ありがとうございました

2008年07月11日

ありがとうございました。心から~。

11日の臨時株主総会で退任しました。3年4ヶ月、まがりなりにも社長職

を勤めることが出来ました。サポーターのみなさまの支えのたまものです。

辞任の報が流れてからスタジアムで、街中で「ご苦労さんでした」と

声を掛けていただくことが多くなりました。

5日の清水戦では、選手と一緒にお礼のウオークをした際には暖かな

拍手もスタンドから降ってきました。

ファン感謝デーなどで一緒に写した写真を届けてくれたり、

赤黒のビーズに「児」を編みこんで、ストラップを作ってくださった

方もいました。

CVSのレプリカAD PASSを、★をいっぱい持っているMさんが贈ってくれまし

た。

そして、なんといっても昨シーズン最終節の水戸戦で2-1で勝ち、劇的な

J2優勝とJ1昇格を勝ち取ったスタジアムでサポーターの皆さんと喜びを

共有できたことです。優勝記念DVD をなんども繰り返し見ています。

ある友人は「お前は幸せものだな」と言いました。その幸せをプレゼント

してくれたのはサポーターのみなさまです。なんとお礼を言っていいのか
 
言葉が見つかりません。重ねてお礼を申し上げます。


これからは、レプリカを来て応援します。ぜひ、みなさまの仲間に入れて下さ

い。お願いいたします。でも熱烈応援席は体力的に無理かな~。

20080711-01.JPG

今朝、庭に出てみますとゆりの花が一輪咲いていました。雪どけ直ぐに植えた

球根からの花です。“ゆり学者”の友人からもらった世界で二つとない新種の

アジアンティック系の黄色いゆりでした

隣では赤に黒混じりの新種も咲きだしそうです。

コンサの明日を予感させるように私には思えました。「花開く」と。


この書き込みが社長ブログとしては最後になります。

ながらく、お読みいただいて感謝しております。ありがとうございました。




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22:51

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0708愛媛戦~戦いの一日

2006年07月10日

 朝6時前に起きて自転車で北海道神宮のラジオ体操へ。天気のよい日は気持ちが良い。いつも百人くらいの市民が集まって
体操を楽しんでいます。

 6時25分から始まる「みんなの体操」から第1、第2体操合わせて
15分、リーダーの演技に合わせて体を動かすと全身が温まり、コリが
ほぐされていくのがわかります。

 ほとんどがシニアですが、夏休みが始まれば、子どももやってきます。
いつもはそのまま円山公園を回って帰宅するのですが、8日は
境内に入り、お賽銭をいれ愛媛戦必勝祈願をしてきました。


出社して、メールを開くと「10年史の申し込みを忘れていました。まだ買えますか」が1件。6月16日の締め切り後もこうした申し込みへの対応に追われます。

 希望サイン名を複数記入している人も多く、担当者は一人ひとりに
確認する作業に追われていました。印刷作業と並行したこうした確認に
意外に手間取りました。そしてキャンセル待ち受付けにも。

 申し込み結果の報告が遅いとお叱りのブログもありましたが、こうした作業に追われ、確定するのに日時が必要だったのです。この日のメールの方には10日以降、予備があれば可能です、と返事を書きました。

 開場は11時45分、いつもは北3ゲートで来場者をお出迎えする
のですが、USのメンバーがサポーター10年誌「ONE & ONLY」を届けたい、とのことで北3ゲートにすることにしました。

  列を作って待っていた人は約10分で入場を終えました。いつもより早い。ということは観客数が少ない? 外へ出て、当日券売り場をチェックしましたが列を作っているほどではありませんでした。1万5000人は超えないか。

 「しまふくごはん」があれば買いたいと思いましたが、もうその時点では売り切れ。まだ1回しか買えません、食べていません。コンサ太鼓の前で女性サポさん2人のシャッターを押す。

 2階席への階段で食事中のサポSさんから関東後援会の再刊機関紙をもらいました。中身がとても充実していて感激しました。運営本部などを回って異常が無いことを確認した後、B1の来賓受付で道新・渡辺専務にご挨拶、カーリング娘お2人にも。

