2023年06月11日
鳥栖は前から厳しくきてボールを奪ってくると思っていたが、前よりも中盤でパスワークをさせずに奪って前に出てスペースを利用する戦術をとってきた。それでも前半はこちらの体力もあったので相手がボールを奪ってもすぐ奪い返したが、後半体力がなくなる中でスペースができてセカンドボールが拾えなくなり、ピンチが何度もあった。 失点は菅野のゴールキックで金子がうまく貰えずにカットされたところからだが、当然鳥栖の監督はそれを狙っていただろう。 こちらは小柏の負傷退場で前線の連係がうまくいかず。猶更全体的に動きが悪く相手のスペースをうまく消す動きでラストパスがとおらず。苦戦した。 小柏がいなくなったことで相手は雄也と金子の動きを消すことに集中できこちらのストロングポイントをかなり削減したのだろう。 それゆえにチェックとルーカスにはもっと躍動してほしかった。 チームとしては悪い面が多かったが桐耶の動きは特筆すべきで、相手のカウンターを何度も防いでいた。 リーグ戦初得点もあったし、もはや左CBにはなくてはならない選手に成長した。本来ならもっと早く不動のレギュラーとして配置しなければいけなかったがミシャなら仕方ないだろう。 オウンゴールはあったがあれは仕方なく桐耶の責任ではない。 攻撃陣がもっと点をとらなければいけなかっただろう。 小柏は筋肉系の怪我で1か月以上は無理だろう。 小柏がいないなか攻撃を再構築しなければいけない。ゴニちゃんをワントップに置いてゴニちゃんに速く当ててそのこぼれ球を狙うサッカーにするか雄也をワントップに置いてチェックを活かす布陣にするか。 青木や祐希、大森の復帰も頭にいれてどうするか考えなけれないけないと思う。 小柏の離脱で得点力はこのままの戦術だとかなり落ちる。今年もっぱら行っている縦への速い攻撃は小柏あってのもの。そこの修正が必要になると思う。 鳥栖は前から厳しくきてボールを奪ってくると思っていたが、前よりも中盤でパスワークをさせずに奪って前に出てスペースを利用する戦術をとってきた。それでも前半はこちらの体力もあったので相手がボールを奪ってもすぐ奪い返したが、後半体力がなくなる中でスペースができてセカンドボールが拾えなくなり、ピンチが何度もあった。 失点は菅野のゴールキックで金子がうまく貰えずにカットされたところからだが、当然鳥栖の監督はそれを狙っていただろう。 こちらは小柏の負傷退場で前線の連係がうまくいかず。猶更全体的に動きが悪く相手のスペースをうまく消す動きでラストパスがとおらず。苦戦した。 小柏がいなくなったことで相手は雄也と金子の動きを消すことに集中できこちらのストロングポイントをかなり削減したのだろう。 それゆえにチェックとルーカスにはもっと躍動してほしかった。 悪い面が多かったが桐耶の動きは特筆すべきで、相手のカウンターを何度も防いでいた。リーグ戦初得点もあったし、もはや左CBにはなくてはならない選手に成長しただろう。本来ならもっと早く不動のレギュラーとして配置しなければいけなかったがミシャなら仕方ないだろう。 オウンゴールはあったがあれは仕方なく桐耶の責任ではない。 攻撃陣がもっと点をとらなければいけなかっただろう。 小柏は筋肉系の怪我で1か月以上は無理だろう。小柏がいないなか攻撃を再構築しなければいけない。ゴニちゃんをワントップに置いてゴニちゃんに速く当ててそのこぼれ球を狙うサッカーにするか雄也をワントップに置いてチェックを活かす布陣にするか。青木や祐希、大森の復帰も頭にいれてどうするか考えなけれないけないと思う。 小柏の離脱で得点力はこのままの戦術だとかなり落ちる。今年もっぱら行っている縦への速い攻撃は小柏あってのもの。そこの修正が必要になると思う。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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