2007年04月01日
J2札幌がJ1大宮FW吉原宏太(29)の獲得に動いていることが分かった。移籍が実現すれば吉原にとっては8シーズンぶりの古巣復帰となる。 札幌は第6節第1日目終了時点で暫定首位と、6シーズンぶりのJ1復帰へ向けて好位置につけている。好調の要因は昨シーズンとはうってかわって安定した守備。ここまで失点はわずか2とJ2屈指の守備力を誇る。 一方で課題は決定力。一部のサポーターからは昨年まで柳下前監督のもとで培ってきた攻撃サッカーとのギャップに戸惑う声も聞かれる。これに対し、クラブはサポーター集会などさまざまな機会を利用してチームの方針を訴え続けている。月1回発行されている情報誌では、三浦監督がチームについて語るという新企画もスタートした。 チームは決して守備一辺倒のサッカーを指向しているわけではない。攻撃力アップという戦力上の理由と、このメッセージを分かりやすい形で伝える方法として選択されたのが「吉原獲得」だった。 吉原はここまでリーグ戦3試合・カップ戦2試合に出場して計2得点。カップ戦はスタメンだがリーグ戦はベンチスタートが多い。昨日の試合ではじめてスタメン出場したものの、レギュラーポジションを確約されているわけではない。チームもリーグ戦4連敗と波に乗れていない。環境を変えることで閉塞感を打破したいという思惑がある。 一方、札幌の今季登録メンバーのうち、FWはわずか4人。財政難から少数精鋭でシーズンに臨んだが、ここにきてダヴィが右ひざを痛めて離脱。こうした不測の事態がいつまた生じるか分からない。MF砂川をFW起用するという手段もあるが、「あくまでそれはスクランブル。決定力のあるFWが取れるのなら、取るにこしたことはない」(三浦監督)という現場の意向にクラブ側が応える形となった。昨年まで三浦監督の下でプレーしていたことから、戦術理解の面でも不安はない。かつてはチームの顔だった吉原の復帰は今後の観客動員にも好材料だ。 チームは吉原に、ルーキーイヤーにつけた背番号「38」を用意しているという。吉原の意向次第ではキャプテンの芳賀から18番を剥奪する可能性もある。昨年のクラブ10周年記念試合ではビデオメッセージを寄せた。札幌のことは決して忘れてはいない。「いつかは恩返しがしたい」、その思いは実現するか。【2007年4月1日 Gasenetta dello Sport】
2006年06月12日
はてなにある別荘でワールドカップについて書くとやはりアクセスが増えるみたいなので、ワールドカップについては別荘で書くことにします。といっても普段はヨーロッパのリーグを見られないので予備知識がない上に、札幌の試合ほど真剣に見ているわけではないので、しょせん寸評程度ですが。でも何かの弾みでこっち(オフィシャルブログ)にも来てくれればクラブの収入アップ!というわけでしばらくあっちに力を入れて客引き(笑)してきます。
2006年05月12日
甲子園観戦記。今日で終わりです。 さてこちらの写真。阪神の応援の特徴の一つとして「統制のとれた応援」というのがあります。NHKかどこかでやっていたのですが、阪神の応援団は伝言ゲームのように応援の指示を素早く球場全体に伝えるノウハウを持っています。この写真の中央、立っている女性がこのエリアの「コールリーダー」です。試合前に
「GWということでたくさん来ていただいてありがとうございます。今日は三連戦の初戦、しかも相手は宿敵巨人。この試合に勝つためには是非とも皆さんのお力が必要です。ご声援、よろしくお願いします」
みたいなことを言うと、客席、メガホンを叩いて呼応。正直この時点では叩く音もまばらで、「アレ、こんなモンだったかな?まぁ、内野席(札幌で言うところのSA席)だからな」とちょっと思っていましたが…。
彼女が左を向いているのは、ライトスタンドの本隊から隣のアルプススタンドを通じて伝えられるサインを見るためです。指一本だとコレ、二本だとアレ、というようにコールが決まっているようです。時には本隊を直接見ていることもあったみたいです。序盤は外野寄り、試合が進むにつれて本塁寄りに位置を変えていました。外野に近いエリアを「暖めて」から、それを徐々に広げていこうという考えのようですね。 さすがだな、と思ったのは「ここ一番での盛り上がり方」です。 この試合、流れが変わったのは6回裏。阪神が5本のヒットで同点に追いついた場面でした。この時のスタンドの様子がこちら。 攻撃開始時。普通に座っていますが…
