松井コーチ以下、チームスタッフの方々、選手のみなさんが座ってました(監督は前のほう-でもクラスJではなく普通席でした)。空港で見かけると出張帰りのサラリーマンにしか見えない砂川あたりはまだしも、ダヴィ、中山、優也をはじめとするデカイ人たちが、あの狭い座席に押し込まれているのは、傍から見ていると、けっこう、しんどそうです(でも、ああいう試合の後だったからか、みんな明るかった)。

こういう体験をして、ああいう光景を目にすると、一方的な愛情の押し付けや、無遠慮な声かけは、しづらいです。ましてや、ファンサービスが足りないなんて、言いづらい。いや、別に、空港でサインもらったっていいんですけど、そういう行動に走る人は、意外なぐらい、いなかった。いなかったけど、選手もサポーターの存在を意識している(中山元気のブログ)。すごくいい関係が築けつつあるんじゃないかなあと思うのであります。


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23:58

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継続と自信と-博多の森 現地感想

2007年05月28日

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相変わらずヘタレなバックスタンドの屋根の下で直射日光を回避する観戦でありました。ずっと日差しの下で歌っていたゴール裏のみなさんには頭が下がります。

そんな僕が言うのもなんですが、暑さは、もちろん現在の札幌に比べれば暑いんですが、気になるほどではなかったと思います。確かに気温は高いものの、湿度が低いので、道内にいると体感することのないべたべた感はなく、札幌の真夏のような感覚でした。

試合前は、諸事情を考えれば今日は引き分けでもよかろうと考え、前半に1点取られた後で2度のビッグチャンスを決められなかった(左サイドバック・カウエのオーバーラップから池内がフリーでヘディング→枠をはずれる、ダヴィのドリブルから中山が粘ってフリーの大塚がシュート→GKキャッチ)後では、正直、負けも覚悟しました。

前半は、失点の場面を含め、札幌の2列目と3列目の間を福岡にうまく使われてましたから、このままなら福岡の2点目がいつ入ってもおかしくないとも思ってました。あのエリアを相手に使われるのは札幌ドームでの水戸戦のときと同じで、前節の湘南戦ではラインの間をコンパクトにすることでうまく対応できていたのですが、メンバーが替わっているから、同じようにやるのは難しかったのでしょう。

後半開始早々に同点に追いついてからは、札幌がよくなったというよりは、福岡が妙に落ち着きを失ってしまったような印象です。ハーフタイムにスタジアムDJが「前半はリードして終了しましたが、大事なのはこれからの45分です」と言ったことを含め、スタジアムの空気もどことなく不安定で、なるほどこれが3連敗中(しかもうち2敗は逆転負け)のチームなのだな(札幌も去年まではそうだったもんな)と感じました。

それでも、僕は、今日はもう引き分けでいいと思ってました。だから、90分を過ぎて、高木がカウエに渡したボールをカウエがドリブルで持ち上がろうとしたとき、余計なことしなくていいぞ、遠くにボールを運んでくれればいいからと思っていたのでした。それどころか、引き分けで逃げ切るなら、攻撃参加したがるカウエを下げて吉瀬を入れたほうがいいんじゃないかと思っていたぐらいでした。

今となっては、そんなことを考えた自分の不明を恥じるばかりです。

砂川がヒールで戻し、カウエがそれを拾ってから前方のスペースへ出して砂川がふたたび受け、高速クロスが入った先にダヴィとケンゴが走ってきてズドン!と、あの一連のプレーは、今もまだ脳内動画として残っています。夢見てるんじゃないか?今のは本当に起きたこと?と、試合が終わってからしばらく経っても信じられなかったのは、久しぶりです(たとえば札幌ドームだとリプレー映像が流れるから、こういう余韻の味わい方はできないんですよね…だからリプレーやめろってわけじゃぁないけど、設備が整いすぎているがゆえに失われている楽しみもある、ってことです)。

がっかりしたのは、あの(結果的には決勝点となった)石井のゴールの直後、福岡の選手がみな呆然としたまま立ち止まってしまったことです。相手チームなのだからどうでもいいといえばその通りなのですが、残念なことでした。精神的にいちばん闘える選手であるファイター布部が途中交代ですでにピッチにいなかったのは、福岡素人な僕にとっては、不可解なベンチワークでありました。

前節のダヴィ→砂川→ダヴィの決勝ゴールも、今回のカウエ→砂川→石井のゴールも、けっして一朝一夕に生まれたものではなく、柳下前監督が作りあげてきた攻撃の形(とその基礎となる技術)があってこそ、だと思います。世間はどうしても「三浦マジック」的な評価をしたがるのでしょうが、柳下時代に培われてきたものが、いま、花を開かせつつあるのでしょう。

激しいゲームの中で最後まで足が止まらないのも、柳下時代に走りまくるサッカーをしてきたからです(それは昨年の途中から砂川が電池切れにならなくなったことで感じてきたことであり、今年になってからは西谷が最後まで出場し続けられるようになっています<移籍してきたばかりの頃、すぐに足をつっていたことを考えると、今の西谷はまるで別人です)。

そして、今年、勝ち続けていることによって得た自信が、最後の最後まであきらめない、先に点を取られてもなんとかなるだろうと思えることにつながっているのでしょう。

ケンゴのゴール直後、ベンチで抱き合う選手たちとは別に、バックスタンド側では誰か(芳賀?)が砂川に覆いかぶさっていって喜びを爆発させてました。あれ見られただけでも、テレビ観戦じゃなくて現地に行ってよかったと思いますわ。かなり無理して行ったし、帰りはもしかすると札幌に戻ってこられないんじゃないかと思ったりもしましたが、ホント、行ってよかった。遠くのアウェーゲームに急に思い立って行くときは、「当たり」が多いです(柳下さんの1年目の福岡戦で連敗を止めたときもそうだった)。ちょっとした予知能力かも(笑)。

アウェーチームが勝ってももらえるんだと、ちょっとびっくり↓
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01:33

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ようやく千歳到着

2007年05月27日

飛行機が遅れましたが、とにかく帰ってこられただけでもよかった。何しろ実は僕は全日空の航空券を持っていたのでした。午前中のうちにジャストアイデアでJALに振り替えてくれた福岡空港のおねえさん、ありがとう。

福岡空港からずっとチームと一緒でした。福岡→羽田は5人並び席×4列のチームのみなさんの真横で、選手それぞれにフライト中の時間の過ごし方が違っていておもしろかった!?です。

今日はパソコンを持って来なかったので、試合の感想は帰宅後または明日以降に。

千歳降りたら寒くてビビった。ずっとTシャツ一枚でしたから。


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22:00

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福岡空港にて

2007年05月27日

システムトラブルのANAは「出発の目処が立っていない」そうです。みなさん帰れますか?

