2006年07月31日
湘南戦は残念な結果に終わりましたが、この日は明るいニュース、うれしいこともありました。CVS担当のMさんに女児誕生です。出産・育児休暇のためしばらくは仕事は出来ませんが、可愛い赤ちゃんを見せにきてくれることでしょう。
Kappaさんのファッションコンテストになんと120人近いサポーターの
応募がありました。ひごろさまざまなアイデアのファッションで応援してくれているYさんは、ご覧の写真のとおり。
石屋製菓さん提供の選手ネーム入り手ぬぐい20枚を縫い合わせて作った浴衣を着てスタジアムに来てくれたお二人も。Kappaの職員の皆さんも大感激。「年に何回かやって、年間グランプリを決めるのもおもしろいですね」とも。 北海道教育大を卒業し、教壇に立って10年経った先生15人が、10年研修の一環で、ゲーム運営の勉強に来てくれました。芝の感触を確かめたり、ドールズの練習を見たり、とても熱心でした。 しまふくごはんを買ったり、写真を撮っている先生もいたので、学校に帰ったら、生徒にこの日の様子を伝えてくれるのではと期待しています。北海道教育大とは協力協定を結んでいますが、こうしたさまざまな形での交流が進んでいます。
ごみ分別回収体験キャンペーンも行われました。厚別での実施は、これで3回目です。事前に分別方法の告知を行ったせいか、「前回よりはごみの量が少なく、分別でも戸惑っている人が少なかった」と実施に協力してくれているezo rockさん。 先日は7月12日の結果を分析したデータを、持ってきていただきました。お弁当の中身の分別に問題、汁回収の入れ物の位置などを具体的に指摘してもらいました。22日とこの日の結果も合わせて、今後の進め方を協議します。
最後はちょっと悔しかったことです。J2 5000得点目は湘南・アジエル選手となりました。記念ボールに同選手のサインを入れて、Jリーグ事務局に届けました。コンサの選手だったらと思いながら~。
2006年07月26日
コンサドーレのチームスポンサーであり、選手の検眼、メガネつくりにご協力いただいている富士メガネ会長の金井昭雄さんが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から日本人で初めてナンセン難民賞を受賞しました。 7月18日夜、今年行なったアゼルバイジャンでのメガネ寄贈活動と ナンセン賞受賞の報告会が札幌市内のホテルでロバート・ロビンソンUNHCR日本代表も参加して行われました。私もお祝いをしてきました。 ロビンソン日本代表によれば「世界のキング、クイーンの仲間いり」と いうことだそうです。「緒方貞子さんも日本人の模範ですと言っていた」と 付け加えていました。そして金井さんに、ナンセンを扱った1897年の 新聞を表装して手渡しました。
ナンセン賞は難民のために多大な貢献をした団体、個人に送られる世界的な賞です。これまでにエレノア・ルーズベルト元米大統領夫人、タンザニアのニエレレ大統領、国境なき医師団などが受賞、1954年以来続いています。
賞は北極の探検家で、ノルウエーの国際連盟代表、初代難民高等弁務官となったフリチョフ・ナンセンを記念して出来たものです。ナンセンは第一次世界大戦の捕虜、ロシア革命で発生した難民などに手を差し伸べました。
ナンセン賞決定に当たってグレーテス国連難民高騰弁務官は「金井氏のおかげで非常に難しい状況にある難民が人生に新しい展望を抱くことが出来た。視覚という贈り物は貴重」と述べ業績を称えています(UNHCR HP/7月4日)。
金井さんは1983年から、社員とともにタイのインドシナ難民キャンプをはじめ、ネパールのブータン難民、アルメニアの難民キャンプ、アゼルバイジャンなどで難民対象に視力検査の上、視力にあったメガネを寄贈し続けてきました。
その数は11万個にのぼります。参加社員はボランティア、費用は会社負担です。それを23年間も続けているわけですから、素晴らしいですね。報告会では視力をもらったアゼルバイジャン難民の喜びの表情が映像で映し出されていました。
