2005年11月30日
30日午後、パキスタンからの北大留学生、アズハルさんとアシムさんの
二人が来た。3日の草津戦会場で行う地震被害支援募金の打ち合わせの
ためだ。
この日、道新に本格的な冬の到来で、寒さのために死者が出始めている
との記事が掲載された。二人はいてもたってもいられない様子だった。
3日は北大にいるパキスタン留学生6人全員とその家族ら合わせて15人が
募金に立つ。防寒テントがいる、暖かい衣料を送りたい、そのためにはお金がいる。
気持ちは切実だ。
阪神淡路大地震の時にはパキスタンから支援が寄せられた。何とか、少しでも援助できないか。北海道にいるわれわれは、冬の寒さは痛いほどわかる。
「低体温症」と記事には書かれているが、凍死である。
北2ゲートで呼びかけている彼らに、励ましの声を掛けて
募金に協力してくれたら、暖かい気持ちが現地にも伝わるのではなか
ろうか。募金の後にはみんなでゲームを観てもらうことにしている。
せめて、一時でも楽しんでもらえたらと思って。
また、この日は難病のあやかちゃん支援募金も行う。
道民の善意が響くとうれしい。
2005年11月29日
コンサドーレ・オフィシャル・ブログの運営会社のY社長さんから突然の
メールで「社長 ブログ講座開かない。講師になってよ」。
社内で無謀と有名な私は「いいですね、やりましょう」。
あれよあれよと言う間に、「児玉社長直伝!初心者のためのコンサドーレブログ講座」が出来上がってしまった。
12月3日(土)の今季最終戦、対草津とのゲームの前、午前10時45分から11時45分までドーム西棟会議室(南北連絡通路内)で、SSチケット弁当つき4500円。
「ちょっと高くない?」と口を挟む間もないすばやさだ。詳しくはhttp://www.weboss.jp/consa_form/
最近、IT関係者から「コンサのブログはものすごいことになっている
ようですね」と言われる。
圧倒的な広がりに注目が集まっているのだ。
道新のデータベースで「ブログ」を検索してみた。
2002年 1件(ただしプログラマーを検索エンジンがブログと間違えて拾 ったので実質ゼロ)
2003年 2件(書評「ネットは新聞を殺すのか 変貌するマスメディア」 青木日照氏ら著などに登場、もう一件は特集IT最前線)
2004年 4件(米大統領選挙とブログを取り上げたネット活動家キャメロ ン・バレットさんの紹介記事など)
2005年 11月29日現在、114件。一般記事の末尾に参考ブログのURLを 添えたものが登場
この一年間の爆発ぶりが以上の数字からもわかる。
新聞などの紙媒体、テレビなどのマスメディアや更新が難しい一般のホームページでは得られない情報ツールとして存在を発揮し始めている。
「ブログなんて」と考えている人も多い。でも幅広い範囲で他の人たちの考え、生活観を知ることで判断基準が深まる。
双方向の交流を生かし、大きな視野で自分の考えを見直す機会を提供してくれるこの“武器”を、もっと詳しく知りたい。私はそんな気持ちで参加する。
それが「私の直伝」。
2005年11月28日
11月23日の甲府戦の試合前、ドームの飲食店前を歩いていると、幼児を連れたお母さんに声をかけられた。
「ラーメンが好きで、よくここで食べるのだが、テーブルが高くて子供には食べさせられない。熱いラーメンが、かかったら大変だから」と。
確かに立派な台(写真)がラーメン店の前にテーブル代わりに置いてあるが、大人の腰の高さで、子供では高すぎる。熱いラーメンどんぶりを置いて食べさせるのは危険だ。かと言って手に持たせては食べさせられない。
お母さんの言うことはもっともだ。
運営部に「なんとかならないのか」と指示した。係りがさっそくドーム事務局に連絡して対応を求めた。まだ返事は無いが、低い子供用の台の設置を考えて欲しい。
施設はだれにとっても使い易いものでなければならない。求められるのは、いわゆるユニバーサルデザインだ。
電話器でも水飲み器でも、大人用、子供用、また車いすの人用とだれにとっても不便なく使える設備であることが要求され、諸外国では当たり前になっている。
ドームにはさまざまな人が訪れる。しかも札幌市が造った公共の施設だ。お年寄り、しょう害のある人、子供などだれにでも親切な設備であるべきだ。
ラーメンを食べる台だけではなく、階段の多さ、トイレの少なさ、地下鉄へのアクセスなど首を傾げたくなる、デザイン(設計)が多すぎる。