いまだあの最後のゴールが信じられずにいます。わざわざ来たかいありました。

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16:10

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曽田雄志の200試合を振り返る(5)

2007年05月25日

曽田雄志のJリーグ通算200試合出場がいよいよ明後日に迫ってきたので(予定<風邪引くなよ^^;)、丁寧に振り返ることはまたあらためてやるとして、プレスリリースふうのまとめ。

2001年(背番号23):J1(年間30試合)
9試合出場、得点なし

2002年(背番号18):J1(年間30試合)
23試合出場、4得点

2003年(背番号18):J2(年間44試合)
38試合出場、4得点

2004年(背番号4):J2(年間44試合)
38試合出場、2得点

2005年(背番号4):J2(年間44試合)
40試合出場(チーム最多)、1得点

2006年(背番号4):J2(年間48試合)
35試合出場、1得点

2007年(背番号4):J2<第17節まで>
16試合出場、4得点

J1リーグ  32試合出場、4得点
J2リーグ 167試合出場、12得点
(合計 199試合出場、16得点)

コンサドーレ札幌の選手としての試合出場数はすでに田渕龍二を抜いてトップですから、コンサドーレだけでの200試合出場は、いうまでもなく、前人未到の世界です。

J2で戦っている2003年以降に関しては、前節までのチーム試合数196試合のうち167試合(85%)に出場しています。なんだかんだと言われながらも、ジョアンも張さんもヤンツーさんも、みんな我慢してよく使い続けた結果が、今年のチームの堅守を支えているのです。

まあ、ここまでいちばん我慢したのは、サポーターかもしれませんが(笑)。

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次は300試合目指してがんがれ(<まだ200試合達成してないって^^;)。



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23:12

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ダヴィより曽田

2007年05月24日

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本日の湘南ベルマーレ戦は、ややお仕事モードだったため、アウェーサポーターらしさはまったく出さずに黙って見てました。センターサークル付近でボールを持ったダヴィが頭を振って右サイドを猛然と駆け上がってくる砂川に目をやったとき「そうだ、ダヴィ、右出せ!」と叫ぶこともなく、ダヴィからのスペースへのパスを受けた砂川が深く入りすぎてるんじゃないかと思って「砂川、打てよ!」と思ってもじっと口をつぐみ、ダヴィの滞空時間の長いヘディングシュートが決まったときに思わず手を叩きそうになっても手足をまったく動かさず、石のように固まってました。 あの2点目は、そんなわけで実に見事な得点でありましたが、同点に追いついたPKは、何がファウルなのか、まったくわからなかったです。湘南に意味不明のイエローカードがあったり、倒されたダヴィが下から相手選手を蹴りあげたように見えた(が主審はダヴィの背中側にいたので見えなかった)場面があったりと、今日は主審にだいぶ助けられた印象です。 今日の試合のよかったところ2つ。 一つ目。三浦監督の選手起用は、当たりました。前半はほとんど攻め上がることのできなかった(見るからに体の重そうな)藤田と、最初のチャンスで宇宙開発(懐)してしまった中山を、ハーフタイムで2人まとめて交代させたのが、大当たりでした。石井謙伍は、もうちょっとやってくれと思わないでもないけれど、前半の札幌にはなかった裏への飛び出し(をしようとする動き)と、積極果敢に前を向くプレー(中山はほとんどゴールを背にしてポストになる動きしかできなかった<そういう役割だといえばそれまでですが)を試みたことで、湘南の守備ブロックを下げさせました。 大塚投入のタイミングも、ぴったりでした。カウエの左サイドバック、あのぐらいの短い時間だったら、おもしろいです。トイメンに今季初出場(どころかベンチ入りすら初めて)の名良橋が出てきても、関係なく、えらく高いポジション取りしてました。 二つ目。曽田。近くにいたベルマーレな方のハーフタイムのコメントは「札幌は、攻撃は作れてませんけど、最後のところは全部跳ね返してますよね」。終了後は「曽田はうまくなりましたねえ」でした。ハイボールにはもともと強いのですが、今日は、前から来るボールに対しては、空中を飛んでくるボールだろうがグラウンダーのボールだろうが、とにかく相手選手の前に体を入れて先にさわり、攻撃の起点を作らせることをまったくさせていませんでした。グラウンダーのボールをカットしたときには、むしろ、自分たちの攻撃の起点になりそうなドリブルやパスまで見せることもあり、本当に頼もしかったです。 西谷は、PKは決めたけど、湘南の1点目のFKの原因を作ってるし、パスはほとんど通らないし、どうにもイマイチだったかな。ただ、前半は、後ろの吉瀬の守備が気になっていたようでもあり(アジエルを無理やり引っ張っちゃった1点目の直前の場面が代表例)、そこは割り引いて考えてやらにゃいかんかも。 ともあれ、ディフェンスの選手が2人も欠けた状況でのアウェーゲーム勝利、しかも今季初の逆転勝ちは、大きいでしょう。 ただ、アディッショナルタイム4分でコーナーキック取って、ショートコーナーからキープしようとしたらあっという間に取られて相手ボールスローイン、ってのは、勘弁してください(^^;)。



