2006年02月28日
強化部長の城福さんからキャンプの状況を伝える電話があった。
声がいつもと違ってくぐもっている。
「声が変だけど、花粉症じゃないの」と訊くと「そうかもしれませんね」。
「症状が出ている選手はいないの」と訊くと「あれとあれ」。
どうやら何人かはいるらしい。
杉の花粉症は全く厄介だ。私も東京で生活しているときは毎年、苦しんだ。
鼻はぐずぐず、目はしょぼしょぼ、頭はぼーとして、集中できない。
夜も鼻が詰まって眠れない。
ひたすら花粉が飛ぶ季節の終わるのを待つだけだった。
先日、Jリーグ総会、プレスカンファレンスで2日、上京した
だけだったが、マスク姿の人を見ただけで鼻がむずむずしてきた。
そのときに会った柳下監督も鼻をしきりに気にしていた。
「花粉症?」と訊くと「何年も、苦しんでるんですよ」と。
「じゃ、杉の花粉が飛ばない北海道でずっと生活したら」と冗談を
飛ばした。
一般の人は、薬を飲んだり、注射をしたりして症状の緩和を図るが
サッカー選手はドーピングにひっかかるおそれがあるので、そうした
治療は一切だめ。
体力のある選手達だから、それほど影響は無いと思うが、全力を
出し切れるか心配だ。花粉が飛んでいない空気のきれいな北海道に
帰ってくれば、すぐ直る。
緒戦の鳥栖戦を勝利で納め、早く北海道に帰ってきて、花粉症を
吹き飛ばし、ホーム戦、そしてつづくアウェー戦に備えてほしい。
2006年02月25日
2006Jリーグプレスカンファレンスが24日、東京・六本木ヒルズで開かれた。
ゼロックススーパーカップの前日、そしてリーグ開幕直前とあって、700人余のプレスで賑わった。
リーグの活動、大会の見所などを発表する第一部の挨拶で鈴木チェアマンは、
J2に触れ、「今年の13チーム中、6チームがJ1経験チームだ。新しい
監督も多く、その采配など話題が豊富だ」と語った。
31チームの監督、ユニフォーム姿の主将も登場した。コンサドーレからは柳下監督、和波主将が登壇した。今季採用のKappaユニフォームの和波選手は「赤黒縦じまが一番目立った。ほかのチームからもいいなといわれた」と。
第2部は各クラブがそれぞれの装いで、ブースを設け、メディアの取材を監督、主将らが受けた。柳下監督には各社から次々とインタビューが。「手ごたえは」「キャンプは順調だったか」と質問が相次ぐ(写真)。
「そこそこ順調にキャンプは進んでいる」「この2、3日、疲れが出たようだ。しかし、2日間のオフで取り返せると思う」などと慎重に言葉を選びながら答えていた。
専門誌などが札幌を注目のチームとしているだけに、
用意したチーム関係の資料を持ち帰るメディアの数は多かった。
和波選手の「J1昇格」のサイン色紙、ドーレくん人形も目立った。
同じJ2の草津は温泉湯もみ姿の女性も登場、草津温泉を売り込んでいた(写真)
2006年02月21日
今季からコンサドーレのユニフォーム・サプライヤーになってくれた
Kappaフェニックス社のコーポレート・ロゴ一新を兼ねた商品展示会が
21日から、東京・六本木で始まり、Jリーグ出張と合わせて行ってきた。
ロゴは昨年12月産業再生機構の支援が終了したことにあわせ、「新生フェニックス」を象徴するものとなっている(写真)。色はフェニックス・レッド、スポーツに対する情熱を表し、フェニックス(不死鳥)が火を放って飛んでいくイメージ。
「全ての人に心からスポーツを快適に楽しんでもらいたい」という願いを力強い文字にした。初めの「P」はPleasant(快適)、次の「H」はHappy(楽しい)。
それぞれの文字に気持ちをこめたという。
ロゴつくりにあたっては、5つの企業価値をフェニックスステートメントとして発表している。アイデア(スポーツをもっと楽しむ)、チャレンジ(人一倍の好奇心)ファンクション(高機能製品)、デザイン(より高いファッション性)、コラボレーション(スポーツを楽しむ人との連携)が、その価値だ。
展示会場のいたるところに掲示されているロゴは確かに新鮮で、赤が目に飛び込む。そんな中にコンサドーレの新しいユニフォームの飾られていた。スポーツウエアの一角にあったが、赤黒が映えてそこだけは“札幌”だった(写真)。
