2008年04月30日
29日の浦和戦の敗戦は残念でしたが、埼玉スタジアムをしっくり勉強してきました。 スタジアム周辺にはちびっ子広場、もみの木広場、水の広場、練習グラウンド3面、フットサルコート2面などのほか池、滝も配されていてうらやましい施設でした。 敷地の中にはライラックも植えられ、今が真っ盛り。サッポロの花を“敵地”で見ようとは思いませんでした。
キックオフ4時間半前に着いたのですが、スタジアム前の広場ではテーブルを囲んで楽しくランチを味わう人たちが。屋台の車も駅からの道路際に10台近くも店開きの準備をしていました。
ファミリージョインズデーでもあって練習グラウンドではちびっ子サッカー大会で盛り上がっていました。保護者だけでなく観戦のサポーターも取り巻いて声援を送っていたのが印象的でした。
待機列の周辺はボール遊びをするにはたっぷりの広さ。子供たちをお父さんに任せてお母さんは池の周りの木陰でおしゃべりに興じるなどとても良い雰囲気でした。 札幌ドームでもそうした楽しさを演出できないか、ドームさんと話し合っています。
2008年04月27日
フーちゃんに会ってきました。27日は北海道盲導犬協会のガイドドッグ オープンデーでした。フーちゃんは協会の建物外でコンサのユニフォームを着て来場者を出迎えていました。 横にはHFCがオークション用にプレゼントした選手のグッズが並んで いました。眠そうな顔はドームへ募金に来る時と同じです。近寄って、フーちゃんと呼びかけたら姿勢をただしてくれました。
盲導犬を知ってもらおうと毎年行われている行事です。風が冷たかったのですが1000人以上の人が参加していました。バザー、オークション、犬舎見学、体験歩行。ふれあい老犬ホームは大勢の人で歩くのも大変でした。 前に何度か来たことがあるのですが、久し振りに中を見せてもらうととても 綺麗になり、施設も整っているのにびっくりしました。老犬用にはエレベーター、シャワー、ジャグジーもありました。
繁殖犬室には胎児の様子が画像でわかる器械や電子顕微鏡など最新式の設備が整備されていています。人口受精を行う機会も増え、日本では一番整った施設になっていました。 わが家で30年ほど前、パピーウオーカーをしていました。5頭の子犬を育て3頭が盲導犬になり、勤めを終えて、いまは施設内の慰霊塔の中で眠っています。 あん、ルナ、さちの3頭です。あんは坂本九ちゃんとテレビに出たこともありました。上士幌のSさんがオーナーでした。Sさんは目が不自由なうえ耳も悪く、あんは盲導犬の役だけではなく聴導犬でもありました。 残念なことに九ちゃんが日航機事故で亡くなった直後に、腸閉塞で死に遺骨の一部は今も私の机の引き出しのどこかにあります。Sさんは歌人で、あんを詠んだ短歌がたくさん残されました。 ルナは函館のHさんのもとで働きました。Sさんは釣りが好きで、ルナもHさんと一緒に船に乗って釣りに付き合ったのでした。さちは協会が北海道から東北に出した初めての犬でスポーツ好きのKさんといつも一緒でした。 ルナ、さちの2頭は出来たばかりの老犬ホームでお世話になりました。ホームの責任者のTさんの手厚い介護を受けたのです。それぞれが好きだった食べ物をもって見舞いに行ったこともありました。 そんな思い出の当時の施設はとても質素で職員も犬にとってもストレスが募るものでした。それがすっかり変わって、素晴らしい施設、そして熱意ある職員、ボランティアが大勢いることに、気持ちが暖かくなりました。 それでも、盲導犬を育てる資金はまだまだ不足しています。子犬を預かるパピウオーカー、繁殖犬を預かる人も足りません。HFCはこのあとのホームゲームで、フーちゃん、ロビン君と一緒に募金や協力を呼びかけていきます。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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