2005年12月31日
やれやれ、やっと色々な雑事が終わりました。実家にも帰らず、「一人越冬隊」です。(ゴメン、来年の法事には必ず帰るよ、アウェイ観戦を兼ねて)
じゃ、今年を振り返ってみたいと思います。
まず、2004年の「大晦日の買い物」がコレ。打ち間違いではないですよ>2004年
去年から、「来る年に向けて大晦日に何か買い物をしよう」と思い立って始めてみました。去年の12月は、人生においてそうそう何度もやらないであろう大仕事を完成させ、ちょっとのんびりしたい、和みたいと思って買ったのがこの急須と湯飲みです。
「黄色は金運を呼ぶ」というDr.コパ並の胡散臭い発想で黄色を選んだ、というのもありますが、絵柄が気に入ったので。私は犬も好きですが、圧倒的にネコ派。和猫だろうが洋猫だろうが化け猫だろうが、何でも好きです。一年間、お世話になりました。
シーズンインにあたって、私には一つの確信みたいなものがありました。同じものを共有していた方も多いでしょう。
「去年よりはマシでしょ」
順位を見ると確かにその通りだったのですが、去年同様、来年に向けて様々な課題を感じさせるシーズンでした。いや去年以上に。
第1節は自分たちよりも格上の相手(甲府)に引き分け、しかも追いついての勝ち点1という、上々の滑り出しを見せたチームは、しかしホーム開幕のプレッシャーからか第2節は鳥栖にしてやられ、草津には勝利するものの、第4節、不調の仙台に0-3の敗戦…。
しかし「また今年もか」とは思いませんでした。確か友人達には「今年のはサッカーになっている」と語っていたはずです。シーズン後、柳下が4節の前半を今シーズンのベストゲームと言っているように、ベースはできている、あとは点を取り結果を出すだけだ、と感じていました。
しかし、第6節では退場者を出すものの引き分け、8節・福岡戦の中山の同点ゴールで盛り返すかと思われたものの徳島に同じことをやられて引き分け、山形戦では堀井が足を折られてチームもボロ負け。「結果さえでれば…」という言葉を呪文のように繰り返し続けた第1クールでした。
第2クールになると、あの厚別での水戸戦から面白いように勝ちを重ね、3位まで順位を上げることに。この頃私は周りによく言っていました、「ほら、去年よりマシでしょ?」と。柳下が「たまたま勝っているだけ。内容はよくない」と繰り返しても、「それでも勝ちを拾っているのも成長の一つだ」と。
この楽観的な見方は、第3・4クールの苦闘、そして最終的にノルマの5位すら確保できないという結果によってうち砕かれるわけですが、正直第3クールはほとんど試合を見られなかったので、語るべきものを持っていません。第4クールについては、冒頭の確信の半分が当たっていて、残り半分は外れていた、いや、「このような確信を持つべきではなかった」ことを思い知らされた、というのが率直な感想です。
結局、「去年よりマシ」というのは、一方でチームに対してさほど期待していなかったことの現れであって、そうして入ったシーズンが結果だけに関して言えばこのようになってしまったからといって、さかしらに不幸を嘆いてみせる資格は初めから私には無かった、ということだと思っています。また、このような発想は彼我の力関係を無視したものであって、リーグ全体のレベルが上がる来年にはもっと厳しい認識で臨む必要がある。
アウェイ側住人としてできることは、今まで以上に良いプレー・悪いプレーに対する反応をシビアに(もちろん野次るだけという意味ではなく)することかな、と。それと、スタジアムでのポジショニングについて、ちょっと見直してみようかなと。アウェイ側でも色々動いて、周りの雰囲気の違いなんかも感じてみようかなと。いつも上の方ばかり選んでましたから。
とにかく来年は去年と比較して自分を慰めている場合じゃ無いな、と思います。
一方で、チームにとっては様々な収穫があったのも事実です。上里は怪我で戦列を離れるまで間違いなくチームに欠かせない一員でした。単に肉体を元に戻すことは、今の医学のレベルでは比較的容易にできることかもしれませんが、ボール・試合に対する感覚といったものが果たして戻ってくれるか心配です。ともあれ来年に期待したい選手の一人です。
若い力。最終節に(やっと)ゴールを決めた石井、早くもトップデビューを果たした藤田、兄貴分になることを誓った鈴木。札幌の核になっていって欲しい。
不遇をかこったにもかかわらず結果を残した選手として、私は清野を挙げたいと思います。どことなく風貌が私の弟に似ているせいか、どうしても気になる選手です。一度どん底を見て這い上がってきた彼です。来年も貪欲にレギュラーポジションを、ゴールを狙って欲しい。
面白い存在としてあげたいのは加賀。磐田での「見げいこ」を経て、今年は肌で感じ取るものが多かったのではないでしょうか。シーズン終盤にはすっかり逞しくなっていたように感じます。「快足飛ばしてスライディング」だけでなく、プレーの幅を広げて欲しい。