佐藤欣一社長や五十嵐利弘第一事業本部長らから新しいロゴ入りの名刺をもらったが、裏には5つの企業価値を色で表現し、それぞれが目指す価値を色と文字で印刷している。佐藤社長はオレンジ色で「チャレンジ」だった。
2006年02月20日
障がい者の働く場「シュリーの店」の30周年を記念して、20日午後、
JR札幌駅にあるパセオ店前で、ドールズ&ドーレくんが通行の人たちに
シュリーの店の利用を呼びかけた。
このところ、毎年、コンサドーレが協力してPR行事を行ってきたがドールズの登場は初めて。
トップチーム5人が参加して、見事な踊りを披露し、そのあとでティッシュを駅利用者に配った。
ドールズの人気は圧倒的。通りがかりの人たちは手拍子を打って輪に加わり、コンコース一帯が盛り上がった。
取材の報道関者もテレビ、新聞ともおかげさまで、いつもより2倍強ほど多かった。
ドールズはホームゲームで、勝利の女神として選手や観客を盛り上げて
くれるだけではなく、スタジアム外でもコンサドーレを道民にアッピールする大きな力となってくれている。
今年も大活躍を、お願いします。J1昇格に向かって~。
2006年02月19日
コンサが応援している障がい者が働く場「シュリーの店」が創立30周年を
迎えて19日、記念式典を札幌市内のホテルで行った。私も参加したが、
働いている障がい者中心の和やかで温かな会だった。
札幌市が福祉都市宣言をした時に発足した。苦難の道のりを澤村重一理事長らスタッフが多くの市民と共に支えてきた。「障がい者が笑顔をもって働く場所が札幌市に息づいている。市民が障がい者を応援していることがわかる店」と澤村さんはこの日、挨拶した。
澤村さんは三浦綾子さんを洗礼に導いたクリスチャンの道内最長老だ。89歳の今も、福祉の世界で先頭に立って活躍している。上田市長が記念式典に列席して感謝状を贈ったのも、澤村さんの労に報いるためだろう(写真)。
西村食品工業社長の時代から、さまざまな福祉ボランティアをしてきた。北海道リハビリー、百円ケーキの店などなど。そのうちの一つがシュリーの店だった。「感謝です」と常に言いながら、障がいのある人の働く場づくりに奔走してきた。
今日の式典で、働く人への表彰では一人ひとりの手をとって「ありがとうございます」を繰り返した。その姿に参会者の中には涙するひとも多く、周年記念の行事としては実のある、とてもよい催しだった。ほんものを見た。
昨日の「北海道をスポーツで元気に」シンポジウムでも、ほんものを感じた。
「コンサっぽくいい塩梅」さんも19日のブログで書いていたように、
チェアマンと一緒に討論に参加した4人のパネリストの話はとても新鮮だった。
女子棒高跳びの小野真澄さんは「するりとバーを抜けた瞬間がなんともいえない喜び。落ちる時間を、もっともっと永く感じていたいと思う。それが次への高さの挑戦につながる」と。
冒険登山家の栗城多史さんは「登頂の一歩手前に喜びがある。下るときは淋しくなる」。障がい者スキーでパラリンピックに出た田中哲也さんは「義足でもあぐらもかけるし、義足を使って、ほほつえもつける」と私に、やって見せてくれた。
「自分の可能性を、あるもの(道具)全てを生かして追求する」とも言う田中さんはスキーのインストラクターであり、ゴルフはシングルだ。「児玉さん、今年はゴルフを一緒にやりましょうよ」と誘われたが、こちらは引けてしまった。
アイスホッケー・ポラリスの理事長、牧泰昌さんがスポーツ行政のあり方に
強い言葉で疑問を投げかけたのは指定管理者制度を申請した経験から
出た感想からで、ほんものの説得力があった。
また、小野さんが「勤務先の中学校女子160人に冬休み中にスキーに行った人は、と質問したら、たった一人しか行った生徒がいなかった」と披露していたが、これは衝撃的だった。
小野さん、栗城さん、田中さんらが、ほんもののポール、スレッジホッケーの道具や映像を使って語りかける生の声を、子ども達にぜひ聞かせたかった。
2006年02月17日
Jリーグの鈴木 昌チェアマンが17日、来道した。
北海道新聞情報研究所の政経懇話会で、ドイツ・サッカーW杯とJ百年構想
