2006年01月28日
キッズからシニア、健常者も体の不自由な人も。女性も男性も。まさにサッカー天国。
さまざまな人が集まったコンサドーレカップ第6回全道市町村サッカーフェスティバル
が27日、ドームで行われた。
コンサドーレが全道市町村で行っているサッカースクールの実践の場として6年前から始まった。今回の参加は全道から535チーム6114人、第1回の参加チームが57だったのだから6年で10倍に膨らんだ。運営の関係で、積極的に呼びかけなかったのに、この数だ。
21日から、札幌市内のつどーむや完成したばかりのサッカーパーク・屋内コートなどで予選を行い、ドームにこの日やって来た。選手宣誓の後、アリーナを11に分割、キッズから、小中、チャレンジド(身障者)、一般などのゲームが繰り広げられた。
幼稚園、保育所児だけで編成されたキッズの部では、コートの周囲を父母が取り囲み、「いけ、いけ」コール。ビデオカメラが回り、デジカメのフラッシュがまばたく。キーパーが自陣ゴールを離れて相手ゴール前でプレーするなど、ユーモラスなパワープレーも。
参加したドーレくんも大人気で、各チームはドーレくんを中心に記念撮影におさまっていた。外は吹雪だったがドームは快適な温度、人工芝も冷たくなく、寝転んでごろごろ転がって遊ぶ子どもたちも。
国内では類を見ない大規模な大会。サッカーの楽しさを満喫できるイベントだ。当初、道の補助で開催されていたが、3年前から補助金がなくなり、コンサドーレのサッカー基金から400万円を支出、サッカー協会の運営で行われている
明日28日は決勝トーナメントに引き続き、表彰式が行われ、全日程を終了する。参加100チーム10000人の大会になるのも夢ではない。サッカーの広がりを象徴する大会だ。この中からコンサドーレトップ選手が生まれるかもしれない。
観戦も楽しいですよ。
2006年01月26日
サッカーの新しい聖地
人工芝フットサルコート2面の屋内競技場、天然芝と人工芝の屋外サッカー場が各1面(105×68m)、子どもが遊べるキッズ広場(20m×40m)、それとプレイヤーの交流が出来るクラブハウス(2階建て752㎡)が札幌市東区東雁来に完成、一部で使用が始まった。
屋外施設は雪のため使用できないが、フットサルコートは21日からコンサドーレカップで使用されているほか、24日からはコンサドーレユースがほぼ連日午後6時から9時まで練習に使用している。サッカーの新しい聖地の誕生である。
屋外の人工芝サッカー場は敷設済み。4月になって除雪すればすぐ使える。天然芝は春に種をまき養生の上、秋からは使える。2面のクレイフットサルコートも整備される予定だ。
隣にはコンサドーレユースの練習場(人工芝)がある。このほか調整池が予定されている敷地、さらに緑地公園構想もある広大な利用可能な敷地につながっていて、将来はサッカー場の増設も視野に入っている
NPO法人北海道スポーツクラブ(会長・村井将一道サッカー協会会長)がサッカーワールドカップ日韓大会剰余金3億2千万円を日本サッカー協会から受け、それにHFCが5300万円、その他、道サッカー協会、札幌市などが出資し、事業費5億1千万円で建設したものだ。
昨秋に安全祈願祭が行われ、このほど引き渡しを受けたものだが、今秋の完全稼動が今から待ち遠しい。雪が解けたら、ユースは人工芝で屋外練習を開始する。宮の沢のトップチームの練習同様、見に来てほしい。
周辺の緑化も計画されている。HFCは率先して周辺の植樹に協力し、「コンサの森」作りを進めたいと考えている。
2006年01月22日
1月21日、大滝村(3月初めからは伊達市大滝区)でコンサ2006決起集会
開かれた。昨日歩き始めたばかりの1歳1ヶ月のお嬢ちゃんら200人の
サポーターが結集した
温泉につかり、一緒に食事を取り、スタジアムとは違った雰囲気の中で、一体感がより強くなったように思えた。家族連れの人が多く、来年は私もと。
午後8時からの決起集会ではサッポロビールさんからクラッシク飲み放題