金井さんの兄の重博さん(前会長)はオーストリア名誉領事として、国際交流に尽くしています。金井さんの息子の邦容さん(米国カリフォルニア大バークレイ校オプトメトリー・スクール)もアゼルバイジャン・プロジェクトに参加しています。
社会貢献への思いが金井家に、富士メガネ社内の広がっているように思えます。困っているひとに手を差し伸べる。個人として、そして事業を通じて~。
10月2日にはジュネーブで授賞式が行われます。道民として待ち遠しいですね。
そうそう、それとこの日の報告会で感じたことがもう一つありました。
会は今年の支援活動の報告が前面に出ていて、受賞については控えめだった
ことです。
また、会場はホテルでしたが、受付に飲み物のペットボトルと簡単なサンドイッチが用意してあり、必要な人は手に取って会場に入るやり方でした。簡素で実質的なもてなしにスマートな社風を感じました。
2006年07月17日
コンサドーレ札幌スポーツスクールの開講式が17日午前、札幌市南区のFu’s(藤野野外スポーツ交流施設)で行われました。HFCがJリーグと共催で毎年、行ってきているものです。札幌市スポーツ振興事業団が全面的に協力してくれています。 来年2月17日まで7ヶ月間、主に隔週土曜日、16回にわたって軽登山、サイクリング、バトミントン、フットサル、スキー、ボード、スノーシュー歩きなどを楽しみます。今年はカーリングも計画に入れました。 今日の開講式には約60人の小学3年から6年までの子どもが父母らと 参加しました。大々的に参加を呼びかけなくても、あっという間に集まってしまう人気のプログラムなのです。 開講式ではスクールの説明のあと、さっそくこの日のプログラム 「トレッキング練習」で藤野のスキー場を頂上目指して登りました(写真)。運動の基礎となる歩き方、みんなとの協調性を学ぶコースです。
はじめは、あいさつの声も小さかった子供たちですが、しだいに大きな声で「こんにちは」と言えるようになり、見守るお母さん、お父さんも子どもたちの普段と違った姿に「このスクールに期待しています」と話していました。 スクールはコンサドーレ札幌が目指す将来の総合スポーツクラブ作りの実験とも言えるものです。サッカー教室とは別に、子どもたちにさまざまなスポーツの楽しみを知ってもらおうと始めました。 2回目の7月27日はニセコ登山、9月23日は豊平川MTBサイクリングなど と続きます。スキーではバッジテストも受けられます。また11月にはトリノ五輪で人気となったカーリングも美香保体育館で行う予定です。
スクールの基地となるFu’sは市街地に近いところにありながら、自然がいっぱいです。今年は野生のシカが姿を見せました。野ウサギの子ども3匹も春に保護され、飼育されています。エゾタヌキの出てきます。 こうした素晴らしい環境の下、学校や家庭とは違った出会い、友達づくりが可能となります。毎年、リピーターの子も増えています。そうした良さを聞きつけて参加してくる子も増えています。本当はもっと受け入れ人数を増やしたいのですが送り迎えのバスや指導員の数などから定員を60人に絞っているのが残念です。
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2006年07月13日
11日も、やはり北海道神宮へ行って来ました。お賽銭は愛媛戦のときよりは少し奮発しました。 2-1 祈りは通じたようです。雨除けの願いも。 首位たたきは、もちろん、もちろんうれしかったのですが~。 ほぼ7千人のお客様がスタンドを埋め、勝利を見届けて くれたのには興奮しました。 初めて実施した、ごみ分別体験キャンペーンが無事、終わったことも感激でした。会場の整理を終えて、厚別を出たのは午後11時すぎ、まん丸のお月さんが出ていました(写真右下)。この日を祝ってくれるかのように。
前日の天気予報は雨模様。久しぶりの厚別・平日ナイター。お客様の出足が心配でした。5千人を割り込むかもしれない。前売りの状況から6千人は来場か、と担当者は言っていたのですが。 開場時のゲート前行列はわずか5分で終わってしまいました。 「やっぱり」と思いましたが、試合が始まるころから、仕事場から 大急ぎで来てくれたのでしょう。ライトを浴びたスタンドは赤黒に 染まっていました。 後半戦終了まぎわの、はらはらドキドキはいつものことですが、 この夜は、いつにも増してレフリーの笛の待ち遠しかったことか。 スポンサーさまにお礼の挨拶をすませても、スタンドはまだ歓声が 渦巻いていました。 この日、初めて行ったごみ分別体験キャンペーンの状況が気がかり でしたので、出口付近の実施場所に出向きました。そこでは、 みなさんが気持ちよく協力してくれていました。ほっとしました。
