5年間は長かった。。。

2007年12月02日

J1復帰が確定しても、意外に興奮しなかった(今もしていない)自分に、やや驚いています。

もちろん、今朝はコンビニに行くなり新聞各紙を買いましたし、昨日の試合の録画もちらっとは見ました。でも、直近でいえばたとえば秘密兵器のゴールで勝った愛媛戦のときのような、試合のビデオを何度も見る、あるいは、頭の中が覚醒状態で眠れないといったことは、まったくありません。

嬉しい、感動した、感激したというよりは、ただただ、ホッとした感のほうが、はるかに強いです。11月11日以来四度目の正直だからなのか、それとも三度目の昇格だからか、今回は「昇格」というよりも「復帰」の思いのほうが強いからなのか、いずれにしても、昨日も、そして一夜明けた今日も、喜びが爆発するとか、感極まって涙するとかといったことはありませんでした。

感受性が弱くなっちゃったのかな?(笑)

昨日の試合後は、我が家にて友人諸氏とJ1の試合をスカパーでテレビ観戦しました。まさかまさかの鹿島の逆転優勝を見ながら、友人の一人いわく「あのコロコロと転がっていったのを思い出しますねえ」…5年前、コンサドーレのJ2降格が決まったのが、カシマだったんですよね。あの最後の石川竜也のVゴールは、あとから映像で見れば普通にヒットしたシュートなんだけれども、頭の中にある記憶映像では、コロコロと、力なく転がりながら、しかし確実にゴールラインを越えて行ったのです。あのとき一緒にいたメンバーでこのときの話になると、みんな「コロコロ転がったアレ」と言うのだから、僕の見間違いではない、のでしょう。

僕はあの年の3月末でそれまでずっと勤めていた会社を辞めていて、なんとなく東京から札幌に引っ越してきていて、当面は仕事はしないでぶらぶらしよう、せっかく時間ができるのだからコンサドーレの試合は全部見ようと決意して、実際に全試合を生観戦したのですが、周知の通り、この年はJ1でダントツの最下位に終わりました。開幕戦のセンターバックは吉川京輔とマクサンドロですよ…いや、そんな話をしていると、キリがないですね。

年間全試合見た結果がこれでは納得がいかない、ということで、翌2003年も全試合見ようと、少しずつフリーランスで仕事を始めつつ、J2リーグ戦全44試合を観戦したものの、コンサドーレは最後まで昇格争いに絡むことなく、それどころか、チームの形が見えないまま、シーズンが終了してしまいました。もしかしてオレ疫病神なのか?いつになっても勝てないのはオレが悪いんじゃないか?と、半ば真剣に考えたこともありました。

今にして思えば、04年の第2節、埼玉スタジアム2002での大宮戦にあえて行かなかったのは、自分がもたらしてしまった(と思い込んでいた)悪い流れを断ち切りたかったから、なのかもしれません。このときは、前日が東京での仕事で、そのままあと1日残っていれば余分な旅費をかけることなく埼スタに行けたのに、ここでやめないとまた今年も44試合見ないと気が済まなくなる、そんなことはしたくないなどと理由をつけて、試合前日の夜に札幌に帰ってきたのでした。

これも今にして思えば、ですが、その04年は、シーズン序盤、平塚での三原廣樹の負傷離脱がなければ、あれほどまでに勝てなくなることはなかったかもしれません。

自分で言うのもなんですが、あの年、最後まで観戦に出かけていた人たち(含む自分)は、偉かったというべきか、バカだった(笑)というべきか、よく我慢したものです。秋が深まった頃の厚別だったか、スタンドから「ヘタクソ!ちゃんとやれ!」という野次が飛んだときに、僕の近くから「もともと下手なんだからヘタクソって言ったってしょうがないだろ」との声が聞こえてきたこともありました。

05年になってから、思いがけず、仕事を通じてコンサドーレと関わるようになり、一時は、サポーターとしての自分を捨てねばならないと考えたこともありました。サービスを提供する側が熱心なサポーターの目線を持ったままだと、サービスや事業全体が歪みかねないとの危惧がありました。これも、今思えば、ですが、03年から04年にかけての経験があったからなのだと思います。勝てなくても負け続けてもチームを支えるのがサポーターだ、というのは、間違ってはいないと思うものの、けっして、世の中の多くの人々に受け入れられる考え方ではありません(少なくとも今のところは)。それを正しいと思い込んでビジネスを進めたら間違うんじゃないかと、いつも、びくびくしていました。