の提供があったほか、主要スポンサーから素晴らしいプレゼントをいただいた。それを賞品に、楽しいビンゴゲームで、ジャンケンも加わって歓声と拍手で盛り上がった。
レプリカ姿や浴衣に手ぬぐいを首に巻いた元気サポーター、とてもアットホームな感じ。一言挨拶も皆さん「JI昇格」。外は零下15度を超えていたが、会場は熱気でいっぱい。
この夜の人気は石屋製菓さんが提供してくれた一本もの5500グラムのバウムクーヘン。石水ジュニアが切リ分け、パパが手渡してくれた。上にチョコレートがかかり参加者全員が味わった。写真で皆さんにおすそ分け。
私は、なんと芯までかじってしまった。はしたないことに。
2006年01月20日
津波被害にあったインドネシアの子どもたちに送られたサッカーボールの報告会が1月25日(水)午後7時から、エルプラザ(札幌市中央区北8西3)環境研究室で開かれる。題して「ありがとう! 報告会」。
コンサドーレ・サポーターをはじめさまざまな方々からのボール2306個は昨年暮れ、無事、バンダ・アチェのチルドレンズ・メディア・センター(CMC)に届いた。ボールはCMCのトラックに積まれて各地の子どもたちに配られた。
この報告会には、“ボール大使”として現地入りしていたTSUNAMI留学生帰国支援・北海道代表の大井わこさん、北大留学生のルビスさんがボールを受け取った時の子どもたちの笑顔を報告する。私も参加したいと思っている。
17時間撮影したテープを30分に短縮したビデオの上映、少しだがインドネシアの茶菓も用意している。協力してくれた多くの人に来てもらいたいと呼びかけている。詳しくはhttp://genkihkd.exblog.jpで。
2006年01月18日
Jリーグには理事会とは別にクラブの社長クラスが集まる実行委員会がある。
ほぼ毎月1回、東京のJFAハウスで開催される。今年初の会合は17日にあった。
J1、J2に分かれて開かれるが、年2回は合同で開く。
1月は年初ということもあって合同だった。J1、J2別々に北からの順で席が
決まっているが、今回は昇格、降格3クラブが入れ替わって座った。両方とも
少し表情が硬いように思えた。
審議事項、報告事項がいつも10項目ぐらいはあり、チェアマンを議長に、熱のこもった議論が展開される。
会議は非公開で、内容も公式発表以外には外部に明らかに出来ないがゲーム運営などについてのさまざまな問題が討議される。
事件を起こしたチームが謝罪するのもこの席だ。
昨年のコンサ役員不祥事の際は、席上で経過を報告し、「リーグにご迷惑を掛けました」とあやまった。
おおよそ2、3時間で会議は終わるが、そのあとラウンジに席を移し、コーヒー、ビールを飲みながらの雑談となる。悩み、思いが正直に出てくる場だ。
チーム補強の状況などの情報も、それとなく探り合いとなる。
愛媛FCが加わって31チームとなったJリーグ、今日の席では合宿の話も聞かれ、それぞれの思惑の中に、2006年リーグ・スタートを感じさせた合同実行委員会だった。
東京は陽だまりで昼寝している姿も見られたが、千歳空港は大雪。欠航便が相次ぐ中、ようやく羽田を離陸、千歳からは遅れ遅れのJRで帰り着いた。
2006年01月16日
サポーターの皆さん、今日はご苦労様でした。おかげさまで4163人
がドームに来てくださいました。ユニフォームの評判も上々のようです。
さまざまなイベントも無事終了、ほっとしています。ありがとうございました。15日を裏から追ってみました。
必勝祈願の北海道神宮は日曜日、しかも好天ということもあって
大勢の人であふれていた。11時過ぎ、社務所前には数十人のサポーターの姿が。選手を乗せたバスを拍手で迎える。
選手は控え室で待機、フロントが新加入選手と顔合わせ、私が「よろしく」とHFCを代表して挨拶する。神宮の宮司さんたちも、うれしそうに「今年は期待できますね」と声をかけてくれる。
本殿に参列、祝詞に「昨年はもう少しのところでJ1を逃したが、今年こそは