のテーマで講演した。
Jリーグとプロ野球の違い、偏差値中心の学校教育にくさびを打ち込むのはサッカーだ。地域を一つにまとめ、地方活性化はサッカーの魔力、などとサッカーJ リーグの魅力を語った。
18日は札幌市内のロータリークラブが主催して道新ホールを会場に開かれるシンポジウム「北海道をスポーツで元気に」で基調講演を務め、障害者スキーのベテラン、女子棒高跳びの元日本記録保持者、7大陸最高峰単独登頂を目指す登山家、アイスホッケー理事長らとスポーツの持つ意義などを話す。
この日の、講演ではジーコの素顔も語られた。鹿島アントラーズ社長時代からの付き合いを元に話した。
ジーコの頭の中はものすごく緻密で、記憶力がいい。現役時代の800ゴールの瞬間を全て覚えている。彼は予定表を持たない。しかし、何ヶ月先のアポでも覚えている。
日本代表監督として、何をすべきか、何をすべきで無いかの
判断は抜群だ。彼の言葉を追えば代表の戦い方がわかる。いかに選手の
モチベーションを高めるか、そのあたりの呼吸はすごい。
彼は日本代表監督として複数年契約をしない。いつも背水の人、一年で結果を出そうとそう思うからだ。その代わり、結果が出たときは必ず、いくらほしいと要求してくる。
その金はブラジルのジーコセンターに送られ、子どもたちの練習のために使われている。
でも、ジーコは奥さんのサンドラには弱いし、子どもたちにも甘い。
代表監督をとるか、家族をとるかと言われたら、迷わず家族をとるだろう。
そうした、いい男だ。
18日の道新ホールでの講演、シンポジュウムは無料で、だれでもが聞ける。
チェアマンのJにかける思い、コンサドーレに寄せる気持ちがたっぷり聞ける。いい機会だからぜひ大勢の人に参加してほしい。
2006年02月15日
このほどJリーグは2005年のマッチコミッショナー報告書をまとめた。
J1、J2、ナビスコカップのそれぞれで、運営/競技(運営全般、セキュリティー全般、競技全般)とフェアプレーの全27項目について、○を1点、△を0点、×を-1点に換算して数値化し評価している。
札幌はどうか。
運営全般ではほとんどの項目で満点、「ボールパーソンの行動は適切か」で山形、徳島の0.95、仙台、福岡の0.91に次ぐ0.86、「スケジユ-ル設定、進行は適切か」で、山形、甲府の1.0に次ぐ0.95だった。
セキュリティーでは「入場者数は適切に予測されていたか」「危険物の持ち込み使用はなかったか」などで満点の1.0だったが、「場内整備員および警備員の配慮は適切か」「観客の安全は守られていたか」「観客の入退場は安全かつスムーズに行われていたか」が0.95で、各項目満点の甲府と満点近い山形に差をつけられた。
競技では「試合中のベンチスタッフのマナーは適切か」で12チーム中6位だった。
フェアプレーでは、サポーター集会でも触れたが、「観客の行動」で5点満点中4.8、他チームを引き離してダントツ、フェアプレー賞ものといっていい。
しかし「相手競技者への敬意」では6位。「チームスタッフの行動」も5位となっている。
総体的には山形、甲府、福岡の評価が高かった。コミッショナーの目に映った各チームの姿、クラブの対応だ。この数字を参考に、レベルの高い運営を心がけたい。
2006年02月13日
Jリーグの鈴木昌チェアマンを17、18日、札幌にお招きした。
17日は道新政経懇話会で講演(一般は入場できない)、18日は道新ホール(中区大通り西3)で午後1時から開かれる一般向けのシンポジウム「北海道をスポーツで元気に」(札幌市内ロータリークラブ主催)で「Jリーグの百年構想」を語る。サポーターの皆さんの来場は大歓迎だ。
チェアマンが百年構想を道民に語りかけるのは初めてだ。当然、今年の最大イベント、ドイツ・サッカーW杯についてもふれるだろう。住友金属出身のチェアマンは鹿島アントラーズの前身、住友金属蹴球団団長を務めた。
1994年にアントラーズ社長に就任、ジーコ(現日本代表監督)を招き、不動のチームを作り上げた。2002年、川渕三郎氏からチェアマンを引き継いだ。Jリーグへの思いは熱く、わが国のスポーツ文化の普及と地域活性化については高い見識を持つ。講演の後は、4人のパネリストとスポーツの楽しさ、今何故スポーツが大切なのかを語り合う。
