5.25

2008年05月24日

3度目の昇格が決まった12月1日という日付は、あと何年かしたら忘れてしまいそうなのだが、5月25日だけは忘れられない。もう11年も経つのに、5月25日が近づくとやっぱり思い出すのだから、忘れることはないだろう。

1997年JFL第7節、コンサドーレ札幌-川崎フロンターレ@厚別。88分ベッチーニョ(川崎)のゴールでコンサが2点ビハインドになりながら、ロスタイムにバルデスの2得点で追いつき、延長後半7分にバルデスのVゴールで勝った試合-といっても、当時はまだ僕は東京に住んでいて、まさか自分がわざわざ札幌に引っ越すことになろうとは思いもよらず、コンサドーレというチームがあるのは知っていてもJFLだったから情報もほとんどなく、現場どころかテレビ中継さえ見ていない。

それでもこの試合が忘れられないのは、東京にいながらもこの試合はなんとなく気になっていて、日帰りでもいいから行ってみようかと、ちらっと考えたからだ。しかし、当時の自分にとっては、わずか1試合のために東京から札幌を往復することなど「ありえない」ことで、同じ日に秩父宮ラグビー場で行われた日本代表とどこか(アメリカだったか?)の試合を見に行ったのだった。

その帰り道、神宮外苑の銀杏並木の下で、厚別の壮絶な試合の結果を知ったような記憶があるのだが、今と違って携帯端末で情報がとれたわけでもなし、どうやって情報を収集したのかは定かでなく、もしかするとこれは後から作られた記憶かもしれない。

11年前のインターネットはまだまだ特別な存在ではあったが、JFLの情報を得るほとんど唯一といっていい手段が、インターネットの中にはあった。誰が作っていたのか、JFL全試合の試合経過を詳細に記録したテキストページもあった。

コンサは当時からかなり情報が充実していて、石屋製菓さんのサイトの中のコンサドーレコーナーにゴールハイライトの動画があったり、NTT?の実験でPHSを使った試合風景静止画1分間隔ほぼリアルタイム配信なんてのもあった。電話代を気にしながら、静止画中継を楽しんでいた(という話は、以前にもこのブログで書いたような気がする)。

5.25川崎戦のバルデスのVゴールは、たしか、石屋製菓さんの動画で見たのだと思う。家庭用ホームビデオで撮影されたものだから、太鼓の(今となっては素朴な)音とざわめきだけが聞こえていた中で、突然、撮影者が「うぉーっ!」と叫び、バルデスが客席に向かって走り出し、サポーターと喜びを分かち合う光景。あの動画が、あの日の厚別の熱気を伝えてくれた(から、11年後の自分は、すべてをコンサドーレに賭けるような生活をすることになってしまったのだが(笑))。

いまにして振り返れば、あれは権利関係の緩かったJFLだからできたことでもあり、できたばかりのチームを応援したい人たちが、よくも悪くも好き勝手なことができた時代だった、のだと思う。

もっと前から見ている人だと「ペレイラのフリーキック」あたりから語りたくなるのだろうが、僕は、これからもずっと、5月25日が来るたびに、老人の繰り言のごとく、同じようなことを言い続ける、どころか、年を取るにつれて、繰り言傾向がさらに強まるおそれすらある(苦笑)。何十年後かに孫がいたとしたら、嫌われないように気をつけねば。


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09:59

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もう4年も前?まだ4年前?

2008年05月15日

marutaさんからトラバいただいたので、といっても、デリケートな問題を丁寧に解きほぐすだけの時間的精神的余裕が今はないので(業務輻輳中)、季刊サッカー批評21号(2004年1月発行)掲載「コンサドーレ札幌、つぎはぎの8シーズン」(文・永井謙一郎)から、考えるヒント的な部分を、以下、抜き書き(まあ、ご存知の方も多い記事だろうとは思うのですが)。

その1(同誌85~86ページ)

