2006年03月31日
3月31日、札幌ドームの西コンコースに、メモリアルコーナーがお目見えしました。2001年6月の開業以来、貯めこんでいたお宝グッズが展示されています。ゲームやイベントのときはもちろんですが、いつでも観覧自由です。 コンサドーレ関係はユニフォーム、選手・監督サイン入りの旗、コンサドーレの歩み板。2001年7月2日、対横浜マリノス戦で播戸龍二選手が決めたドーム・ファーストゴールの記念ボールが、そのときに履いていたシューズと共にあります。 曽田雄志、池内友彦両選手のシューズ、林卓人キーパーのグローブも。さらに2004年から制定されたドーム・アウオ―ズ(Awards)MVPに輝いた清野智秋、昨年の和波智広両選手の写真・盾が飾られています。 見逃せないのが、2002年日韓ワールドカップ予選、アルゼンチン-イングランド戦の際、イングランドのエリクソン監督が試合に備えて使った作戦ボード。クロスの入れ方を示した図にはベッカム選手の名前も入っています。 イングランドの選手控え室に残っていたものをドームが保存していました。テレビの人気番組「開運 なんでも鑑定団」に持ち込み、100万円の値段がついたものです。ゲームはベッカム選手のPKで1-0、イングランドの勝利となった因縁試合でした。 このほか、2003年JOMOオールスター・サッカーの際の資料、グレーのメンバーの手型、最高の観客を動員したエリック・クリプトンのコンサート写真、日ハムが1981年、リーグ優勝を果たした記念フラッグなどもあって、興味はつきません。 ドームが所蔵しているものの一部で、まだ、これ以外にもたくさんあるといっており、展示替えも考えると言うことです。 ぜひ、一度見ることをお勧めします。
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2006年03月29日
28日、障がい者が働く、くつ修理の「シュリーの店」の評議員会があり
ました。席上、平成17年度の決算見込みが示されました。それにより
ますと売上高は1億6400万円と前年度を4.5%、700万円上回りました。
平成11年度以来、7年ぶりのことです。店舗数の減少もありますが、
毎年、500万円前後、落としていた売り上げが、なんと前年を大幅に
上回ったのです。
評議員会で、「これはコンサドーレさんのおかげです」とお礼を言わ
れました。下肢に障がいを持って働く人にとって、将来にわたっての
職場確保の可能性を予見させる朗報でした。
この数年、コンサドーレは、9月2日の靴の日と2月20日の
創業記念日にドーレくん、選手を一日店長などに派遣して、PRに一役
かっています。
昨年は、「コンサドーレはシュリーの店を応援しています」とのボードを19店舗の
店頭に掲げましたました。今年2月の創業記念日にはJR札幌駅コンコースにあるパセオ店前で
ドールズの皆さんにも出演してもらい、シュリーの店利用を呼びかけました。
売り上げ増は、こうした協力の成果だと評価していただいたのです。
サポーターの皆さんも、シュリーの店をご利用になったことでしょう。
ありがとうございました。
春を迎え、冬靴から夏靴への履き替えの時期になります。
ぜひ、シュリーの店を訪れてください。
2006年03月24日
コンサドーレ・アウェー戦の実況放送をやってくれているコミュニティーFM三角山放送局の新しいスタジオが完成し、
24日、お披露目会があり行ってきました。
JR琴似駅北口、40階建てのザ・サッポロタワー琴似の真下、古い
レンガの建物です(写真)。名前も「レンガの館」。昭和4年に建造され、
缶詰工場、キャラメル工場、喫茶店などに使われてきた歴史的建造物です。
超高層のマンションとJR高架の間に挟まれ、コントラストが面白い景観です。中は障がいのある人でも使える呼気スイッチなど、だれにでも
使いやすいユニバーサルデザインを取り入れたスタジオです。
アンテナもザ・サッポロタワーの屋上134.8メートルに設置され、