チャンス到来と見るやコレ。メガホンだけではなく大声で歌っている人もたくさんいます。外野の声ともバッチリ合っています。繰り返しますがココ、SA席相当です。 試合の勘所を知っているな、という印象です。それまで阪神はいいところなしでしたが、この回を境に雰囲気が一変しました。試合を見る力、流れを変えさせる力。これが歴史の重みかな、と思います。
私は「これを真似しろ!」とか、そういうことを言うつもりは毛頭ありません。そもそも違う競技の話です。「統制」も、野球は打者が打席に入るのに合わせて声を出し始めることが出来るから可能なことだし、メガホンを使っているから声を出すよりも気軽に応援に参加できますし。6回裏のボルテージの上がり方だって、ランナーが出ればチャンスだってことぐらい、あまり野球を知らない人だって何となく分かります。 ただ言えるのは、彼らはここ一番ではビックリするぐらい試合に集中していました。 序盤は、談笑する人もいれば「何してんねん!」「どこ見とんねん審判!」とか言う人もちらほら。ちらほらです、ネガ発言は。それもつぶやく程度。今の阪神は強いから余裕があるというのも理由でしょうが、それにしても意外なほど少なかった。先ほどの6回裏を境にそういう声はほとんどなくなりました。 その一方で、便所で「さっきのフォアボールが…」とか検討をしているオジさんがいっぱい。さすがしっかり試合を見ているな、と感心しました。 それともう一つ。彼らは楽しそうです。写真は7回裏、ラッキーセブン恒例の風船飛ばし。大の大人がピ~ピ~なる風船を一生懸命ふくらませる姿は何だか笑えます、私を含めて。多分、これだけは負けてても楽しそうにやるのではないでしょうか。 また、選手を盛り上げるのが上手いだけでなく、自分たちがおだてられるのも上手です(笑)。この試合ではないのですが、4日の試合、打球がベースに当たるラッキーなサヨナラ打を放った矢野選手はお立ち台で一言言うたびに「ベースに当たったのは皆さんのおかげです」「応援ありがとうございます」みたいなことをしれっと言うんですね(「おかげ」なわけがないw)。それに対しスタンドからは「ウォー!」という歓声。お互いが欲しているものを分かり合っている、という感じです。
まぁ最後はとりとめもなくなってしまいましたが、「こういう世界があるんだ」ということだけでも伝われば、と思った次第です。ウチのスタンドも次の10年でどのように醸成されてゆくのか、その一員として見てゆきたいと思います。ビールをこぼすオッサンにはならないように気をつけます(笑
2006年05月11日
第三回。いよいよプレーボール、とその前に…。 【甲子園の「へぇ」】 スキーのジャンプ大会が開かれたことがあります。昭和13年(1938)2月、大会名は「全日本スキージャンプ甲子園大会」。「ダンス甲子園」並の違和感です。雪を運び込んでジャンプ台を作り、センターからバックネット方向に向かって飛んだようです。 3塁側アルプススタンドの下には、かつて25mの温水プールがありました。現在は室内練習場になっているはずです、確か。 今はどうか分かりませんが、西宮市では「中連体」というイベントで甲子園球場を使用していました。部活単位での大会というわけではなく、組体操やったり学校の代表だけでリレーやったりというもの。その時に私は甲子園の土を踏んでいるんですね。帰ってきたらなぜか体操服のポケットに土が入っていたなぁ、ひとつかみぐらいの分量が(笑)。今もどこかにあるはずです。
さて、試合は4回に阪神が先制するものの、5回に阪神の先発・オクスプリング(言いにくいねん名前が)が打ち込まれ4失点。しかし6回に阪神が集中打で同点に。終盤、巨人が何度もチャンスを作るものの阪神リリーフ陣が踏ん張り、迎えた9回裏2死、代打関本の打球はセンターへ。浜風でなくセンター方向への風が吹いていたこともありサヨナラ本塁打に!阪神が今季初のサヨナラ勝ちを収めました。