討論に加わるのは女子棒高跳び日本記録を出した小野真澄さん(札幌八軒中教諭)、7大陸最高峰を単独登頂挑戦中の栗城多史さん(札幌国際大4年)、交通事故で片足を失いながら、パラリンピックスキーに出場し、現在、テイネハイランドでスキー指導をするなど幅広く活躍している田中哲也さん、アイスホッケー・ポラリスの理事長、牧泰昌さんの4人だ。
小野さんは教育の現場からの報告を、栗城さんはスライドを上映しながら挑戦への思いを、田中さんは障害者とスポーツを、牧さんは現場から見たウインタースポーツの現状などを報告し、北海道を元気にするのに、いま何が必要なのかを話し合う。私はコーディネーターを務める。チェアマンに質問も可能だ。
シンポジウムは入場無料、当日会場へ行っても入れる。ただ、定員があるので、事務局の札幌モーニングロータリークラブへファックス(011-219-1308)かメール
sapporo-morning-rc@purple.plala.or.jp で申し込んだほうが安心だ。
2006年02月11日
J2のクラブ数はいくつが理想?
日本サッカー協会はJリーグと共にJリーグ将来構想委員会を作って「J2リーグの将来像」を模索している。
1月には第一回報告が行われ、新聞紙上でも一部が公表された。メディアでは「2010年18クラブ」と結論が先行しているが、まだまだ議論は続く。近く開かれるJ実行委員会でも話し合われることになっている。
この議論は数合わせだけではなく、協会の理念「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」、Jの百年構想「スポーツで、もっと、幸せな国へ」にかかわってくる本質的な問題を抱えている。
今シーズン、愛媛FCが加わって、J2は13クラブになった。さらに全国では都道府県協会の調査で30を超えるクラブがリーグ加盟を具体的に計画している。同協会が把握できていない動きを考えると40から50のクラブがJリーグ入りを目指している。
こうしたクラブを、これまでの基準に照らして、次々と加入を認めるのか、あるいはどうやって、加入に歯止めを掛けるのか。JFL、地域リーグとの関係も整理する必要が出てくる。こうしたことから、過去5回にわたって検討してきた結果が第一回報告となった。
1月のJリーグ実行委員会でも議題に供された。そこでは①J2は将来22クラブ以上になることが理想。まずは2010年18クラブ②クラブを増やしていく過程で、3回戦リーグ方式をとる時期がある③入会基準の明確化、入会時に年間5億円程度の営業収入を。Jリーグ準会員制度の創設とアドバイザー・チームの設置。J2クラブの安定化のため、当分の間、J2とJFLとの入れ替えは導入しない等が報告の骨子だ。
今後、これを下敷きに議論が進められることになる。
世界のトップリーグのクラブ数(日本を除いて’04年5月)は
イングランド・トップリーグ 20、2番目のリーグ 24
スペイン 20 22
イタリア 20 22
フランス 20 20
オランダ 18 19
ドイツ 18 18
日本 18 13
世界の状況は上記だが、日本がさらに増やしていったら、プレイのレベルが低下しないか、新規加入クラブの経営の安定化ははかれるのか。今でも苦境にあるクラブは多い。地域に偏在化しないか。少子化が進む中で、サッカー人口は増えていくのか。
こういった疑問も出てきている。協会の理念、Jの百年構想を進める上で、将来構想委員会の議論の行方はクラブ経営者、サッカー関係者全てにとって深く考えていかなければならない課題だ。こうした問題をはらみながら13クラブのJ2リーグはまもなく始まる。。
2006年02月10日
18日間の長い宮崎キャンプを終えてチームは、つかの間のオフに入った。こんどは12日から、熊本キャンプへと移る。家族などと離れての生活は厳しかったと思う。帰札したスタッフの一人が、キャンプ生活の一端を報告してくれた。