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00:39

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暑いというほど暑くはない

2007年05月22日

曽田雄志200試合出場記念企画をぶち上げておきながら早くも挫折しております(^^;)。明日の試合がつつがなく終われば、日曜日の福岡でめでたく200試合出場が達成されるのでありますが、ま、こっちはこっちで、手元に資料があるときに、ぼちぼちやってきます。

というわけで、現在は手元に資料のない場所-東京にいます。確かに暑いといえば暑いんですが(今日は札幌もかなり暑かったようですが)、空気はさわやかです。

コンサドーレが道外で試合をするときには、しばしば「暑さ」が取り沙汰されますが、これ、正確にいうと「蒸し暑さ」なんですよね。気温だけなら真夏の札幌だって30度近くになることはありますが、本州の夏の25度は真夏の札幌の30度よりもはるかに厳しい。あのべたべた感は、札幌にいる限り、どんなに気温が上がっても、絶対に体験できないです(したくもないですが)。

その点からすると、この時期の関東地方はまだ、多少気温が上がろうとも、札幌の夜とそんなに大きな差はないです。明日はさらに気温が上がるとか、関東平野には南からの風が吹き込むとかの予報も出ていますが、今夜の実感値+α程度であれば、気象条件は足を引っ張る要素にはならないでしょう。

※草津戦の実況アナウンサーがやたら「暑さ」を口にしていたので(あのときはホントはどうだったのかは体験してないからわかりませんが)、自分の実感を書いてみました、とさ。


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21:26

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こうげき、こうげき

2007年05月14日

ハラトーキョー♪

というわけで、週末は日産スタジアムで山瀬功治の出場した試合と、味の素スタジアムで今野泰幸の出場した試合を見ておりましたので、曽田200試合記念企画はしばらくお休みしております。あんなものでも、過去の自分の観戦メモらしきものとか、独自の資料を一応参照しておりますので、自宅にいないと、なかなか書けないのです。

で、日産と味スタですが、山瀬と今野を見に行くことが目的だったわけではなく、ああそういえば結果的にそういうことになるのかと気づいたのは、味スタでキャプテンマークをつけたコンちゃんを目にしたとき、でした。

センターバックが藤山と今野ってどうなのよ、おまけにノリオがサイドバックで、前のほうは外国人3選手と川口信男ってすげーなあ…などなど言いながら、僕は、味スタのすさまじい空気に感心してました。

その後お会いした東京に詳しい方々いわく、あの雰囲気は今年初めてだそうですが、ゴール裏からは「今日は絶対にネガは言わねーぞ、絶対に勝たせるぞ」なパワーが発散しており、ピッチ上の選手たちもジェフのお株を奪うハードワーク、そしてアウェー側ゴール裏を除くスタジアム全体がピッチ上にエネルギーを集中させているといった様子に、サポーターでもなんでもない僕ですら「このチームはJ2に落としちゃいけない」と思ったことでした。

われらがチームも、あの味スタで東京とやれたら、最高でしょう。仙台とはまた違った熱気がありますわ。東京とのアウェーゲームは、2001年は丸亀(遠かったなあ)、02年は国立だったから、雰囲気は、いまいちだったような印象があります(むしろ1999年の西が丘の「のび太とジャイアン」あたりのほうが東京とやってるっぽかった<なんだか意味不明な表現ですが)。

で、土曜の夜に味スタにいて、今日の昼間は東京都内で仕事なら、日曜日は大阪まで行こうと思えば行けたのに、なんとなく行く気にもならなくて行かなかったので、昨日の試合については文字情報しか知りません。

2シーズンにわたって全試合観戦やってから、自分の応援しているチームの試合ばっかり見てると視野が狭くなるような気になって、ときどき、意識して関係ないチーム(あるいは関係ないスポーツ)も見るようにしてます。そうすることでまた新たに見えてくることもあり、それはそれでサポーター的行動としては間違いではないのだろうと、いろいろ理由を見つけて自分のアイデンティティの揺らぎを正す日々であります。


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23:44

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曽田雄志の200試合を振り返る(4)

2007年05月10日

曽田のJリーグ初ゴール(2002年セカンドステージ第3節、vsヴィッセル神戸@札幌ドーム)が気になって、映像探し出しました(というほど苦労はしてなくて、すぐ出てきましたが)。2002年以降は我が家の記録媒体がDVDになってるから、ディスクさえ見つかれば、特定の場面を探し出すのは簡単です。

画面の左にいるのが曽田。右サイド(この画面上では左側)から酒井直樹がハイボールを入れて、曽田がすらして、画面右側のバーヤックが足元で受けてから曽田の足元へ流し、曽田が左足でグラウンダーの鋭いシュートを放った、のでした。

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この試合、NHK地上波で中継してたんだな。J1だったからね。



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22:27

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曽田雄志の200試合を振り返る(3)

2007年05月10日

曽田雄志選手のリーグ戦200試合出場を前に、その200試合すべてを振り返ってみよう企画の第3回は、2002年のファーストステージ最終節からスタートです。

(19)2002.8.17 1st-#15 札幌1-2v東京V@札幌ドーム
 交代出場(74分、小倉→曽田)

曽田が入った時点では勝ってたんですけどね。アウェー側で東京Vのフリーキックになって、壁を作っているうちにロスタイム5分の表示が出て、いったんはクリアしたボールを放り込まれてファーサイドからやられ、最後は延長で桜井直人のスーパー高速ドリブルシュートですわ。

(20)2002.8.31 2nd-#01 札幌2-2柏@厚別
 交代出場(79分、バーヤック→曽田)

この試合も、曽田が入った時点ではリードしていたのだ。いや、別に、曽田が悪いわけじゃないんだけど。

(21)2002.9.15 2nd-#03 札幌1-2神戸@札幌ドーム
 交代出場(64分、小倉→曽田)1ゴール(通算1得点2アシスト)