特筆すべきは、このブログサービスをはじめとして新しい試みが続々となされつつあること。もちろんチームが魅力を持たなければ話にならないのですが、こうしたクラブ全体の取り組みにも今後注目したい。また、長年札幌を拠点に活動されていた永井謙一郎さんがエルゴラッソへ移られたり、さまざまな媒体で斉藤宏則さんの文章を多く目にするようになりました。こうした札幌にゆかりのある書き手の成長も、「チーム・クラブの力」を計る一つのバロメーターではないでしょうか。チームに魅力があればもっともっとたくさんの書き手が現れてくるはず。「あの人、今は全国区になったけど、昔は『札幌』を書いていたんだよ」なんて、他サポに言ってみたい。ライター版・大泉洋、出てこい。
チームが着実に成長しているのは事実。一方で、僻地であること・補強費などのハンデを背負って戦わなければならないのも事実。でも私たちは、ただただ、目の前で闘う選手をサポートし続ける、まずそれを第一に考えて、来年もスタジアムへ。
最後に個人的な目標ですが、周りの人を少しでもスタジアムに誘うこと。やはり客が入ってナンボ。今年は…誰も連れていけなかったんじゃないかなぁ。来年は少しでも多く、そのためにはフットサルとの日程調整が…。早速1/15のキックオフイベントに練習ぶつけてきやがって、仙サポめ(笑
え?行きますよ、ドーム。当たり前ですよ。ゴメン、チームの皆さん。
では皆さん、よいお年をお迎え下さい。よい年をつかみ取りましょう。
2005年12月30日
沢木耕太郎『凍』(新潮社 ISBN:410327512X)
『新潮』2005年8月号に「百の谷、雪の嶺」というタイトルで全文掲載された作品。登山家の山野井泰史・妙子夫妻がヒマラヤの高峰・ギャチュンカンに挑み、壮絶な体験の末に生還するまでを描いたノンフィクション。
この本が「2005年で二番目に感銘を受けた本」となったのは、「誰か・何かと共に歩むこと」の一つの理想型というものを教えてくれたからです(以下、ネタバレあり)。
…まぁ、ノンフィクションにネタバレも何もあったものではないのですが、山野井夫妻、ギャチュンカン登頂のエピソードをあらかじめ知っている人とそうでない人とでは読み方が違うと思うので。ちなみに私は知らないで読みました。
本書は、ギャチュンカン北壁への挑戦を語りつつ、登山家としての山野井泰史・妙子の半生を描くという構成になっています。二人とも日本を代表するクライマーでした。「でした」というのは、ギャチュンカンからの生還の際に二人とも凍傷で指を何本も失っているからです(妙子はギャチュンカン登頂以前にすでに両手両足20本のうち18本の指を第二関節から失っていましたが)。ただ、それでも彼らは、かつてのように登ることはできなくなったものの登山は続けており、その意味では今もなお現役のクライマーではあるのですが。
当初はギャチュンカンの北東壁を目指していたものの、現地で困難さを認識した山野井は、北東壁をあきらめ北壁を選択、ソロ(単独登頂)ではなく妙子と共に登ることになります。卓越したクライミング技術と状況判断能力を持つ山野井、屈強な肉体と精神力を兼ね備えた妙子。二人はお互いを理解し合い、助け合い、山に挑んでいきます。不調のため頂上を目前にアタックを断念する妙子と、彼女に「いい頂」を登らせてやりたかったという想いを抱えつつ登る山野井…。
こう書くと「夫婦愛」を描いた作品のように思われるかも知れません。しかし、そのような生やさしい感情が通用しない世界であることは、下山時に雪崩に襲われ滑落した妙子がロープで宙づりになった際のくだりが表してくれます。
お互いの体をロープでつないだ状態で雪崩の直撃を受け、妙子は50m下に滑落。山野井はロープを引き続けながらも妙子が死んでいる場合を想定し、ロープを少しでも長く残すため妙子の体のところまで降りていき、彼女の体に近いところでロープを切(り、妙子の死体を1000m下に落下させ)るシミュレーションを頭の中でやってのける。一方妙子は、宙づりの状態から何とか岩場にとりつき、声の届かないところにいる山野井に生きていることを伝えるために、冷静に体からロープを外す…。
そこにあるのは「麗しい夫婦愛」などではない。彼らは山に登り始めると基本的に「自分を守る」ことを最優先に考え、行動している。自分が動けなくなればパートナーをも死に追いやることになる、そのことを常に念頭に置いた上でお互いを信頼し、サポートし合っている。相手を想う気持ちと、まず自分が生き残ることを考える冷徹な判断と…。登山の世界では常識なのでしょうが、我々の生活にも通ずるものがあると思います。
「美しい、でもこれは難しいな」というのが、彼らの関係に対する率直な感想です。まぁ、彼ら自身がとんでもない精神力の持ち主ですから。指無くしても結構平然としていますからね。誰もが山野井夫妻のようにストイックにとはいきませんが、チームをサポートすること、誰かと共にありたいと願うこと…。その前に、まず、自分が自分の足で立つ、歩む。当たり前のように思えるけれど、忘れがちなことですね。あらためて気付かされました。
