2005年12月31日
笑顔が戻った
インドネシア地震で孤児となった子供たちへのサッカーボールが12月30日
はるばる海を越えてアチェに届いた!!。
現地入りしていたTSUNAMI留学生帰国支援・北海道代表の大井わこさんから
「届きました」との喜びのメールが31日入った。内容をお知らせする。
写真も。
『おかげさまで、やっと昨日(12月30日)、ボールが届きました。
今、CMC(チルドレンズ・メディア・センター)の部屋はボールで
あふれています。
ボールが届いた昨日、偶然、誕生日の子供がいました。彼の妹も2日前が
誕生日でした。CMCスタッフの提案でサプライズ(びっくり)パーティー
をしました。サッカーボールをプレゼント、大きなケーキも買いました。
妹には落書き帳とクレヨンをプレゼント。
昨年は両親をなくした直後の悲しい誕生日でした。
今年はみんなに祝福される誕生日です。
祖母は感激で、涙、涙でした。
1月6日から8日にかけて、CMCメンバーとアチェ、メダンへボールを配布
するツアーに出ます。取り急ぎ、お知らせまで。
元旦のニュースになるとうれしいです。
みなさま、どうもありがとうございました。
良いお年を。 大井わこ アチェ・インドネシア』
2005年12月29日
私の友人3人が素敵なたくらみをしてくれている。
一人は邦楽器店の社長、Kさん、もう一人は日本画家、Sさん、三人目は機械製作所社長のYさんだ。
Kさんが商売用に所有している胴長太鼓に、S画伯がコンサドーレのロゴやキャラクターを太鼓全体に描く。それを置く台(宮台)をYさんが鋳物で作る。
3人が力を合わせ、来シーズン開幕までに間に合わせて、北海道フットボールクラブに贈呈してくれるというのだ。
太鼓はまだ見ていないが打つ面が直径2尺(70センチ弱)、一本の大木
をくり抜いた最高級ものという。
S画伯は日本画家でありながら、「絶対にサイケ調がいい」と言い、「はではでにやるぞ」と構想にかかっている。
Yさんも「最近、設備投資関連の仕事が多くて忙しいんだがなあ」と言いながらも、「正月休みにやるか」と意欲十分。
コンサドーレJ1昇格を願ってドドーンのドーンだと早くも3人は盛り上がっている。
和太鼓の音は心と体にひびく。たたけば汗びっしょりになり、スポーツにふさわしい音楽と言ってもいい。「出陣太鼓に使わせてもらう」「イベントに使えば盛り上がる」。ドームに反響する勇壮な音、ばち捌きを夢見てしまう。
どこに保管するか、運ぶ方法は、湿気を防ぐ方法は、など難問もあるが、コンサドーレに寄せてくれる3人の好意が涙が出るほどうれしい。
制作過程の太鼓をいつか写真でお見せしよう。
2005年12月29日
雪で道路が渋滞し、前日は出社に1時間20分かかった。朝礼を15分遅らせてしまった。
今日は早めに出た。順調に走れて、だれもいない事務所に着いた。
鍵をさして開けたとたん警戒音がなる。鍵を開ける前に入り口でロック解除するのを忘れていた。あわてて戻り、スティックを入れ解除する。音が止まったので安心したら、警備員が飛んできた。手違いを謝る。
朝礼は、最後の日とあってシーズンチケットの連絡などそれぞれの担当案件が次々と。
「さあ、今日一日です。がんばりましょう」。Mさんは風邪で苦しそう。
大口のスポンサーさんが来てくれる。「来年はサッカーの年。うちもコンサドーレを例年以上に応援しますよ」とうれしいお話。
札幌ポラリスとの協力協定調印と記者会見のため、札幌市役所へと急ぐ。道路の渋滞を考えて福住から地下鉄にする。11時40分から新聞社、テレビ局のカメラの前でお互いにサインし捺印する。マスコミの好反応に驚く。
記者室へ移って記者会見(写真)。牧・ポラリス理事長が「もっともっとスポーツを」と力説、そのための協力協定と説明する。私の方からJリーグの100年構想などを紹介し、他の競技団体と手を携えていくのもコンサドーレのこれからの道などと話す。
「大通公園にスケートリンクを」「ドーム周辺にもアイスホッケーを観戦できるリンクがほしい」。「夏はサッカー、冬はアイスホッケー」。記者の質問に夢が広がる。
札幌駅で行われるJR餅つき大会に参加のため、吹雪の中を市役所から走る。
赤と黒のハッピを着る。ドールズがドーレくんと共に登場、駅コンコースが一挙にお祭りムードに(写真)。