これまでより可聴エリアがぐんと広がりました。「レンガの館」内に
は、だれでも集えるコミュニティースペースも出来ました。
この日のお披露目には上田市長(写真)、横路衆議院副議長、小池JR北海道社長など多数が集い、完成を祝いました。
私も「ゴール!」と叫んで、木原社長へのお祝いとしました。
2006年03月23日
日本農業新聞に3月13日から5回、「食と農のかけ橋」というページに
エッセイ「わたしと食」を書かせてもらいました。以下は記事の再録です。
日本農業新聞の許可を得て5回分(今回は前2回分に続いて3回分)を転載いたしました。新聞記事よりは行替えを多くし読みやすくしていますが、文章・見出しはそのままです。
わたしと食③ サポーターに伝えたい
“食育”という文字を書き込んだ帯で包んだお弁当「しまふくごはん」を(3月)11日のホーム開幕戦から売り出しました。食育弁当はJリーグ初ではないでしょうか。
コンサドーレには独身寮「しまふく寮」があり、調理師で寮監の妻・の村野明子さんが食事を作っています。
北海道の食材を主に、サッカー選手の体力づくりに必要なメニューを考えています。それをコンサドーレ・オフィシャル・ブログ「しまふく寮通信」で選手の生活とともに紹介、圧倒的な人気を集めています。
これを見た弁当業者が「売り上げの一部は寮の食費に」との言葉で「しまふくごはん」が実現したのです。
内容は寮で出している家庭料理。揚げ物は少なく、味は濃すぎない。魚と肉、それに根野菜をたっぷり。「優しいものをたべたなあ、と思ってもらえるものに」。村野さんのこうした思いが込められています。
選手に作るのと同じ気持ちで作った「しまふくごはん」は、サポーターにも食べることの大切さ、優しさが伝わったことでしょう。
真中に盛られたご飯を、煮物、肉、魚、サラダ、デザートが取り囲んでいます。ちゃぶ台を真中に、家族が集まって楽しく食事をしているように~。
わたしと食④ 賢く食べて強くなろう
傳田健三・北大助教授は小学生に、うつ病が増えていると警告しています。
「1教室に1人か2人はいる」。うつ病かどうかは、「食事をきちんと摂れているかどうかで判断出来る」と語っていました。
治療の結果、直ったかどうかも、「食べられるようになり、眠る事が出来れば回復したのでは、と判断できる」と言います。
食の重要性はここでも強調されています。治療にスポーツは欠かせないことは言うまでもありません。
コンサドーレ札幌スポーツ講座「子どもの体づくり」では「朝食を抜いたらどうなる」「スポーツをする日のお弁当」「使ったエネルギーの補給を夕食で」などを具体的に教えています。
「賢く食べて強くなろう。夢に向かって頑張ろう」と言いますと、関心はひときわ高まります。
そして夢の実現には「食を通して家族のサポートが必要」で締めくくります。孤食ではなく、食卓で家族が一つになれればとの思いからです。地産地消の重要性も訴えたいですね。
鈴木昌・Jリーグチェアマンは「ブラジルのサッカースクールでは食育が、日本と桁違いに取り入れられている」と語っていました。
野沢尚さんのサッカー小説「龍時01‐02」で、スペインリーグ・ユースに入った日本人高校生選手リュウジは体作りにと、いつも牛乳を飲んでいます。
わたしと食⑤ 力合わせてごみ減量
コンサドーレは昨年から、グッズ販売でレジ袋なし運動を展開しています。今年は札幌ドームでも、レジ袋なし、ごみの分別、弁当の残りもの処理に取り組みたいと思っています。エコ・ドーム構想です。
3月11日の水戸戦で、専門家に、ドーム内のごみ発生の状況と処理の流れを調べてもらいました。
一番の問題は、弁当の中身の処理です。プラスチックの容器、ビニール類が食物の中に多く入っていて、取り分けるのは大変です。容器と中身を簡単に分ける仕組みを作るのには弁当業者の協力が不可欠です。
普通ごみの分別も大部分が資源化できる状況にありません。コンサドーレが札幌ドームと一緒に、ごみの減量、リサイクルに取り組むとしたら、波及効果は大きいと思いました。