登山は登頂よりも下山にこそ危険が伴う、というのは知識としては持っていましたが、それを圧倒的な迫力で、しかし仰々しい表現は控えた筆致で伝えてくれる後半部分はかなり読み応えがありました。「登ることと降りることは表裏を為している」という登山の構図や「頂から降りることの難しさ」に対する描写が、かつて筆者が『敗れざるものたち』や『王の闇』で描いた世界を象徴している、というのは深読みしすぎでしょうか。前半の、登山のスタイルや用具などに関する細かい叙述が煩わしいと感じる人もいるかとは思いますが、このような細かい描写は彼の文章のスタイルなので我慢して読むしかありませんね。筆者久々の「人物に焦点を当てた」ノンフィクション長編、ごちそうさまでした。来年は「一瞬の夏の続き」に期待。(文中、敬称略)
山野井泰史さんのプロフィール・登頂歴などについてはこちら
http://www.evernew.co.jp/outdoor/yasushi/yasushi1.htm
山野井さんには『垂直の記憶』という著作があり、読み比べてみようと思って先日入手しました。さらに本レビュー作成中に偶然付けたテレビで、山野井さんが、1/14(土)からNHKで放送される「氷壁」(全6回/原作:井上靖)というドラマの技術指導をされていることを知りました。私はこういう「サイン」を大事にする質なので、これからも山野井さんについて色々調べてみたいと思っています。
2005年12月26日
木村元彦『オシムの言葉』(集英社 ISBN:4797671084)
サブタイトル「フィールドの向こうに人生が見える」。この言葉が、この本の、オシムという人の全てを言い表しているように思えます。
いうまでもなく、イビツァ(本名イヴァン)・オシムは、90年ワールドカップでユーゴスラビアを率い、チームをベスト8に導いた後、EURO92を控えた時期に始まった内戦を受け代表監督を辞任、海外のクラブを渡り歩いた後に、市原(現在千葉)の監督として来日。限られた戦力を最大限に活かすその指導法で、千葉をJリーグカップ優勝に導いた名将です。陳腐な表現ですが「名将」以外に思いつかない。「知将」はちょっと違う気がします。
この本は、「千葉でのチーム作り」と、「指導者としての祖国での経験・内戦により被った苦難」の二つのテーマに基づき書かれています。千葉というチームの戦術について語る資格はないし、実際に見ればいいだろう(再来年対戦する時に)、ということで、「なぜ千葉の選手はオシムを信じてあれだけ走ることができるのか」を知るために読んでみました。
「オシム語録」などという名称を与えられ、その独特な語り口が注目を集めるオシムですが、この本を読むと、単に奇をてらってのことではなく、全ての言葉に何らかの意味を、メッセージを込めて発していることに気付かされます。時にはマスコミを通じて選手にメッセージを送るためであったり、また時には浮き足立つ周囲に警告を発するためであったり、あるいはメディアの「幼稚さ」に対する叱責であったり、と。
こうしたメッセージを、それぞれの場面に適した形で発することができるようにするには、やはりその人の歩んできた人生がものをいうのだと思います。内面から出た言葉だからこそ、そこに込められた心も相手に伝わるのだ、と。
「叱る」と「怒る」の違いはそこに相手を思う気持ちがこもっているか否かだ、と常日頃思って行動しているのですが、オシムの言葉は「叱る」のお手本のようだと思いました。そして内面から出た言葉であるからこそ、真似のできないものだ、とも。まずは自分自身の内面を磨いて、それからですね。
その人間性をどこで身につけたのか。傍観者はやはり内戦に伴うつらい経験にルーツを求めたくなるのですが、オシムはそれについて次のような言葉で語っています。
「確かにそういう所から影響を受けたかも知れないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう」
オシムは静かな口調で否定する。
「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」(p.129)
このくだりを読んで、彼の人間性をほんの少し垣間見ることができたように思います。
以下、レビューとは関係のない余談。2006年ワールドカップの抽選。セルビア・モンテネグロ(SCG)は「スペシャルポット」なるものに入れられ、アルゼンチンのグループに入った。これは「同じグループにヨーロッパは二か国までしか入らない」という原則を逆手に取った「いじめ」以外の何者でもない。SCGは他のヨーロッパ諸国より高い確率(2/3)でブラジル・アルゼンチンと同じ組になるようにしむけられただけ。いまもってヨーロッパの「鬼子」扱いである。政治とサッカーは別物、などと綺麗事を言うつもりはない。これが現実。
以下、またしても余談。発売日・読了日から随分日が経ち、すっかり乗り遅れた感のある本レビューにはやはりおまけが必要だろうということで、コレ↓
左がオシムのサインです。我がサッカー仲間であるところの「ジーコと握手したことのある、「コロンビアの英雄」の名をハンドルネームとする、千葉在住、でも増田と柳沢にダメ出しばかりする鹿サポ」な方に、わざわざ練習場まで行って入手していただいたものです。コレ↓がアップ。