HFCはスタジアムのごみ問題に昨年来、取り組んできました。 昨年はレジ袋なしのご協力をサポーターの皆さんに呼びかけました。 ことしは一歩進めて、ごみを減らそう、出たごみの分別を進めよう、 リサイクルの道筋をつけよう、を目指しています。 柏戦の会場では環境NGO「ezo rock」(草野竹史さん代表)にお手伝いを願って2箇所で体験キャンペーンを行ったのです。燃やせるもの、 燃やせないもの、ペットボトル、プラスティック、飲み残し、割りばし、紙コップの7つに分けて捨ててもらおうとの試みです。 お客様の反応がどうなのか、分け方に戸惑いはないか、などを実際に 知るためでした。参加してくれた13人のNGO会員の方は環境問題 ごみ問題の専門家です。石狩浜での大規模音楽祭でも、やっています。 開場前から、分別ごみ入れを組み立てて、試合終了後まで、「ペット ボトルのふたは取って別に捨ててください」「燃えないごみはこちらです」などと呼びかけてくれていました。 6月24日の東京戦では、CVSさんが集めたごみを、いったん広げて ごみの中身を分類調査してくれています。その上にたっての11日の キャンペーンでした。全てボランティアでのご協力です。 草野代表らの感想は「CVSのみなさんが気持ちよく協力してくれて本当に頭が下がりました」「サポーターさんもごみ問題への関心は高く、積極的に分別に協力してくれました」と言っていました。 ただ、お弁当の残りの中に入っているプラスティック物の処理が問題のようです。取り出して分けるのは大変です。お弁当業者のみなさんと 協議し、容器類の作り方を検討する必要がありそうです。 22日の草津戦でも行う予定です。その結果をまとめて報告してくれる ことになっています。こうした運動は全道で一斉ごみ拾いなどを展開している「ラブアース・クリーンアップ in 北海道」実行委員会や北海道消費者協会さんにも協力していただいています。 HFCだけでは出来ません。同じ思いを持つ団体が手を組んでおこなうことが重要なのでしょう。札幌ドームでもやりたいのですが、こちらは株式会社札幌ドームさんの管轄なので今は手が出せません。厚別の結果などをもとに、ドームさんともさらに話し合いを進めて、エコ・スタジアム運動を広げられればと思っています。
2006年07月10日
朝6時前に起きて自転車で北海道神宮のラジオ体操へ。天気のよい日は気持ちが良い。いつも百人くらいの市民が集まって
体操を楽しんでいます。
6時25分から始まる「みんなの体操」から第1、第2体操合わせて
15分、リーダーの演技に合わせて体を動かすと全身が温まり、コリが
ほぐされていくのがわかります。
ほとんどがシニアですが、夏休みが始まれば、子どももやってきます。
いつもはそのまま円山公園を回って帰宅するのですが、8日は
境内に入り、お賽銭をいれ愛媛戦必勝祈願をしてきました。
出社して、メールを開くと「10年史の申し込みを忘れていました。まだ買えますか」が1件。6月16日の締め切り後もこうした申し込みへの対応に追われます。 希望サイン名を複数記入している人も多く、担当者は一人ひとりに 確認する作業に追われていました。印刷作業と並行したこうした確認に 意外に手間取りました。そしてキャンセル待ち受付けにも。 申し込み結果の報告が遅いとお叱りのブログもありましたが、こうした作業に追われ、確定するのに日時が必要だったのです。この日のメールの方には10日以降、予備があれば可能です、と返事を書きました。 開場は11時45分、いつもは北3ゲートで来場者をお出迎えする のですが、USのメンバーがサポーター10年誌「ONE & ONLY」を届けたい、とのことで北3ゲートにすることにしました。 