処理した生ごみを、飼料や肥料に転換するフードリサイクルが出来れば、とも。ユースチーム練習場周辺には「コンサの森」を造る計画ですが、そこの肥料に使えそうです。
コンサドーレは子どもたち対象に札幌市と環境を考えるサッカーイベント「環境未来カップ」をやっています.安心・安全な食は、汚染されていない健康な環境があってこそです。
ドームのエコ化を含めてスポーツを通して「食と環境」を結びつける活動を強化していきたいと思っています。
(終わり)
児玉芳明
2006年03月22日
日本農業新聞に3月13日から5回、「食と農のかけ橋」というページに
エッセイ「わたしと食」を書かせてもらいました。以下は記事の再録です。
日本農業新聞の許可を得て5回分を転載いたします。新聞記事よりは
行替えを多くし読みやすくしていますが、文章はそのままです。
「わたしと食」② サッカーを通して食育を
北海道フットボールクラブ社長 児玉芳明
札幌でスローフード運動を始めたり、帯広へスローフードインターナショナルのカルロ・ペトリーニ会長を招くことなどに、かかわっていたので、昨春の社長就任以来、サッカーを通して食育が出来ないかと考えていました。
それが、ひょんなことから火がついたのです。「子どもたちに食べることの正しい知識をサッカーを通して広めたい」とコンサドーレ・オフィシャル・ブログの社長日記に書いたら、驚くほどたくさんの反応がありました。
北海道スローフードフレンズ帯広のKさん、猿払村の健康運動指導士のIさん、本州の農業関係者など、さまざまな地域、階層の方から意見がブログやメールで寄せられたのです。
「同じ思いの人がこんなにも」とびっくりするとともに自信がつきました。
コンサドーレはこれまで道内の市町村でサッカー出前教室を開いてきました。その中に食育のカリキュラムを設けよう。そう思い、二月中旬、十勝・芽室町の教室で、「強い骨を作るには牛乳は大切」などを管理栄養士さんに話してもらいました。
サッカーが上手になりたい子ども達は目を輝かして聞いていました。
2006年03月21日
日本農業新聞に3月13日から5回、「食と農のかけ橋」というページに
エッセイ「わたしと食」を書かせてもらいました。以下は記事の再録です。
日本農業新聞の許可を得て5回分を転載いたします。新聞記事よりは
行替えを多くし読みやすくしていますが、文章はそのままです。
「わたしと食」① 朝食付きのお迎え
北海道フットボールクラブ社長 児玉芳明
札幌市近郊で毎週土曜日、幼児を対象に体操を教えているTさん(66)は午前9時ごろ、各家庭に車で迎えに行きます。
その車の中には、小さなおむすびが必ず用意されています。眠そうな顔で出てくる子どもに「朝ご飯食べた」と聞くと、ほとんどの子どもが「食べてない。お母さん、まだ寝てるもん」という答えが返ってきます。
Tさんは自分が作ったおむすびを車の中で食べさせてから体操を始めます。
札幌市内でサッカー少年団を指導しているコーチもご飯を食べてこない子どもが大勢いると話しています。
北海道の地方から中学生を寮に受け入れている進学塾の友人は、「みそ汁を飲めない子、飲もうとしない子が大半」と言います。
「500円玉だけ持たされて学校へ行き、帰りはコンビニでスナックを食べるのが夕食」とも言うのです。子どもたちの貧しい食事の風景が浮かび上がってきます。
日本の子どもたちの食生活はいつから、こんなことになってしまったのでしょうか。
大好きなサッカーを通して、子どもたちに食べることの大切さを教えることが出来ないか。「スポーツと食育」運動を始めたところです。
1937年横浜市生まれ。北海道新聞出版局長、道新スポーツ社長などを経て2005年3月から現職。同クラブはサッカーJ2コンサドーレ札幌を運営。スローフード組織の会員でもある。
2006年03月17日
卒業式のシーズンです。もう一つの“卒業式”がありました。
コンサドーレ・ユースの卒団式です。12日にU-12が父母の主催で、