ファイターズガール、B・Bも出るが元気のよさ、踊りのうまさではドールズが上と思えるのはひいき目か。
鈴木智樹選手も餅つきに参加、司会者の質問に答えて、来年の抱負を「J1昇格を目指す」ときっぱり。自分でついた餅を美味しそうに食べていたが、どんなことをしても絵になる。私もついたが、杵が餅にくっついて上げるのに意外に力が必要だった。
3時からの部長会に間に合わせるために地下鉄で福住へ。餅がお腹に入ったせいか、いい気持ちで寝込む。駅からの道は、雪が襟元に吹き込み、足もとが滑る。事務所前の駐車場周辺は日陰とあって特にすべりやすい。
部長会では新年に予定されている行事の説明、あいさつ回りの分担など懸案を確認する。この日到着した風船ドーレくんの箱が開けられ、使い方などを検討する。ユーモラスな形に笑いが起こる。
部屋の片付けが出来ていない。燃えるごみと燃えないごみに分別して出す。事務所に人の数が少なくなったと思ったら、一階で仕事納めが三々五々始まった。運営に協力してくれているダブルスの担当者も来てくれる。
車通勤者が多くて飲めない組がほとんどだったが、さまざまなことがあった、この一年。楽しい話題が次々と出て、盛り上がった。総務部員はお供えを置き、お飾りを入り口ドアにつけた(写真)。フェアプレーのポスターの横に。
駐車場の車は雪に埋まっている。雪をとり、ライト周りの氷を落とす。今年の仕事が終わった。みんなで笑いながら「良いお年を」と言い合えたのがうれしい。
2005年12月25日
RB通信さま
22日のブログ「ドームでの座席位置」を読みました。
高齢者や体の不自由な人にとって、ドームはとても
不親切だと、いつも思っています。
ご指摘のような専用座席を設置することを検討します。
さっそく、26日の朝礼で担当者に伝えます。その検討
結果をブログで報告します。
ドームは階段の角度が急、トイレの数が少ない、
エレベーターが使いずらい、など高齢者や体が不自由な
人から幾度も問題提起されています。
年明けにはドームとHFC、日ハムの3者で話し合いの機会
を持つことにしています。少しでも観客にとって安全で
見やすいドームにするよう話し合いを通じて努力します。
コンサドーレの観客平均年齢は40歳ですが、今後
札幌圏の急速な高齢化に伴って、さらに年齢が高まる
ことも予想されます。高齢者対策は急務です。
より多くの観客にきてもらうための方策を考えていきます。
ご指摘、本当にありがとうございました。
2005年12月23日
北海道立近代美術館で開かれている「アミューズランド2006
スイート・メモリーズ」に創作コーナー「マイ・スイートホーム」がある。
作家、荒木珠奈さんの展示《うち》の隣の部屋の壁に来館者が自分のスイートホームをイメージして紙で制作し、壁に貼ること出来るコーナーだ。
ここに妻が「コンサドーレ・ハウス」を作って貼り付けてきた(写真)。
コンサドーレにサポーターがいつでも立ち寄って交流出来る家「スイートホーム」があればいいとの思いかららしい。
私がコンサドーレにかかわってから、すっかりサッカーファンになった。
札幌の街の中心部に、そこに行けばサポ仲間に会え、お茶を飲んだり、
試合のビデオを見たり、グッズを買ったり出来る、ちょっと豪華なスイートホームが欲しい。
2005年12月23日
昨日(22日)、サッカー関係者の会合で、
「北海道にもJFL(日本フットボールリーグ)チームがほしい」との切実な声が出た。
JFLは今シーズンを終え、愛媛FCがJ2に昇格、そのあと
全国地域リーグ決勝大会で3位までに入ったFC琉球(九州社会人リーグ、沖縄)、ジェフユナイテッド市原・千葉アマチュア(関東社会人リーグ)、ロッソ熊本(九州社会人リーグ)が加わって来季は18チームで争う。
今季は「呑んでかかれ」をキャッチフレーズに16チームが2回戦
総当りでアマチュアサッカー界最高峰を目指した戦いが繰り広げられた。
あまりマスコミには登場しないが、年々、熱く、活況を呈している。
都道府県リーグから地域リーグへ、さらにJFL、そしてJ2、J1へと道はつながる。
18チームの顔ぶれを見ると、富山県にはアローズ北陸、YKKAPの2チームもある。
ところが北は宮城県のソニー仙台FCが北限だ。残念ながら東京都に次ぐサッカー人口を誇る北海道には、その影も無い。