68分にプロ入り初ゴール。左足です。試合が終わってから、別の場所で見ていた友人(中立な関西人)から「あの選手、DFですよね」と聞かれたから、サブのメンバーとしての曽田の登録は、DFだったのでしょう。

(22)2002.9.18 2nd-#04 横浜FM1v-0札幌@横浜国際
 先発フル出場(FW)

前節の得点が認められて、というよりも、この直前にシーズン二度目の監督交代があって、張さんが指揮をとった最初の試合で、曽田雄志3試合目の先発出場となったのでした。ビジュが3バックの真ん中で出てきてびっくりした、平日夜の閑散とした横浜国際で、またしてもVゴール負け。いや、曽田は、辛い時期を過ごしてますね(僕たちもだけど)。

(23)2002.9.21 2nd-#05 札幌1-2浦和@札幌ドーム
 交代出場(59分、大森→曽田)

(24)2002.9.29 2nd-#06 札幌0-1v磐田@札幌ドーム
 先発(FW)→途中交代(92分、曽田→磯山)

(25)2002.10.5 2nd-#07 清水3-0札幌@日本平
 先発フル出場(FW)

(26)2002.10.12 2nd-#08 札幌0-4F東京@厚別
 先発(FW)→途中交代(68分、曽田→松川)

これはいいでしょ。みなさんよくご記憶だと思いますから。曽田の誰も背負っていないポストプレーから誰もいないスペースへ出した力のないパスから生まれた、スタジアム全体から起きたため息は、忘れようにも忘れられんぞ。

(27)2002.10.19 2nd-#09 札幌0-1G大阪@万博
 交代出場(70分、吉川→曽田)

筑波大からの同期入団だった吉川との初めての交代(だったのかと、いま記録見て初めて気づいた)。大学入学まで普通のサッカー部員だった曽田に対し、ジュニアユース年代からサッカーエリートだった吉川は、この年の序盤はセンターバックでレギュラーでしたが、この頃は、中盤で使われてました。

(28)2002.10.23 2nd-#10 札幌1-0市原@札幌ドーム
 交代出場(54分、新居→曽田)

西田→新居でどうにかホームでの降格を阻止した試合。そうか、新居は途中で下がってたのか。終盤で古川がなんでもかんでも大きくクリアして、そのたびに観客が沸いたのはおぼえてるんですが、なかなか、ディテールは記憶してないものですね。

チームは、この次の試合(11節・鹿島戦)の敗戦で、J2降格が決まってしまうのですが、曽田は、その試合には出場していません。出場した選手で現在コンサドーレに選手として所属しているのは、和波、池内、西澤の3選手(池内と西澤は、当時は鹿島の選手ですが)。

(29)2002.11.9 2nd-#12 東京V3v-2札幌@東京ス
 交代出場(45分、吉川→曽田)

記録上は吉川との交代となっていますが、後半開始から吉川と平間が下がって、相川と曽田が入っています。結果的には敗れましたが、前半の2点のビハインドをいったんは追いつき、しかもリーグ戦初出場の相川のゴール(49分)もあるなど、降格決定で沈む気持ちを多少なりとも明るくしてくれた、うららかな秋の日でした。

(30)2002.11.17 2nd-#13 札幌1-0名古屋@札幌ドーム
 先発フル出場(FW)

前節の活躍を受けて、この試合と次の試合は、曽田と相川が先発2トップを組んでいます。この年は高卒ルーキーだった相川の背番号は、前年は曽田がつけていた23番でした。

(31)2002.11.23 2nd-#14 仙台2-0札幌@仙台
 先発フル出場(FW)

これだ。僕がこの間書いた、リカルドと曽田が激突して流血した試合。仙台はこの勝利でJ1残留が決定し、こちらはかなり惨めな気分にさせられたものですが、ピッチ上の選手はなおさら、だったことでしょう。

(32)2002.11.30 2nd-#15 札幌5v-4広島@札幌ドーム
 交代出場(44分、新居→曽田)
 3ゴール(通算4得点2アシスト)
 警告1(69分、C5=通算1)

これは説明省略(^_^)。この試合で初めてイエローカードをもらってます。

この後、当時UHBで深夜に放送していた「週刊コンサドーレ」に曽田(と新居)がゲストで出演し、その収録終了後に曽田が「FWよりもDFをやりたい」と言って(と平川さんが言っていて)、翌年から、本格的にDFとして活躍を始めた…いや、まあ、いろいろありましたけど、観客を楽しませるという意味では、活躍してたと思うんですが…ま、ま、ま、今となっては、「そんな時代もあったねと♪」ですよ。


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21:41

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曽田雄志の200試合を振り返る(2)

2007年05月09日

曽田雄志選手のリーグ戦200試合出場を前に、その200試合すべてを振り返ってみようと考えたこの企画、果たして200試合出場の日までにすべてレビューし終えることができるのかどうか、早くも不安になっている今日この頃(ってまだ2日目)ですが、ともあれ、入団2年目の2002年です。

この年は、前年にアウミールがつけていた10番を山瀬功治が背負うことになり、山瀬の18番が曽田に引き継がれました。吉原→高木→山瀬と受け継がれてきた、コンサドーレのアタッカーのエースナンバーです(今でもたまに「TAKAGI 18」というシャツを着た人を見ますね…僕は「YAMASE 18」を持ってます<そんなことはどうでもいいか)。

この年も曽田はもちろんFW登録なのですが、開幕と同時に発売されたオフィシャルガイドブック(まだイエローページ刊、ただし紙質が落ちて(?)重量が妙に軽くなった)の紹介ページの見出しには「適所の模索。」とあり、その本文中には、オーストラリアキャンプでディフェンダーへのコンバートを試されたことが記されています。

以下、冒頭の番号は、曽田の通算試合出場数です。

(10)2002.4.13 1st-#06 札幌1-2v京都@室蘭
 交代出場(78分、小島→曽田)