私が気になっていたのは「4人部屋での生活」。プライバシーが無くてストレスがたまるのではないかが心配だった。しかし、どうやら、これは杞憂だったようだ。
共同の居間があって、それに接して2つベッドが入った部屋があるコンドミニアム風の作りだったそうだ。ふだんは居間で過ごし、自分の時間がほしければ、それぞれの部屋に入る生活だったという。
ホテルように廊下に部屋が並んで、孤立した状態ではなく、気晴らしや、話し合いにはとても良かったと付け加えてくれた。食事の内容も変化に富んでいて、あまり不満はなかったとも。
キャンプ半ばで、疲れがたまり、そこから落ち込んでいくか、それを乗り越えて上向きに転ずるかが成果が分かれるところだが、今年は前向きに乗り越え、それが手ごたえのある結果になったとの分析を伝えてくれた。
練習試合で対戦したビッグクラブ選手のリッチな待遇とは、だいぶ差があったようだが、新旧選手の融合、雰囲気もよく、互いに競争心を燃やし合いながら、オフ明けの熊本キャンプに備える。そんな表情だったと語ってくれた。
熊本のあとはいよいよ3月4日の鳥栖との開幕戦が待っている。一つに絞り込んだ目標に向かって、怪我なく、後半のキャンプを過ごしてほしい。
2006年02月08日
サッカー紙「エルゴラ」の1月インタビューで「食育にも取り組みたい」と話した。この記事を読んだ「今に見ていろ!~ロイテミ~二.12~」さんやたくさんの方から、賛同のブログ書き込みや手紙、メールをいただいた。
安全安心なものを食べる、地産地消、スローフード運動などについて関心を持つ人が多いのに改めて気づいた。スポーツを通じて子ども達に食の大切さを教えることが出来るなら、これは北海道に大きく貢献できるとも思った。
日本農業新聞の東京の記者さんは『日本の食糧基地である北海道をホームタウンにしているクラブだからこそ「農業」「食育」「スローフード」をテーマにした事業展開が可能であり、それはJリーグ百年構想の一環でもあると思う』との手紙を添えて、全国の食育の動きを伝えるたくさんの切り抜き記事を2回にわたって送ってくれた。
子ども達に食べることの大切さを教えるプログラムは昨年、北見でのサッカースクールでも取り組んだ。先日、十勝の芽室町で開いたサッカースクールでも取り上げている。
「子どもの体づくり」をテーマにスポーツにおける栄養の役割、ジュニア選手に必要な1日の栄養量、バランスの良い食事、試合に向けての食事、水の取り方、サプリメントは必要?などをサッカーコーチと同行した栄養管理のスタッフが、わかりやすく解説した。
「強い骨を作るには乳製品が不可欠」、「朝食を抜くとどうなる」など具体的な説明は、興味深く受け止められたと思う。芽室町のスクールを手伝ってくれた北海道スローフードフレンズ帯広のリーダーKさんが8日夕、HFC事務所を訪ねてくれた。
「サッカーを教えると同時に食べることの大切さを教えるやり方に感心した。芽室町には間もなく、天然芝のサッカーグラウンドが出来あがる。お披露目にはコンサのサッカーイベントを開いてほしい。そのときは地域の安全安心な食材をつかった食育に関する行事も地元としておこないたい」と農業者としての期待も語ってくれた。
4年ほど前に、北海道で仲間達と、スローフード運動を始めたときは「ゆっくり食べる運動なの?」といった程度の反応だったが、BSEをはじめ食に対する不安が広がったこともあって、食の安全に対する意識は急速に高まった。サッカーがその一端を担えればうれしい。
2006年02月06日
今日から始まったさっぽろ雪祭りのススキノ氷祭り会場に
コンサ神社が出来ました。100基の氷像のほぼ真ん中、
一番良いところに主催者が作ってくれました。
今年で5年目になります。私はこの神社のテープカットに出席し、石屋製菓の石水社長らと共にかしわ手を打って、
お賽銭箱にささやかにお金を入れてきました。
神社には立派な鳥居もあります。その後ろにはボードもあり、願いが書き込めるようになっています。そして和波選手らの「今年はJ1に行きます」との声も流れています。
見物客からも大層な人気で、すぐに「J1に行こう」とのメッセージも寄せられていました。本当にありがたいですね。初めて、この神社が出来た年はお賽銭箱に百万円の包みが入れられていたこともあります。
