2023年08月20日
ミシャ「今日のゲームは、我々チームにとっては非常に気温が高く、湿度が高い中でのゲームで、選手たちにとって簡単ではない環境下での試合だったと思います。」 負けるといつも同じ言い訳をするミシャ。聞き飽きた。 「相手もやはり後半は体力的に落ちてくる傾向があるのは分かっていましたし、その中で我々が押し込む展開になっていくだろうと予想していましたが、やはり後半は我々が相手コートで試合をする展開になったと思います。」 相手は前半からかなりアグレッシブにくると思っていて後半勝負だと思ったが、マンツーマンの弊害かまた、カウンターの練習をやっていないからか、ボールを奪ってもなかなか前にすぐ出る選手がおらず、横パス、バックパスをしてわざわざ相手が完全に引いた時からやおら攻め始める「殿様サッカー」は相変わらず。 あくまでも相手に引かせてからパスで崩すサッカーばかりしかやってないからこういう結果は目に見えていた。 小柏がいないからという言い訳もあるだろうがせっかく祐希がいるんだから祐希に預けて緩急をつけて攻め込むということも出来たはず。前半は祐希をまったく生かせず。なぜか祐希も前線から左に下がって前線との距離があって決定機がなかなかなかった。 このチームの悪い時は引いている相手を崩すような攻撃が多発すること。もっとも先制されれば相手は必ず引いてくるのだから仕方ないとは言えるが、カウンターのチャンスでも飛び出さない。パスの精度が非常に悪いなど、先制されれば今のチームの状態ではほぼお手上げ。 裏に抜け出す選手もおらず、パスの精度が悪いではロングボールもまったく有利にはならない。 おまけに夏でもどんな季節でもいつも同じようなペースでマンツーマン。それで選手は疲労して動けなくなるし、相手も完全にわかっているからオフザボールの動きを素早くすれば簡単にプレスを剥がせることができる。 現に京都の監督は戦う前からそのような作戦で行くとを明確にしていた。祐希が以前の試合の後で言っていたが「このチームはわざわざはまりにいく」という表現が的確だろう。 それを今シーズン終始、同じような戦術で勝てるほど相手は間抜けではない。また、こちらの選手のその戦術をどんな試合でも徹底できるだけ質は高くない。 いい加減ミシャは気付くべきだ。もちろん2人もサイドの選手を放出しても補強しない三上GMも悪いが、勝てる確率の低いサッカーをいつもやっているから勝ち点3などは決してくれない。 まずは練習から見直すべきだ。週に1度はフルコートを使った紅白戦をしたほうがよほど選手のためになる。フルコートでやればカウンターの仕方や受け方の対処が少しでもできるようになると思う。狭いハーフコートの中ではどうしてもショートパスを繋いでの攻撃になりがち。 また、複雑なタッチの攻撃ではなく単純な攻撃の仕方も練習でやるべきだ。 そんな引いた相手を崩しての得点もカウンターからの得点も1点は1点。それに引いた相手を崩しての得点など1年間に何点あると言うのか? ミシャ「そういう状況ですが、ただそれで自分たちがブレてしまっ てはいけないと私は思います。自分たちがやってきたことを信じて、次のゲームこそは、という強い思いを持って、残りの10試合をしっかりと戦っていくことが、我々がこの状況から抜け出せる、それにつながっていくと私は信じています。」 負けているときにはその原因が必ずある。スコアほどの差がなかったとはいうが、そのままの戦術で勝てるなんて甘い考えをいつまでもっても勝ち点3などくれない。 この状態ならどこと戦っても勝てないだろう。そういう危機感を持って戦術を変えないとしたら残留争いに首を突っ込むかもしれないだろう。 補強はFPは1人も獲得できなかったんだからミシャの戦術を変えさせないと勝てない。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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