ドームの運営会社も、利用者からの意見を聞き入れる気持ちは十分に持っている。どうか気がついたことがあったら、どしどし教えて欲しい。すぐには出来ないこともあるだろうが、実現に向けて訴えていきたい。
2005年11月27日
コンサドールズ ジュニア・キッズの2005閉講式が27日午後、札幌市の中島体育センターで行われた(写真)。招かれて金子桂子先生らと一緒に終了証を手渡した。 可愛かった。とっても。
5月に開講した今年度は22回のレッスンに加え、サマーキャンプ、9月18日の公式戦総出演などをこなした。終了証を渡すとき金子先生、千葉夏美コーチは「ずいぶん背が伸びたね」「がんばったね」と、うれしそうに一人ひとりに声を掛け、背比べもしていた。みんな一回り大きくなったのだろう。体も心も。
小学生以下から中学生まで、今年は75人がこの日を迎えた。「お友達が出来た人」の問いかけに全員がハーイ。楽しい半年余だったに違いない。異なる学校や地域から集まってきて友達が出来、トップチームやサテライトのお姉さんたちに面倒をみてもらった。
こうした経験は普通の生活からは得がたい。踊りがうまくなる、体が丈夫になるといったことと、同じかそれ以上に大切なことなのだろう。笑顔いっぱいの子供達を見ているとそう思える。
コンサドールズはJリーグの中で一番早く出来た。パーフォーマンスの高さもナンバー1。キッズやジュニアからサテライトを経てトップへと上がっていくシステムが出来上がっている。レベルの高さがうなずける。
踊りだけではない。日ごろの態度が素晴らしい。目と目が合ったら、必ず「こんにちは」と大きな声であいさつしてくれる。とびきりの笑顔つきで。ゲームに勝ったときは、それが喜びを何倍にもしてくれる。負けて落ち込んだときは沈む心を癒してくれる。
選手、サポーター、スタッフ、みんながドールズの皆さん、勝利の女 神に感謝している。
来春の開講式では今日、終了証を受け取ったみんなにまた会えるか な。それを今から楽しみにしている。
2005年11月26日
このオフィシャル・ブログが始まって3週間が経った。
予想以上の反響に驚いている。コンテンツの中の若い選手の顔が見える「しまふく寮通信」などは圧倒的な人気である。
一日のページビュウは8万を超えている。発足直後の5日は14万に達した。訪問数も一日8千を上回る日が続いている。登録ブログ数は正確な報告を
受けていないのでわからないが、発足後2,3日で500を上回ったので
今では1000近くになっているのではと思っている。
ブログのポータルサイトとしては多分、道内最大になっているはずだ。
コンサドーレのサポーターの一体感がブログという“広場”に結集した感じだ。書き込みの数も圧倒的で、読みきれない嘆きを感ずる。
これまで見えていなかったサポーターの気持ち、スタッフの顔がブログの中から浮かんできたという反響は開設者としてはとてもうれしい。特にこれまで「フロントは何をしているのだ。コンクリートの事務所の中に入ったままで、顔が見えない」と思っていた方々が、スタッフブログを読んで、「ああ、フロントも少しはがんばっているのだ。息遣いが、思いがわかってきた」との反応があるのはブログ効果か。
伊達地区後援会がブログを立ち上げてくれた。これまでのホームページの代わりとして使ってくれる。ホームページに比べれば更新は簡単だ。だれでも書き込める。ぜひ、こうした使い方をしてほしい。地区後援会、個々のサポーターの意見や提案が直接、フロントに伝わり、双方向でやり取りし、すぐ実行することも可能になった。
ただ、キッズブログへの参加がまだ無いことは残念だ。サッカー少年団には、ホームページの代わりに使ってほしい。もし指導に対する質問などがあれば、育成部から答えることも可能だ。少年、少女が個人のブログを持っても良い。自分の意見を書き込む楽しさを知ってほしい。
このブログを見ている人の中で、サッカー少年団関係者がいたら、ぜひ開設に参加してほしい。
2005年11月24日
コンサドーレは12月3日、草津戦が行われるドームで、10月8日に起きたパキスタン地震の救援募金を行う。北大のパキスタン留学生全員6人が家族と共に参加して、募金を呼びかける。
現地は降雪期を迎えた。被災者は寒さと飢えに苦しんでいる。道路は寸断され、救援物資はヘリコプターに頼るしかなく、困難に直面している。日本ユニセフ協会によると、これまでに5万人が死亡、300万人が家を失い、1万人が命の危険にさらされている。