 12時半、記者会見室で渡辺専務から月刊コンサドーレの売り上げの
還元金307万6450円の寄贈を受けました。これで01年3月創刊以来の
還元金総額は1786万5875円になりました。本当にありがたいことです。

 月刊コンサは私が道スポ社長をしていたときにつくったものでした。
こんな形で、いまその月刊コンサに助けてもらうことになろうとは、そのときは想像もしていませんでした。一部売れると25円がHFCにいただけるのです。

 ピッチではちびっ子サッカーも始まっています。ドールズの練習にも熱が入り始めます。ドーレくんの衣装はぴかぴか。なにか動きも良いみたい。前の衣装は汚れがひどいので新しいのにしたのです。

 そうこうするうちに12時50分。マッチ・コーディネーティング・ミーティング。マッチコミッショナーと両チーム監督、実行委員、レフリーがゲーム進行の打ち合わせをするのです。全員と握手を交わします。

 マッチコミッショナーからドームは音が反響するので、笛は大きくなどとの注意がありました。さらにフェアプレーなどへの要望もあって、普段どおり約10分で終えました。

 来賓受付に戻ると愛媛の亀井社長がご挨拶にお見えになりました。ゲームに合わせてスポンサー、株主さんを札幌へご案内してきたのです。観戦翌日はゴルフ、観光を楽しんで帰るとのことです
 
 スポンサー、株主さんの前で負けるわけにはいかないので頑張るだろうな、との考えがよぎります。この日の来賓は80人を超え、普段より多い。ドームでの試合がしばらく無いので、ひごろお世話になっている方にお声をかけたのです。

 今年のスローガン「闘」を書いてくださった北海道教育大学教授の井京雲先生も奥様と一緒にいらしてくださった。大型ビジョンに映し出される「闘」
を見ていただきました。

 サッカーをはじめスポーツビジネスに詳しい著名な広瀬一郎さんも
キャリアバンクの佐藤社長らと観戦にいらした。初めての方とは名刺交換を、顔なじみの方とは歓談できるよい機会です。

 ドームの瀬戸・新社長も応援に来てくれました。「日ハムさんも私が観る時は勝つ。コンサさんもそうですよ」。
そう言ってくれる。「それでは全試合みてください」と応える。

 2時4分、キックオフ。いつもの来賓席下の通路に立つ。
座席がわからない人を案内しているうちに、フッキのゴール!
「でも、わからない」。そう思ううちに同点。「やっぱり」。

 愛媛の動きのよさに目を奪われる。1-1で前半終了か、と思った直後石井の勝ち越しゴール。「いいぞ」。2-1.そのまま後半戦へ。
どちらが先に入れるか。愛媛に入れられたら危ない。心配が消えません。

 しかも千葉のレッド。だが、追加点は札幌に。3-1。時間もそうない。3点入れられて負けることはまずあるまい。そう思いながらも、そういえば、そんな負け方もあったと不吉な記憶がよみがえります。観客は14065人。やっぱり15000人は超えなかった。残念!

 やっと笛。来賓をお見送りして、ほっとする。
いったん、事務所に帰り、週明けのJリーグ実行委員会出張の準備やメールの返事などをすませる。芽室町からはサッカー教室開催要請の連絡もありました。

 社員全員で試合後の撤収作業を始めます。2時間でかかります。分担を終えた社員は床に座り込む。立っていられないのでしょう。朝8時からの長い1日です。午後6時、ようやく終礼。「前半戦を勝って折り返せた」と挨拶、お疲れさま。

 再び事務所に戻って書類の整理をしていると、「ONE & ONLY」を
USの皆さんが持ってきてくれました。「選手にも渡してほしい」と箱にいれて。増刷分も売り切れの予定とか。ありがたくいただきました。

 午後7時半、社を出ました。夕焼けがまだ西の空に残っています。明日は日曜日、久しぶりの休み。週明けは東京出張など予定表はびっしり。
「おめでとう」の声に迎えられて家に入りました。

 6時間立ちっぱなし。疲れましたが、勝利の後は心地よさもあります。
4日後には厚別で柏戦、ここで首位叩きと思ます。

 ゲームのある日は、こうして時間が過ぎていくのです。




 





