2006年11月13日
コンサドーレ札幌オフィシャルブログを立ち上げてから1年が経ちました。 おかげさまでトラブルもなく順調に推移しています。ブロガ―のみなさん、サポーターのみなさんのご協力のおかげとありがたく思っています。そして運営して頂いているウエボスさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。 発足当初は書き込みで荒れたらどうしよう、サポーターが積極的に参加してくれるだろうか、などと心配、不安いっぱいの船出でしたが、いずれも杞憂に終わりました。それどころか、ブログを通して新しいコンサ・コミュニティーが出来上がっていることを実感しています。しまふく通信の楽しさがその良い例でしょうか。 またHFCとサポーターとの間がより近くなり、コミュニケーションがよくなっているとも思います。私どもスタッフはこのブログから、サポーターの皆さんの気持ち、息づかいを知ることが出来ました。そして、いたらない部分を教えてもらいました。HFCの運営にも生かさせていただきました。くめども尽きない泉のような存在になっています。 一番うれしかったことは、皆さんがマナーや責任を持って書いていただいていることです。コンサドーレを愛するもの同士という価値観からでしょうか、書くほうも見るほうも前向きな発言がほとんどです。円熟した議論の場になっています。「2ちゃんねる」のように集中的にたたくといった荒れ現象は皆無でした。 反対に「こんなことをHFCは考えたらどうか」との提案も多く、取り上げさせてもらったこともたくさんありました。最近でもっとも胸にずしんと響いたのは「子供は嫌いですか」(10月30日)のご指摘でした。選手から無視された子供の気持ちを代弁してくれた書き込みです。朝礼で全員に話し、羊が丘小でのお詫びイベントを検討しています。 ブログの現状とこれからについてウエボスさんからの報告を元に少し書いてみます。アクセス数は9、10月で見ますと最も多かったのは10周年感謝デイの翌日10月22日で88462PV(ページビュー)でした。ついで9月28日の78439PVです。徳島戦を6-1で勝った翌日です。 試合の前後が圧倒的に多く、負けた日の翌日は沈黙がちとなるのはやむをえないのでしょうか。「10周年感謝デイ特設ブログ」は直前一週間の日平均は746PVでした。color(red){和波選手の「韋駄天7」}はPVが多いだけではなく滞在時間が長いのも特徴です。トップページ+サポーターズブログで全体の51.3%を占めています。 広告はバナーに加えて、Google Adsenseを導入するなどウエボスさんは努力してくれています。売り上げの一定部分をHFCに配分して頂いています。その額は月を追って増え、経営が苦しい当社には力強い味方です。PVが増えればそれだけウエボスさんの広告収入が増加する仕組みです。 ただ、開設当初のPV増加の勢いはなくなりました。他のブログ、HPと比べれば圧倒的に多いのですが、横ばいから微増といったところで推移しています。Amazonのアフィリエイトからの販売実績が増えればコンサドーレへに還元されるのですが、今のところほとんどありません。これから期待したいところです。 ウエボスさんと話して、一周年を機会にリニューアルします。企画段階ですが、おすすめブログの表示、アウェーゲーム情報、テーマを投げかける、テンプレートコンテストの実施などが上がっています。昨年好評だったブログ教室の開催なども検討しています。盛り上げる良い案がありましたら教えてください。
2006年11月11日
11日、札幌ドームで行なわれた愛媛戦で、佐呂間町竜巻被害の義捐金を募りました。午後1時過ぎからは大塚、砂川、西、高原、千葉の5選手も募金を呼びかけてくれました。
千葉選手は佐呂間町に近い紋別市の出身とあって、「被害にあった人
たちも早く元気になってほしい」と語り、募金をしてくれた人に握手
で応えていました。
私も選手が出る時間まで、ファンクラブブースで募金を呼びかけましたが。ほとんどのサポーターが立ち止まって募金箱にお金を入れてくれました。「頑張るように伝えてください」と言いながら~。
募金呼びかけの時にはいつも感じるのですが、コンサ・サポーターの連帯感と困っている人に対する思いやりの強さです。集計には手間取りましたが、合計38万1110円になりました。 2時間余の間にです。すごいですね。佐呂間町からこの募金のことを 聞いて、来てくれたサポーターの1人は「こんなに大勢の人が心配して くれているのだと思うと元気付けられました」と語っていました。 このお金は網走サッカー協会を通じて佐呂間町に届けることになって います。まもなく本格的な寒さがやってきます。被災者は大変な思い だと思います。少しでもお役に立てたらいいですね。 できれば、23日の東京ベルディー戦でもやりたいと思っています。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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