交代出場から5分後に、相手ゴール前のヘディングから小倉→森下で同点ゴールが生まれています。でも、サポーター的には「責任を取ってもらう」で記憶に残った試合ですかね。最後は札幌キラー上野優作にやられました。ちなみに(個人的なことですが)この数日前に僕は東京から札幌に引っ越してきました。ものすごく安い引っ越しパック使ったからなかなか荷物が来なくて、この日は家の中にはまだ布団しかなかったんだよなあ。

(11)2002.4.20 1st-#07 札幌1-3鹿島@函館
 先発フル出場(DF)1アシスト(通算2アシスト)

初の先発出場、そしてフル出場。大森健作を中盤に上げたことで、DF曽田が先発となりました。これはよくおぼえてます。朝、丘珠空港で、知らないサポーターの方々と「曽田のディフェンスってどうなのよ?」「先発するの?」「大丈夫なのかな?」と話したこと。試合開始直前に「責任を取るのは誰?」の横断幕が出たこと。残り10分になって小倉と吉瀬が交代して曽田が前線に上がり、すぐに曽田が落としたボールを新居がうまくコントロールして決めたこと。直前の試合でFW曽田が有効的(<サッカー的表現)だっただけに、なんで曽田ディフェンスなんだよ、そもそも曽田がディフェンダーやるって何よ?と、見てる側も大混乱でしたが、曽田→新居のゴールに、わずかな光明を見出した(見出そうとしていた)のでした。

この後、リーグ戦はワールドカップ中断に入り、ナビスコカップが開催されました。4月30日、厚別での磐田戦(ナイトゲーム)で、DF曽田は中山雅史を封じました。さらに、5月12日、室蘭での柏戦で、対角線上にものすごく速くて正確なロングパスを送るのを見て、おお、ディフェンダー曽田、すげえ!!と、本気で感心しました。僕が、こいつホントはすごい選手なんじゃないかと思うようになったのは、この頃からだったように思います。あのナビスコの2試合(とくに室蘭の柏戦)の曽田を見ていなければ、僕も、「なんで曽田なんか使うんだよ!」派(多数派)になっていたのではないかと思います。

(12)2002.7.13 1st-#08 神戸1-0札幌@神戸ユニバ
 交代出場(81分、小倉→曽田)

(13)2002.7.20 1st-#09 浦和2v-1札幌@国立
 交代出場(98分、小倉→曽田)

(14)2002.7.24 1st-#10 札幌2-3v横浜FM@札幌ドーム
 交代出場(84分、小倉→曽田)

(15)2002.7.28 1st-#11 F東京3-1札幌@国立
 交代出場(85分、ジャディウソン→曽田)

(16)2002.8.3 1st-#12 札幌2-3清水@札幌ドーム
 交代出場(87分、ジャディウソン→曽田)

(17)2002.8.7 1st-#13 市原2-0札幌@市原臨海
 先発(FW)→途中交代(82分、曽田→磯山)

ワールドカップ中断中に監督が柱谷哲二からイバンチェビッチに替わり、曽田はふたたびFWで起用されるようになりました。しかしまあ、この頃は勝てなかった。そこそこいい内容の試合をしていたのに(14節のマリノス戦なんて、ここまで無敗の相手に対し前半だけで2点のリードを奪ったのに)終わってみればみんな負けている。17節は、小倉、バーヤック、山瀬が揃って出られず(出場停止、負傷)、通算二度目の先発出場となった曽田がジャディウソンと2トップを組んだのですが、チームとしてまったく形が作れず、おまけに佐藤洋平がPKに異議で退場となり、散々な結果でした。

(18)2002.8.10 1st-#14 札幌1-0G大阪@厚別
 交代出場(80分、ビジュ→曽田)

古川がポストに大激突した日。雨に打たれましたよ。曽田は、マグロンにマンツーマンでつくために入ったんじゃなかったかなあ。結果的には、この1勝がイバンチェビッチの唯一の勝利となりました。

今日のところはここまで。


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22:41

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曽田雄志の200試合を振り返る(1)

2007年05月08日

昨夜、曽田雄志選手が出演しているテレビ番組を見ていて、そうか、リーグ戦200試合出場まであと4つなのかと気づかされました。

リーグ戦通算の試合出場数でいえば、もっと数を重ねている選手(大塚)もいますが、コンサドーレの選手として200試合の出場は、もちろん、前人未踏です。順調にいけば、18節の福岡戦(アウェー、5月27日)で達成可能ですが、現在累積警告がリーチかかってますから、19節の京都戦(厚別、6月2日)が200試合目と考えるのが現実的でしょう。

チームの財政事情厳しき折、曽田200試合出場記念グッズの販売は在庫リスクが高すぎて難しいと想像いたしますので、ここで勝手に曽田の200試合出場を振り返るコーナーを作って(ちょっと早めに)祝ってしまおうと考えた次第であります。記憶違い、記録違い、その他もろもろあったら、どんどん突っ込んじゃってください。

ただし、コメントにいちいちお答えするのは難しいと思いますので、その点はご容赦くださいませ。

では、まずは入団した2001年の出場記録から。いうまでもなく、この年はFWをやってました。背番号23、期待の大型ストライカーです。まだイエローページから出ていたオフィシャルガイドブックでは、大黒将志と同じページに紹介されており、「『雑草魂』の自信。」の見出しがついています。

(1)2001.6.16 1st-#11 札幌2-2名古屋@厚別
 交代出場(97分、野々村→曽田)

記念すべき初出場、なのですが、まったく記憶にありません。この試合、ウィルのフリーキックとか、森川とストイコビッチがやりあったとか、延長の最後に大森がドリブルからシュートしたけどクロスバーに当たったとか、けっこうおぼえている場面はあるのですが、曽田、ねえ…

(2)2001.6.23 1st-#12 浦和0-2札幌@駒場
 交代出場(45分、和波→曽田)