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02:05

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ほんものにふれて

2006年02月19日

コンサが応援している障がい者が働く場「シュリーの店」が創立30周年を
迎えて19日、記念式典を札幌市内のホテルで行った。私も参加したが、
働いている障がい者中心の和やかで温かな会だった。

札幌市が福祉都市宣言をした時に発足した。苦難の道のりを澤村重一理事長らスタッフが多くの市民と共に支えてきた。「障がい者が笑顔をもって働く場所が札幌市に息づいている。市民が障がい者を応援していることがわかる店」と澤村さんはこの日、挨拶した。
20060219-00.jpg澤村さんは三浦綾子さんを洗礼に導いたクリスチャンの道内最長老だ。89歳の今も、福祉の世界で先頭に立って活躍している。上田市長が記念式典に列席して感謝状を贈ったのも、澤村さんの労に報いるためだろう(写真)。

西村食品工業社長の時代から、さまざまな福祉ボランティアをしてきた。北海道リハビリー、百円ケーキの店などなど。そのうちの一つがシュリーの店だった。「感謝です」と常に言いながら、障がいのある人の働く場づくりに奔走してきた。

今日の式典で、働く人への表彰では一人ひとりの手をとって「ありがとうございます」を繰り返した。その姿に参会者の中には涙するひとも多く、周年記念の行事としては実のある、とてもよい催しだった。ほんものを見た。


昨日の「北海道をスポーツで元気に」シンポジウムでも、ほんものを感じた。
「コンサっぽくいい塩梅」さんも19日のブログで書いていたように、
チェアマンと一緒に討論に参加した4人のパネリストの話はとても新鮮だった。

女子棒高跳びの小野真澄さんは「するりとバーを抜けた瞬間がなんともいえない喜び。落ちる時間を、もっともっと永く感じていたいと思う。それが次への高さの挑戦につながる」と。

冒険登山家の栗城多史さんは「登頂の一歩手前に喜びがある。下るときは淋しくなる」。障がい者スキーでパラリンピックに出た田中哲也さんは「義足でもあぐらもかけるし、義足を使って、ほほつえもつける」と私に、やって見せてくれた。

「自分の可能性を、あるもの(道具)全てを生かして追求する」とも言う田中さんはスキーのインストラクターであり、ゴルフはシングルだ。「児玉さん、今年はゴルフを一緒にやりましょうよ」と誘われたが、こちらは引けてしまった。

アイスホッケー・ポラリスの理事長、牧泰昌さんがスポーツ行政のあり方に
強い言葉で疑問を投げかけたのは指定管理者制度を申請した経験から
出た感想からで、ほんものの説得力があった。

また、小野さんが「勤務先の中学校女子160人に冬休み中にスキーに行った人は、と質問したら、たった一人しか行った生徒がいなかった」と披露していたが、これは衝撃的だった。

小野さん、栗城さん、田中さんらが、ほんもののポール、スレッジホッケーの道具や映像を使って語りかける生の声を、子ども達にぜひ聞かせたかった。



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23:46

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J2実行委員会

2005年11月09日

 ブログの文章の書き方になかなか慣れません。ですます調で書いてきましたが冗漫なので止めることにします。

 今日はJリーグのJ2実行委員会が東京のJFLハウスで行われた。実行委員会は12チームの責任者がほぼ月1回集まって、鈴木チェアマンを議長にさまざまな問題を話し合う場だ。

 雪の中、7時半からの異業種朝食会を1時間ほどで終え、新千歳10時半のJALで東京へ。午後2時からなので、30分ほど時間があった。昼食をと思ってハウス近くのレストランに行くと徳島の高本社長に会う。

 「札幌さんはがんばっていますね」「来季は愛媛FCさんの参加で、四国ダービーができて盛り上がるのでは」など会話が弾む。「初シーズンの今年は、サポーター、支援者も暖かかったが来シーズンは甘えられません」と高本さん。

 実行委員会は鈴木チェアマンのほんわかした人柄もあって、いつも楽しい雰囲気で、ざっくばらんだ。試合では、ぎりぎりせめぎあっていても、この場では冗談が飛び交う。今日は来季の日程や公式エントリー選手数など、これまでにも話し合われた内容が多かった。