期待に応えます」と。私と監督が玉ぐしを奉てんした。選手は記念写真を撮って終了。この日、顔見世のフッキ選手は記者に囲まれる。次に主将の和波選手も記者団に取り囲まれ、引き締まった顔で「期待に応えたい」(写真)。
青空が見え、なにかいいことがありそうな必勝祈願だった。
キックオフ2006の会場、ドームは2時の開場前に入り口は長い列。そのころ、記者会見場では新しいユニフォームのお披露目が始まる。新スポンサーさんのフェニックス・佐藤欣一社長は、カッパブランドの世界での普及状況などを説明、高瀬龍人第二営業本部長は材質の軽さ、消臭機能などを強調した。
3時からは舞台の上で選手紹介、トークショー、コンサ太鼓の演奏と続き、最後は選手全員が新ユニフォームで現れ、あっという間の2時間半だった。会場には新ユニフォーム発表前に、カッパロゴ(アダムとイブ)をあしらった自作ユニフォーム(写真)を着込んだサポーターもいてフェニックス社関係者を喜ばせた。
アリーナには協力協定を結んだばかりのアイスホッケー・札幌ポラリスのブースも(写真)。シーズンチケット販売コーナーには長い列が。「お待たせして申し訳ありませんでした」。ブログ開設お手伝い、ポスターカレンダー撮影コーナーなどどこも繁盛。カレンダー撮影はこの日だけで300人を超え、目標の1300人まであと一息に迫った。
コンサ太鼓も圧倒的な迫力。石丸正彦さんの横笛の音に乗って札幌あさひ太鼓のメンバーが叩く音はドームの天井に跳ね返り、お祭りムードを盛り上げる。コンサドーレのエンブレムなどが描かれた胴長太鼓は大型スクリーンに映し出されて、「きれいだな」と声が上がった。
「ゲームの前に、会場入り口で叩いて観客を迎えたらどうだろう」とも声も聴かれた。太鼓を寄贈してくれた川村紀幸・川村楽器店社長、絵を書いてくれた日本画家の笹山峻弘さん、台を製作してくれた吉田義一・白石製作所社長も立ち会ってくれて満足そうだった(写真)。
昨年のユニフォーム発表では、一部サポーターから赤黒縦じまではない、との不満が聞かれたが、この日はそうした声も無く、「いつ発売ですか」とたずねられた。
終わったあとも人工芝は汚れやごみがまったくと言ってよいほど無く、ドーム関係者は「こうしたイベントの後は食べ物などでの汚れが目立つのですが、さすがコンサドーレサポーターは違いますね」と感心していた。
2006年01月15日
鈴木 昌・Jリーグチェアマンが2月17,18日、札幌にやってくる。
2月17日は道新政経懇話会で講演、翌18日は札幌市内のロータリークラブが午後1時から道新ホール(札幌市中央区大通西3)で開くシンポジウム「北海道をスポーツで元気に」で基調講演をする予定だ。
道新政経懇話会は会員制だから自由に聴けないが、18日のシンポジウムは一般の人も無料で入場できる。私もコーディネーターとして参加する。ワールドカップを控えたサッカーの年にJリーグの100年構想などをチェアマンから直接、聴くことが出来る貴重な機会だ。
シンポジウムはチェアマンをまじえて、牧泰昌氏(アイスホッケー札幌ポラリス理事長)、小野真澄氏(札幌八軒東中教諭 女子棒高跳び元日本記録保持者)、田中哲也氏(パラリンピック・アルペン出場者)、栗城史多氏(7大陸最高峰単独登頂挑戦登山家)が、それぞれの体験からスポーツの魅力を語り合う。
トリノ・冬季オリンピックもちょうど開催中で、盛り上がっているころだろう。今の日本はさまざまな問題を抱えているが、その中でスポーツが果たす役割は大きい。チェアマンの来道は北海道のスポーツ文化向上を後押し、コンサドーレにもエールを送ってくれるはずだ。
コンサ・サポーター、サッカー関係者は大勢参加してほしい。
ロータリークラブ会員以外の聴講希望者は札幌モーニングロータリークラブ事務局(〒060-0005札幌市中央区北5西6第一道通ビル1階)へ、
はがき、ファックス011-219-1308か
E-mail sapporo-morning-rc@purple.plala.or.jpで申し込みを。
問い合わせは同事務局011-242-3360.