(3)2001.7.7 1st-#13 札幌2-3v市原@厚別
 交代出場(89分、黄川田→曽田)

(4)2001.7.21 1st-#15 札幌1-1横浜FM@札幌ドーム
 交代出場(110分、播戸→曽田)

この3試合も、いずれも生観戦していて、試合の内容はそれなりに記憶しているのですが、曽田に関しては、今となってはまったく印象に残っていません。これだけ交代で出ていれば、どんな特徴を持っているか、ぐらいは、そろそろ把握できてたんじゃないかなあ。

(5)2001.8.18 2nd-#02 札幌2-5F東京@札幌ドーム
 交代出場(69分、播戸→曽田)

さすがにこれは見てませんが(当時の僕は東京に住んでました)、どういうわけか、TBSが自社クルーで生中継してました。比較的早い時間帯でのFW同士の交代は初めてですが、交代したときにはもう5失点してました。

(6)2001.8.25 2nd-#03 横浜FM3v-2札幌@横浜国際
 交代出場(68分、播戸→曽田)、1アシスト

終了間際に伊藤優津樹が押し込んで追いついた(けれど延長戦で負けた)試合です。その優津樹のゴールをアシストしたのが曽田です。大森がゴール前に放り込み、曽田が頭で落としたボールを、優津樹が体を投げ出しながら押し込んだのでした(通算1アシスト=Jリーグ的には非公式記録)。

(7)2001.9.29 2nd-#07 札幌5-2神戸@厚別
 交代出場(80分、ウィル→曽田)

この試合はBS-1で見てました。ウィルと播戸の細かいパス交換がお見事だった、と、そんなことはどうでもいいとして、曽田は初めてウィルと交代していますが、そのときすでにチームは5得点してました。

(8)2001.10.13 2nd-#08 東京V0-1札幌@東京ス
 交代出場(59分、堀井→曽田)

都心の金券ショップでやたら安いチケットを買って入った、なんてことはどうでもいいとして、アダウトが点取って勝った試合です。このときは、一緒に観戦していた友人たちと、曽田のアジリティについて語り合った記憶があります。したがって、自分個人としては、すでに曽田のプレースタイルは十分に把握していたものと思われます。

(9)2001.11.17 2nd-#14 柏1-0札幌@日立台
 交代出場(89分、名塚→曽田)

いやそりゃないだろって交代ですね(^^;)。この頃、当時の岡田監督はいろんなことをやろうとしていて、この試合の後半途中からは中盤をフラットにした4-4-2をやってたんじゃなかったかなあ。ともあれ、僕は、曽田が初年度に出場した9試合のうち、7試合を生で見ていたことになります(<だから何?って自分でも突っ込みたくなるわ^^;)。


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22:26

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曽田がそんなに弱いわけない

2007年05月06日

さすがはミスターコンサドーレ、仙台サポーターにも強さは十分に認知されてます。

試合終盤、ホーム側のゴール前で曽田が倒れて試合が中断したとき、仙台サポーターがトラメガ使って「そだぁ~、そんなによわいわけねぇだろぉ~!」と(思わずわしもそう思う博士を呼びたくなるような)野次を飛ばしてました。

そういえば、いつだったか、仙台スタジアムで、曽田とリカルドが激突して大流血、両者とも頭をテーピングぐるぐる巻きにして戦った、なんてこともありました。

序盤、仙台のディフェンスはどこかびくびくしているようにみえました。白井の出場停止ゆえなのか、開始早々に(ボールを落とした中山のハンドで得点にはなりませんでしたが)ダヴィに豪快な一発を決められたからか、後ろでボールをまわしていても、落ち着きがないように感じられました。早い時間帯でのフリーキックからの先制点は、そういう意味では、幸運というより必然に近いゴール、だったように思います。

そういうところで点が取れる、取られてはいけないところで取られない、のが、今年のチームの強さです(でも、前節のザスパ草津戦は、やられちゃったんですけどね)。

でもでも、だからこそ、相手がびびってる(ようにみえた)前半のうちに、もう1点取りたかった。もう1点取れていれば、ずいぶん楽になったはずです。

それでも、最後までよく守りました。セットプレー崩れで攻撃している途中で芳賀がへんなところで転んでピンチを招いた場面だったと思うのですが、西谷が自陣ゴール前まで戻って相手の前に体を入れたのには、驚きました。

相手のカウンターに対しても、1対1の場面で不用意に飛び込むことなく、うまく間合いをとって攻撃を遅らせているうちに味方がカバーに入ることが徹底されており、感心しました。

ただ、(アディッショナルタイムに入ってからだったと思うのですが)カウエが相手選手のいるほうへドリブルを仕掛けてボールを奪われた場面をはじめ、試合の状況に応じたプレーの選択という点では、まだまだ、危なっかしいところだらけです。

それを補っているのが絶妙の選手交代。こぼれ球がほとんど相手ボールになっていた時間帯に大塚を入れたことで、多少なりとも拾えるようになりましたし(まあ、大塚の投入に関しては、見ている側も「そろそろ大塚入れるだろ」というタイミングがわかってきた今日この頃ですが)、最後のカウエ→池内の交代も、時間稼ぎのみならず、プレーが軽くなっていたカウエを引っ込めることで試合を引き締めてくれました(で、池内は、わずかな出場時間の中で一度だけ、バチンと相手に当たっていい仕事してくれました)。

その他、細かいことをいえばいろいろ不満がないわけではありませんが、連敗しなかったことはすばらしい。昇格するチームは、連敗しちゃいけないんです。


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20:11

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厚別開幕戦を振り返る(J2)

2007年05月04日

やっぱり厚別は特別です。雨が降ったり日差しが強かったりするとドームが恋しくなることもありますが、われらの聖地は厚別です。

そんな厚別でのシーズン最初の試合、これまではどうだったのか、J2での試合に限って並べてみましょう。

2006年
[前節終了時]
 5勝1分5敗(勝ち点16)5位<首位との差 9>
[厚別開幕戦]
 5月3日:札幌1-1仙台(50分菅井、89分石井)
 11,319人