 議論を呼んだのはJクラブが他の競技に手を伸ばした場合の商標、意匠、呼称などの使用をどうするかだ。11月5日から始まった日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)との関係が微妙な問題を投げかけている。

J1新潟アルビレックスとその傘下にある(株)新潟スポーツプロモーションのバスケットチームがサッカーと同じ「新潟アルビレックス」をチーム名に使っていることが、どうかということになった。

ユニホームのデザインも良く似ているほか、開発したオリジナル商品もサッカーチームの権益と重なりそうな部分がある。「さてどうする」と議論は盛り上がった。

J百年構想では、サッカー以外のスポーツにも積極的に手を差し伸べ、(総合)スポーツの振興をうたっている。新潟アルビレックスや湘南ベルマーレが始めているこうした動きは歓迎なのだが、商標などの規定はこの事態を予想していなかった。
担当部署で検討することにしたが、コンサドーレも将来、ほかの競技と手を取り合っていくことを考えているので、話し合いは参考になった。

昇格決定の京都の社長には余裕が。3位狙いの4チームのトップはお互いに牽制しあいながら、ぴりぴりムードだった。

帰り着いた札幌は、汗ばむほどだった東京とは大違い。
朝からの雪が道路に凍りつき、すり足で夜中の玄関を開けた。



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23:46

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青函トンネル・ダービーは?

2005年11月08日

20051108-00.jpg 「21世紀は大北海道圏の時代」という観光フォーラム(写真)が8日、札幌市内で開かれて行ってきました。経済人が大勢が集まる場所にはまめに顔を出すのは、重要な仕事です。

当然のことですが、北海道新幹線の話題も出ました。10年後には新函館まで開通します。
そうすると、仙台―新函館間の所要時間は2時間30分となります。時速260キロ計算ですから、実際はもっとスピードを出せるので、2時間強でしょう。

 函館で、コンサドーレとベガルタとで、青函トンネル・ダービーがやれますね。サポーターが新幹線を使って、往来すれば観光振興にもなるし、いいんじゃないですかね。フォーラムを聴いていてそんなことを思いました。

 Jリーグの理念の柱の一つは「地域起こし」。アウェー、ホームで地域と地域が結びつきを強めれば、中央集権の国のカタチも変わってくるのでは。新幹線に対する考え方はいろいろあるでしょうが、そんな形で利用できればいいですね。




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22:20

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赤黒のツタが残っています

2005年11月07日

20051107-00.JPG痛恨のドロー水戸戦の一夜が明けたドーム周辺は雨上がりの枯葉で覆われていますが、壁に張り付いたツタの赤黒模様(写真)は、まだまだ見応え十分です。

昨日は会場内外で、さまざまな社会貢献事業が行われました。開場前、豊平区民センターでの第7回「みその ワッ 輪 和のつどい」に小亀コーチ、佐藤尽元コンサドーレキャプテン、ドーレくん、佐々木・ホームタウン推進部長とともに参加してきました。

20051107-01.JPG60人強の地域の子どもたちを対象にサッカースクールを開き、終わってから佐藤尽君のサイン会、ドーレくんとの撮影会(写真)でした。最近はコンサドーレのコーチが出向くサッカースクールは、どこも大盛況です。
この日も小亀コーチの巧みな指導、佐藤尽君のリフティングなど、見せ場がたっぷりでした。会場の父母も「さすがプロの指導は違う」と子ども同様、楽しんでいました

ドーム内ではネイルアートが行われ、そばには北海道盲導犬協会の和田所長、盲導犬ふう号もいて、ネイルアートをした人に献金を呼びかけました。

また、津波の被害にあったインドネシアの子どもたちにサッカーボールを贈ろう運動の最後のボール集めも行われ、この日だけで215個が寄せられました。
全部でサッカーボールが1300個以上、空気入れ、支援金なども予想以上に集まりました。
コンサドーレがお手伝いして本当に良かったと思っています。

世界各地にはパキスタンの大地震のように私たちの手助けを必要としている人たちが大勢います。今後も積極的に助け合いの輪に加わっていきたいと思っています。



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16:43

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