一時は北電サッカー部を中心に期待もあったが、いまや立ち消えとなってしまった。大学、社会人チームとコンサドーレとの間にJFLチームがあると、これは楽しい。
北海道のサッカーレベルもさらに向上するだろう。
より地域に根ざしたチームの試合が800円から1000円のチケットで観戦でき、そこで活躍した選手がコンサドーレに入ってプロとなる。そうした道も開けるわけだ。
人口117万人の富山県に2チームがあるのだから、570万人の北海道なら、道央、道東、道北、道南にそれぞれのチームがあってもいい。そのチームが競い合い、道内ダービーを繰り広げることを考えると、ますますサッカーは盛り上がる。
コンサドーレも一層強くなる。来年は、そんな夢が動き出さないかなあと思っている。
2005年12月20日
横浜アリーナで20日開かれた2005J.LEAGUE AWARDSに出席した。
高円宮妃殿下、高島礼子さん、石田純一氏らもプレゼンテイターとして
招かれ、最高の盛り上がりを見せた。
今シーズンはJ1、J2合わせてこれまでの記録を破る850万人が
入場、J1終盤の緊迫した展開もあって、サッカー人気を象徴した
シーズンだった。
関西初の優勝を決めたガンバ大阪勢の喜びはすごかった。
鈴木チエアマンはあいさつの中でJ2にふれ、「レベルは年々上がっている。
J2から昇格した3チームがどんな試合を見せてくれるのか楽しみだ。またJ2に落ちたチームもしっかりしたゲームをしてほしい。そして全国にたくさんの夢を提供したい」と述べた。
最優秀選手賞、同監督賞、ベストイレブンなど華やかに表彰があった。
難病で臓器移植手術を受けた彩花(あやか)ちゃんを支援した
全国のサポーターを「JOIN(ジョイン)賞」と称えた。
コンサドーレのサポーターも栄誉に浴したわけだ。
会場にはコンサドーレの旗も飾られていた(写真)。壇上にあがった各チームの選手の中に和波選手の顔も(写真中央、スキーンヘッド選手の左隣)。
入れ替え戦でJ1昇格を決めたヴァンフォーレ甲府の海野社長夫妻と私ども夫婦と一緒に写真に納まったが、海野社長のうれしそうな顔が印象的だった(写真右)。
2005年12月19日
18日に行なった2005ファンクラブ「プレミアムメンバー限定パーティー」
は楽しかった。すすきののディスコ・キングムーへは初めて入った。
どくろや蛇の彫り込みが壁にあり、異様な雰囲気もパーティーを盛り上げた。
圧巻は阿部、岡田、鈴木3選手のトークショー。
少し、紹介しよう。ひごろ知ることが出来ない内緒ごとを~。
鈴木選手 「運転免許を取得中だが、仮免を取るのに4回落ちた」
岡田選手 「ファッションにこだわっていて、買った衣装が自分の部屋に
入りきらない。ほかの部屋を借りて収納している」
阿部選手 「得意はカラオケ」。なんとサザンオールスターズの
「白い恋人たち」を熱唱してくれた。
この歌は、しまふく寮の村野夫人の好きな歌(ブログ・しまふく寮 通信参照)。それを知ってかしらずか、心にくい選曲。
プロばりの歌いっぷりに大歓声を浴びた。
この日、集まったプレミアムメンバーは189人。
トークショーのあとはお目当て抽選会。
選手のユニホーム、シューズ、柳下監督の
サイン入りボールなどを3選手から当選者に手渡されて一緒に写真をとり、
歓声がディスコの天井に跳ねた。最後は選手を中心に笑顔の集合写真でお開き。
この情景を写真にとったのだが、今は明日の横浜アリーナで開かれる
Jリーグアウオード出席のための出張先。デジカメ取り込みのコードを忘れて
画像のアップロードが不能。明後日以降に展開するのでお楽しみに。
2005年12月17日
CVS交流会のあと、7大陸最高峰の単独登頂に挑戦している
札幌市在住で、札幌国際大学4年、栗城史多(のぶかず)君の
南極最高峰ビンソンマシフ(4895㍍)壮行会に出た。
栗城君は9月にアフリカ最高峰のキリマンジャロ(5,985㍍)に
登り、頂上でコンサドーレのバナーを前に記念写真をとり、
支援をアッピールしてくれた。
すでに北米のマッキンリー(6,194㍍)、南米のアコンカグア(6,960㍍)
ヨーロッパのエルブルース(5,642㍍)を単独で登頂に成功した。来年1月
南極最高峰に向かう若き登山家だ。
「夢はかなう。やれば出来る、を実行したい」。時には死と直面しながらも、
まっすぐに夢に向かって突き進む栗城君はさわやかだ。道内の経済界人の
