2023年07月29日
今回の神戸戦の指定席を自由席した問題で思うところがある。それは会社の対応のまずさ。そして三上さんのトップとしての資質の問題 問題が起きたからの対応が遅すぎそしてまずすぎること。 これが三上さんがトップではなくののさんがトップだったらどう対応していたかをどうしても考えてしまう。別にののさんを神格化させるわけではないが、ののさんなら素早く情報を明らかにして対応していたのではないかとも思う。 もっとも会社とUSとの問題は過去から絶えずあり、持ちつもたれずの関係でもあり、会社としてもで触れたくない問題でもあるだろう。ののさんでもかなり難しい問題でもあったと思う。 三上さんがトップになってからいろいろサポーターからの不満が生じたことがあった。これはいいことも悪いことも包み隠さず情報を絶えず発信してくれたののさんとの対比からもあっただろう。チームの情報がうまく伝わらなくてのことだったと思う。 これは三上さんが三角山放送局で番組を持ち毎週ファンサポーターが知りたいことについて回答することによってその不満は解消されたように思えた。またスポーツ報知にも不定期で三上さんの発信もある。 今回の問題が起こったのは7月1日。そしてHP上で最初のリリースがされたのが4日後の7月5日。これは問題の把握や調査に時間がかかったということで特段は問題はなかたと思う。 しかし、その後三上さんが三角山放送局でこの件について発信したのは7月26日。もっともこれはチケットの払い戻しの発表がHPであった7月25日を受けてのものだろう。 三角山の番組がそれまで2回あったのにそれまで何もこの問題については一切触れなかった。道新によるとここまでチームに寄せられた問い合わせ意見は150件もあったとのこと。いくらなんでも会社はこれが大問題だと思っていただろう。 しかし三上さんの発言機会がせっかく設けられているのにこの遅すぎる対応はあまりにも酷い。 そしてファンサポーターが問題視するUSに対する処分についての発信やチケット払い戻しに関してのUSに対する請求をどうすうのかとの問題にも一切答えていない。さらには道新が有料記事ではあったが2度も7月18日にUS(とは書いていないが)に「厳重注意」したと記事を書いていたことに関しては否定も肯定もせず。いまだにまったく触れていない。これではチームの危機管理意識が非常に乏しいとしか言えないだろう。 危機管理上の対応としては道新のこのような記事が出たら素早くこのことについてHPなり三上さんの口から説明しなければいけない。 HPで会社が全責任があるとしたからそのことは言えないのかとも勝手に解釈してしまうし、「厳重注意」にしたとすれば軽いと言ってファンサポーターから批判が殺到することを恐れているからだろうか。 個人的には会社はこのままで何も発信せずに収束させる気満々のような気がしてならない。もっとも道新の記事が間違っているのかもしれない、それならすぐさま反論すべきだ。 以上のことから会社や三上さんには今は不信感しかない。 また、今回移籍していった選手に代わる選手の補強について、そのアナウンスについて不満に思っている人も多いと思う。 三上さんがトップになってもGM職にこだわっていることについて当時のブログにも書いているが違和感があった。会社のトップは一部門との兼任では到底務まらない。はたして会社全体見通せているのかという疑問がある。 思うに三上さんはトップに立つ人ではないんだろう。トップを補佐するあるいは一部門のトップでそのことに集中して行うことには長けている人なんだと勝手に推測している。 危機管理意識の乏しい会社は信用されない。サポーター企業もこんなことを考えているところもあるのではないか。危惧するのはファンサポーターの不満がたまり、チームに不協和音が大きくなり、チームを一体感を持って応援できないこと。またさらにはサポーター企業が離れていってしまうこと。 これはチームや三上さんが作ってしまったことではないのか?三上さんにはこのことをについて再度重く認識してほしい。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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