2009年10月01日
JリーグはJFLのガイナーレ鳥取とニューウェーブ北九州から正式加盟に向けた申し込み書を受理したと発表した。 JFLで4位以内に入り、12月のJリーグ臨時理事会で入会が承認されれば来季からのJ2参入が決まる。 町田セルビアとV・ファーレン長崎は予備審査段階で困難と判断された。 ガイナーレ鳥取とニューウェーブ北九州の2チームは予備審査をクリアしているのでおそらくJFLで4位以内に入れば、来季のJ2は20チームとなる。 この2チームがリーグに加入するとなると仮定する。J2はこれ以上加入チームが増えれば2回戦総当たりと決められているので来季の試合数は38となる。51試合から38試合に試合数が減少する。 気になるのはナビスコカップにJ2のチームが参加するかどうかだ。以前はJ1とJ2のチームでやっていた時期もあったが、今はJ1チームのみの参加となっている。 J2はその試合数の多さからナビスコには参加していないと思うのだが、来季どのようになるのかが興味深い。 そしてJ2のチームが増えることによって、初めてチーム数がJ2>J1となる。昨年まではJ1>J2だったので、不自然な形だったが、ようやく下部リーグ>上部リーグという本来の形に落ち着く。 将来的にはJ3もできるということだが、Jリーグの構成はやはりピラミッド型になるのが好ましい。 このことによってJ1の価値も上がる。 しかし、J2のチームに価値がないというわけではない。J2チームのチームにはJ1に上がるとことを目標としないチームもあって良いと思う。 資金面からJ1で戦うには多大な強化費が必要だ。より地道で地域密着度の高いチームを作り、J2の舞台で精一杯戦うことが目標のチームがでてくるような気がする。
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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