16日はU-15とU-18がHFC主催で。笑いと涙が交錯した貴重な夜でした。
U-15は16人、U-18は10人が中3、高3を終えての卒団です。
式では、過ごした3年間の思い出のシーンを編集した映像が写され、
感激のゴールでは拍手が、こっけいな、しぐさに笑いが沸きました。
そのあとは、選手一人ひとりのスピーチです(写真)。
「怒られることが多かった毎日だったが、なぜか楽しかった」
「髪が長い。切れ、といわれたが、結局切らなかった。コーチありがとう」
「学校でのサッカーは辛かったが、コンサ・ユースの生活は心地よかった」
「ほとんど試合に出られなかったが、みんなとの練習は楽しかった」
「人間として成長できた」
「どつかれたり、蹴られたりしたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです」
だれもが、言葉を詰まらせ、手のひら、指先で涙をぬぐいながらのスピーチです。中には、言いたいことが次から次からへと湧き出て、止まらない場面も。
明日からの未来に向けて、こうも語っていました。
「あきらめなければなんでも出来ることを学んだ」
「ユース生活が終わるのは残念だが、素晴らしい友達がこれからもいる」
「別々の道を行くことになるが、それぞれの場所でトップになろう」
そして、だれもが、練習への送り迎えなどあらゆる面で支えてくれた父母に対してありがとうの言葉を、はっきりと言い、監督、コーチへも感謝の言葉を述べていました。
同席した父母はうなずきながら、目にハンカチを。先輩を送り出す後輩の中には、笑いをとるパーフォーマンスのあと、急に泣き出して、両手を突いて感謝の気持ちを表す一年生もいました。
U-18の10人はそれぞれの道を歩みだします。トップチームへ、大学へ、専門学校へ。またサッカーから全く離れる選手もいます。
プレーヤーではなく指導者、トレーナーを目指す子もいます。
コンサドーレにとってユースは宝です。どこへ行っても輝いていてほしい。そう思った夜でした。
2006年03月15日
15日、東京で開かれたJ2実行委員会に行って来ました。
モノレールの沿線から見える桜のこずえは膨らんで少し桃色がかっています。
JFAハウス近くではレンギョウが咲いていました。雪の札幌とつい比べてしまいます。
2節を終えたJ2。各トップの表情は、さまざまでした。
今週末に戦う山形の社長は「せっかくきれいに除雪したのに、昨日、また10センチほど積もってしまいました。札幌さんを迎えるまでには、きちんとしておきますのでご安心を」-と。
第一戦を4-0と快勝した仙台の社長は「ブラジルからの選手がみんな活躍してくれた」とうれしそう。「流れの中での得点だったので、余計よかった」と自信を深めたようでした。「ボランティアの組織も立ち上がり、みんな協力してくれています」。
そうそう、札幌に初戦破れた鳥栖の社長は「あれだけ多くのサポーターが集まってくれたのに」と悔しさを引きずっているようです。21日対戦する愛媛の社長は「お待ちしています」。愛媛は県下の全市町村が出資を決め、筆頭株主の四国電力と県を中心に、自治体、地元企業が足並みをそろえてクラブを支えます。
この日の会議では「Jリーグ構想委員会 第一回報告」に基づいて、Jリーグ準加盟制度を創設して、準加盟クラブを募集することが決まりました。今のところ、JFL5クラブとJFL以外の1クラブが応募する構えです。
JFL以外はは盛岡のクラブです。次第に北上の兆しでしょうか。道内からはどうでしょう。準加盟クラブの条件は、①サッカー協会、Jリーグの諸規定を守る②法人格を持つ③ホームタウンにホームスタジアムを④都道府県協会が承認し、ホームタウン自治体が支援する⑤相当数の企業の支援が見込めるーなどとなっています。
JFAとJリーグは応募を受け付けたあと書類審査、現地調査をし、理事会で承認するかどうかを決めます。前にも書きましたが、J2を近い将来、18チーム、やがて22チームへと誘導する第一段階といえます。既存Jクラブのホームタウン、活動区域内で準加盟申請をするクラブが出てきた場合は既存クラブは指導、援助に当たります。