応援の輪は次第に広がっている。
経済合理主義がまかり通り、効率がもてはやされる今だからこそ、
その対極にある単独の冒険登山に惹かれるのだろう。
「コンサドーレもJ1に向かってがんばってください」と栗城君から逆に激励された。
北海道の地図をあしらった旗に、「コンサドーレは栗城君を応援しています」と寄せ書きした(写真中央が栗城君)。登山中、つらいとき読んで元気を出してほしい。
2005年12月17日
17日のサポーターズブログに「社長様へのお願い」と「市民クラブの連携」
の二つがあった。私たち、フロントが考えていることと、サポーターの皆さんが思っていることが同じだと知ってうれしかった。
福祉施設への慰問は今真っ盛り。ドーレくんを先頭に、毎日、5、6箇所
をコンサ・サンタ隊が訪問している。お年寄りの施設、恵まれない子供たちの
施設などを巡っている。
ときには選手も参加し、ボール遊びなどを行い交流を深めている。プレゼントを持参し、よろこんでもらっている。「はーい、今日は何十個のプレゼントを用意してください」。職員が毎日、パッキングに追われている。
「市民クラブの連携」については、秋口からNPO法人ポラリスの牧理事長
と話し合っていて、近く、協力協定を結ぶ準備を進めている。「冬はアイスホッケーを、春から秋まではサッカーを」。
それぞれのサポーターに、こう呼びかけて、お互いに協力し合えないかという趣旨だ。日本アイスホッケーリーグに参戦していた伝統の雪印チームが会社の不祥事で、廃部となり札幌からチームと雪印リンクが消えた。
チームの一部を引き継いだポラリスは、NPO市民クラブチームとして、がんばっている。しかし、ウインタースポーツ離れや資金不足から、なかなか道民にアッピールできないのが苦しい。
アイスホッケーはサッカーと同様、とてもエキサイティングな競技だ。
しかし、ファンを増やせず、それを見てもらえなのがポラリスとしてはつらいところだ。
ゲームの日に、ポラリス・サポが福住側の道路横でコンサ・サポにチラシを巻いたこともあった。具体的にどんなことが出来るかを話し合っている。コンサドーレとしてはマッチデープログラムの中に記事として「ポラリスもよろしく」と呼びかけることなどを検討中だ。
「こんなことが出来るよ」といったアイデアがあったら、ぜひ教えてほしい
協力して、北海道のスポーツを盛り上げたい。
2005年12月17日
ドーレくんのブログを読んだら、18日(日)に地下街オーロラタウンで開かれる
イベント「クリスマスフェスティバル2005」にドーレくんが参加するということだ。
日ハムのBB、ノルディックスキー世界選手権札幌大会のノルッキー、さっぽろテレビ塔のテレビ父さんと4キャラクターのそろい踏みらしい。
テレビ父さんなんていうのがあることを知らなかった。
時間をつくってぜひ見てみたい。
先日、ある会合で、ノルディックスキー世界選手権大会の関係者に会ったら、
「大会まであと400日余、市民の関心を盛り上げるための良い知恵は」と訊かれた。
「そうですね、コンサドーレのゲームの際、ドーレくん、BBと一緒にピッチ
の上で、そろってあいさつしたらどうですか」と話したばかりだった。
そのとき、社会人野球の関係者も「道内のさまざまなスポーツ団体が集まって
お互いに、考えていることを率直に話し合い、協力し合える場をつくりませんか」といっていた。
スポーツという同じ世界にいるもの同士でも、分野が違うとあまり交流がない。
北海道体育協会というしっかりした組織はあるが、プロスポーツは別扱いだ。種目別組織の連盟、協会も独自色が強い。お互いに協力し合えることはないのか、どんなことで困っているの、それもなかなかわからない。
ドーレくん、BB、ノルッキー、テレビ父さんが共演出来るのだから、
異種目協力も可能かもしれない。お互いの立場を尊重しながら協力し合う。
Jリーグの100年構想、総合スポーツクラブづくりの出発点はそのへんかな
と思えてくる。
2005年12月16日
HFCはスポンサー約150人を招いて、年一回の謝恩会を15日、札幌市内の
ホテルで開いた。柳下監督、和波、曽田、清野、鈴木の4選手
も、かっこいい背広姿で参加してくれた。
監督はあいさつの中で、「昨年の最下位から6位になったと喜んで
いたら、それ以上にはなれない。来シーズンは3位以内でJ1昇格