一方で、HFCの事務所にしばしばお邪魔するようになり、クラブのスタッフの方々と接するようにもなって、サポーター的な関心が薄れたのかなと思った時期もありました。品のないたとえで恐縮ですが「ずっと思いを寄せていた女性が、自分のほうを振り向いてくれたら、かえってどうでもよくなってきた」ようなものだと、当時、近しい友人たちには話していたものです。

普通は入れないような場所に入ることも増えてきましたが、そのたびに、これは仕事なんだ、趣味じゃないんだからサポーター的な興味関心で見てはいけないんだと自分に言い聞かせ、なるほどと思うようなことがあっても、こういうところに書くのはもちろんのこと、誰かに話すことも自制してきました。その思いが強すぎるあまりに、クラブ(スタッフ)擁護のようなことをネット上に書いてしまい、しかし本当のところはどうしても書けないというジレンマに悩み、自分の行動を後悔したこともありました。

アウェーの試合を見に行くと、ピッチの状態よりもスポンサー看板の数が気になったり、売店やトイレの位置を調べてみたり、グッズの品揃えや価格がどうなっているのかとのぞいてみたり、いつの間にやらそんなことばかりするようになって(もちろん試合はちゃんと見ますが)、こんなことしていて楽しいのかオレ?と疑問に思うようになったり。

でも、いろいろなことがあって、試合会場やイベント会場へ行けば「あ、どうも」と挨拶するような関係の人たちが増えてきて、ああやっぱり自分はもうこのチームから離れられないのだなと、深すぎる愛情(笑)を再認識することになっていくのですが、そんなことを書いているとまたいつになっても終わらなくなるので、先へ進みましょう。

今年、スペクタクルとはおよそ縁遠い三浦俊也監督のチームを、わりと素直に受け入れられたのは、このままJ2暮らしが続いたらいずれこのクラブ(会社)は破綻してしまうのではないかとの思いがあったからです。いや、素直に受け入れられた、のではなく、そういう理由から、無理に受け入れようとした、のが、どこかのタイミングで、能動的に受け入れられるようになったのかな。

顧客(観客)がチームの運営母体の経営のことまで考えなければならない、心配しなければならないのは、果たして正しいことなのだろうか?と思うこともあります。提供されているのがエンターテイメントであるならば、それを楽しむ側は余計なことなど考えずに、つまらないかおもしろいかだけを見ればいいんじゃないか。

いや、またこんな話題になると話が大きくなりすぎて収束しなくなるので、この辺でやめておきますが、僕は、Jリーグは、ディズニーランド型エンターテイメントというか、プロ野球のような「興行」とは似て非なるものだと思っています。この点に関しては、HFCとのビジネス上の接点が生じたことで、より思いを強くしています。

そして、机上の空論が言えなくなりました。誰も言ってはいけないとはまったく思いませんが、他人に向かって批判やべき論を述べても仕方がないだろう、そのエネルギーをもっと別なことに使ったほうがよかろうと考えるようになりました。誰かに何かを期待する前に、まず、自分ができることをやる。自分の頭で考える、etc.…

そんな現在の自分からみると、5年前は、ずいぶんナイーブだったなあと思います。あの年、カシマで降格が決まった後には、ヴェルディとの点の取り合いがあり、相川と林が激突し、曽田のハットトリックがありました。あの頃、翌年から5年もJ2にいることになるとは、想像もできなかったし、そもそも想像してはいけないことだと思っていました。

来季、J1で残留争いをする姿は想像したくありませんが、その可能性は十分にあります。コンサドーレの戦力がどうこうではなく、今季のJ1中位以下には、すべてのチームに、その可能性があるのです。希望や願望は前向きに持つべきだと思いますが、胸の奥には何が起きても動じないだけの覚悟を秘めておくことも必要です。そうしたリアリズムは、この5年間の経験のみならず、「J1に上がるためにはどうすべきか」を徹底的に追求した三浦サッカーから学んだものでもあるように思います。


post by issey11

17:09

コメント(3)