試合内容についてあれこれ言ってもしょうがないので、ここではスタンドの雰囲気について書いていきたいと思います。 まぁ、どこの球場にもどうしようもない酔っぱらいは居るもんでして。試合開始前に、三列前のオッサン三人組と、その前の列の男性がもめているんですよ。どうやらオッサンの一人がビールをこぼして、それに文句を言った男性相手にからんどる。目つきからしてすでに相当アルコールが入っています。こういうのがいると試合に集中できません。案の定試合が始まると、「ドルァー!!」とわけの分からんタイミングで喚くわ、売り子に茶々入れるわ、空いている席に勝手に移動するわ、ちょろちょろし出しました。挙げ句、一人がビール片手に階段登る途中に私の横でフラフラッ…バシャッ。 ……ジーンズはまあイイですよ。でもジャケット、一週間前に買ったところなのに(怒)。さっきの騒動を見ていなかったら私も文句を言っていたところですが、もう相手にしてもしょうがないので、謝る相手に一度だけ軽く手を挙げて後は無視。袖の汚れを洗いに行っている間にヒット1本見逃したやないか!そいつら、4回ぐらいに帰っていきました。何しに来たんじゃ。 このアホらしい連中を除けば、スタンドはそれはそれは素晴らしい雰囲気でした。そのことは次回。
2006年05月08日
試合開始まで時間があったので、外周を一回りしました。 バックスクリーン裏には「タイガース博物館」があります。入場は無料。甲子園球場・タイガースに関する資料が展示されています。ベーブ・ルース来日時の広告や、江夏・田淵・バース・掛布のユニフォームなど、ファンには垂涎モノのお宝が並んでいました。が、私の興味を引いたのは、創立30周年の時に当時のナインが寄せ書きをした記念の大皿です。日付は「1964年」…。40年前に30周年、歴史の重みというヤツでしょうか。
【甲子園の甲子園たるゆえん】 私が勝手に決めた「甲子園球場三大名物」について。 まず「銀傘」。雨よけのみならず、拍手・歓声を球場に響き渡らせることで演出に一役も二役も買っている屋根ですが、実は昭和初期にはアルプススタンドまで覆っていました。しかし太平洋戦争の最中、昭和18年(1943)に鉄不足のため軍事用として接収され、同26年(1951)に内野席を覆う現在の形の銀傘が復活しました。同57年にはアルミ合金のものに代えられ、現在に至っています。今回の大改修で、この銀傘も一時撤去され新しいものに取り替えられるようです。 「アルプススタンド」。高校野球の際に両校の応援団が陣取り、選手に声援を送る場所として有名です。漫画家の岡本一平さんが「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と朝日新聞に漫画を描いて以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになりました。ココの一番上から球場を見渡すと壮観です。 (写真の左側に見える屋根が「銀傘」、右端が三塁側アルプススタンド) 「ツタ」。その外観を彩る緑鮮やかなツタは、建設された年の12月に植栽されました。株数約430本(意外と少ない)、葉の面積はタタミ8000畳分。かつてこのツタを切った不届き者がいましたが、改修後ももちろん残されるようです。
中に入りました。私の席は一塁側内野指定席。札幌の試合で言うとSA席に相当すると考えてよいでしょう。 野球では一塁側ベンチにホーム、三塁側にビジターのチームが入ります(札幌ドームは例外で逆。他にも例外があった気がしますが…)から、観客もそのように座るわけです。従って外野席も、ライト(ホームベースから見て右・一塁の方向)にホーム、レフトにビジターのチームが入るのですが… 試合前の巨人ファンの皆さんです。周りに黄色のシャツが見えることからも分かる通り、「囲まれて」います(笑)。これだけだと厚別・ドームでも見られる光景ですが、試合が始まると、レフトの阪神ファンもライトスタンドと同じように声を出してメガホン叩いて応援しますからね。ぐるっと敵に囲まれて、それはそれは恐ろしい燃えるでしょう。
こちらが阪神ファンの「本隊」。サッカーと違って、練習中から選手を鼓舞するということはなく、選手紹介に合わせて声をあげるという程度です。また、野球の場合、試合が始まってから来る人も多く、プレーボール時に空席が目立つ、というのも至って普通のことです。が、この日はGWにして伝統の一戦。3回ぐらいには満員に近くなっていた気がします。
試合前にはいくつかイベントが。トラッキー・ラッキーとちびっ子が一緒に踊ったり、スピードガンコンテストが行われていました。スピードガンコンテストの参加者はバックスクリーンに大写しになります。羨ましい(笑