を目指す」と言い切り、会場の拍手を浴びた。
この日、ドームMVP賞を勝ち得た和波選手も「上を目指して
がんばる」と。「副賞50万円はみんなで分けるんだよな」などと
冷やかされながらも、明るい笑顔でやる気十分だった。
監督と選手4人はモテモテ。招待客と一緒にポラロイドカメラの撮影に
おさまり、浮かび上がる画像にサインをしてお客に手渡すサービスに
追われた。中には、持参のレプリカユニホームにサインを求める人も。
サンタの真っ赤な三角帽子をかぶったドールズも登場して元気な
踊りを披露した。コンサドーレ、コンサドーレ、コンサドーレの
手拍子を締めに、楽しい一夜は大盛況のうちに終わった。
2005年12月14日
来年はサッカーの年。ワールドカップがドイツで開かれる。
先日の組み合わせ発表時の盛り上がりようはすごかった。
6月の試合が近づくに従って、さらにフィーバーすることは確実だ。
この数日、道内テレビ局へ年末のご挨拶に回っている。
そこでは来年6月から始まる地上デジタル放送のことが
どこでも話題になった。
「サッカーはデジタルテレビの良いコンテンツ」と言うのだ。
横長のデジタルテレビ画面はサッカーのピッチを写すのにうってつけとか。
ハイビジョンともなれば選手の動き、表情、芝の状態まで鮮明に映る。
それに、他競技場の試合経過、個人記録、データを同時に
画面に映し出せるようになる。双方向を含めたさまざまなサービスが
可能になる。
サッカーはロスタイムを入れても、2時間あれば終わる。テレビ各局にとっては編成上、
扱いやすいスポーツである。デジタル放送が開始される
来年6月からは、ぜひコンサドーレの生中継を増やしてほしい。
そう、お願いしてきた。
2005年12月13日
北海道スポーツ記者倶楽部は13日、札幌市内のホテルで総会を開き、
今年のスポーツ界で道内を最も沸かせたMVPに、コンサドーレ札幌ユースU-18を選び、四方田修平監督を招いて表彰し、盾を贈った。
道内でスポーツを取材する新聞、テレビ、ラジオの記者らが投票で決めた。
18歳以下の全国のクラブチーム、各種大会優勝チームが参加して繰り広げられる高円宮杯は、もっともレベルの高い大会。ここで準優勝を成し遂げたことが評価された。
スポーツ記者のプロの目で選んだ栄えある賞だ。
私もこの席に同席した。四方田監督は盾を手に、
「名誉なことでとても光栄。今年のチームの選手達の3年後、
5年後を見守ってほしい」とあいさつした(写真)。
チームの3年生は、トップチームに2人が入るなど、それぞれの道を歩き出している。残った2年生を中心にする新チームも来年は、さらに飛躍を目指してほしい。
2005年12月13日
12月3日にドームで行ったパキスタン北部地震募金のお礼ディナー
に12日、招かれた(写真)。中心になったアズハルさん宅。
奥様のアイシャさん手づくりのパキスタン料理だ。
当日、参加したパキスタンの留学生3人に日本人支援者3人とアズハルさん
がそろっての楽しい夕食だった。マトンのカレー風煮込み、パキスタン米を鶏肉と一緒に炊き込んだご飯、ヨーグルトにトマトなどを入れたサラダ。
とてもおいしかった。パキスタン米はタイ米に似ているが、もう少し細長く
パサッとした感じ。鶏肉の味がしみこんでいくらでも入る。それにカレー煮込みをかけ、辛かったらヨーグルトサラダで中和する。
おいしい食事が話題を盛り上げる。地震のその後の心配はもちろんだが、
パキスタンとインドの関係、祭り、原子爆弾の話など尽きない。K2など
8000メートル級の山々、そこには氷河もある。
パキスタンのことをほとんど何も知らないのに気づく。
同じアジアに生きていながら私を含めて、4人の日本人はだれも
訪れたことがなかった。
印パ戦争とか、カシミール紛争といったことは知識として
知ってはいるが、そこに住んでいる人の生活そのものに無知だった。
利子を認めないイスラム経済、奥の深いイスラム文化などにも無縁できた。
距離が遠いヨーロッパ、米国へはよく出かけ、豊富な知識を持つように
なった日本人が身近なアジアに目を向けることが少ないことを痛感させら
れた夜だった。
2005年12月11日
盲導犬ウッズが8日、HFCを訪ねてくれた。
おなじみのフーより若い。2歳。ハーネスを付けて間もない。
盲導犬になりたてだ。ちょっと、やんちゃに見える