皆さん、ぜひコンサ神社を見に行ってください。そして、少しでもいいですから募金を。5日の福岡との練習試合で2-1で勝ったことは見物客みなさんが知っていて、Jへの期待の高まりを感じました。
サポーターのみなさんもテープカットを見守ってくれていました。
2006年02月04日
私のブログ「コンサの森計画」を読んだサポーターさんから書き込みがありました。
ご賛同いただきまして、ありがとうございます。
サッカーパークがある東雁来の運動公園は敷地の20%を緑化地域に
と言うのが札幌市の計画です。あの広い地域をぐるっと植樹するのは
相当の費用がかかりそうです。
カミネッコンを使ってサポーターの皆さんのご協力が得られれば、楽しいイベントにもなるし、とても意義のある植樹になりそうな気がしています。
私もカミネッコンを開発した東・元教授からの指導を受け、教育大学付属小学校や手稲小学校の校庭周辺に、仲間と植樹をしています。小学校の子だもたちと一緒の作業していますが、子どもたちは自分の名前をカミネッコンのダンボールのわきに書き込み、好きな樹種を選んでその後の水遣りなど、大切に育てています。環境教育にもなっています。
家族と一緒に、作業をし、終わったらバーベキューを楽しむなんていうのもいいですね。東雁来だけではなく、札幌市の私有林は荒れています。こうしたところもコンサの森の適地になりそうです。
それにドーム近くの国有地に植える場所はありそうです。
ぜひお知恵を貸してください。コンサ10周年の記念の森と名づけてもいいですね。
2006年02月03日
札幌市東区東雁来の札幌サッカーアミューズメントパークで1日夜、NPO北海道スポーツクラブの総会があり、1月に竣工した屋内競技場とクラブハウスを見てきた。国道275号を雁来大橋手前で豊平川の堤防沿いに走ると雪原にこうこうと明るい屋内競技場があった。
雪の壁に挟まれた細い道をあっちへ、こっちへ迷いながら、光を頼りに、やっとたどり着いた。それだけ、広い。敷地の真ん中に位置するクラブハウスの2階からは雪の下に広がる人工芝と天然芝のピッチを左右に見ることができる。
ゲストルームでコーヒーなどを飲みながら、両方のプレーを楽しめる。シャワールーム、ロッカーも覗いたが使いやすそうだった。隣接する屋内競技場ではコンサ・ユースが練習していた。
60人ほどが人工芝のフットサル2面を利用して、コーチの指導のもとで、のびのびとボールを追っていた。外は厳寒だが、中は寒さを感じない。体を動かすのにちょうどよい温度に調節されていた。
北海道サッカー協会の村井将一会長らは「これは素晴らしい」-と。
「冬にこうした施設を使えるクラブと、使えないクラブでは大きな差がついてしまう」と話す関係者も。
総会では平成18年度の事業計画、収支予算案が承認されたが、天然芝ピッチが稼動しない初年度とあって、手探りでのスタート。建設資金不足に、収支も赤字見込みで、どうやって収入を増やすかが課題となりそう。
NPOにとっては周辺緑化も欠かせない。札幌市は駅前通り地下街建設のため、街路樹を移設するが、そのうちの40本程度をここに植える計画と言う。それだけでは、足りない。ぐるりと植樹の必要がある。
コンサドーレの出番がありそうだ。
HFCがサポーターに協力を求めて、幼木の植樹ができないだろうか。6角形のダンボールに新聞紙を詰め込み、中に土を入れて自分が好きな幼木を植えるカミネッコン方式でやれないだろうか。
土を掘る手間、肥料を入れることも必要なく、ほぼ確実に根付くこのやりかたなら、子どもにも楽しくやれる。その木が大きくなり、緑の葉を広げ、プレーを見る緑陰を作り出し、風、ほこりを防いでくれる。なによりも環境保護につながる。
雪が解けたら、そんな計画を練ってみたい。
2006年02月02日
2006年のクラブスローガンが「闘」に決まった。
創玄書道会理事で現代書研究・書圏代表の辻井京雲・北海道教育大教授から昨年5月末、クラブに贈られた作品を使わせてもらった。