で、問題です。右のサインは誰のものでしょうか?(コレ↓)
上記「うんたらかんたら」の方と身長体重が全く同じ(ヒントにならんなこりゃ)、「オシムの申し子」のものだそうです(私も分かりませんでした)。
2005年12月24日
が、どんな分野でも大事だな、と思いつつ見て(聞いて)いたフィギュア女子。
有力選手はみんな転ばなかった。
おかげで明日の準備が終わらず、「オードリー」が見られない_| ̄|○
さ、これから二時間、(すでにコンディショニングは失敗してめまいがしているので)集中力で。
2005年12月23日
今日は所属するフットサルチームの年内最後の練習でした。
途中ブランクの長さから足が止まってしまう事も若干あったのですが、最低1ゴールという目標はクリアできたし、なぜかビッグセーブも連発(ゴレイロは持ち回りでやっているので)したし、勝ちまくったし、海外組fromフィンランドの参加もあったし、チームメイト@仙サポは怪我するし、良いことづくめ(ん?何か一個おかしなのが混ざっているけど、ま、イイか)の「蹴り納め」でした。
で、今日は「なぜ勝ちまくることができたのか」を考えてみました。
良くあることですが、ウチの練習ではメンバーをランダムに組んで紅白戦をやります。で、今日はボクの入ったチームは常にメンバーがそろっていた、まあ、力関係だけを計れば勝ち続けても不思議ではないかな、という状況だったのです。
ところが、3チームでやっていたため、勝つとそのままコートに残り続けるという、体力的にはキツイ状況だったのです。にもかかわらず勝ちっ放しだったのには、二つ理由があるのではないか、と思いました。
①個人で局面を打開できる選手の存在
メンバーは読めば分かると思います、#11さんです、ハイ。
②切り替えの良さ
相手ボールになったら必ず前からディフェンスしていたことが大きかったのではないか、と。
先日、ビジャレアル-バルセロナのビデオを入手して見ました(解説:信藤)。序盤はホームのビジャレアルが押していたのですが、最終的に0-2でバルセロナの勝ち。
その時、ほぼ例外なくバルセロナの選手が行っていたのは、自分が有利な形でもったら必ず一対一を仕掛けることの他に、「相手ボールになった瞬間に必ず奪い返しに行くこと」でした。誰であっても、たとえシャア専用アシスホナウジーニョだろうが、江藤エトーだろうが。
以前、相手ボールになってもてくてく歩いていた砂川を名指しして「ああいう選手がいては勝てない」と柳下が言っていましたが、まさに今日はそれを(フットサルでは当然とはいえ)実感した次第。強いチームほどやることがシンプルだ。そして、徹底している。
オフも走れよ、オマエら、そしてオレ。
2005年12月20日
【やめておくはずだったのにしてしまったこと】
【想定外の事態】
【達成したこと】
【来年も引き続きやること】
2005年12月18日
ここに、NBA(北米のプロバスケットボールリーグ)創設以来の「偉大な50人」に選ばれている二人の選手の経歴があります。
【ジョン・ヒューストン・ストックトン】
1962年3月26日生まれ
出身:ワシントン州スポケーン
ゴンザガ大卒、1984年ドラフト1順目16位
オールスター選出10回 オールスターMVP1回(1993)
オリンピック金メダル2回(1992・96)
所属:ユタ・ジャズ(1984-85~2002-03)
【カール・マローン】
1963年7月24日生まれ
出身:ルイジアナ州サマーフィールド
ルイジアナ工科大卒、1985年ドラフト1順目13位
レギュラーシーズンMVP2回(1996-97・ 98-99)
オールスター選出14回 オールスターMVP2回(1989・93)
オリンピック金メダル2回(1992・96)
所属:ユタ・ジャズ(1985-86~2002-03)→ロサンゼルス・レイカーズ(2003-04)
彼ら二人は、ユタ州・ソルトレイクシティをフランチャイズとするチームでキャリアのほとんどを共に過ごしました。これだけ長い間共にプレーすること自体が非常にまれなのですが、NBA史上に燦然と輝く次の数字は、二人の関係が特別なものであったことを端的に現してくれます。
ストックトン:通算アシスト数15,806(歴代1位)
マローン:通算得点数36,928(歴代2位)
ストックトンの記録は、マジック・ジョンソン(HIVウイルス感染を告白し、その後バルセロナオリンピックでの「ドリームチーム」結成を呼びかけたことでご存じの方も多いでしょう)が「私の最も大切な記録」と言っていたものを破った、まさに金字塔であり、またマローンの得点数は「神様」と呼ばれたマイケル・「エア」ジョーダンを上回るものです。
ご存じの通りバスケットは5人1チームで行うスポーツですが、それぞれにポジションというものが与えられています。