ドームで行った北海道盲導犬協会の募金協力に対する
感謝状を携えて協会のDさんらと一緒に来てくれた。
少し緊張気味で、表情は硬かったが無事写真撮影を済ませた(写真)。
床に大の字になって横たわったウッズの横で、Dさんらと楽しい
会話が弾んだ。「プロ野球の広島で、ゴールデンリトリバー犬が
ボール運びをしているようなファンサービスがサッカーでも出来
ないだろうか」と私。
「出来ますよ。訓練すれば何でもします」
「キーパーもやるし、鼻でボールを押してセンターサークルへ運ぶことも」
とDさん。
北海道盲導犬協会は来年、ミーナから始まった育成から400頭目を迎える。
節目の年である。盲導犬の役割を、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。
育成に必要な資金は全て募金に頼る。
盲導犬を使いたい目の不自由な人はたくさんいるのに、資金不足も
あって育成が間に合わない。さまざまなPRの機会を協会は模索している。
ドームでの募金は、そうした意味でとても良い機会であった。
子供たちは、なんどもドームに来たフーの名前を覚えてくれた。
ウッズも頭をなでてもらった。今度はサッカー犬に変身して人気に
なれば盲導犬の、もう一つの賢さを観客に見てもらえる。
サッカー犬を楽しみに観客が増えるかもしれない。
募金も増えるに違いない。協会の応援にもなる。
「来シーズンはぜひ、実現させたい」と思ってしまった。
12月7日のブログ「再びパキスタン北部地震」でパキスタンの首都カラチ
とありますが、カラチは首都ではありませんでした。首都はイスラマバード
です。お詫びします。
2005年12月09日
タイトルの計算式の答えは14万9600円。
今年8月2日の横浜戦で札幌ドームに支払ったエクストラチャージ。
種明かしをすると。
当日の入場者は今年最高の20374人だった。20000人までは一試合当たり
800万円の使用料を払う。このうち100万円は札幌市が助成してくれ
るから、HFCの持ち出しは700万円となる。
しかし、20000人を超えた374人に対し、一人当たり400円を払わなければならな
かった。それが14万9600円だったというわけだ。
「どうせ空いている席があるのだから、招待券をもっと出して、
スタジアムを満員にしろ。その人たちがやがて有料客になる。
新潟はそうやって招待客動員を行い、スタジアムを
満員にした。その効果が今出ている」
そうした意見がこのブログでもしばしば見られる。
そんな簡単なことがどうしてフロントはわからないのか、
とのお叱りも受ける。
有料人員が20000人で、無料招待客を20000人入れて
40000人でドームを満席にしたら、700万円プラス800万円
の使用料となる。
もちろん、観客が多くなれば警備費も
余分にかかる。無料のはずが、400円プラス警備費上積み分を
はらって満席にした事になる。これはつらい。そうした規制の
ない新潟とは事情が違う。
たくさんのお客さんに観てもらいたい、特に将来のサポーター
になる子供たちには来てほしい。でもそんな事情もある。
今年は第3クール以降、サッカー少年団を中心に
夢プランやさまざまな形で、1試合3000人規模で招待した。
福祉施設の子供たちもお招きした。
でも、その数が有料観客と合わせて20000人を超えないように
考えてのことだった。まだまだ、空席が目立つ。その席を使って
サッカーの生の試合を子供たちに観てもらいたい。
プラス400円との兼ね合いを考えながら、来季も知恵をしぼる。
ドーム側にもこのシステム見直しを要望している。
しかし、コンサドーレだけに特例を認めるのは難しいかもしれない。
大勢入れば、グッズや食べ物の売り上げも増える。そうも言って
攻めてはいるのだが。
(写真は11月19日の京都戦。手前に空席が目立つ)
2005年12月08日
コンサドーレは来年10周年を迎える。
思い起こすと、この10年、さまざまな出来事があった。
チーム、フロントだけではなく、そこには必ず12番目の選手であるサポーターの温かい応援があった。
そんな気持ちを込めて、「いつもサポーターに支えられているコンサドーレ」をテーマに、サポーター1300人の写真で埋め尽くす「2006年ポスターカレンダー」の制作にかかっている。