それともう一つは日中韓U-21の大会を今年中に開催することを決めています。
北京五輪を控えていることもありますが、最近のギクシャクした3ケ国の関係をサッカーを通して改善したいとの期待が込められています。
日中の国交正常化につながったピンポン外交を思い出します。
日本の卓球を世界に押し上げた名選手、荻村伊智朗氏(後に国際卓球連盟会長)は周恩来中国首相に直談判し、1971年、名古屋で開かれた卓球世界選手権大会に中国チームを参加させます。
これがきっかけとなって翌1972年、日中間の戦争状態の終結と国交
正常化を内容とした共同声明が出されました。田中角栄―周恩来両首脳の握手を生み出したスポーツ外交の成果です。
U-21日中韓大会を成功させ極東の安定につなげたいですね。もちろん、代表にはコンサドーレ・ユースからも入ってもらって。
毎回、日帰り出張ですが、わずか数時間の東京滞在で、花粉が目と鼻に入ったのかアレルギー症状が出て目がしぶくなり、くしゃみが出始めました。ひやっとした北海道の空気に触れて生き返りました。
2006年03月14日
札幌市東区東雁来の札幌サッカーアミューズメントパークで
14日、大きな風船ドームが立ち上がりました(写真)。
幅10メートル、横20メートル、高さ9メートル。
サッカーの冬期練習に使えないかとの実験です。
昨年から、HFCに提案があり、雪がある時期にと
急遽、テスト実施となりました。
繊維にビニール特殊コーティングし、中に空気を入れ、周囲を
水を入れた袋で押さえています。ゴムボートを丸くしたような感じです。
空気の層はいくつもの袋状になっていて、一つが破れても大丈夫といいます。
売り込みにあたるM重工関連会社は、「イベント開催にも使えるし、災害時
の避難場所にも利用できる。市場はあります」と張り切っています。寒い北海道で実験し、雪、風に耐えられるか、来冬にかけて実験室でも試験を重ねていきます。
Jリーグも将来は世界の大勢である秋から冬へのシーズン移行が考えられます。雪国のハンデイを風船ドームと言う形で克服できたらいいな、と思います。今日、実験に使った風船は広島へ運び、イベントに使うのだそうです。
2006年03月11日
1万7千人の笑顔に出会えたのに。
とても残念でした。後味の悪い結果となってしまった。
押し込みながら、ゴールをわれず、コナーキックでの失点。
しかもフッキのレッドカード。
「今年はいけるよ」と笑顔で言ってくれたサポーターの
期待を裏切ったことに、申し訳ない気持ちです。
「残念ですけど、あとはテレビで見ます。今年はJ1行きですね」と
言ってタクシーで帰った高橋はるみ知事もきっとがっかりしている
ことでしょう。
知事はキックインの前に、スタンド下の一塁側ブルペンで
キックの練習を、小亀・コンサコーチの指導を受けて臨みました(写真)。「これまでのキックインでは1勝1敗だから、今日で勝ち越しですね」。そういっていたのに。
知事には「しまふくごはん」(写真)を持ち返ってもらいました。
食育と言う言葉で包んだお弁当はJリーグ初です。
地元の食材を多く使った優しい味。真ん中のチキンライス
その回りのおかず。食卓を囲んだ温かい家族のように
思えました。
食の安心安全条例を作り、食育にも力を入れる知事に、ぜひ
食べてもらいたかったからです。
コンサ戦士も、寮のご飯、家族の食卓で、今日の疲れを癒し
次の山形戦に備えてほしい。明日からが出発です。
2006年03月10日
ユースの選手にとって大事な日、そして辛い日がやってくる。
その名は卒団式。
U-12は、奇しくも12日。U‐15、18は16日にそのときを迎える。
この数日、ユースを抱える育成部のスタッフはトップチームの
ホーム開幕戦を気にしながら、準備に追われている。
中でも、記念のDVDつくりが中心だ(写真)。