2006年01月12日
コンサドーレのエンブレムを付けた太鼓が昇り龍と一緒にやってきた。
前にもこのブログで紹介したが、私の札幌モーニングロータリークラブの
仲間3人が、コンサドーレのJ1 昇格を願って贈ってくれた。
昨年の12月14日の会合で話がまとまった。札幌市中央区内、HBC三条ビル内で和楽器を扱う川村楽器店社長、川村紀幸さんが胴長太鼓を提供、それに日本画家の笹山峻弘さんが皮と側面の木部にコンサドーレのエンブレムと龍を全面にあしらって描いてくれた。
それを白石区の白石製作所社長の吉田義一さんが金属で台を。3人の
パスが見事に決まって、わずか1ヶ月足らずで出来上がった。
11日に、仲間にお披露目し、すぐにHFCの事務所に私が運び入れた。打つ面は
直径2尺(70センチ弱)、横が1メートル弱の一本ものの木をくり抜いた
今はなかなか手に入れるのが難しい逸品の胴長太鼓だ。
「朝礼の時にたたくか」「いやいやキックオフの合図でしょ」など冗談も含めて盛り上がり、手でたたいてみて感触と音を確かめあった。15日のファン感謝デーの催しでサポーターに見てもらう。
皮が馴染んでいないので、力いっぱいはまだ叩けないが、その代わりに、川村さんの太鼓仲間が駆けつけて、コンサ太鼓の前で演奏し花を添えてくれるという。さらに、コンサドーレのために威勢の良い太鼓の曲も作曲してくれるという話にも発展した。
「ドーンドーンと叩いて景気よくJ1に上がってほしい」。仲間みんなの願いになんとか応えたい。そのためにフロントとしてもがんばろう、そう思う。
2006年01月11日
コンサドーレ・サポーターなど全国のサッカー関係者から支援を受け、
米国で多臓器移植手術を受けた神達彩花(あやか)ちゃんから
年賀状が11日、届いた(写真)。
あけましておめでとうございます
昨年は大きな力をいただき、ありがとうございました。
彩花は今年もがんばります。
平成18年元旦 神達良司・宏美、彩花
あやかちゃんを救う会
と書かれていた。
帰宅して道新の夕刊をみると、「彩花ちゃん退院 一家で初の生活」の見出しとともにママ、宏美さんに抱かれた元気そうな彩花ちゃんの写真が掲載されていた。鼻からの管もとれ、ふっくらしたように見える。
日本時間11日は彩花ちゃんの1歳の誕生日。医師らからバースデー
プレゼントをもらったという。
出生以来、入院生活で病院の外に出るのは今度が初めて。親子三人の暮らしが
手術の成功で実現した。一家の喜びが写真から伝わってくる。半年から一年は、マイアミにとどまって通院治療を受けるとのことだ。
募金という形で、支援にかかわれて本当によかった。あやかちゃんはサポーターを一つにしてくれた。私たちに、よろこびをくれた。
「誕生日おめでとう 今年もがんばって あやかちゃん」
2006年01月09日
スポーツのミズノが創業100周年を迎えて8日、東京でスポーツシンポジウム
「スポーツの100年と未来 すべての子ども達にスポーツを」を開いた。私も
出席してきた。
猪谷千春国際オリンピック委員会副会長、ゲアハート・ハイバーグ同理事らが挨拶、小池百合子環境大臣も顔を見せた。
映画監督、篠田正浩氏の基調講演「スポーツと子どもと教育」をはじめ、竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)会長、川渕三郎・日本サッカー協会キャプテン、山下康裕・東海大教授、松岡修造・JOCスポーツ環境委員、小谷実可子・JOC理事、水野正人・ミズノ社長らによるパネルディスカッション。