“サポーターの顔の海”に私も加わらせてもらおうと、コンサのホームページから自分で申し込んでみた。
画像のアップロードも含めての申し込みは初めてなので、出来るかどうか不安だったが、ごく簡単だった。
ホームページ上の、『2006コンサドーレ札幌ポスターカレンダー みんなの笑顔で埋め尽くす!』をクリック、あとは指示通り記入する。写真は「参照」をクリックして通常の写真取り込みと同じ。
1分もかからなかった。参加したら、もう出来上がりが待ちどうしい。
みなさんも、ぜひ申し込んでみたらどうだろう(参加無料)。恋人と、家族で、友達同士で。「どこに掲載されているのかな」と探す楽しみもありそうだ。
2005年12月07日
最終戦で募金したパキスタン北部地震被害地支援の金額が再計算されて
7日、留学生のアズハルさんからHFCに入金された。
741000円。
さっそくパキスタンの首都カラチにあるAbdul Sattar Edhi 財団に
アズハルさんとHFCの名前を併記して振込みの手続きをとった。
アズハルさんはHFCの名前もぜひ入れてほしいと言ってくれた。
この財団は惨めな病いで母を失ったEdhiさんが1948年に設立、
パキスタンをはじめ、世界で難民救済、貧困に悩む人、子供たちを
救う活動を繰り広げている。
国内だけで500台の救急車、24の病院、300の救済センターを持ち、
路上に捨てられている子供を拾ったり、育てたりしている。
今回の地震でも幅広く救援活動を繰り広げており、サポーターから
集まった74万円余は有効に活用してもらえると信じる。
7日夜のNHKニュースで、冬の到来で不安が募る現地の様子が
映像で伝えられた。募金が被害者を支える一助になってくれること
を祈りたい。
アズハルさんから12日夜の自宅ディナーに招待された。
「募金活動を手助けしてくれたお礼をしたい」と。
コンサドーレとサポーターの代表として喜んで招待を受けた。
2005年12月06日
「社長、読んでいるか、見ているか」。ブログで、こんな
問いかけを受けた。読んでいる、見ている。コンサ募金でしょ。
缶の写真も。ありがとうございます。私も入れたい。
そんなわけで、サポーターブログの一部で募金活動が始まった。
広がっていけばうれしい。
今期のHFCは経費の削減などで数千万円の黒字にはなりそうだが、
強化費など来年度に向けての資金は足りない
道庁、札幌市からの補助金がなくなる不安がある2008年以降など、
不安材料は尽きない。
サポーターからの自主的募金集めがあるのは、なんとも
心強い。2001年9000万円あった北海道後援会からの寄付は
1000万円以下に落ち込み、会員は激減している。
この間、後援会のフォローをやってこなかったツケガ出た。
今、北海道後援会の再建に取り組んでいる。やっと、過去2年間の
後始末を付けた。近く発表できるが、しっかりした人を会長に決める。
青年会議所にあった事務局もHFCに移す。これまで、
すれ違っていた、道内の大手企業を巻き込んでコンサドーレを応援
してもらえる態勢を作った。
地元企業、自治体、そしてサポーター(道民)が一つになれる。
そうした中でのサポーターからの募金呼びかけは
HFCの背中を押してくれる大きな動きだ。
ぜひ、はばたかせてほしい。
2005年12月05日
分厚い封筒がエアメールで米国東海岸から届いた。
来年5月に卒業を迎えるマサチューセッツ州在住の日本人大学生からで
コンサへの就職志願だった。
まもなく40歳に手がとどくAさんはITを勉強するかたわら
米国でスポーツビジネスも学び、「米国のプロバスケット、野球、
アイスホッケーを現場で見て、日本でその経験を生かしたい」と履歴書などを送ってきた。
ファンを巻き込むエンターテイメント性を、もっと日本のプロスポーツも
取り入れるべきだと、実例を挙げた論文も一緒に入っていた。
今夏はジュビロでインターンシップを2ヵ月半している。Jリーグチーム
の運営にもくわしい。こうした人たちがクラブ運営に興味を持ってくれているのだ。
経営再建途上にあるコンサドーレは残念ながら登用は無理とお断りした。
Aさんだけではない。私の手元に数通の履歴書が届いている。
プロサッカーチームで働きたい人が増えているように思える。
それと、今、毎日のように中学生、高校生がコンサドーレに
インターンシップとして勉強に訪れる。9時半からの朝礼に参加し、