役員の不祥事で、クラブが困難な事態に陥っていた時だった。以前から懇意にしていただいていた先生から「コンサドーレのために作品を書きたいのだけど、受け取ってもらえますか」と電話があった。
先生は1998年に北京、ストックホルムで開かれた現代日本代表作家展や2002年の現代書 新春100人展に出品するなど日本を代表する書家。「本当ですか」と躍り上がりたい気持ちで答えたのを覚えている。
不祥事のことは一言もおっしゃらずに、しばらくして100センチ×100センチの大作がクラブ事務所に届けられた。金属の額縁は黒、作品を取り巻く押さえの装丁は赤、コンサドーレカラーで仕上げてくださった。
『子供たちに夢を与えるコンサドーレ札幌に、もっと頑張って欲しいという思いを込めて書き上げました。構えの部分がサッカーゴールを表し、造りの部分がボールを奪い合っているイメージです。もっと強くなって北海道を元気にして欲しい』
これが、そのときの先生のコメントだった。そして、「この作品をどのように利用してもらってもかまいません。コンサドーレのためならば」とも言ってくださった。実はその時から2006年のクラブスローガンはこれだと胸に秘めていた。今回、何点かの候補スローガンの中から社員で投票したが、「闘」が当選、思惑通りになってくれて本当によかった。
書のお礼に、昨年秋、辻井先生が校長をしている北海道教育大付属小学校の生徒さんらをドームのゲームにお招きした。はじめは多くても50人程度と担当の先生のお話だったが、希望を募ると父母も含めて250人前後になり、大好評だった。もちろん、辻井先生も奥様と一緒に観戦してくれた。
「今年も応援にいきます」。ポスター、チラシなどにスローガンとして使わせてくださいとのお願いの電話に、先生は快諾してくださったあと、こう付け加えてくれた(写真、右が辻井先生)。
2006年02月01日
「アップを終えてロッカールームに戻る。試合用のユニフォームに着替える。緑と白の縦縞。カッパ社製は肌に吸いつくようにフィットする」。
野沢尚(2004年急逝)のサッカー小説「龍時02-03」(文春文庫)を読んでいたら第三章セビリア・ダービー(317ページ)で、こんな記述を見つけた。日本からスペインのユースチームに飛び込んだ高校生サッカー選手、龍時は異国でのさまざまなサッカー歴を経て、一部リーグ、レアル・ベティスのMFとして脚光を浴びる。
セビリア・ダービーで名高いFCセビリアとの戦いを前に、ユニフォームに着替えたときの表現だ。緑と白の縦縞はベティス・サポーターを熱く燃え上がらせ、選手を奮い立たせる。ゲーム後半、トップ下に入ったリュウジの活躍で、宿敵を突き放す。緑と白の縦縞の描写が熱戦を象徴的に浮かび上がらせる。
ベティスの戦い方は[攻撃こそ命]、貧乏クラブだが下部組織を充実させ、地元出身者を多く抱える、ビッグなスポンサーに頼らず、ベティコ(サポーター)の支援が大きな力となっている。赤と黒の縦縞のコンサドーレと似通った面が多く、親近感を持ってしまった。
今日、1日から正式にユニフォーム・サプライヤーがアディダス社からKappaブランドをもつフェニックス社に代わった。アディダスさんには永年のご支援に心からお礼を言いたい。そして、快く引き受けてくれたフェニックスさんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
海外ではヨーロッパを中心にフェイエノールトなど14チームがユニフォームの供給を受けている。国内ではフットサル男女1チーム、トライアスロンチームがKappaユニだが、Jではしばらくぶりの登場だ。
ウインタースポーツ・ウエア部門で、フェニックス・ブランドは昔から北海道では有名だが「国内サッカー市場でもはばたきたい」とのフェニックスさんの思いは熱く、J1を目指すコンサドーレの思いと一つとなった。
まもなく10周年の記念エンブレムを付けた赤黒縦縞のKappaユニフォームがピッチで躍動する。3月4日の開幕戦が待ち遠しい。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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