作家・村上龍氏とシアトルマリナーズのイチローとのトークセッションなどと盛りだくさんな内容だった。
この中で、強く印象に残ったのは、環境問題に触れた意見が多かったことだ。
猪谷副会長は「スポーツと環境の共存」を強調、ハイバーグ理事も国際オリンピック委員会の提言を元に、環境問題に取り組もうと訴えた。
水野正人社長はパネルディスカッションの中で「オーストラリアでは戸外で遊べるのは2時間だけ。しかも長そで、帽子が必要。肌をさらすことができなくなってきている。オゾン層の破壊が進み、有害な紫外線が南極に近い豪州ではより強くなっているためだ」と指摘した。
また、松岡修造氏が中国でプレーをしようとした際、大気汚染で苦しくなったことなどを紹介した。近い将来、子ども達は地球環境の悪化でスポーツが出来ない事態になりかねないとの警鐘だ。
フロンなどによるオゾン濃度の減少、二酸化炭素の排出による温暖化現象などがもたらす環境悪化は深刻だ。「エネルギー資源の節約、ごみの分別などで循環型社会を作り、安心してスポーツが出来る地球を子どもたちに残そう」(水野氏)との呼びかけは会場の共感を呼んだ。
2006年01月07日
J2のチーム数が決まるのが遅かったり、ドーム、厚別競技場開催の試合数が確定できないなどがあって、今季はシーズンチケットの売出しが遅れた。
ようやく7日、サッポロファクトリー・アトリウムで石井謙伍、鈴木智樹選手のトークショーを交えて販売会を行った。
朝、別の用があり、正午少し前に会場についた。「社長、今、一段落したところですよ」と担当者に言われたが、それでも常時、10数人は並んで受け付け待ち状態。
「開始の10時前から、ずらっと並んで4、50分待ちの時もあった」とか。
受付のテーブル前に立って、お客さまに挨拶していると、顔なじみの方々が声を掛けてくれる。「社長、今年は上がりましょうね」「まだ、選手補強はあるの?」「開幕の相手はどこ」「ホーム開幕戦はいつ?」「学生チケの新設はよかったよ」
質問が、つぎつぎと。「上がりたいですね」「補強ねえ」
「スケジュールはまだJリーグから発表がなくて」などと
あいまいな答えしか出来ないが、皆さん許してくれる。
ポスターカレンダーの撮影の呼びかけにも、気持ちよく応じてもらえた。この日だけで百数十人が顔写真を提供してくれた。1300人集める予定だが、まだ500人くらい不足。15日のファン感謝デーが山場かな。
トークショーの二人の語りは快調。すっかり話しぶりがイタについてきた。司会者の質問に、逆に切り返すコンビにフロアと1,2階の回廊を
取り囲んだサポーターからは終始笑いが起きていた。
舞台を降りての握手会も、和気あいあい。トークショーは2時と5時に行ったが2回とも聴いてくれたサポーターも多かった。
この日、初登場の風船ドーレくんも好評。早くも子供さんたちの人気を集めていた。
終わりごろには、昼から降り続いた雪もやみ、ファクトリーのレンガの建物を背景にナナカマドの実に雪が乗り、光に映えてとてもきれいだった。
2006年01月04日
正月休みに読んだサッカー関係の小冊子に「二つのン」というのがあった。
一つは、ロマンのン、もう一つはソロバンのン。この二つを
なりたたせるのは、なかなか困難だという主旨だった。
サッカービジネスは確かにそのとおり。
ロマンを追い求めれば、ソロバンが危うくなる。ソロバン重視では
ロマンが色あせる。その兼ね合いがなんとも難しい。
これは一般論だ。HFCの場合、この二つを両立させる環境は十二分にある。
今日(4日)は仕事始め。今年初めての朝礼で、私はそのことを話した。