現場の実態を見て帰る。
こうした若者が将来のコンサドーレをいろいろな場面で支えて
くれるのかも知れない。ホームタウン推進部の担当者はうれしそうに
対応している。
2005年12月04日
東北在住サポーターの方のブログにこんな書き込みがあった。
「来シーズンに向けて動き出している男が・・・」
「札幌移住計画 来季札幌に移籍できるかどうか」
移住の目的はコンサ生観戦が出来るということなのだろうか。
熱い思いにうれしさがこみ上げる。
最近の道新に、伊達市が道外からの移住者を積極的に受け入れている
との報道があった。道庁も人口減対策、地域活性化の一助として
まもなく定年を迎える団塊世代の受け入れ策を本格化している。
先日、観光情報協会の機関紙に「サッカーが地域観光を引っ張る」と
いう記事を寄せた。Jリーグの理念である地域交流のことを書いたのだが観光以外に“観戦移住”もあるのかと改めて認識した。
コンサドーレは北海道から1億円(5億円基金のうち)、札幌市から9千万円を今期、補助してもらっている。基金は、あと2年分しかない。
地方財政の悪化もあり、札幌市も道が出せないとなれば、補助を続けるのは難しくなる。
3年後からは補助金ゼロになりかねない。2億円近い収入がなくなる。
大痛手だ。コンサ存続にかかわる2008年問題と言ってもいい。
スポーツ振興、青少年の健全育成などに加えて、地域経済の活性化に貢献していると説得して、北海道、札幌市に継続支援を要請しているが、
それにプラスして「コンサ移住するサポーターもいますよ」と言えるのはありがたい。
2005年12月03日
ありがとうございました。この一言です。
シーズンが終わりました。
勝てる試合を落とした第1クール。そして連休明けの悪夢。
お詫びの水戸戦から勝ち上がって、3位を望める位置での折り返し。
第3クールは苦戦したものの、第4クールは42節まで昇格圏で争った。
選手のがんばりにありがとう
昨年は最下位の5勝、今年は17勝の6位、目標に一歩届かなかったが
最後の2試合を勝ちきって、来年につなげることが出来た。
温かい声援を送り続けてくれたサポーターがチームを押してくれた。
不祥事のときも、連敗のあとも励ましの声が聞こえた。
最終日のサンクスウオークを見た東京のスポンサーさんは
「札幌のサポーターはいつ見ても、独特の雰囲気がある。それは
選手に寄せる気持ちの温かさ。ほかのチームには見られませんよ」
そう語っていた。
そうそう、忘れられないことが今日もあった。
パキスタン地震支援募金では、なんと787,650円が集まった。
救援を呼びかけたパキスタンの学生達は、まさかこんなにと喜んでくれた。
あやかちゃん募金はまだ未集計だが、募金の列に切れ目がなかった。
インドネシア地震で孤児となった子供たちへのサッカーボール集めも
2000個に及ぶボールが集まり、今、船で海を越えている。
地震が起きた昨年の12月26日までにはみなさんの善意が届く。
北海道盲導犬協会への寄付金も多額になった。
温かったサポーターのみなさん、本当にありがとうございました。
来シーズンもよろしくお願いします。
このあと、勝利の録画放送をゆっくり安心して観ます。
2005年12月02日
「サッカー楽しかったです。また行きたいです」
今季、HFCは子供たちの招待に力を入れた。
試合のあと、数日経つと、うれしい礼状が届く(写真)。
読むのが本当に楽しい。
後半戦は毎試合、ほぼ3000人の少年少女を招いた。
サッカー少年団、養護施設の子供たち、体の不自由な子、
父母の愛に恵まれない子供、聾(ろう)学校の生徒さん、
皆さんに喜んでもらった。
札幌聾学校の校長先生に招待の電話を入れたとき、
「本当ですか。うちの生徒はみんなサッカー大好きなのです」
弾む声が返ってきてうれしかった。
11月23日の甲府戦を観てもらった。
こうした子供たちを、入場口に立ってお迎えしていると、
輝く目、はしゃぐ会話に、こちらがうれしくなる。
今季は3日の草津戦だけになった。来年はもっともっと
大勢の子供たちの笑顔にゲーム会場で出会いたい。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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