ユニセフがはじいた、当面6ヶ月に必要な救援資金108億円に対し、発生後2ヶ月たった今も、その45%49億円しか確保できていない。寒さ、飢えに加えて清潔な水、トイレの不足で感染症の蔓延も心配されている。
募金に参加する北大大学院2年のアズハルさんは仲間と共に、これまでに100万円を集めて、母国に送った。「まだまだ足りない。寒さの前で時間との戦いだ。テント、毛布を送ってやりたい。ぜひ協力してほしい」と訴える。
NGOのセーブ・ザ・チルドレンは1000円で軽毛布、2000円で子供の衣料パック(毛織の帽子、セーター、くつした)、25000円で家族用防寒テントを準備できる、と言っている。
災害に苦しむアジアの仲間のために、救援の輪を広げよう
2005年11月23日
「闘」
魅入られた3分間~。ピッチに崩れ折れる選手たち。
「立て、立ち上がれ」と心の中で叫んでいた。
時には声を出して。
よくやったじゃないか。君たちは。
43節、最後の最後までJ1昇格を争ってくれた。
サポーターに夢を与え続けてくれた。
明日があることを戦いの中から教えてくれた。
最下位だった昨シーズン。そこから這い上がって
昇格圏のすぐそこまで来た今シーズン。
だれが、責めるだろうか。
あと2試合、君たちの全力注入を信じている。
そのあとに、来年がある。
夢をつなごう。立ち上がろう。
2005年11月23日
ニュースリリースで発表したが、2006年ポスターカレンダーを楽しい企画で作る。一枚のポスターを千数百人のサポーターの写真で埋め尽くそうというのだ。
その間に選手やスタッフの写真もちりばめる10周年記念参加型カレンダーである。
1996年生まれのコンサドーレは来年10周年を迎える。この間、サポーターの温かい応援に支えられてきた。喜びも悲しみもチーム、フロントと一緒だった。12番目の選手、その笑顔で埋め尽くすカレンダー。素晴らしいと思いませんか。
12月4日午前10時から、受付を開始する。コンサドーレのホームページへ入り、http://www.consadole-sapporo.jp/2006calendar から申し込み、自分の上半身写真をアップロードしてもらう仕組み。
来年2月中旬に完成させ、発売の予定だ。23日の甲府戦の会場で、PRするブースを設け、チラシを配布し笑顔で呼びかけた(写真)。チラシを手にしたサポーターの評判は上々だった。
2005年11月23日
今日は絶対に負けられない甲府戦。
ドーム入りを前に午前10時から北海道神宮で行われる新嘗祭に
参列する。今年採れた食物を神に捧げ、感謝する祭事だ。
神頼みはあまり好きではないが、コンサ必勝祈願もしてくる。
境内では毎朝6時25分から、ラジオ体操会が行われている。
ときおり参加して朝の空気を吸い、体を動かす。ついでと言っては
怒られそうだが、この一年、コンサドーレJ1昇格を祈念してきた。
でも、初夏の「茅の輪くぐり」の日に、輪を3回くぐって回ると
願いがかなうとの言い伝えを信じて、やってみたが、その日の
山形戦は負けた。
祈りが足りなかったのか。今日は念を入れて祈願する。
2005年11月21日
J1鹿島アントラーズのサポーターで茨城県水海道市在住の神達良司さんの一人娘、彩花(あやか)ちゃん(11ヶ月)が難病にかかり、命が危ない。救うには、一刻も早く米国に渡り、臓器移植が必要だ。
「仲間の娘を救え」。鹿島のサポーターを中心に「SAVE! AYAKA」キャンペーン(写真)がサッカー仲間のあいだで広がっている。このブログでも書き込まれ紹介された。
彩花ちゃんは生まれた直後から異常があり、「ヒルシュスプルング病類縁疾患」の中でも非常に珍しい「全腸管壁内神経細胞未熟症」と診断された。小腸、大腸の神経細胞の数が少なく小型で未熟なため、十分な蠕動運動がなく排便、排ガスが行えない。その後、肝硬変などを起こし、9月には余命数ヶ月との宣告を受けた。
助けるためには臓器移植しか道はない。サポーター仲間は「あやかちゃんを救う会」を発足させ、渡米し移植するための費用1億3000万円を集める運動を始めた。これまでにおおよそ2200万円が集まったが、目標には遠い。ぜひ協力してほしいと全国のサッカー仲間に呼びかけている。
コンサドーレも12月3日の草津戦で、募金を呼びかける準備を進めている。ぜひサポーターの皆さんも支援していただきたい。
募金先、募金状況などは http://save-ayaka.com で詳細に書かれている。