HFCを取り巻く環境はよい。今年はドイツWCに牽引されるサッカーの年である。日本代表の出場はサッカー普及へ追い風となるのは間違いない。コンサドーレは10周年という節目の年を迎えた。
風を興すにふさわしい年だ。
チームは柳下監督の元で力を蓄え、3年目のシーズンを迎える。
5段階計画を基盤に、育成型チーム作りは進んでいる。
「3位以内、J1を目指す」。目標もはっきりしている。
経営的にも、昨年度は黒字を計上できそうだ。これまでの負の遺産をなくすには時間がかかるが、基盤づくりへの足がかりは見えてきた。
むずかしいが、二つの「ン」を求める道も。
強力なリーダーに支えられたチーム。フロントはそれをソロバンで支える。
具体的には収入の増大である。集客増、スポンサー獲得、グッズの販売が3本柱だ。さらに、IT事業の推進などさまざまな分野での収益を図る。
この10年間で、コンサドーレのブランド力は高まった。道民の信頼を
かち得ている。サポーターの熱い支援を受けている。
これは大きな経営資産だ。
この資産を最大限に活用して持続可能なチーム、HFCをつくる。
今年はそれに向かって一歩踏み出す年と位置づけた。
この10年間に道民から寄せられた支援に応えることでもある。社会貢献やサッカーの普及活動、青少年育成のお手伝いを一層活発化する。
他のスポーツ団体と手を結び、スポーツを通じて感動を生み出し、
地域の活性化、道民の体力向上、医療費の低減などに寄与していく。
ロマンは大きく広がる。
HFCで働きことは、魅力あるチーム作りに直結する。
仕事は決して苦しいものではない。北海道のためになることもつながる。
そこで働けることの喜びをみんなで共有できる。心からそう思っている。
この日、出席した外部の新年交礼会では、会う人は必ず、「今年は期待して
いますよ」と声を掛けてくれた。良いプレッシャーは力になる。
攻めの姿勢で前に進んで生きたい。
2006年01月01日
新しい年が明けました。
皆さま、おめでとうございます。
昨年は、コンサドーレへの応援、ご支援をありがとうございました。
今年は5段階計画の3段階目に入ります。昨シーズンの勢いを
そのままに、3位以内J1を目指して戦う年になります。
一層のサポートをよろしくお願いいたします。
大晦日は紅白で平原綾香の「明日」(新しい明日が始まる)を聴き、
ベートーベンの交響曲第9番第4楽章歓喜の合唱付で午前零時を
迎えました。
今年は新しい明日に向かって進みます。
チームはもちろんですが、サッカーを通じて北海道、日本、世界に
笑顔を少しでも広げる努力を積み重ねていきたいと思います。
昨年末には、津波被害にあったインドネシア・アチェに皆さんのボールが
届きました。笑顔が戻りました。難病に苦しむ、あやかちゃんの手術が
皆さんから寄せられた募金を使って、米国で成功しています。地震の被害に苦しむパキスタンへも皆さんの貴重なお金が送られました。
こうした笑顔を運ぶお手伝い、悲しみを癒す運動を、もっともっと積極的にやりましょう。
また今年は函館などで、コンサドーレ・スポーツ・キャンパス(仮称)
を立ち上げ、子供たちにサッカーを通じてスポーツの楽しさ、フェアプレー
の大切さを教えていきます。
さまざまな夢が広がります。その夢に向かって突き進み、歓喜で年末を迎えられる年にしたいと心にきざんでいます。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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