続きます。
2006年05月06日
本来ならば「聖地」厚別でのオープニングゲームに行くところ、前もって決定していた法事のため帰省したGW。せっかく帰るんだから異教徒(野球ファン)の集う「聖地」に、と思い、2日のプロ野球・阪神-巨人戦を見に阪神甲子園球場に行って来ました。問わず語りに観戦記を、阪神甲子園球場にまつわるあれこれを交えながら書いてみたいと思います。長いので何回かに分けて書きます。
【球場の沿革】 阪神甲子園球場は、大正13年(1923)に「甲子園大運動場」としてオープン。武庫川の支流・枝川が廃川となり、阪神電鉄が旧河川敷開発の一環として建設。竣工の年が十干・十二支のそれぞれ最初である「甲(きのえ)」と「子(ね)」が同時に来る年であったため、付近一帯の地名も含めて「甲子園」と呼ばれるようになったのは有名な話です。外野に芝生が貼られたのは昭和4年(1929)、世界恐慌の年です。昭和10年(1935)、大阪野球倶楽部(通称「大阪タイガース」)が誕生、甲子園球場を本拠地として使用するようになりました。これが現在の阪神タイガースの前身です。以後、プロ野球・高校野球の名勝負を見つめ続けてきた、日本を代表する球場です。
この度、老朽化のため平成20年にかけて大改修を行うことが決定され、今秋から着工。従って現在の甲子園球場の姿は今年で見納めになります。プロフィールにも書いてある通り、私の実家は甲子園にあり、子供の頃から何度も通ったこの古き良き球場の雰囲気をもう一度味わうべく足を運ぼうと思った次第です。 さて、家からは歩いて15分ぐらい。距離にすると1㎞程度。昔見た町並みを懐かしみながら徒歩で球場に向かいました。駅付近(もちろん駅名は「甲子園」)に大きなショッピングモールができ、このあたりも随分変わってしまいました。ガキの頃には路面電車も走っていた記憶がありますが、今は跡形もありません。
ところで、この距離だと家に歓声が聞こえてくるんですね。甲子園では普通、風はライトからレフトへ吹きます。名物の「浜風」というヤツです。南から吹くこの風にのって声が届くわけです。夏場に窓を開けていると、六甲おろしの歌詞までハッキリ聞き取れます。 父は若い頃巨人ファンだったのでよくテレビで試合を見ていたのですが、横に座っていた私には窓の外から聞こえてくる歓声がテレビよりも遅れて聞こえるのが不思議でなりませんでした。「音は光や電波などよりも届くのが遅い」ということはこの体験で知った気がします。
左は球場の最寄りの駅。私にとっては高校時代、通学に使っていた駅としての記憶の方が強いです。球場は駅の南側、目と鼻の先。 この日は試合開始1時間前ぐらいに着いたのですが、客足は上々。満員になりそうです。 途中には、阪神グッズ(と少しの巨人グッズ)・食べ物などを売る店が並んでいます(写真右)。さながら神宮祭の夜店です。隣にオッサンが座って「何で応援せえへんねん」とかからんできたらマズイと思ってメガホンを購入。使用上の注意に「振り回したりしてはいけない。乱暴な扱いをすると壊れる」とありますが、だぁれも守っていませんでした(笑 次回へ続く。
2006年04月29日
昨日、他人様の所(こちらとこちら)で、道新のコラムについてコメントしてきたんですが、自分の所でまとめておきます。 読んでない人のために。そのコラムは函館での柏戦についてのもの。 試合前の選手入場の際に選手達はベンチコートを着て入ってきた、寒かったから。で、一緒に入ってきた子供達と写真を撮るときにも脱がなかった。子供はユニフォーム姿なのに、選手も脱いで写ってあげてもいいじゃないか。後から写真を見た子供はがっかりするだろう。確かに函館は寒かったのでコンディションの為にギリギリまでコートを着ているのはわかるが、こういう余裕のなさが最後の所での粘りのなさを生んでいるんじゃないか… こんな内容です。私は「コートを脱いで写ってあげるぐらい、ほんの数秒で済むんだからやったらいい。でもそれは選手が考えることではなくてスタッフが言ってあげることだ」という意味のことを拝田さんの所でコメントしました。で、いつもの巡回をしていたらFTさんのところで同じ話題が触れられていたので、「『子供の夢を壊すな』と言う主張と、『チームの成績・闘いぶり』を安直に結び付けるのはどうかと思う」という意味のコメントをしました。