2005年11月20日
20日午前、宮の沢練習場をのぞいた。
昨日の京都戦のどよめきがまだ耳に残っているうちに
監督に「すばらしい試合だった。ありがとう」と言おうと思って。
手稲山を背景に、グラウンドの半分には雪が残っていた。
青い空、緑の芝生、雪を解かす噴水。寒かったが、よく戦った選手たち
の気持ちをほぐすような風景がそこにあった(写真)。
練習を見守ったサポーターは帰る選手に笑顔で声を掛けていた。
いつ見ても、コンサドーレのサポーターは素晴らしいなと思える。
スポーツ紙の中には、うなだれた選手の姿を強調したような
図柄の写真が今朝は多かった。「イージーミスの繰り返し」との
批判記事も目立った。
でも私の目には、今年最高のゲームに見えた。観客も興奮気味に
良い試合だったと言ってくれた。みぞれ交じりの寒い帰り道だった
だろうが、選手の熱い戦いはみんなの体をホットにしてくれた
に違いない。
練習後の監督と記者との懇談をそばで聞いた。
「今からがスタートだ」。監督はそう言った。
頭を上げよう、上を向こう。今からがスタートだ。
2005年11月19日
19日の京都戦でも、会場で北海道盲導犬協会を支援する
チャリティー・ネイルペインティングが行われた。
盲導犬協会から盲導犬フーなど2頭が協会職員と共に、ドームにやってきた。
いつも子供たちに人気である。語りかけたり、なぜたり、抱きしめたり。
それでもフーたちはじっとおとなしくしている。
お金が集まることはもちろんうれしいが、子供たちとこうした交流が
あることも、とっても大切に思える。
私は1980年から、パピーウォーカーをやり5頭の盲導犬候補犬を
育てた。それぞれが使命を終えて協会に引き上げられ、老犬ホームで
Tさんに見守られて死んだ。協会の敷地内にある慰霊碑の下で眠っている。
5頭それぞれに思い出があり、教えられることが多かった。
今は成人している二人の子供の成長過程とも重なる。
盲導犬を使いたい人は多いのに育成にはお金がかかる。
少しでも支援できればいい、そう思ってドームでの献金の機会を
ふやしている。
指に赤いペインティングをしてもらい、少しだが募金した。
2005年11月18日
津波被害で親を失ったインドネシアの子供たちにサッカーボールを
送ろうという運動を進めてきた「TSUNAMI留学生帰国支援・北海道」の
代表・大井わこさんからメールが来た。
9月中旬から取り組んだ結果、サッカーボール1472個、このほか
バレーボール137個、バスケットボール18個、テニス・ソフトボールなど679個などなど、ボール類は2306個に達したと書いてあった。
空気入れも33個、同代え針65本、さらに車椅子5台も現地へと預託された。文房具もある。運賃募金は49万4166円に達した。
運動を支援してきたコンサドーレとしても本当にうれしい。
協力してくれたサポーターの皆さんや道民に心からお礼を申し上げます。
これらのボール類は18日に積み込まれ、20日か21日に
ナラサキタックスさんの計らいで石狩湾新港から船出する。
2、3週間後にはインドネシアに到着、現地のボランティア団体チルドレン・
メディア・センターの手で津波被災地の子供たちに届けられる。津波が起きた
12月26日ごろまでに届けることは可能だという。
旧職場の友人から私に入った一通のメールが巻き起こした運動がこうして
みんなの善意を呼び集めた。
TSUNAMI北海道からは現地に向けて
「ボール大使」を派遣することも検討中。ボールを受け取った子供たちの
にっこり笑った顔、ボールを蹴る姿を報告してくれることだろう。
(写真は11月6日の水戸戦の際、ドームでボールを受け取る留学生ら)
2005年11月17日
「コンサドーレ札幌」北海道後援会の運営理事会が17日、札幌市内で開かれた。一昨年7月以来の開催だ。大森前会長が体調不良で、会長職を引いたあと
空席のままだったことなどもあって、こうした事態になっていた。
この日の会議では平成15年度から17年度にわたる決算、収支予算、事業報告、監査報告が審議され承認された。これを再出発点に新しい後援会への道作りに入ることになった。
道後援会は1998年、北海道、札幌市などが中心となり、企業、団体、道民が一体となって、コンサドーレを資金援助しようと言う組織だ。1999年には9000万円がクラブへ寄せられた。