列を作って待っていた人は約10分で入場を終えました。いつもより早い。ということは観客数が少ない? 外へ出て、当日券売り場をチェックしましたが列を作っているほどではありませんでした。1万5000人は超えないか。 「しまふくごはん」があれば買いたいと思いましたが、もうその時点では売り切れ。まだ1回しか買えません、食べていません。コンサ太鼓の前で女性サポさん2人のシャッターを押す。 2階席への階段で食事中のサポSさんから関東後援会の再刊機関紙をもらいました。中身がとても充実していて感激しました。運営本部などを回って異常が無いことを確認した後、B1の来賓受付で道新・渡辺専務にご挨拶、カーリング娘お2人にも。 12時半、記者会見室で渡辺専務から月刊コンサドーレの売り上げの 還元金307万6450円の寄贈を受けました。これで01年3月創刊以来の 還元金総額は1786万5875円になりました。本当にありがたいことです。 月刊コンサは私が道スポ社長をしていたときにつくったものでした。 こんな形で、いまその月刊コンサに助けてもらうことになろうとは、そのときは想像もしていませんでした。一部売れると25円がHFCにいただけるのです。 ピッチではちびっ子サッカーも始まっています。ドールズの練習にも熱が入り始めます。ドーレくんの衣装はぴかぴか。なにか動きも良いみたい。前の衣装は汚れがひどいので新しいのにしたのです。 そうこうするうちに12時50分。マッチ・コーディネーティング・ミーティング。マッチコミッショナーと両チーム監督、実行委員、レフリーがゲーム進行の打ち合わせをするのです。全員と握手を交わします。 マッチコミッショナーからドームは音が反響するので、笛は大きくなどとの注意がありました。さらにフェアプレーなどへの要望もあって、普段どおり約10分で終えました。 来賓受付に戻ると愛媛の亀井社長がご挨拶にお見えになりました。ゲームに合わせてスポンサー、株主さんを札幌へご案内してきたのです。観戦翌日はゴルフ、観光を楽しんで帰るとのことです スポンサー、株主さんの前で負けるわけにはいかないので頑張るだろうな、との考えがよぎります。この日の来賓は80人を超え、普段より多い。ドームでの試合がしばらく無いので、ひごろお世話になっている方にお声をかけたのです。 今年のスローガン「闘」を書いてくださった北海道教育大学教授の辻井京雲先生も奥様と一緒にいらしてくださった。大型ビジョンに映し出される「闘」 を見ていただきました。 サッカーをはじめスポーツビジネスに詳しい著名な広瀬一郎さんも キャリアバンクの佐藤社長らと観戦にいらした。初めての方とは名刺交換を、顔なじみの方とは歓談できるよい機会です。 ドームの瀬戸・新社長も応援に来てくれました。「日ハムさんも私が観る時は勝つ。コンサさんもそうですよ」。 そう言ってくれる。「それでは全試合みてください」と応える。 2時4分、キックオフ。いつもの来賓席下の通路に立つ。 座席がわからない人を案内しているうちに、フッキのゴール! 「でも、わからない」。そう思ううちに同点。「やっぱり」。 愛媛の動きのよさに目を奪われる。1-1で前半終了か、と思った直後石井の勝ち越しゴール。「いいぞ」。2-1.そのまま後半戦へ。 どちらが先に入れるか。愛媛に入れられたら危ない。心配が消えません。 しかも千葉のレッド。だが、追加点は札幌に。3-1。時間もそうない。3点入れられて負けることはまずあるまい。そう思いながらも、そういえば、そんな負け方もあったと不吉な記憶がよみがえります。観客は14065人。やっぱり15000人は超えなかった。残念! やっと笛。来賓をお見送りして、ほっとする。 いったん、事務所に帰り、週明けのJリーグ実行委員会出張の準備やメールの返事などをすませる。芽室町からはサッカー教室開催要請の連絡もありました。 社員全員で試合後の撤収作業を始めます。2時間でかかります。分担を終えた社員は床に座り込む。立っていられないのでしょう。朝8時からの長い1日です。午後6時、ようやく終礼。「前半戦を勝って折り返せた」と挨拶、お疲れさま。 再び事務所に戻って書類の整理をしていると、「ONE & ONLY」を USの皆さんが持ってきてくれました。「選手にも渡してほしい」と箱にいれて。増刷分も売り切れの予定とか。ありがたくいただきました。 午後7時半、社を出ました。夕焼けがまだ西の空に残っています。明日は日曜日、久しぶりの休み。週明けは東京出張など予定表はびっしり。 「おめでとう」の声に迎えられて家に入りました。 6時間立ちっぱなし。疲れましたが、勝利の後は心地よさもあります。 4日後には厚別で柏戦、ここで首位叩きと思ます。 ゲームのある日は、こうして時間が過ぎていくのです。