舌っ足らずだったのですが、こう考えた理由は上述のように「このことはスタッフが考えるべきことである」という前提があるからです。 一体コラムの書き手は何を言いたかったのでしょう?「チームの闘いぶり」に物申したければそれだけ書けばいいし、「子供の夢を壊すな」と言いたいのであれば何もチームのふがいなさに言及する必要はないわけです。確かに子供を大切にすることは大事ですが、それとピッチの上での闘い方は、やはりあんまり関係ない気がします。 それと、さっき思い出した「このコラムに感じたざらっとした感じ」の原因を思い出しました。ここ。 アルバムを開くたび、『コートを脱いでくれていたら良かったのに』と、思うに違いない。 「違いない」って言っていますが、本当ですかね。結局、コラムの書き手もギャーギャー言っている我々も「子供の感じたこと」なんて確かめもせずにあーだこーだ言っているわけです。確かに「がっかり」しているかも知れませんし、「ヘンな理屈こねて、大人って不思議だな」と思っているかも知れません。案外、「嬉しかった」で心の中の100%は占められているのかも知れません。 まぁ、何でこんな時間に書いているかというと、この問題は本質的にピッチの上とは関係ないので、早く整理して東京V戦の速報に集中したいと言うことです。さ。これで雑念は払ったぞ。では西が丘に魂を…って昼飯作らなきゃ。
2006年04月26日
何か初めての事を経験しそれに習熟していく過程で、「他人から教わったことを何の疑問も持たずにそのままこなす」か「自分で考えながら身につける」かという違いは、その後の習熟度において決定的な意味を持っていると思います。
それとともに教える側にも、考えさせながら身につけさせるということが求められると思うのですが、これは「考えながら身につける」ことよりもさらに難しいことだと思います。一から十まで伝えることは、一見すると教える側としての責任を果たしているようですが、実は言われたことを従順にこなす人間を粗製濫造する事になるかも知れず、それはやはり教わる相手に対し失礼だと思います。
そういう自分も他人に言われたことを従順にこなすタイプの人間なので、実は人にものを教えることに向いていないのではないか、とも思ったりします。余計な言葉を費やさず、相手が独力で学ぶことのできるように持っていくことが、教えるということの一つの理想型なんでしょう、多分。
何だかとりとめもない話ですが、要するに自分のこととかフッキのこととか本業のこととか柳下のこととかいろいろ渦巻いているということです。
でも、「独学しかできない」というのは見方を変えれば「独学ができる」ということなのだから、自分のことだけを考えればそれはそれで素晴らしい能力だと思うよ。それに、そういう姿から何かを学ぶ人間もいるんじゃないかなぁ。
2006年04月06日
昨日、素敵な手帳、というかノートを見つけました。昨今の台所事情の厳しさもあり、一晩考えた挙げ句、「今年は本業がらみでいろいろなところに行くかも知れないからな」というエクスキューズを胸に、あまりにも強い印象が残ったこのノートをやっぱり買うことにしました。 トラベラーズノート(MIDORI製・¥3,360-) タイで加工された牛革製のカバーに、シンプルなデザインのノートをはさむスタイル。ノートがいっぱいになったらリフィルを買って入れ替えることが可能です。一つの旅を終えるごとに交換、ということもできそうです。 デフォルトではさんであるのは無地のノートですが、横罫・セクション(方眼)のリフィルもあり、好み・用途に合わせて使い分けが出来ます。もちろん日常生活で使ってもいいわけで、仕事の時の手帳代わりに横罫、休日にはノートを入れ替えて散歩に…、なんてのも良さそうです。
(右)手帳本体が入っていたケース (中)リフィル(¥315-) (左)ポケットシール(¥315-) カバーは革だけで出来ているので、様々なものをはさむためのポケットシールを貼り付けるべし。
こちらが貼り付け後。航空券・旅程表などをはさめるようになりました。A4サイズなら三つ折りにして。もちろん試合のチケットもOK(ニヤリ 裏表紙用に同じもの、加えて名刺サイズのカードが入るポケットあり。
左の布袋に入れてどこかに吊しておいて、気が向いたらノートを掴んで街へGO!