しかし、その後は年々、入会者が減り、それに伴って寄付金も減少、今年度のクラブへの寄付金は繰越金を入れても1000万円が見込めるかどうかにまで落ち込んでしまっている。
財政難にあえぐ、クラブにとって後援会の寄付金が持つ意味は大きく、なんとか、後援会が活性化し、コンサドーレへの支援をいただければありがたいとの思いから、運営理事会を開催してもらった。
各役員から「今まで会員に対してなんの働きかけもしてこなかった会のあり方を考えるべきだ」「クラブ側にも責任がある」「地区後援会と北海道後援会の関係見直しを」といった発言が相次いだ。
平成18年度の事業計画作成に当たっては、会員対象にもっと積極的に働きかけ、楽しい後援会にする努力をするべきだとの意見が多かった。事務局もHFC内に置くことになり、会長人事を含めて動き出す。
クラブとしても、こうした事態を招いた責任を重く受け止めている。魅力のある後援会、積極的にクラブとかかわれる後援会にするために、皆さんと共に考えていきたい。
会が終わったあとは「コンサドーレがんばれ」で、温かく締めていただいた。
2005年11月16日
すべり止めはシュリーの店で
雪が降る。道路が凍ってきた。足元のくつが気になる。
滑り止めを新しくするか。そんなことを考えている人も多いはず。
どうか札幌市内のシュリーの店で手直ししてください。
今日(16日午後)、JR札幌駅1階コンコースにあるパセオ・シュリーの店
で、「コンサドーレはシュリーの店を応援しています」との看板を掲げてきた(写真、左は澤村重一・さっぽろシュリー理事長)。
シュリーの店は財団法人さっぽろシュリーが運営する身障者が働く場所だ。
くつ修理、かさ直し、合鍵つくりなどを身障者がすることで、
経済的に自立できるようにと、札幌市が30年前から支援してきている。
全国的にも珍しい事業だ。
しかし、最大時は30近くあった店舗も出店先から採算が合わないからと
撤退を強いられたりして今は19店舗になってしまった。年々赤字がかさむ。
身障者の働きの場が狭くなったわけだ。
コンサドーレは、これまで9月2日のくつの日や2月の創立記念日のセールの際、社員や選手が出てチラシ播きをしたり、ドーレくんが一日店長を努めたりして応援してきている。
この際、コンサドーレが応援しているということを市民みんなに知ってもらおう。サポーターを含めて、利用者が増えることを願って全19店舗の店頭に看板をげることにした。
サポーターの皆さん、看板を見かけたら、自分のくつを見てください。
くつ底が減っていたり、すべり止めを付けよう、合鍵を、と思ったら
コンサ看板のあるシュリーの店でお願いします。
2005年11月15日
コンサドーレU-18が準優勝に輝いた高円宮杯決勝戦のときのこと。
会場の埼玉スタジアム2002で、ピッチに一番近いところに降りて試合を観て見た。
選手の体が大きく見える。声が息づかいと共に聞こえて来る。ボールを蹴る音、スライディングのとき芝を滑る音が振動も含めて響いてくる。「サッカーって、こんなに迫力があるものなのだ」とあらためて実感した。
先日のJリーグの会合で、新設の千葉市蘇我球技場が話題になった。ジェフ千葉のホーム競技場だ。市の施設だが、心電計やAED(自動体外式除作動器)などの医療機器メーカー・フクダ電子が命名権(ネーミングライツ)を買って「フクダ電子アリーナ」と名づけた通称「フクアリ」と呼ばれる最新球技場だ。
18500人収容で、屋根がついており、陸上競技のトラックがないので観客席からピッチまでが近いのが特長だ。私は見ていないが、J関係者によると、収容人員、屋根への反響、ピッチの見易さでは最高だという。建設費は約80億円というから札幌ドームの6分の1程度。各チームは「ああいうのが、欲しいなあ」で一致した。
仙台スタジアム(写真)も観やすい。スタンドを覆う屋根がサポーターの熱気と歓声を包み込み、グラウンドの選手と観客とを一つにしてくれる。「劇場型スタジアム」と言うのだそうだ。
札幌ドームは全天候型で寒さに強いのは良いが、野球と共用とあって、観客席からピッチまでが遠い。選手の息遣いが聞こえてこない。席によっては選手の全身が見えない部分もあり、お客様に迷惑をかけてる。
厚別、室蘭・入江、函館・千代台のいずれも陸上競技場を兼ねているのでトラックがある。と言うよりは陸上競技場を借りているのでといった方がいいかもしれない。サッカーの醍醐味を味わうには歯がゆい面が多い。