ストックトンは「ポイントガード」というポジションでした。これは所謂「司令塔」で、ドリブルでボールを運び、味方にパスを配球し、ゲームの流れを読んでオフェンスのパターンを選択することを主なタスクとしています。背は低いが高い技術を持った選手が務める、チームの心臓です。最近のNBAでは、ガードというポジションには敏捷性に優れ、派手なドライブイン(ドリブルでゴールへ向かって切れ込むこと)やダンクシュートを決める「アスリート」タイプの選手が多いのですが、私に言わせればそんな選手は本物のポイントガードではなく、ダンクもできない、足も遅い、けどゲームの流れを読むことに長け、抜群のリーダーシップを発揮するストックトンのような選手はこれからも現れないのではないかと思っています。
対してマローンは「パワーフォワード」というポジションで、これは主にゴールに近い「インサイド」と呼ばれるエリアでプレーし、そこで得点を挙げることとリバウンド(シュートのこぼれ玉)を拾うことを求められるポジションです。特にマローンはジャズではチームのNo.1スコアラーで、大学時代に付けられた「メイルマン(郵便配達人)」というあだ名通り、常に確実にゴールを決める選手でした。晩年はヒザの怪我に苦しめられましたが、この人のトレーニングに対する姿勢はまさにプロフェッショナルと呼ぶに相応しく、体をぶつけ合うことを求められるポジションにあって、怪我による欠場の数が極端に少なかったことで知られています。
つまり、彼らの関係は、ストックトンのパスをマローンがスコアするというものであり、単に共にプレーしたというだけではなく、本当の意味での「デュオ」と言えるものだったのです。彼らの「ピックアンドロール(2対2の局面で相手のマークをずらし得点につなげるプレイ)」は芸術品の域に達していました。当時NBAでは原則としてゾーンディフェンスは禁止されていたので、彼らのこのプレイはまさに「分かっていても止められない」プレイだったのです。
経歴を見れば分かる通り、彼らはナショナルチームのメンバーとしてバルセロナ・アトランタ両オリンピックで金メダルを獲得、NBAオールスターでは二人同時にMVPを受賞しました。しかもその時の開催地は彼らの地元、ソルトレイクシティでした。
しかし、彼らは最も欲していたであろうものを手にすることなく、2003年にストックトンが引退、パートナーを失ったマローンは「欲していたもの」を手にする最後のチャンスを求めて、スーパースターがそろっていたロサンゼルス・レイカーズへ、最低年俸を受け入れての移籍を決意。NBA史上最高のデュオは終焉の時を迎えました。
彼らは結局、一度もNBAチャンピオンになることができなかったのです。
2005年のJ1優勝争いは、劇的な幕切れとなりました。G大阪の優勝は、結果としては妥当なものに思えますが、それより私の心に残っているのは、「またか」という思いです。
チームが大久保嘉人を失っても、古橋達弥という「素晴らしい三人目」を得ても、途中、一人が海外でプレーした時期があったにせよ、彼ら二人は常にチームの中心でした。しかしまたしても、「欲していたもの」は彼らの目の前から消えていきました。またしても…
ユタ・ジャズは、ストックトンとマローンの在籍中に、年間王者を決めるNBAファイナルに二度進出しています。その時は、二人の他にジェフ・ホーナセックという、3ポイントシュートを得意とする選手がいました。彼ら三人を含めてジャズは素晴らしいチームワークを発揮し、1997・98年のファイナルに進出し、そして「神」ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの前に、二度とも敗れ去りました。97年には、NBAファンの間では語り草になっている第5戦でのジョーダンの鬼気迫るプレーに。98年には、レギュラーシーズン勝率1位となり、プレイオフでも圧倒的な強さ・早さでウェスタンカンファレンスを制しながら、ブルズの勝ち上がりを待つ間にゲーム感覚を失ったのかあっさりと。
その後、ホーナセックが引退した後はプレイオフには進出するもののファイナルに進むことはできず、前述の通り二人は相前後して引退を迎えたのです。
負けん気の強そうな顔つきの、背の高い彼は、「アイツを胴上げしたい」と常々言っています。人の良さそうな、周りまでも幸せにしてくれそうな素敵な笑顔を持つ彼は、今シーズン、節目となるゴールを決めましたが、あくまで通過点だと言います。しかし、キャリアの終わりが近づきつつあることは彼自身がよく分かっているでしょう。
彼らは来年、「欲していたもの」を手にすることができるでしょうか。
しかし、たとえそれを手にすることができなくても、やはり彼らが素晴らしいデュオであることにかわりはありません。
マローンは言います。「レイカーズでもファイナルに進んだが、やはりあの二度のファイナルは素晴らしかった」と。
ストックトンの引退に際して、マローンが贈った言葉です。
"There absolutely, positively, will never ever be another John Stockton -- ever."