U-12の場合、過去3年間のビデオを何十本も見て、
その中から、卒団する17人の選手の活躍場面を選び出し、
パソコンで35分のDVDにまとめる作業だ。
それに、その場面にあった曲を入れ込み、作りあげる。
何度もテレビで写しだし、手直ししながら進める。
卒団式で送られる選手一人ひとりに手渡すことになっている。
U-15に上がる子、別のチームで活躍を目指す子。12日から
進む道が分かれる。3年間の思い出が、だれにもよみがえるだろう。
汗と笑いと涙を、刻み込んだDVDだ。
仕上がり途中の画像を見ていた名塚善寛コーチは
「おれ、泣いちゃうかもしれないな」と。
U-15、18のDVDつくりも「半分、徹夜ですよ」ともスタッフ
の一人は言っていた。
2006年03月05日
300人は超していただろうか。赤と黒に染まったアウェースタンドから二つのコンサ・マフラーが降ってきた。
「社長、よかったね。ほら、受け取って」の言葉と共に。
1-0。うれしかったので、胸の高さまであるコンクリートを
這い上がって、スタンド下まで飛び出してしまった。ズボンは汚れたが。
赤と黒の勇者の合唱に沸く、サポーターの皆さんと一緒に両腕を突き上げた。
3階席から見ると、アウェーゴール裏とホームゴール裏のサポーターの数は
そんなに変わらないように見えた。熱烈応援席だけを比べれば鳥栖側より
札幌のほうが統制取れて、かっこよかった。身内ひいきかな。
鳥栖駅を降りたら、コンサドーレの歌がスタンド方向から聞こえて来る。
「おやっ」と思ってよく見ると、選手のバスが着いたところだった。
待ち受けていたコンサ・サポ集団が大歓声と歌声で迎えている。
「佐賀にもずいぶん北海道関係者がいるのだな」。
そんな声が鳥栖クラブ関係者から聞こえて来る。
「大部分が札幌や東京からですよ」と誇らしげに言ったらびっくりしていた。
この日の勝利は大きかった。開幕戦の勝ち点3。
後につながる。11日のフォーム戦は盛り上がるだろう。
お客さまも多くなる。つい、顔がほころびてしまう。
駒大苫小牧高の事件で、暗くなった気分を吹き飛ばし、
道民に明るいニュースを提供できた。そう思うと余計に
うれしい。
二つのマフラーと「1-0」。
サポーターと選手からもらったプレゼントに心から感謝している。
2006年03月03日
先週末、わが家に珍しいお客があった。
クリスティーナ・デイツトフルトさん。1000年の歴史を誇るオーストリアの
貴族、第15代デイツトフルト男爵家の長女である。
彼女は16歳の1960年からオーストリアのナショナル・スキーチーム
のメンバーとしてワールドカップ・アルペン競技で、6回優勝して
いる名選手だった。2度の両足骨折を克服しての優勝トロフィーは100
を超える。
2月26、27日、ニセコで一緒だったが、濃霧と大風の26日、それに猛吹雪の27日もびっしり滑っていた。そのガッツには敬服した。こちらは、とても危なくて結局、ひとすべりもしなかった。
夕食時の会話の中で、「よく6回の優勝が出来ましたね」と訊くと、
「絶対に勝つという強い意志があったからだ」とこともなげに語った。
「その気持ちが、弱まっているときは勝てなかった」とも。
戦争中はナチスに、戦後はソ連軍に追われてサウンド・オブ・ミュージック
さながら一家でウイーンを逃れ、山中に隠れた。そこでの遊びの中で
身につけたのがスキーだった。
「体のバイオリズムに合わせながら、勝とうという気持ちを最高に保てば、必ず勝つ」。トップ選手になれば、技術、体力で大きな差はない。最後の勝利を左右するのは、勝とうという気持ちの差だと何度も繰り返した。
悪条件下での滑りの中に、その強い意志を見た思いだ。
コンサドーレは4日、鳥栖と開幕戦を戦う。
「必ず勝つ」。強い意志で勝利をもぎ取ってほしい。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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