180万都市札幌だ。100万人の仙台市、80万人の千葉市に出来るのだから作れるはずだ。都市を元気付けるスポーツ、青少年に元気を与えるサッカー。コンサドーレの10年を見れば実証されている。札幌市、北海道は補助金を削減することばかり考えないで、サッカー専用スタジアムを作ることも考えて欲しい。
サポーターの皆さんのお力を借りて、そんな運動を始められたらいいな、と思っている。
2005年11月14日
今朝の社内の雰囲気は、前日、福岡戦で負けたせいか元気がない。
朝礼でも、社員からの声はゼロ。スピカでの売店売り上げ額はこちらから
尋ねて、やっと結果が報告された。
「負けたときは素直に負けを認め、それでいて頭を垂れず、相手を称え
意気消沈せずに次に備えるのが真のスポーツマンだ」。スポーツ総合研究所所長の広瀬一郎氏は著書「スポーツマンシップを考える」(小学館)の中でこう書いている。
そのとおりだと思う。柳下監督は試合後の会見で、「福岡は強かった。し かし、札幌の選手は良くやった。負けたが、つぎがある」と語った。その言 葉通り、雪の舞う札幌に帰ってきて、すぐに練習場入りした。監督の姿勢に は、いつも本当のスポーツマン像を見る思いだ。
夕刻、宮の沢練習場をのぞいた。練習は終わっていたが、サポーターはま だ残っていた。手をこすり、防寒着のえりをたてて。「こんにちは」と声を掛けると、明るい返事と笑顔が戻ってきた。
2005年11月13日
残念だが、福岡戦は負けてしまった。
スピカでの観戦の帰り、肩を並べるように歩いていたサポーターは
「まだまだ、これからだ」「ドームの残り試合は全部行くぞ」と言い合ってい た。
この日はいいことが一つあった。チケットと一緒にもらったお楽しみ抽選会の抽選券が当り券だった。しかも、最後の最後に箱から出てきた。賞品は最高賞の選手のサイン入りユニホーム。
741 がその番号。
いつも競技場に来てくれている熱心なサポーターに出会い、差し出したら、とても喜んでくれた。よいことは最後にある。まだまだ、あきらめないぞ。
2005年11月12日
ここ数日、落ち着きません。
13日の福岡戦が頭から離れないからです。
そのうえ、どこへ行っても「いよいよ天王山ですね」と声を掛けられる。
ますます、落ち着きがなくなる。終盤を、こうした気分で迎えられるのは幸せと思いながらもである。
今年は好きなバイクにもほとんど乗れなかった。雪が降って、もうだめだとは思いながらも、ガソリン抜き、バッテリー外しをまだしていない。もう一回は乗れるかなと期待を掛けている。福岡に勝ったら、気持ちよく乗り納めをしよう。
明日はスピカに行く。自宅でも観えるが、大勢のサポーターに囲まれての応援は一味も二味も違う。前回は1200人が集まった。明日はどうだろう。福岡からの映像に合わせて、思いっきり歓声を上げよう。足を踏み鳴らそう。拍手をしよう。そう思っている。
2005年11月10日
毎日、何人かの記者さんと接する。新聞、雑誌、テレビでコンサドーレをPRしていただけるのは本当にありがたい。J2のチームでこれほど地元マスコミから大切にしてもらっているところはないと思う。
連日、必ずなんらかのニュースを流してくれている。それに慣れてしまっているせいかマスコミの方々への対応が、ぞんざいだというのが、この会社に来ての印象だった。出来るだけ選手取材を避ける、ガードする、最小限の情報しか流さない。
もとマスコミの世界にいたものからすると、気になって仕様がなかった。そんなこともあって、記者さんからの取材は時間がある限り、全部受けるようにしている。出来るだけ情報はオープンにする。そうやっているつもりだが、辛いときもある。
突っ込んでくる質問に真正面から答えられずに、「それは聞いていない」とか「まだそこまで行っていないはずだと思う」などとあいまいに、はぐらかさざるを得ない時がある。「自分が取材する立場だったら、怒るだろうな」と思う場面がしばしばだ。
でもコンサドーレ担当の記者さんたちは、声を荒げることもなく、言えない立場を理解してくれている、と頭が下がることが多い。ゲームのときも勝ったら、必ず握手してくれ、ほとんどの方が「良かったね」と声をかけてくれる。負けたときは、沈黙してくれる。
その一体感がとてもうれしい。シーズン後には、「あの時はああだったんだよ」などと、本当のことを言い合いながら、ビールでも飲んで、みんなで盛り上がりたい。そのためにも残り試合を勝って、より一層美味しく飲みたい。
2005年11月09日