2005年12月17日
突然の事で愕きました。近鉄、阪急、そして初期のオリックスのファンでしたから。
画面を通してはそうは見えなかったのですが、関係者の話では9月頃から相当悪かったそうです。外から見えるものというのは、限られているのですね。
最近、亡くなる方の話題が目に付くのは、誰かに、何かに、「生きろ」と言われているからだという気がしてなりません。その時間を「活かせ」と…。
2005年12月09日
札幌・金子勇樹とコントユニット、ザ・プラン9のヤナギブソン(ツッコミ)。
なぜか画像がアップロードできない…_| ̄|○(再度チャレンジしてできれば更新します)。
すまして映っている写真では全然似ていないのですが、テレビで激しくつっこんでいる時の顔はビミョーに似ている、目のあたりとほお骨が。
10日ほど更新をストップします。ちょっと忙しいので。皆さんのブログを回ることもできそうにありません。コメントはチェックしています。
では数少ない読者の皆さん、20日頃にお会いしましょう。
2005年12月07日
今日、病院に行って来ました。ヤバイ病気ではありません、念のため。以前の貧血が気になって、血液検査に行ったんです。
で、終わって会計待ってたら…
「フジタさ~ん、フジタセイヤさ~ん」
ナヌッ!?いるのかアイツが!なぜこんな所に…!
するとすっくと立ち上がったのです、白いニットキャップにボア付きの黒い上着を着た…
10歳ぐらいの男の子が。
…ああっイテェ、石はやめてください石は!罵声だけにして(笑
2005年12月06日
ゴメンなさい、選手ではありません。私のことです。
かなりの確率で開幕戦は出場停止です。下に物騒なエントリーを挙げた報いでしょうか?ダメな確率が高いのです。
まず開幕は3/4(土)あたりだと思います。その日は絶対に外せない用事が入ります。
去年はホーム開幕戦が第二節第二日(日曜日)だったので、帰省ついでに(土)C大阪-横浜M→(日)札幌-鳥栖、という幸せな観戦スケジュールを組むことができたのですが、どうやらそのツケが回ってきたようです。
仮に第一節がホームで、二日に分かれるとしても、5日にも間違いなく予定が入るので第二日(日)がナイトマッチでなければムリ。どうしよう…
そこで、ふと思ったのです。「そういえば来年は13チームになるんだよな…」。
そうすると、こういう事態は考えられないか?
これなら第二節がホームでも…ダメだ、11日にも予定が入っている。ナイトマッチか、12日でなければダメだ。じゃ、こういうのはどうだろう?