2005年
[前節終了時]
 2勝5分4敗(勝ち点11)9位<首位との差 18>
[厚別開幕戦]
 5月14日:札幌2-0水戸(2分OG、65分中山)
 6,807人

2004年
[前節終了時]
 1勝4分3敗(勝ち点7)11位<首位との差 11>
[厚別開幕戦]
 5月2日:札幌1-2福岡(10分山形、30分古賀、67分清野)
 10,073人

2003年
[前節終了時]
 3勝1分5敗(勝ち点10)7位<首位との差 15>
[厚別開幕戦]
 5月5日:札幌0-0川崎
 12,190人

2000年
[前節終了時]
 5勝1分1敗(勝ち点16)3位<首位との差 4>
[厚別開幕戦]
 5月4日:札幌2v-1湘南(23分エメ、87分酒井、97分山瀬)
 19,450人

1999年
[前節終了時]
 2勝1分5敗(勝ち点7)9位<首位との差 13>
[厚別開幕戦]
 5月2日:札幌6-0甲府
(22分,27分,48分吉原、58分,70分アシス、77分リカルジーニョ)
 15,318人

こうやって並べてみて、2000年の19,450人には、あらためてびっくり。たしかに、あの日はかなり早く(当社比)厚別に行ったのに、すでにスタジアムの外にものすごい人の列ができていた記憶はあるんですが、満員だった記憶はなぜか飛んじゃってます。途中から出てきた山瀬(デビュー戦)の視野の広さに驚き、最後に相手GKを見ながらヘディングでVゴール決めたのは鮮明な記憶なのですが。

1999年の吉原のハットトリックとアシスのものすごいフリーキックとリカルジーニョの相手を茶化したようなゴールも覚えてますよ、はい。天気はよかったんだけど、風が強かったような(厚別だからいつも風はあるんですけど、とくに強かったような気がする<ここは曖昧な記憶)。

それにひきかえ、暗黒の2003年と2004年は、まったく記憶がないです。03年なんて、当時の試合記録をみても、まったく記憶が甦ってこない。この年とその前の年は、リーグ戦全試合を生観戦というバカな個人的記録を打ち立てた年だから、見てないことはありえないのに、思い出せない。その直前の鳥栖戦(アウェー)は、はっきり覚えているんですがね(曽田が前に行ったり後ろに戻ったり忙しかったから、というより、シーズン初勝利に沸く鳥栖スタジアムで、ものすごい屈辱感を味わったから、ですかね^^;)。

J2に限っていえば、厚別開幕戦で負けたのは、柳下監督1年目の2004年だけなんですね。さらにGW開催に限れば、入場者数は最低でも10,073人(2004年)。もっとも、2000年以前は、厚別開幕=札幌での最初の試合でしたから、ドームができた今とは意味合いも違ったんでしょうが(プロ野球もなかったし)。


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23:05

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マガジンに村野明子さん

2007年05月04日

札幌では本日発売のサッカーマガジン5月15日号の「蹴辺の人々」コーナーで、「コンサドーレ札幌選手寮『しまふく寮』寮母」村野明子さんが取り上げられています(文・写真=斉藤宏則)。そうなんです、写真つきなんです。

現在に至る経緯が綴られた前半は「村野さんファン必読」ですが(笑)、後半は、サポーター必読な内容です。まだ売ってる雑誌ですから、これ以上の内容はここには書きませんので、ぜひ、書店等でお買い求めください(買ってもらってもわたしの懐はまったく潤いませんが、この号が札幌ではやたら売れたってことになったら、それはそれでおもしろいじゃぁないですか)。

表紙がオレンジ色の「日本ダービー列島」と書いてある号です。お間違えないよう。


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13:19

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アクションサッカー大爆発

2007年05月03日

とてもよいお天気なのに家の中にこもってテレビ見てた、のに、ね…ま、群馬のほうであったことは、忘れましょ。選手にはちゃんと反省してもらわにゃいかんですけど、こっちはさっさと忘れてしまえばいいのさ。

そんなことが言えるのも、16時からの東京ヴェルディ1969-水戸ホーリーホックがとってもおもしろかったからです。ヴェルディが憎いわけでも嫌いなわけでもないけれど、水戸のはつらつとしたサッカーは見ていて気持ちよかった。しかも舞台は国立。いやぁ、水戸のゴール裏の人たち、楽しいだろうなあと、すっごくうらやましく思えたですよ。

先週水曜日、札幌の試合のなかった節は(たまたま東京にいたので)味スタのヴェルディ-徳島ヴォルティス戦を見に行ったんですが、監督の采配がどうこうというよりも(いや、監督の指示による部分もあるのかもしれないけど)、ヴェルディは「ハードワーク」からほど遠いのですよね。あの日の徳島なんて、スライディングタックルに行った選手がかわされてもすぐに立ち上がってボールを追いかけていたんですが、ヴェルディは、攻撃も守備も、とても優雅なのです。

それから気になったのがこれ。

20070503-00.jpg

試合が終わり、両チームの選手が挨拶してからも、ヴェルディのディフェンダーが一人、座り込んだままだったのですが、誰も彼に声をかけに行かない。余裕がないのはわかるけど、それにしても誰か一人ぐらいは声をかけて起こしに行く選手がいてもよかろうと思ったのですが、結局、彼は、しばらくこうやって座り込んでいた後、誰にも促されることなく、自分で立ち上がって、すでにバックスタンド前からゴール裏へとまわっていた味方の選手たちの後を追っていきました。

それにしても点取られ過ぎだわ。7試合ずっと引き分けることもなく負けているのもすごいけど、7試合で22失点ですよ。それなのに土屋と服部がフル出場中ってどうよ?ゴールキーパーだけ替えても、劇的には変わらんでしょ。