ブログの文章の書き方になかなか慣れません。ですます調で書いてきましたが冗漫なので止めることにします。
今日はJリーグのJ2実行委員会が東京のJFLハウスで行われた。実行委員会は12チームの責任者がほぼ月1回集まって、鈴木チェアマンを議長にさまざまな問題を話し合う場だ。
雪の中、7時半からの異業種朝食会を1時間ほどで終え、新千歳10時半のJALで東京へ。午後2時からなので、30分ほど時間があった。昼食をと思ってハウス近くのレストランに行くと徳島の高本社長に会う。
「札幌さんはがんばっていますね」「来季は愛媛FCさんの参加で、四国ダービーができて盛り上がるのでは」など会話が弾む。「初シーズンの今年は、サポーター、支援者も暖かかったが来シーズンは甘えられません」と高本さん。
実行委員会は鈴木チェアマンのほんわかした人柄もあって、いつも楽しい雰囲気で、ざっくばらんだ。試合では、ぎりぎりせめぎあっていても、この場では冗談が飛び交う。今日は来季の日程や公式エントリー選手数など、これまでにも話し合われた内容が多かった。
議論を呼んだのはJクラブが他の競技に手を伸ばした場合の商標、意匠、呼称などの使用をどうするかだ。11月5日から始まった日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)との関係が微妙な問題を投げかけている。
J1新潟アルビレックスとその傘下にある(株)新潟スポーツプロモーションのバスケットチームがサッカーと同じ「新潟アルビレックス」をチーム名に使っていることが、どうかということになった。
ユニホームのデザインも良く似ているほか、開発したオリジナル商品もサッカーチームの権益と重なりそうな部分がある。「さてどうする」と議論は盛り上がった。
J百年構想では、サッカー以外のスポーツにも積極的に手を差し伸べ、(総合)スポーツの振興をうたっている。新潟アルビレックスや湘南ベルマーレが始めているこうした動きは歓迎なのだが、商標などの規定はこの事態を予想していなかった。
担当部署で検討することにしたが、コンサドーレも将来、ほかの競技と手を取り合っていくことを考えているので、話し合いは参考になった。
昇格決定の京都の社長には余裕が。3位狙いの4チームのトップはお互いに牽制しあいながら、ぴりぴりムードだった。
帰り着いた札幌は、汗ばむほどだった東京とは大違い。
朝からの雪が道路に凍りつき、すり足で夜中の玄関を開けた。
2005年11月08日
「21世紀は大北海道圏の時代」という観光フォーラム(写真)が8日、札幌市内で開かれて行ってきました。経済人が大勢が集まる場所にはまめに顔を出すのは、重要な仕事です。
当然のことですが、北海道新幹線の話題も出ました。10年後には新函館まで開通します。
そうすると、仙台―新函館間の所要時間は2時間30分となります。時速260キロ計算ですから、実際はもっとスピードを出せるので、2時間強でしょう。
函館で、コンサドーレとベガルタとで、青函トンネル・ダービーがやれますね。サポーターが新幹線を使って、往来すれば観光振興にもなるし、いいんじゃないですかね。フォーラムを聴いていてそんなことを思いました。
Jリーグの理念の柱の一つは「地域起こし」。アウェー、ホームで地域と地域が結びつきを強めれば、中央集権の国のカタチも変わってくるのでは。新幹線に対する考え方はいろいろあるでしょうが、そんな形で利用できればいいですね。
2005年11月07日
痛恨のドロー水戸戦の一夜が明けたドーム周辺は雨上がりの枯葉で覆われていますが、壁に張り付いたツタの赤黒模様(写真)は、まだまだ見応え十分です。
昨日は会場内外で、さまざまな社会貢献事業が行われました。開場前、豊平区民センターでの第7回「みその ワッ 輪 和のつどい」に小亀コーチ、佐藤尽元コンサドーレキャプテン、ドーレくん、佐々木・ホームタウン推進部長とともに参加してきました。
60人強の地域の子どもたちを対象にサッカースクールを開き、終わってから佐藤尽君のサイン会、ドーレくんとの撮影会(写真)でした。最近はコンサドーレのコーチが出向くサッカースクールは、どこも大盛況です。
この日も小亀コーチの巧みな指導、佐藤尽君のリフティングなど、見せ場がたっぷりでした。会場の父母も「さすがプロの指導は違う」と子ども同様、楽しんでいました
ドーム内ではネイルアートが行われ、そばには北海道盲導犬協会の和田所長、盲導犬ふう号もいて、ネイルアートをした人に献金を呼びかけました。