でも、これは選手にとってつらくないか?一月から合宿続き、一刻も早く札幌に帰ってきてリフレッシュして欲しい。そういう日程であって欲しい。
…やっぱり出場停止だ_| ̄|○
ちなみに18日はホーム・札幌ドームと思われます。ドームをシェアする日ハムさんが翌週ホームで開幕を迎えるハズだからです、確か。
2005年12月05日
こういうありふれたタイトルを付けるのは好きではないのですが、こう書くとちょっとは見てもらえそうなので書きます。
当日はいつもと同じくアウェイ側B自由席に居ました。結論から言うと、やはりあの「エール」は疑問です。
まず、エールの「交換」という表現を使っているブログがあったのですが、草津コールをされた方は「交換」という認識だったのでしょうか?だとしたら、残念ながら草津側は応えてませんでした、私の記憶では。
あの時、草津のサポは一年間闘ったチームに対する想いを伝えるのに必死だったように見えました。小島のオッサンのこともあったのでしょう。引き上げてゆく選手達にずっと声を送り続けていました。彼らは「自分たち」のチームに、選手に対し一所懸命でした。試合中も必死でしたよ。
「温かさ」というのは札幌サポの個性であると思うし、それをなくせ、と言っているのではありません。ただ、あのエールは、「温かさ」を示して自己満足に浸りたい、それだけのためのものに感じました。さっきも書きましたが、当の草津サポに伝わってない程度の「温かさ」だったということです。
うちには同情する余裕なんてあったんでしょうかね?ヒドイ試合だったのに。同情するなら試合中はもっとチームを奮い立たせる応援ができるようになってからにして欲しい。来年は、よそのこと構っていられないくらい精神的に厳しいシーズンになりますよ。と言うか、そうしたいでしょ?ぶっちぎりで昇格?無理無理。
アウェイB自由席の住人だからこそ敢えて言わせてもらいます。一連の意見を見るまで、贔屓目に見て「あの試合のゴール裏はドローかな」などと思っていましたが、違う。「ボロ負け」ですね。
ホームのゴール裏に居るということは、チームと一緒に闘う資格があるということだと思います。せっかくだから有効に使ってくださいよ。選手はいつの試合でもゴール裏に挨拶にいく時が一番嬉しそうじゃないですか。それはあなた達に対して感謝の気持ちを一番感じているからでしょう?アウェイ側なんて、それはそれは素っ気ないものでしたよ、サンクスウォーク(笑)。イヤ、そう言っては選手がファンサービスしていないとの誤解を受けますね。言い換えます。アウェイ側やバック・メインにはファンサービスしに、ゴール裏には一緒に闘ってくれたことに対する感謝を表しに行っているから、表情が違うんですよ、きっと。
ほんとはね、「エール」なんてどうでもいいんですよ。このことを、いや今年を、いっぺん自分がそこに居る意味を考え直すきっかけにしてみたらどうでしょう?あなた、闘いました?「自分たち」のチームを、選手を鼓舞すること、できました?エールやりたいなら存分に闘ってからおやんなさい。それも同情ではなく意味のある、相手に伝わるエールを。
来年はもっと闘ってチームを押し上げるんだ、とお考えの方は、是非是非今よりもっと声出して頑張ってください。闘えないんなら余所から試合を見つめてみてはどうですか?それも充分立派なサポートです。断じて嫌みではありません、ある日「闘えない」と思ってしまった私もそうしているのですから。
真ん中で闘っている皆さんには、どうか問題を「温かさ」と「厳しさ」の単純な二元論にしてしまわないように切に願います。当事者でない私が言う筋合いではないかも知れませんが、それではあなた達が孤立するだけです。ブログを読んでいると、あなた達がそう思っていなくても、二元論で理解しようとしている人が多い。何とかそういう人たちに伝わる方法を模索してもらいたい。好むと好まざるとに関わらず、「温かさ」は札幌サポの個性の一つになっています。これを上手く取り込む形での一体化を図っていただきたい。不可能ではない、と言うか、「あそこ」を目指すのならやるしかないでしょう。期待しています、本当に。
2005年12月04日
忘れないうちに。自分が見た中では、「11.23」・清野の得点。
【理由】
受ける前の動き・ゴールだけを考えたボールタッチ・冷静なフィニッシュ、ストライカーに求められる三つの要素が全て詰まった、ここ数年でも最も美しいと思ったゴール。個人的には二番目のポイントを最も押したい。ごちそうさまでした。
2005年12月03日
勝ち点3を取った。ただそれだけの試合。以下、雑感。
…とまぁ、来年昇格を本気で狙うのであれば、これくらいの厳しい目で見なければならないのでしょうね。はぁ疲れる。以上、2006年第0節としてのレビューでした。
今日はたくさんイイものを見たし体験したので、忘れないようにここに書いておきます。しばしお付き合いを…っていうか、所詮日記ですからね(笑
というわけで2005年は終わったわけですが、うーん、総括するのには時間が掛かりそうです。自分自身、夏場のゲームはほとんど見られていないですし。シーズンが終わったのをこれ幸いと本業でもすぐにまとめなければならないものがあるので、しばらくはうすっぺらーく、しかし「衝撃のJ1」のことなども書いていこうかと思います。では皆さん、とりあえずは札幌の今シーズン、お疲れ様でした。