2006年07月07日
中央アメリカ・ホンジュラス共和国で植林をしているサッカー少年にコンサドーレからボールとユニホームを植林指導に行くNPO法人北海道森林ボランティア協会員を通じてプレゼントしたのを、ご記憶ですか。 ホンジュラスではまだ焼畑農業があちこちで行われていて、緑の破壊が進んでいるということです。特に高地では森林を焼いたあとにコーヒーの木を植えるのが盛んです。
「美味しい高地のコーヒー」をウリにしている業界のしわ寄せが、森林破壊(写真中央)につながっているのではと現地入りした酒井和彦代表らは心配していました。そして現地の子どもたちのサッカーチームと一緒に植林してきたのです(写真下)。 持っていった18個のボールはインチブカ地域の少年サッカー大会の賞品として各カテゴリーの優勝チームなどに1個ずつプレゼントされました。ユニホームは役員が着てくれています。
ボールはコンサドーレ・ユースの子ども達が使ったもので、廃棄処分にするものでした。汚れて、傷ついていて、これでは失礼ではないかと心を痛めながら持っていってもらったのですが、宝物として扱ってくれているようです。 現地ではボールは高価で、なかなか子どもたちは買うことは出来ません。自分たちで作るのが当たり前とのことです。その一つを酒井さんはHFCに届けてくれました。ビニールごみをひもでぐるぐる巻きにしたものです。 野球少年だった私は戦後、布で手製のボールを作り遊んでいたことを思い出しました。同世代の酒井さんは、そうした手製ボールで遊んでいる子どもを見て「涙が出てしまいました」と語っていました。 受け取った手製ボールはサッカースクールなどを指導している小亀、佐々木コーチに手渡しました(写真上)。「世界にはこうした手作りボールでサッカーをしている貧しい子どももいる」ということを伝えてほしいと言いました。 サッカー少年たちとともに植林事業を進めている責任者のキャロス・クロス博士は以下のホームページ上でHFCへの感謝の言葉を書いています。 http://www.weshemsoc.com/hokkaido_football_club.htm そして、これをきっかけにホンジュラスと日本・札幌のサッカー交流を深めたいというのが博士の願いです。日本-ホンジュラススポーツ友好協会を作ることを諸方面に働きかけ始めています。
2006年07月04日
みなさんに、ご購入をお願いしていた10年史「夢に挑む」は今、印刷にかかっております。お申し込み数は目標の3400部を超え 有料販売部数は3500部に達しました。 締め切り後に、郵便振込みで届いた分や電話でのお申し込み などについて極力、ご要望にお答えするため調整しています。 そうした分が数冊ありますが、3500部に落ち着く見込みです。 計画当初からHFCが最低でも3400部を買い取るということ で始まりましたので、目標を達成できてほっとしています。DM費、 発送費など思わぬ出費もありましたが、おかげで利益は確保できました。 DVD、サインをつけて10日には一部納品されることになっています。それ以降、発送を始めますので、みなさまのお手元にはまもなく届きます。ご協力をいただき、本当にありがとうございました。 4日に印刷会社のアイワードさんから外装見本(写真)を見せてもらい ました。チームカラーの黒を基調に落ち着いた仕上げです。10日に届く 本物を早く見たいとわくわくしています。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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