カラーは茶・黒。売っているところはMIDORIのHP内、トラベラーズノートのページ(上記リンク先)参照。とりあえず私はLoFtのステーショナリーのフロアで出会って買いました。
最近革製品に俄然興味が湧いてきた私(まだまだ初心者ですが)。革製品は使い込むと色合いや手触りが変わってくるのが楽しい。いわゆる「馴染んでくる」ってヤツですね。この手帳を買う決め手となったのもそこ。天然革製品は結構値が張るので、破産しないように気をつけて(笑)集めていきたいと思います。
2006年03月30日
諸般の事情により代表戦レビューはありません。よって今日もリハビリ。
さっき、NHKで「あの日を抱きしめて」という番組をやっていました。扱っていたのは昭和48年、石油危機の年です。もちろんその時のことは直に体験していない(胎内で聞いてたんだと思いますが)ので、せっかくだから勉強しようと思って途中から見ました。「トイレットペーパー騒動」の震源地が我が母校のすぐ近くの「某ニュータウン」だったことは知りませんでした。「いかにも関西のおばちゃんが考えそうなことだな」と思うと同時に、改めて感じたのは「映像の怖さ」というものです。
トイレットペーパーを求める行列を映す映像がさらに行列を生み、けが人が出たことを憂慮した通産省がトイレットペーパーをトラックで大量輸送してスーパー店頭に積んで見せた途端に騒ぎが収まる。どちらも「テレビが切り取った一場面」がものを言った例です。
同じような例は枚挙に暇がありません。見るに耐えないニュース番組、増えましたね。なんだか怒りにまかせてとんでもないこと書いてしまいそうなのでやめます。が、札幌についても「可能な限り多くのソースで確かめる」ことと「可能な限り自分の目で確かめること」が、ヒステリックで比熱の低い世論(温まりやすく冷めやすい)に惑わされないためには必要だな、と、実はかなり比熱が低い自分に戒め。
札幌でもやっぱりなくなったんでしょうかね>トイレットペーパー
2006年03月29日
この忙しさも今日で峠を越えました。リハビリも兼ねて「いい加減路線」で更新します。3月末から4月にかけて欲しいもの・やりたいことをメモ。
【欲しいもの】
【やりたいこと】
2006年03月19日
山形戦、厳しい試合をよくものにしたと思います。決定機を何度も逃していたようなので、次節では確実に先制点を取って、もっと楽な試合を…なかなかできないんだろうな(苦笑
【今節の結果】[ ]は出場記録・()内は通算得点
さて、本ブログにたびたび登場する表題の数字。学生の頃、北大のキャンパス内で毎週日曜日にやっていた草サッカーで、最後の一点を「6億ゴール」と呼んでいました。負けているチームが最後に逆転できるように設けられたシステムです。日が沈むまでやってダレダレになっているので最後を引き締める、という効果もありました。だからみんな「次、6億!」のコールが掛かると目の色が変わっていましたね。それまでどれだけリードしていても6億を取られれば負け。6億取ったらこっちのモン。私も半年で30億ぐらい取って得点王になったこともあります。
というわけでですね…
【WBC・準決勝】
日本6億-0韓国
2006年03月14日
一夜明けて色々な報道が出てきたので、スポナビから切り抜き。
昨日のエントリーの【追記の追記】にも貼りましたが、「変更」の対象はやはりアメリカのアピールプレーに対するもののようです。整理すると、「権限がない」にもかかわらず二塁塁審が判定を下してしまったことと、その後に二塁塁審の相談を受けていない=「権限がない」球審が判定を覆したことが重なって起こった事態ということになります。昨日はああ書きましたが、やはり「覆した」ということでよさそうで、従ってこの点でも「誤審」ということで間違いないですね。
「判定は覆らないから提訴はしない」ということ。ものすごく良くできた皮肉に聞こえます。王監督の普段の言動を見ているとそういうつもりで言ったんではないでしょうが。
「いわく付きの球審」みたいなことを書いていますが、メジャーに復帰出来ていない理由が述べられておらず、「労使問題でリーグに楯突いた」ことが今回のジャッジと何の関係があるのかよく分かりません。
さすがに自らが生み出したスポーツであり、またMLBの肝いりで始まった大会でもあることから、おおむね良心的な見解を示しているようです。
あと、この人が怒ってくれているのは嬉しいが、なぜかこちらの怒り方もすさまじい。分かる分かるよ、煮え湯飲まされているからねぇ。
プロフィール
性別:男 年齢:30歳代半ば 出身:兵庫県西宮市甲子園 現住地:北海道札幌市 サッカー歴:素人。たまにフットサルをやる程度 ポジション:アウェイ側B自由席 2007/12:加齢に伴い年齢を実態に即した形に書き換えました
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