2005年12月02日
いつもの用事を済ませるついでに、札幌ドームの近くまで行って来ました。青いイルミネーションが灯っていました。
さて、と…
2005年の最終戦は、2006年の始まりでもある。
チームにとっての最終戦。何度も繰り返すが、ムダにしていい試合は一つもない。このことを今年一年通して実感したはずだ。去年はその実感すら味わうことができなかったのだから。まだTOP5はつかんでいない。実りある一年であったことを幸せに思い、最後の試合でも何かをつかもう。
どこかで見ているであろうユースの選手にとってのトップチームの最終戦。彼らは今年、大きな自信をつかんだと思う。あの決勝、素晴らしかった。彼らにはそれぞれの進む道で夢を追って欲しい。トップチームに昇格しない選手も、札幌のことは忘れないで欲しい。
クラブにとっての最終戦。明日、クラブはあやかちゃん・パキスタンに手を差し伸べてくれるという。知名度とか打算ではなく、これからもこうした社会貢献に積極的なクラブであって欲しい。
現時点では最終戦に何人入るか、観客動員数が目標に達しているかは分からない…。ブログは今のところ盛況だ。世間を、スポンサーを落胆させる出来事もあった…。新しいスポンサーをいくつも見つけてきた。全てを糧にして、魅力あるクラブ作りに、これからも邁進して欲しい。
サポーターにとっての最終戦。千載一遇のチャンスを逃して昇格できなかったと悔やむ人もいるだろう。一方で、「所詮昇格には力が足りなかった」と冷静に分析してみる人もいると思う。実際、オレの中にも11.23以来、両者が棲み着いている。いや、それ以前から棲み着いていたから11.23は起こったのかも知れない。
どれが正しいかなんてわからない。わかっていることは、わからないということだけ。でも、その答えを求めようとしないものには、きっと、永遠にわからない。
2005年の最終戦は、2006年の始まりでもある。
去りゆく選手にとっての最終戦。この世界に飛び込んできた時から、彼らはこういうことを覚悟でやっているはず。傍観者の言葉など気休めにしかならない。でも、言わせてくれ。自分の為、それだけを考えて欲しい。今年満足にプレーできなかった悔しさ、授かった新しい命…。
どこで、誰が見ているか分からない。明日、闘う機会が与えられたなら、とにかく自分の未来に繋がる試合にして欲しい。少なくともオレ達は見ている。You "are" SAPPORO. We "are" SAPPARO.
2005年12月01日
五木寛之『みみずくの夜メール』
(幻冬舎 ISBN:4344407008)
頭がオーバーヒート気味・「ちょっと思い詰めすぎかな」と思った時にお薦めの本。
タイトルは「ヨルメール」と読みます。朝日新聞に連載されていたエッセイの文庫版。
この本を読んでまず感じたのは、五木寛之という作家は、結構いい加減な人なんだな、と(笑)。
例えばこの人、歯を磨くことが大嫌い。「歯を磨かないと恐ろしいことになる」と聞かされてもこんな感じ。
「一日やすみ、二日なまけして、週末となる。仕方がないから日曜日の午後、一週間分まとめて磨いたりする。テレビを見ながら一時間以上もゴシゴシやっていると、歯ぐきから血が出てきて、すこぶる痛い。(「歯垢と健康の挟間に」)」
イヤ、そりゃ痛いでしょ(笑)。挙げ句の果てに、
「それにこりて、最近では気がむいたときに、ちょっとだけ磨くことにした。これが妙に具合がいいのである。(同上)」
などと言い出す始末(きれい好きの人、五木さんに代わってゴメンなさい)。
他にも作家のくせに筆無精だとか、夜更かしばっかりしている(これは作家だから仕方ないのか。でも読めば分かるけどヒドイんですよ、この人の夜更かしは)とか。ああ、いい加減(笑)。
でもそれは、ただだらしないだけという「いい加減」ではなく、ありのままの自分・ありのままの周囲を受け止めながら生きてゆくのが上手いという意味での「いい加減」さだな、と。今の自分に欠けている部分だと思います。「人間、いろんな生き方があって良いじゃないか」と諭されている気分がします。
私にとって一番堪えたのは、どうしてもウマの合わない人間もいる、ということを書いた「人の性格は直らない」の、この部分ですね。
「真情あふるる直言、苦言も、ありがたくはあるが、正直に言って、うっとうしいのだ。
気持ちが萎えているときなど、ことにそうである。相手の意見が、的を射たものであればあるほど、うんざりする。」
でも五木さん、あなたも若い頃は「人の顔色も見ずにズバズバ言いたいことを言う」タイプだったんですよね?ボクも変われますかね?
あ、そうか、エッセイって「固まった答えを提示するものではありません」でしたね(笑)。
プロフィール
性別:男 年齢:30歳代半ば 出身:兵庫県西宮市甲子園 現住地:北海道札幌市 サッカー歴:素人。たまにフットサルをやる程度 ポジション:アウェイ側B自由席 2007/12:加齢に伴い年齢を実態に即した形に書き換えました
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