HFCの資本金は、設立時の96年4月で8億3千7百万円。その後、増資を幾度か繰り返し、現在は25億5625万円。この増資の目的は、もっぱら選手・監督などトップチーム人件費のためだった。
通常、企業において資本金を募るのは、工場など企業の資産を築くためであり、選手の給料は資産とは言えない。なのに、入場料や広告料などの収入で選手人件費をまかなうという理想的な構図に近づける努力を怠り、赤字になり、やむなく資本金を現金という流動資産に取り崩して、それを食いつぶすという構図になり、設立2年目にして早くも破綻の音が鳴り響いた。しかしその後も、00年のように、増資でカネを得ようとした。
資本金5億円以上の企業は商法上大会社扱いとなり、株主総会で決算を通すにも監査法人の監査が必要で、監査法人への費用は年間約4百万円。さらに04年度からは資本金1億円を超える企業については法人事業税について外形標準課税導入のため、HFCの資本金規模だと例え赤字でも年間約6百万円が納税になるだろうとHFCでは計算している。今となっては、資本金が膨らんだせいで04年度からは黙っていても毎年1千万円は飛んでいく。若手選手を2人雇えておつりが来る。

その2(同誌89ページ)

佐々木は歯を食いしばって語る。「選手強化サイドは、『本州の選手には大金積まなきゃ北海道には来てくれません』と言う。でももうそれじゃ会社はもたないし、選手の気持ちは『来てやったんだ』というおごりのまま。ウチには大枚はたいてビフテキ食わしてという選手はもういらない。ホッケやジャガイモ食ってでもチームのためにがんばるという選手と一緒に汗を流したいんだ」

後者の「佐々木」は、当時の佐々木社長のことです。元記事は、オリバー・カーンが表紙の号に載ってます(全8ページ)ので、お持ちの方は探してみてください。


post by issey11

19:35

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藤田征也のサイドバック

2008年05月15日

先日のヴェルディ戦のときに話したら意外に知らない人が多かったので、お知らせ的に書いておきますが、藤田征也は、U-16ぐらいまでは(もしかするとU-17でも)、代表チームではサイドバックとして使われていたはずです。

「はずです」などと曖昧なのはちゃんとした資料が見つけられないからなのですが、手元にある資料(デジタルデータではない)では、たとえば2003年の北海道国際ユースのとき、城福浩監督(現FC東京監督)率いるU-16日本代表チームでは、藤田はDF登録です。当時のU-16では、前目のポジションをやることもありましたが、基本はサイドバックだったような印象があります。

どなたか詳しい方、補足をいただけるとありがたいです。


post by issey11

14:11

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純の父

2008年05月08日

大宮サッカー場に行ったのは、大宮アルディージャがJ1昇格を決めた日が最後だ。その後も大宮のホームゲームは何試合か見たが、駒場や埼スタだった。

その日の試合内容は、ほとんど記憶にない。試合終了直後、バレーとツゥットが抱き合っていた光景にしても、頭の中に残っているというよりは、自分が撮った写真を後日になって何度も見ているから見たような気になっているに過ぎない。

そんな中、はっきりと記憶しているのは、試合後、大宮の選手たちが場内を一周していたとき、突然、一人の大男が、僕のいたバックスタンドに上がってきた場面。バックスタンド中央には、スタンディングオベーションを送る人々が密集していたのだが、彼=ディビッドソン純マーカス=が、ピッチからバックスタンドへ逆乱入してくると、彼の前には道ができた。プロレスで、入場シーンでは観客が選手の体を叩いたりしても、試合中の乱闘が起きると人の波が引いていくのと同じで、人間には、想定外の出来事に対しては、その場から離れる、という本能が備わっているらしい。

スパイク履いたまま座席の上を歩くのはどうなのよと考える余裕すら与えずに、マーカスはドタドタとものすごい迫力でバックスタンドの上へと進み、野球帽をかぶった白人男性に抱きついた。そのとき初めて、ぼくらは、自分たちのすぐ後ろに一人でじっと座っていた外国人男性が、純パパであったことを知った。

手を伸ばせば届きそうなところに、いま昇格を決めたばかりの選手がいるというのに、誰も声をかけることもなく、みんな、遠巻きに、彼らの姿を見守っていた(ような気がするのだが、もしかすると自分の脳内で作られた記憶かも)。僕は、そのとき、なるほど、この行動は日本人の感覚ではないかもしれないなあと考えていた。

いまやコンササポから戦犯扱いされつつある(?)彼ではあるが、大宮が初めてJ1で戦った年には「日本代表入りか?」と注目を集めたこともあった(たとえばこれとかこれ)。

試合に出るのかどうかわからんが、出たら吉原宏太に負けずにがんばれ。


post by issey11

18:35

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