また、津波の被害にあったインドネシアの子どもたちにサッカーボールを贈ろう運動の最後のボール集めも行われ、この日だけで215個が寄せられました。
全部でサッカーボールが1300個以上、空気入れ、支援金なども予想以上に集まりました。
コンサドーレがお手伝いして本当に良かったと思っています。
世界各地にはパキスタンの大地震のように私たちの手助けを必要としている人たちが大勢います。今後も積極的に助け合いの輪に加わっていきたいと思っています。
2005年11月06日
みなさん、水戸戦の応援ありがとうございました。
あと少しのところで、勝ち点3を逃したのは残念でしたが、
まだまだ、これからです。最後の踏ん張りを見せましょう。日曜日の夜で
観戦に来れなかったサポーターの方も多かったと思いますが、これからも応援を
よろしくお願いします。
選手の表情にはあきらめは一切ありません。今日の試合を見ても一試合一試合強くなっているのがわかります。笛が鳴るまで走り続けた選手に拍手を送ってください。
東京からも、支援者がいらしていましたが赤と黒に埋まった応援席を見て、感動していました。こんなすごいサポーターがいるんだから、「コンサドーレは必ず素晴らしいチームになる」とも言ってくれました。
開場時に入り口で皆さんにご挨拶していたら、「社長のブログ、見ているよ」と声をかけてくださったサポーターが大勢いました。ブログの反応はすごいです。頑張って書いていきます。
7日深夜、正確に言うと8日午前1時40分から、コンサドーレの新テレビ番組
「VIVA ジョカトーレ」が始まります。一回目は和波選手の登場で、素敵な笑顔と
軽快な語り口に出会えますよ。ぜひ見てください。
2005年11月04日
今日からコンサドーレ・オフィシャル・ブログがスタートしました。
朝から社内でも選手ブログの原稿入れなどあわただしく準備が進められました。
構想から、4ヶ月足らずでオープンにまでこぎつけたのですから、ウエボスさんのご苦労は大変だったと推察します。ここ数日は徹夜が続いたとも聞いています。
午後3時半から、経済記者クラブで記者発表をしました
吉和隆ウエボス社長が記者の皆さんにパソコンでウエッブサイトを表示します。コンサドーレのイメージキャラクター・ドーレくんをあしらったきれいなトップページが立ち上がります。見るともうサポーターのブログが数件加わっていました。出足は上々です。Jリーグ初の本格的ブログサイトです。みなさんもぜひ見て、参加してください。私も出来るだけ頻繁に書き込みたいと思います。
そうそう、今日(金曜日)はミニFMさっぽろ村放送局(81.3)でコンサドーレ・ラジオ・ブログの日です。聞き逃せない午後6時からの1時間です。パーソナリティーを勤める水澤取締役の語り口は本職並み。お相手を務めた門脇常務もなれたもので、息はぴったり、ますます楽しい番組になっています。選手の好きな歌手の曲選定には、意外性もあります。今晩の松山千春好きな選手はだれだと思います?
わが家の玄関先には、まだハロウイーンのかぼちゃが飾ってあります。コンサドーレの旗を耳の脇に飾りました。明後日の水戸戦で勝つまでは、片付けません。勝ったら、次のゲームまでも、と考えています。
2005年11月04日
コンサドーレは後半戦のホームゲームで、フェイス(顔)、ネイル(つめ)ペインティングをスタジアムで行っています。ワールドカップや海外の試合ではおなじみですが、札幌では初めての試みでした。札幌市内の専門学校の生徒さんにお手伝いをしてもらってのチャリティーイベントで、寄せられたお金は北海道盲導犬協会などに贈られています。
私も気恥ずかしかったのですが、先日、ほっぺたにコンサのエンブレムを描いてもらいました。そのせいか、応援にも熱が入り、その日のゲームは勝ちました。人間だれでも変身願望があります。ほっぺたの絵、つめの赤黒の縦じまだけで、ふだんの自分と違った高揚感があって、ゲームにより深く没入出来たように思えました。子どもたちにも人気で、行列が出来ています。11月6日、札幌ドームで行われる水戸戦でもネイルペインティングを行います。あなたもやってみませんか。コンサ応援と助け合いの気持ちをこめて。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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