いやいや、ヴェルディはどうでもいいんだって。今日の水戸、とくに後半は、ものすごく強いチームに見えたんですけど、ま、サッカーは、相手があっての競技ですからね。でも、よくわからない社長交代があったり、平日とはいえ入場者数3桁だったりという中で、アクションサッカーを信じて応援してきたサポーターは、嬉しかっただろうなあ。選手がフラッグ持ってゴール裏を走るのはやりすぎだろうと思わないでもないけれど、気持ちはよくわかる。

札幌の次の相手が水戸じゃなくてよかったですよ。あの勢いで来られたら、怖いっす。



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18:18

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私生活でも宣伝活動(笑)

2007年05月02日

えっと、ちょっと前の、週刊アスキーです。

20070502-00.jpg

記事に添えられた写真で、赤黒のユニホームを着ているへんなやつは、不肖わたくしでございます。記事を書いたのは、ご覧のとおり、ファイターズファンとして知られるあの方ですが(近刊『サッカー茶柱観測所』もおもしろいです)、いろいろありまして、わたくし、記事本文中ならびに写真に、友情出演しております。

拡大↓

20070502-01.jpg

左の方は著名人なのでボカシなしで(いや、わたしの顔も誌面には載ってるんだからボカシ入れなくともとは思うのですが、ちょっと恥ずかしいもので^^;)。

週刊アスキー読んでる人のうちのどのくらいの人がこれを見てコンサドーレを意識してくれるかはわかりませんが、札幌に住んでてサッカーは見に行ったことがないけれど週刊アスキーは読んでる、という人が、これを見て「ああそういえばコンサドーレってあったねえ、たまには見に行ってみようか」と関心を持ってくれると嬉しい。

そんな人いるとは思えないけれど、そんな人いるわけないだろうと思ったらおしまいなので、思いは抱き続けましょう。

ま、この撮影のときは、自分から望んでこんな格好したわけではなくて(だってこれ3月ですよ、いくら家の中とはいえ半袖では寒いに決まってるじゃないですか)、カメラマンの方からのリクエストだったんですが。



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22:01

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メガホンよさらば

2007年05月01日

いまさらヴェルディ戦の話かよと思いつつ書いてしまいますが、あの日の終盤、スタジアム全体から自然発生的に沸いてきた手拍子を「あんなことは久しぶりだ」「かつての熱気が戻ってきた」と、多くの方が語り、書いていました。僕も、そのときは、そう思って、翌日とか、翌々日とか、そんなことを言ってました。

だけど、よく考えてみたら、久しぶり、ではないのだ。こんなのはじめて、なのだ。

札幌ドームができた頃までは、メインスタンドもバックスタンドも一斉にといえば、メガホンでした。いや、札幌ドームができてから、メガホンはうるさいからやめましょうってことで、だんだん減ってきたのかな。

20070501-00.jpg

上の写真は、1997年JFL第19節(8月31日)のブランメル仙台戦で入場者に配られたミニメガホンです。メガホンの形をしているけれどメガホンの機能は持っておらず、「メガホン型の叩いて音を出すための道具」といったほうがいいグッズです。当時は僕はまだ東京に住んでましたから(というか、あの当時、10年後の自分が札幌に引っ越してるなんて思ってもみなかったですよ)、試合終了後は新千歳空港に直行するわけですが、空港で会った旧知の仙台サポーターから「1万5千人がメガホン叩くのは反則だろ」と苦笑されました。

当時は、みんなでメガホン叩くのが、楽しかったのでしょうね。チームができてまだ2年目、観客がどっと沸くのはボールを持った選手がドリブルで突っかけたときで、大きくあいたスペースへのサイドチェンジにはほとんど反応がなかった頃。厚別に集った人たちは、サッカーの試合を楽しむというより、イベントに参加している感覚だったのでしょう。そこで感じた喜びをまた体験するためにスタジアムへ足を運び、だんだんとサッカーそのもののおもしろさもわかってくる、という過程では、あのメガホンが果たした役割は、けっして小さくはなかったと思います。

さて、それから10年後、2007年4月22日の札幌ドーム。僕は、バックスタンドの上のほうに座っていたのですが、「こーんさどーれ(ぱぱん、ぱ、ぱんぱん!)」ではなく、間断なく続く手拍子に、じつは最初はビジュアルで気づいたのでした。目の前に見える、バックスタンドの前のほうで、まるでウェーブが起きたかのように、座っている人々が次々と動き出したのです。もちろん、みんな座ったままなんですが、けっして同時にでなく、少しずつ、手拍子を打つ人が増えてきたのです。

もっとも、J2降格を決めてくれた石川竜也のVゴールの軌道が、現場で見てたときはものすごくスローモーションだったのに、あとからビデオで見ると一瞬だった、という例もあるから、ウェーブのように見えたのは、僕の瞬間的脳内映像である可能性大。とはいえ、瞬間的にそういう風景が見えてしまって、感動して涙が出そうになってしまったのだから、妄想ではないでしょう。

今にして思うと、そういう熱狂の渦の中にいながら、こんなふうに第三者的視点になっている自分に寂しさを感じないでもない(^^;)。

その6日後、28日愛媛FC戦では、僕のすぐ後ろに、メガホンを持った方が座ってらして、試合開始前はゴール裏に合わせてメガホンを叩きまくりだったんですが、周囲の観客の冷たい視線を感じ取ったのか(そんな視線があったのかどうか知りませんが)、試合が終わる頃には、メガホンを叩かなくなってました(なってたような気がします)。「メガホンは持ち込まないでください!」なんてお達しを出してほしいとは思いませんが(こういうことは誰かに強制されると反発を招くだけですから)、あの人が次の試合ではメガホン持ってこなくなるといいなあと思ったことでありました。

といいながら、試合前にやたらメガホン叩いてたときには、席移動しようかなと思ったんですがね。そのぐらい、違和感のあるブツになってきたなあ>メガホン

これはピュアなメガホン。
20070501-01.jpg



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20:30

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